たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

ネコ少女と暮らす、幸せな生活……かな?「ミル」

 
猫が擬人化してー、……ってだけではたぶん買いませんでした。
嫌いじゃないですよ、もちろん猫が擬人化とか最高ですよ。
ただ、それだけでは本を買う動機にはなりづらいです。
しかし帯にやられましたね。

ネコミミとか擬人化とかが
苦手な人にこそ読んで欲しい!

ほう?
普通ならそこ、売りじゃないの?
ぼくのひねくれ心がうずいて、買いましたよ。
 
大当たりだったよ!
 

●少女の姿の……。●

表紙のヒロイン、見た目は高校生くらいの見目麗しい少女です。
実際、和服と制服が良く似合い、目も切れ長で、とてもかわいらしいです。
この子がようは元は猫であるという問題のキャラ。
うん、この設定だけだったら、萌え漫画ですね。悪くない悪くないよ。
だが、この作品にはもう一つ重要な部分があります。
ぼくは、この部分があるからこそ、この作品が傑作だと信じています。
とはいえネタバレと言われるとそれまでなので、一応収納。
ただ、ネタバレを知った上で読んだ方が遥かに面白いとだけ言っておきます。
 
 
 
 
 
 
この少女、86歳のおばあちゃんです。

1923年生まれ。1939年に化け猫として人間になれるようになった。
そのためその姿のまま現在に至る、というわけです。
うーん。
萌え萌えライフ、終了。
 
しかしね、今多くの男女に必要なのって、母性を超越した存在であるおばあちゃんなんじゃないだろうか?
宮崎アニメの元気なおばあちゃん達は死が間近でも生きまくる魅力にあふれています。
サマーウォーズ」ではあらゆる女性キャラの中で最も魅力的なんじゃないかと思われるくらい、完璧で愛される偉大なる女性としておばあちゃんが描写されていました。
そう、今の時代に必要なのは「おばあちゃん」なんだよ。
 
おばあちゃんのイメージってどんなのですか?

・割と世話焼き、悪く言うとおせっかい。
・常にちょこちょこしゃべっている。
・年ゆえに性からは遠ざかっている。
・健康にやたら気を使う。
・節約上手。
・家事が生き甲斐のようになっている。
・家族が大事で仕方がない。
・流石に子どもは産めない。

等々……。まあ、イメージですので個人差は当然あります。
とはいえ、そういうイメージこそが「おばあちゃん」の「よいところ」でもあり「困ったところ」でもあります。
後は捉え方の問題。どちらもあわせて、おばあちゃん。
 
おばあちゃんといるといい、最大のポイントは「恋愛関係を意識しないこと」でしょうか。
おばあちゃんですからね。

猫で、女子高生で、ばあさん。
カオスすぎます。
が。
正直グッと来ませんか。
 
これは勝手な持論なんですが、老婆と少女って限りなく近い気がするんですよ。
どちらも女性なんです。
しかし、「女性」という「性」からちょっと離れた位置にいるんですよどちらも。
女性でありつつ、「女」から少し離れた存在としての女性。それが少女であり、老婆です。
 
86といえば、もう老婆と言っていいでしょう。
一旦猫のことはおいておきます。老婆な少女、というところに焦点を定めます。
 
少女の老婆が家にやってきて、一番にやることといえばそう、お食事ですよ。
おばあちゃんといえば手料理!
まあこれ、笑いのネタでもありますが、冷静に考えてみてください。
 
大好きな孫(にあたるような年の子)にね。
おいしくて栄養のある食べ物を食べさせてあげたくて、尽力をするんですよ?
しかもそれを苦労だなんて思っていない。だって嬉しいんだもの、食べて欲しいからやっているんだもの。
おばあちゃんの手料理は、おばあちゃんの心そのものなんですよ。
 
ここ、ここです。この作品のキモは。
女性が男性の気を引くために料理を作る、なんてそんなんじゃないんです。
もっと深い深いおばあちゃんの愛情なんです!
母親の愛情も深いけど、母と子の関係のような密接感がないので、またひと味違うんです。
もっと純粋な、「食べて欲しい」という思いです。

