たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

すべては女の子の手のひらの上。「かちんこちん こあくま」

 
LOの、超筆が早く、クオリティも安定していてファンの多い上田裕先生の話です。

見ての通り、非常にかわいらしい女の子を描く作家さんです。どこかで見たことがあるような雰囲気のある絵柄なのに、絶対他にない絵を描く、というかなり鋭いところに球を投げてくる方です。
ところがこの作家さん、確かに絵的にはいわゆる「萌え絵」なんですが、ちょっとどころかかなり一味違う。
なんだろうこの不思議な違和感?
 
久しぶりにエロリマンガの話なので収納、ですよ!
 
 
 

●ロリマンガが成立するための手順●

ロリマンガはファンタジーです。
当たり前ですね。そんなのわかってますね。
しかし、そのファンタジーを成立させるためには理由が必要になります。
魔法を使うには魔力が必要なんです。宇宙に行くには科学的な機械が必要なんです。
ロリマンガが成立するには、、ロリマンガであるためのマジックが必要です。
 
この「原理」は作家さんによって違います。
ある方は「少女を記号化して、それをとことんまでスケープゴートとしてめちゃくちゃにする」という手順を踏むでしょう。陵辱系作家さんに多い手順ですね。
またある方は「少女に手をだすからには代償がいる」という等価交換を前提にしています。ロリ系だと町田ひらく先生、浦井民先生、完顔阿骨打先生、バー・ぴぃちぴっと先生なんかはこのへんの等価交換を描くことで少女との行為を成立させています。
少女とセックスはしてもいいよ、だけどちんこはもげるからね、みたいなのです。そんなボタンがあったら、押しますか?押しませんか?
 
作家さんの数だけ「少女との性交」を描くための手順があるのですが、上田裕先生の思考の根本にあるのは少女が男性を許すことで成立しているという理念です。
ようするに、男性の欲求を少女が受け入れてくれているんですよ。
逆に言えば、受け入れてくれなければ成立しないのです。
ファンタジーだから、無理やり力づくでおさえつければいい?
いいえ。

(「ちんこ見つけた」より)
MPのない魔法使いはどんなにあがいても、泣いてもわめいても、魔法は放てません。
この世界では、少女に許されない限り、決して少女に手出しを出来ないのです。
 

上田裕先生の描く、少女の目●

上田裕先生の描く絵は、徹底的にかわいいです。
本当に、素晴らしいほどにかわいいです。
しかし、時々「かわいいんだけどなんだか不思議な感覚がある」という声を聞きます。
自分もそうでした。すげーかわいいし、ラブラブな話だとキュンキュンしますが、むしろ背筋がゾッとするような恐怖心煽るような興奮を感じるんです。
上田裕先生が描く一番エロティックなものは、視線だと思うのです。
 
ちょっとわかりやすい例から。

同じく「ちんこ見つけた」より。
これは「処女を捨てるために粗チンを探している」という少女の話です。だから興奮して力づくで犯そうだなんてするならば、女の子は拒絶します。拒絶されたら、もう絶対に許されません。
しかし少女に対して従順で、小さなチンコの持ち主の青年はこのようにして少女とセックスすることが許されます。そう、許されたんです。合意の上とかじゃなくて、許可されたんです。
この少女がイったかどうかは分かりません。このシーンがクライマックスです。
 
ちょっとややこしい話になりますが、エロマンガ読者男性の快感って「男性が射精するシーン」にシンクロする人と「女性がイくシーン」にシンクロする人がいると思うんですよ。
男性なのに女性がイくシーンに共感するって変に聞こえますが、女性がいかにイくかで男性の興奮は変わるのは事実。少なくとも自分は男性の射精よりも、女性側がいかに快楽を得ているかを、体のこわばりや仕草で魅せてくれる方がドキドキします。
しかし、上田裕先生はそれをしてくれないんですよ。
この話もそうですが、描き下ろしの「かちんこちんこあくま」という援交小学生の話も、小学生が大人の性欲を受け入れてあげているというシチュエーションのため、少女がイったかどうかが分かりません。
この「女の子がイかない」というのは、極めてサディスティック。
女の子に対して?
NO!
読者に対してです。
ようは、この漫画の中の少女たちは、自分がイかないことで、許可の無い限り男性側に本当の快楽を与えてくれないのです。
そう、「男性が女性を喜ばせる」という快楽は、少女たちは与えてくれない。許可されれば、いずれ与えてくれるかもしれない、その寸前で止まっている。
この「男性がイっているのに寸止め」という不思議な関係が、少女の視線で描かれています。

