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少年少女よ、君は一歩踏み出せるか? 劇場版「文学少女」

劇場版"文学少女"
 

 

劇場版「文学少女」見てきました。
早速感想書いてみようと思いますが、映画の感想の時は自分のスペックを書いておきます。

文学少女シリーズは全部は読んでないけどちょっと読んでる。
・報われなさげなヒロイン大好き。
・尊敬する人と聞かれたら全速力で「宮沢賢治大槻ケンヂ」と答えるタイプ。

そんな感じで映画の感想です。あ、オーケンは全然関係ないです。
ネタバレは避けまくります。なんとか!
 

銀河鉄道の夜

結論から言うと、全くの予備知識無しで見に行っても、十分楽しめる作品だと思います。
しかし、できれば銀河鉄道の夜」だけは読んでから行った方が3倍面白いです! 絶対!!
絵本で読んだ、じゃなくて、できるだけ宮沢賢治の第四版(書店で通常に売っているヤツ)を!
 

新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫)
宮沢 賢治
新潮社
売り上げランキング: 7692
これがベスト。安いですしどこにでも売ってます。
 
絵本だと、大幅に削られている部分があって「何が起きていたのかよく分からない」ことが多い「銀河鉄道の夜」。
小学生の時に読んでいまいち理解できない作品ナンバー3に入る割に必読扱いの不思議な本ですが、それは子供の時に読んでから、大人になって読み返すと、全く別の見方ができるからです。
漫画でも映画でもそういう「大人になってわかるもの」ってあるとおもうんですが、「銀河鉄道の夜」の視点変化度は特別に凄まじいものがあります。
だから、これを読んでいるのが中学生でも50代でもいい、まずは「銀河鉄道の夜」をもう一回だけ読んでから、劇場版「文学少女」を見に行って欲しい!
 
なんか「原作は?」とツッコまれそうですが、ぶっちゃけ原作は後から読んでもいいです。
むしろ後から読んだ方が面白い部分もあります。
もちろん既読派がニヤリと出来るシーンも多いです。ああ、あのキャラがこんなとこでー、という。
しかし心情が全部分かってしまう状態で見ることになるので、それならば、今まっさらな状態ならばそのまま見に行った方がオススメ。
ちなみに原作の「”文学少女”と慟哭の巡礼者」がメインストーリーになっています。順番に読んでいくのがベストかとは思いますが、「遠子先輩という三つ編みの少女は、文で書かれた物語を食べて生きている」という知識だけあれば、ここから読んでもわかります。
 

ジュブナイル

本作は、非常に良質のジュブナイルという表現が似合うと思います。
涼宮ハルヒの消失」が「良質のジュブナイルSF」、「いばらの王」が「良質のB級映画」とするなら、「文学少女」は「良質の純ジュブナイル
 
もっとも「ジュブナイル」という単語自体は、直接的には今でいう「ヤングアダルト」や「ラノベ」を差すんですが、なんというか、ほら、あるじゃないですか漠然とした「ジュブナイル」っぽさって。
少年少女の鬱屈、怯え。
退屈な日常への苛立と、突如訪れる非日常へのドキドキ。
そして、今輝いている瞬間と、過ぎ越して大人にならざるを得ない瞬間への不安。
沢山の不安定な、思春期の思いを言葉にして描き出す、これぞまさに「ジュブナイル」。
 
劇場版「文学少女」は、その「漠然とした不安」や「若さ故の視野狭窄」を徹底的に描き、どこから活路を開くかに主軸を置いた作品になっています。
文学少女」シリーズは、先程も書いたように「紙にかかれた物語」をちぎって食べることで生きている不思議な少女です。
が。
なんかすごいことするわけじゃないんですよ。あくまでも「食べる」だけで、それ以上でもそれ以下でもない。
あえて言えば、食べた物語はほぼ覚えている、くらいでしょうか。
割とテンションが高くて、だけど何事にも動じ無くて。
小説の表紙を見るとなんだかたおやかげな、まさに文化系少女を彷彿とさせますが、案外そうでもありません。
「突然少女がやってきた!」系の話の中でもちょっと異質。
むしろ「突然少女(の姿をしたおかん)がやってきた!」という感じです。
 