それがうざったかったりするのよね。
うざったいという表現は冷たいようですが、愛情をこめて「うざったい」と言わせてください。
おせっかい焼きで、よけいなことまで考えすぎて、「あ、これはこっちでね、いやこれはこうして、だめだめこっちはこうやって、ほらそうじゃなくてあんたこれ食べておきなさいよ健康によくないでしょうほらまたあんなのばっかり……」とマシンガントーク
うん、困る。すごく困るしどうしたらいいのか参っちゃうこともある。実際にある。
あるけどもさ、それでも愛情なんだよ、掛け値なしのすごい愛情なんだよ!
まあ、それでも出しゃばっちゃうこともあるんですけどね。
 
「癒される」なんて言葉はそうそう簡単に使えるものじゃないです。
正直、このおばあちゃんっぽさが実際うざったくなるシーンもあります。
しかし、もしこの少女の姿のおばあちゃんの言動で心が安らぎ、こちらも掛け値なしにわがままを言えたり出来るのならば、それは癒しと言ってもいいんじゃないかなと思います。
なるべく作品を勧めるときに「これは癒し系で」とか言いたくないんです。人それぞれ癒しポイントは別ですから。
ただ、この作品に関しては、おばあちゃんという存在の偉大さをしっかり描いているので、あえてその言葉を使いたいんです。
他に当てはまる言葉がないから。
 

●おばあちゃん言動録●

しかし、見た目かわいい女の子で、中身おばあちゃんって、ある意味究極的存在ですね。
まあ化け猫という設定なので、お化けそのものなんですが、お化け要素は皆無。少女+おばあちゃん+猫で徹底して構成されています。
おばあちゃんらしさがまたコミカルなのが、少女の姿だと増幅されるのが素敵です。
たとえばこんなシーン。

「ブチック」ってのがいいですね。訛りもいい。
そして「こんな高い服は買わなくていい!」という、年下の姿なんだけどおばあちゃん目線。
うーん、なんでしょうこの安心感。手前のカップル二人が「なんかいい子だ」「彼女交換してくれ」と思っているのがにやけます。
ですよね。男性はみなマザコン、とは言いませんが、溢れすぎるくらいの母性には安心感は抱くものなのです。
手前のやつらは別にこの子がおばあちゃんだとは知らないわけですから、単純に見ていて魅力があるということです。
おばあちゃんパワー炸裂ですね。
 
こんなシーンも。

バイト先で、余計なおせっかいを情に流されてしてしまう。
あー、あるある。後先考えず目の前の情に弱いのね。
まあ、おばあちゃんがおばあちゃんにツッコミを入れるという、なんとも日本情緒あふれる(?)話なのですが、冷静に考えなくてもこの光景、馬鹿っぽいやりとりですが右側の男性の立場ならどうでしょう?
しかも九州の同郷。彼はうまくいかない日々続き。楽しみってなんだろう、という人生を送っている有様。
姿は少女でも、86年も生きていれば料理も昔懐かしの味そのものになります。
彼が、故郷の懐かしい味を食べたならどう感じるだろう?
そうなんだ、このお節介なところも含めて、大事にしてきた人生の味を伝えられる。
それがおばあちゃんだ。
 
猫分は一旦もうちょっと置いておくとして、一巻は本当に「おばあちゃん」分で満たされています。
新人漫画家さんだとは書かれていましたが、すごいなあと思ったのがこのページ。1ページが一枚の絵になっているのでそのまま引用します。

これ、彼女が「失敗してしまったかな」と自分の行動で悩んでいるシーンです。
そうなんですよ、おばあちゃんはマシンガントークも多いけど、同時に「ごめん」が多い。
なんでしょう、ここも「少女」と「老婆」のシンクロする部分なんですが、目下になるんですよね、視線が。まあ少女は単純に大人じゃないからですが、老婆は「謙虚」なんです。
この間。
本当は図々しく主人公の少年アキちゃんの所に居座りたいんだけれども、自分のやった行動に自信が持てなくて、ウザったいこともやっちゃうんですがその後に邪険にされて「ごめん」「どうしよう」「あわせる顔がなか」とすごく引くこの間。
少女の悩みの、パニックになっているシーンじゃないんです。感情の高ぶりよりも、落ち着いた空虚感がページにこもっています。
おばあちゃんが、愛している家族に迷惑をかけたんじゃないかと自戒しているシーンなんです。だから、こんなに黙るし、背中はさみしい。
おばあちゃんは、ちょっとお節介焼きで、面倒くさいところもあって、余計なことまでしでかしつつも、全部愛情に溢れていて、見返りを求めず、ただ家族に喜んで欲しくて、無理をして頑張りすぎて。
そして果てしなく、優しい。
 