「かちこちんこあくま」より。
下から見ているのに、完全にリードしているのは少女側ですね。
この目。この目に興奮出来る人は、立派なM型のロリコン
この目が「怖い」と感じながら見るのもまた、面白い。

この本には収録されていません、LO3月号の「ちんことおはなし」より。
上述の「ちんこ見つけた」と同じ学校の生徒の話で、内容的にはつながっていないものの思想的にはつながっています。
この目線、この角度。
性器が写っているので隠していますが、男性が必死になって腰を振っているのを少女は見つめているのです。
特にこの漫画は少女は全然イきません。この目線に興奮出来るかどうかが大きな試金石です。
その試金石をクリアしたとき、上田裕先生の漫画の世界の魔法を楽しめるのです。
 

●男性に人権はない。●

もし「かちこちんこあくま」の漫画が気に入ったら、バックナンバーを買ってでも3月号に載っている「ちんことおはなし」を読んで欲しいんです。
これすごいんですよ。上田裕先生の集大成と言ってもいい。
以前もちょっとだけ書きましたが少女が何を考えているのか理解させてくれないんです。
漫画としてうまくいっていないからではありません、むしろうまい。うまいこと少女の思考を読み取らせないんです。
 
そもそも男性を人間扱いしていません。

「ちんことおはなし」より。
これ、しゃべっているのは右手の人形という設定。本人はしゃべっていません。
いや、しゃべっているけど、しゃべっていないことになっているんです、この空間では。それを受け入れない限り、少女は男性を受け入れません。
滑稽ですよね。この必死な男性の姿。
リリアーヌちゃんというのは、この男性ではありません。この男性のちんこです。
もう男性に人権なんてないんです。あるのは「ちんこ」というぬいぐるみだけです。
この発想がものすごいけれども、少女を触れるための手順としてそれがあるのならもうどうしようもないんです。それがルールですから。

黒塗りしているのはちんこです。
セックスのために、ちんこで腹話術を必死にしている男性のこの滑稽で情けない様子!
主導権は完全に少女側。土下座して「セックスさせてください!」という方がまだましなくらいなのに、それでも必死になってしまうこの有様!
悲しいことに、この感覚がわかる男性多いと思います。
 
「かちんこちんこあくま」に収録されている作品群でも、総てがこういうサディスティックな内容ではないですが、基本的に和姦ものであろうとも「少女が受け入れないと成立しない」世界です。

これはラブラブ和姦ものの「冬アイス好き」という作品ですが、この2コマだけで関係がわかりますね。
一見お兄ちゃん側がリードを握っているように見えながら、手綱を握っているのは完全に少女側だったりします。
 
これらのルールがほぼすべての作品に適用されているため、合わない人には徹底的に合わない可能性のある作品でもあると思います。
しかし、マゾヒスティックな喜びを持っている人、少女こそが至上の存在であると信じている人にはこれ以上無いくらいすごい作品集です。
あわせて、ロリマンガに興味はあるけど、女の子が振り回されるのはちょっとなあという女性の方。出てきているのは少女の形をした、少女ではない究極形態の存在です。滑稽に性を求める男性を見て「少女>男性」の力関係を楽しめると思います。
 
最後にあらためて、もう一度この顔を見てみましょう。

さて。この顔、どう見えますか。
純真無垢な少女の顔? 母性あふれる母親の権化の顔? それとも小悪魔の顔?
 未掲載分の「ちんことおはなし」も、湯浴み着を着た少女の話も、先生にえっちされながらも世話女房になっちゃう少女の話も、とにかく上田裕先生の世界のルールは一貫しています。
少女が受け入れない限り、絶対に成立しない。
許されても、さじ加減は少女次第。
かわいい絵柄でありつつも刺がある。そここそが最大の興奮のスイッチです。