何をいいたいかというと、ジュブナイルしちゃうのは文学少女の遠子先輩ではなく、主人公の少年心葉(コノハ)だということです。
確かに「突然よく分からない女の子がやってきて、平安な日常がおかしくなった」というパターンを踏襲はしているものの、ちょっとちがうんですよ。
遠子先輩に振り回されてもいるんですが、むしろ彼の落ち着くことのできない、不安定な心を受け止めてくれるのが遠子先輩、という構図としてこの作品作られています。
 

●閉じたセカイ●

個人的にこの作品を見て欲しいと思うのは、中高大生。
できるだけ、学生に見て欲しい。
いや、大人が見ても楽しいんです。実際自分大人ですし。十分楽しんできましたし。
でもね、大人が見ると「こんなこともあったな」「こんなときこうするよな」になっちゃうんですよ。
それが憧憬になるならいいんですが、この作品はもう徹底的に少年少女にシンクロするように作られています。
だから! 学生であるなら、その学生であることを誇りにして、見て欲しいんですよ!
正直、自分が高校生じゃないのが、悔しいくらいだ!
たぶん高校生の時これ見たら、色んなものがシンクロしすぎてえらいことになっていたと思います。ああ、惜しい。本当に惜しい。
大人になってから読んでしんみり味わうのもいいんですが、できればシンクロして大変な状態になりたかった!
 
なしてここまで「若いときに見ておきたかった」と強調するかというと、この作品開いていくセカイ閉じてしまったセカイの対比がものすごく上手いからです。
特に、原作よりも「閉じたセカイ」に焦点を定めているため、冷静に考えたら色々な行動を取れるハズなのに、「ここに行き着いちゃうよな」という思いに飲み込まれちゃうんですよ。
 
遠子先輩は、開いたセカイ側のキャラです。
本って無数にあるじゃないですか。世界中にたくさん、数え切れないほど存在するじゃないですか。
しかも、これから新しい物語を作れば、世界はさらに無限だ!
ですから、コノハが行き詰まったとき、押し開いてくれるのは遠子先輩。
開いたセカイへの水先案内人であると同時に、聖母のような器の存在なんですよね。
なんにも特別な力があるわけじゃあないんだけれども、少なくともジュブナイルしている少年に、開いたセカイを見せることは出来る。
むしろ、何の予備知識もなければ「この子存在していないんじゃないか?」と思えるくらいに、「少年少女の心を受け止める何か」の権化です。
 
そのカウンターとして出てくるのが一人の少女。
こちらはまるっきり正反対の、閉じたセカイで停滞している少女です。
コノハがその少女に飲み込まれて行く様が描かれるわけですが、これが……こここそが、たぶん学生時代に感じる、最も不安で恐ろしい、どうすればいいか分からなくて戸惑う部分そのものなんです。
不安?何が不安?
未来か?
自分が見えないことか?
自分を認めてもらえず何かを失うことか?
 
「不安」という言葉に「なぜ? どうして?」は通用しません。
だって、不安なんだよ!?
不安に理由や原因を求めて、理知的に解決出来るのは大人になって通過済みだからだ。
コノハとその少女は、不安を解決出来るであろうことを考える余裕すらありません。
どんどんインナーに、どんどん閉じたセカイにはまりこんでしまいます。
 
開いたセカイの遠子先輩と、閉じたセカイの少女。
この二つが「銀河鉄道の夜」を軸にして動き出します。
 

●もうひとつの試金石●

この作品を楽しめるかどうか、一つ踏み絵があったりします。
それはこの描写にノレるかどうか。
さっきから「学生時代にシンクロしてみていれば!」としつこく書いていますが、そうなんですそこなんですよ。
大人になると、感情を越えて、経験をした上での「理解」が先走ってしまって、気恥ずかしくなってしまう部分が何点かあるんです。
 