●飼猫という家族●

さて、おばあちゃん分と逆行するように、この子ミルはアキちゃんに飼われていた、という関係があります。
だから、おばあちゃんっぽい言動と同時に猫っぽいシーンも溢れています。
逆に言えばそこがバランス絶妙なんですよ。
 
猫といえばちょっといけずで、でも擦り寄ってくるかわいい存在じゃないですか。
だけどおばあちゃんだから、しないんです。謙虚なんです。
人の事は思う存分甘やかすけど、人に甘えるのはしちゃいけないと思っているんです。
アキちゃんは言います。
「ネコなんだから、もっとダラけていいいんだよ?」
この言葉があって、やっと「おばあちゃん」から「ネコ」へとシフトチェンジできます。

役得っぽくみえますが、すぐネコに戻ります。
……ネコに膝枕なんて役得じゃないか!!
 
基本的にネコの部分はこの漫画の笑いのネタの部分になることが多いです。
色々書いていますが、基本的にギャグ漫画なんです。
少女がおばあちゃんっぽかったり、ネコっぽかったら面白いじゃないですか。

ネコでおばあちゃんなミルが、最近の少女漫画(しかも子供向け)を読んでワイワイしちゃうシーン。
うん、かわいい、おばあちゃんかわいい。
こういうラッシュのように、畳み掛けるようにページがおばあちゃん的ワードで敷き詰められることもあります。まさにミルのターン。おばあちゃん炸裂。
 
それに対してアキちゃんは時折、頑張りすぎてしまう彼女を見て「自分が愛した飼猫だった」ということを思い出します。
この二つのバランスが保たれて、はじめてアキちゃんとミルの関係が生まれます。

このカットも新人さんとは思えないすごさ。おばあちゃんからネコへと一気に気持ちが切り替わる瞬間を見事に描ききっています。
もうおばあちゃんモードの時はマシンガントークもいいところなんですよ。
それに対して、ネコとして飼い主に甘えられるシーンでは一気に言葉が減ります。受け止めてもらっていた分、今度はこちらがおせっかいなほど受け止めてあげよう。
 
この関係が恋愛関係じゃない仕方で生まれているのが本当にいい。
恋愛したって相手は飼猫です。しかもおばあちゃんです。無理。
でも大事な家族です。おばあちゃんであり、愛するネコです。
大好きなネコに対して見返りを飼い主は求めません。ただ愛するだけです。
大好きな孫に当たる年の子に対して、おばあちゃんは見返りを求めません。ただ愛するだけです。
苦労だなんて思わない。大変なことがあってもただ喜んで欲しい。
それが、おばあちゃんとの関係であり飼猫との関係じゃないか。

回想で入る出会いのシーン。
どういう経緯かはまあ見ていただくとして、この言葉、すごくないですか。
「一生、僕のネコだ」
あり得ないんです。ネコは人間より早く死んでしまう。
しかし、ミルは化け猫です。むしろ飼い主たちとの別れがあるんです。
特におばあちゃんな性格ですから、必要以上に相手のことを思ってしまう。思いすぎてしまう。
そこで「一生僕のネコだ」と受け入れてくれる人がいるなら。
 
おばあちゃんだって、居場所が必要なんです。
愛し、愛されたい。受け入れたいし、受け入れてもらいたい。けれど謙虚になって引いてしまう。
非常に不器用なミルの様子は、もう少女でもネコでもおばあちゃんでもなんでもいいです。
アキちゃんの目線になって、ミルのことを是非見てください。
恋愛じゃない「愛しい存在」というのはなんなのだろう。
それはきっと、世界に二つとない大切な存在。
 

重大なポイントなのは、86歳という歳を経てきているということ。
つまり、今アキちゃんとミルは幸せだけど、時間は経過するということが暗喩されていることです。
アキちゃんに彼女が出来たらどうすればいいのだろうか?
アキちゃんが年をとって死んだら、残されるのはミルじゃないだろうか。
いつまで続くんだろうか。
死ぬことの許されないおばあちゃんの悲しみは、底知れず深い。