たとえば「青春」って言葉を口を開けてしゃべってみてください。
せいしゅん。
言ってみてわくわく出来るなら、あるいは青春まっただなかで「おれたち、わたしたち青春じゃね!」って言えるなら、ストレートに楽しめます。
しかし「せいしゅん」って言った後に「いやあなんだか、気恥ずかしいないやいやいや」とか考えちゃうと、作品にはまりこめなくなる可能性があります。
 
ここは、事前のアップとして、映画を観る前に「よしハマってやるどんとこい!」くらいの勢いで挑むのがベストだと思います。
テクニカルに理論を並べ立てて屈服させるタイプの作品ではなく、人の感情に訴えるタイプの作品なので、感情はできるだけむき出しにして鑑賞するのがいいです。
そして、むき出しになればなるほど、持っていかれるだけのパワーがあります。
 
特にその「持っていくパワー」になっているのが、某少女を演じる平野綾さんの演技力!
これはほんと、すごいよ。まじですごいよ。
水樹奈々さんと平野綾さんのやりとりのシーン見るだけでも劇場で見る価値ありますほんと。
よくここまで演じきるなという、迫真どころじゃない絶叫に近い演技。
今回のこの作品で、閉じたセカイを作りきれたのは、平野綾さんの演技力あってこそだと思います、大げさではなく。
原作既読の方は、声が付くことがいかにすごいかを体感できるはずです。
 

●失うもの、動く時間●

そんなわけで、はまりこめる人ならたぶん100点満点、ちょっとシンクロしきれず距離をおいてみてしまった人ならぐっと点数が下がる、そんな好みの分かれる作品になっています。
演出にちょっとクセがあるんですよね。
そこが面白いところでもあるので、もう30代・40代でも「今の自分は高校生だ」くらいの気持ちで見に行くと、思いっきりいい具合に流されると思います。
このへんが、「過去への憧憬」を描く作品になっていない所以でもあります。
けいおん!!」とかだと、大人から見ての「こんな学生生活いいね、いきいきしているね!」という憧憬視点が強めなわけですよ。
しかし「文学少女」は、まさに「高校時代には抱え切れない沢山の悩みがある、あった」というリアルタイム進行視点なんです。
出てくる「悩み」の種類はかなり特殊ではありますが、究極的には高校生誰もが抱える悩みと同じです。
誰もが経験する、痛かったり苦かったり、後から思い出して気恥ずかしくなるような、でもその時は生死をかけて悩んだような。
それを「失った」と見るか、「何かを得た」と考えるかはまた別問題。大人になってからそれは考えればいい。
ただ、高校生の「今この瞬間にはそう感じた」という思いを濃縮したのが映画になっています。
そう、確かにこのとき、そう感じた。それでいい。
ずっとこのままでいたい、停滞して止まってしまいたい、それができたら、永遠に変わらない日常が過ごせたらどんなに幸せだろう。でも出来ない。
閉じたセカイに閉じこもってはいられない。
あとは、遠子先輩が開いてくれる。
さあ、走れジョバンニ。
 


こちらはヒロイン3人をピックアップしたOVA
劇場版が面白かったので、これは見てみたい……というか3巻のななせ編がすげー見たい。
ななせ可愛すぎだよ!
ただ、大人になったぼくらからしてみると、友人とも話していたんですが。
「遠子先輩(あるいはその他のキャラ)かわいいよね」というのがなんだか甘酸っぱすぎて気恥ずかしい。
映画自体がそういう甘酸っぱさを感じるように出来ているので当然ですが、ストレートに萌えるのではなくてなんか照れくさくなっちゃうあたり、年とったんだなーと思いました。
いや、高校時代に引き戻されてキュンキュンしているのかもしれません。
 

以下、多少ネタバレありの余談になるので収納。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このくらいで。
主に「宮沢賢治大好き」っ子としての話になります。
 
基本は「慟哭の巡礼者」ベースの映画なんですが……ブルカニロ博士の話は入れて欲しかったよ!!
と言ってもブルカニロ博士の話を理解するには、これ読まないといけないんですよね。

宮沢賢治全集 (7) (ちくま文庫)
宮沢 賢治
筑摩書房
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この全集版には、「銀河鉄道の夜」の初稿、2稿、3稿、そして完成の4稿全部収録されています。
「慟哭の巡礼者」で興味を持った方は、是非読んで欲しい作品。3稿と4稿の差が違いすぎてびびります。
なぜ賢治はブルカニロ博士の話を抜いたのか。賢治にとってのカムパネルラ、ジョバンニ、ブルカニロ博士とは何なのか?
それに対しての野村美月先生なりの「宮沢賢治論」が、この「慟哭の巡礼者」という作品だと思うんですよ。
宮沢賢治は本当に幸せで純朴に暮らしていたのだろうか、悩むことの無い偉大な人物だったのだろうか、という問い掛けの部分です。
それこそがこの原作の最大のテーマでもあったので、入れて欲しかった……んですが、これを入れてしまうと、芥川のエピソード、竹田さんの苦悶を外せなくなってしまうので、焦点ぶれまくってしまうのもわかります。
映画にするならそこは完全にカットして、閉じたセカイに生きる少女の美羽とコノハの関係、開けたセカイに誘導し、そして別れて行く遠子先輩にスポットを絞り込んだ方が正解でしょう。
映画でも少しだけセリフにその賢治論は入っていましたが、ここはまあセリフどまり、ですよね。もっとピックアップしてほしかったと願うワガママな自分。
ただ、こう、……TV版の尺ならやって欲しいな!という感じ。映画として一気に見せるならむしろ複雑化してテーマが見えなくなるので仕方ない、仕方ないんだ!
でも見たかったよ!! 贅沢な悩みだー。
 
あとは「春琴抄」のエピソードは入れて欲しかったなあと思いました。
いやあ、内容的には大した部分ではないですが、それこそ美羽と遠子の考え方の違いを表す極めて具体的な例だったと思うので、ちょこっとだけでも入れて欲しかった気はします。
なんにせよこの重い内容、そして高校生独特の閉じた空間を、開けた遠子視点ではなくて、閉じた美羽・コノハ視点で描いて、学生のシンクロを誘う手法はちょっと面白いです。
 
見終わった後、遠子よりもななせに目がいってしまうのは……自分がサブヒロイン好きだからでしょうか。
ななせかわいすぎだよ! かっこよすぎだよ!
高校生らしい閉じたセカイで悶々としつつも、開いたセカイに行くために努力も出来る本当に良い子だよ!
映画版ではコノハの「引篭もり」設定と美羽のヤンデレ設定が薄目なため、コノハが一瞬リア充っぽく見えてしまうんですが、このへんななせがうまく調節しているなーという印象。
ああもう、ななせ本当にかわいい……。素直に「ななせには萌えました!」と言えます。
遠子先輩には「萌えた」というのはちょっと恥ずかしい……。なんか高校時代に「お母さんのこと好きです」って言う感覚みたいなんだもん。
ああ。これもまた、あまずっぺー。か?
 
焦点をひとつに絞って、時が過ぎて開いていくセカイへ進む少年をきっちり描いている、映画としてよくできたまとめ方になっていましたが、ドロドロに人間関係がぶつかる(特に美羽と竹田)描写をアニメで見てみたかった気もします。
OVA版に期待でしょうか。個人的に石鹸食べさせるシーンが見たい。
 
ちなみに「いばらの王」ももう映画で見たんですが、あれは二回見ることに価値のある映画だと思うので、二回目見てから感想書きます。
 
関連感想
劇場版「文学少女」 感想レビュー(ネタバレほぼ無し) 妄想詩人の手記/ウェブリブログ ネタバレ無し。
せーにんの冒険記 劇場版『文学少女』感想 ネタバレあり。
ほんと竹田と芥川は「切らざるを得ないキャラ」だっただけに、勿体無い!
「劇場版”文学少女”」感想の長すぎる追記。 : 渚屋blog ネタバレあり。
本当にうまく演出に「ノレる」と、ものすごく面白い作品だと思います。ストーリーの調節の上手さは同感。
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