たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

あなたといたいから、もらい泣き。「一緒にかえろう」

 
この漫画ものすごいです。
「『ものすごい』とか他に語彙ないの?」という感じですが、色々説明する前に「すごいんだよ!」というのを伝えずにいられないので、書いちゃいます。この漫画に関しては感情的に書きたい。
まじですげーよ。
4コマ漫画だから一応ギャグマンガ形式なんですが、訴えかけてくるもののパワーが半端じゃない。熱量が半端じゃない。熱風がブワッと吹き出して溢れてる本から!
 

●あなたがいるから●

4コマ漫画は基本ギャグマンガが多いので、「まんがタイム」などだと裏側に「どんな4コマか」を分かりやすくするため、一本漫画が載っています。
大抵は「こういうギャグマンガですよ」という象徴的なのが裏表紙に載るんですが、この作品ちょっと違うんですよね。


これ裏表紙そのままです。
もう最初に裏表紙で全部、設定は説明しているんです。
一応どんなギャグかは分かりますが、それ以前に設定の一番のキモの部分を前提として知った上で読んでね、という方向で作られています。ここで興味持てる人はすぐ鷲掴みにされるはずです。
アンテナ反応しましたでしょうか。
ガールミーツガールアンテナが。
 
この作品、一応上の4コマの右下にいる3の字みたいな口をして、飄々としている春がヒロインです。彼女の所に、左側にいる詩緒が久しぶりに帰ってきて再会したら実は女の子だったー!私の初恋終了ー!というところからスタート。だからこの4コマがスタートラインになります。
まあ、そのへんてこな関係っぷりがギャグになる、はず、なんですが。
とにかくこの作品に出てくる少年少女はみんなもうめちゃくちゃ繊細なんですよ。
触ったらパリンと音を立ててはじけ飛んでしまうような。
特に詩緒。そもそも最初の4コマである「なぜ引っ越したのか」がじわじわ明らかになってきますが、それが彼女を極めてナイーヴで内向的な性格に変えていきます。
 
ええ、そのへんも含めてオドオドだったり、逆に明るくふるまってみたりするのがギャグなんですよ。
笑えるかといわれれば、笑えます。面白いです。
しかしその笑いは、ゲラゲラ笑いとちょっと違います。
微笑ましい? うーん、ちょっと違う。
どちらかというと「愛しい」に近い笑いです。
 
そして笑っているうちに、読者はみるみる春と詩緒の二人の間の関係に引き込まれています。
この二人の関係は、非常にシンプルであり、同時に非常に複雑なんです。
 
ナイーヴな詩緒は仮面をかぶり、転校をくりかえし。
そしてやっと会えた大好きな春。
彼女は自虐します。
「人が変わったみたいで嫌だったら、・・・春・・・離れていいよ」


上の詩緒と、春のこの独特の、間。
この作品のすごみは、この間にある。
 

●たくさんの涙●


先程のシーンから、こちらのコマにつながっていきます。
そう、すぐにどうこうしない。
一拍間を置いて、すこしずつ二人は距離を詰めていきます。
距離を詰めながら、言葉ではっきりと伝えます。
 
考えてみたら子供の頃の「性別の勘違い」は、まさに単なる勘違いレベルの、実は意外とどうでもいいこと。
極端な話、上にあるように「詩緒でしかなかった」んですよ。性別関係ないんですよ。
性じゃなく「個」を見る。私にはあなたがいる。
この当たり前だけど一番難しいことこの作品は、本当に丁寧に、織り込んだ布のように描いていきます。
 
布を織るためには数多くの苦労をすることになります。
彼女たちの関係も円滑に、すいすいとはいきません。
ひたすらに誤解や苦しみや嫉妬を経て、こじれては語り合い、泣いてはなぐさめ、時には厳しくあたります。
「一緒にかえろう」を読んでなんて涙の多い作品なんだろうと感じた人は僕だけじゃないはず。
そう、たくさんの、たくさんの涙がある。
 
最初メインの軸になるのは、詩緒の苦しみです。
自分ではない自分を学校で演じてしまっていること、人が苦手で恐ろしいということ。
そしてなによりも大きな春は男の子だと自分を勘違いしていたから好いていたのじゃないかと言う不安。


言わなければいい、だまっていれば、今一緒にいられる。
しかし、彼女たちはね、不安を口にするんですよ。
もう、こらえきれずに、不安を語るんです。
涙をいっぱいこぼして。精一杯の勇気振り絞って、それでも笑おうとしながら。
答えが分からない、言わなければいい、我慢すれば乗り切れる、それは分かってるけど言わずにいられないたくさんの不安がパンクして吹き出してしまう。
 
詩緒は泣き虫です。
とにかく泣きます。
作中でがんがん泣きます。
泣きまくります。
でもね、その涙が分かるんだよ。自分は詩緒そのものの経験を送っているわけじゃないけれども。
まさにこれです。

そう、もらい泣きだよ!
 
序盤、詩緒の苦悩に対して春はどんどん力を注ぎます。
だから、序盤の視点は春視点なんですよ。
詩緒の気持ちを「分かる」とはおこがましくて言えないけれども、励ましてあげたい、背中を押してあげたい。
気づいたら、こうやってもらい泣きしている。
もらい泣きってちょっと恥ずかしい事のように感じるけれども、スゴクいいことだと思うんです。
だって、相手の感情がそれだけ伝わっている、感じ取れているということですもの。
この作品の涙の8割が苦悩なら、2割はもらい泣き。

本当にあらゆる局面で泣いちゃう詩緒なんですが、彼女には泣くだけの心の重荷がホント山ほどあるんです。
何があるかは見てもらうとして、そしてそれが「泣くほどのことかどうか」も見てもらって判断してもらうとして。
大事なのはその重さの軽重ではなく、彼女はそれを苦しんでいるということ。
なら、春としては、慰めるよりも背中をひっぱたいて押してやろう。
甘い言葉だけがいいわけじゃない。
ずんと押出してやるもの大切なこと。もちろん、私も一緒に行くよ。

怖くない。
ふみだせ
 

●みんなが強いわけじゃないから。●

さてこの作品のいいところは、最初は春視点だけれども途中から様々なキャラの視点が入れ替わる群像劇になっているところです。
世界が閉じていないんですよ。むしろ開いて、開いて、どんどん開いていく。
だから不安もつのるし、「怖い」とも感じます。
例えば怖さの象徴としてこんなキャラがいます。

基本的に周りの子達はみんな転校生の詩緒にやさしいのですが、それを面白く思わない子もいるんです。
この少女、杉山さんがことあるごとに詩緒にちょっかいをかけては、春がうまくかわしていきます。
一見ドロドロに見える、面倒くさい女の子の人間関係もあります。
あるのですが、じゃあ杉山さんは本当に「悪」なのか?

彼女には彼女なりの、色々な思いがあります。
「良い子」「悪い子」で世の中は出来ていない。
 
また、ダイナモのようにバリバリ世界を回していくもう一人の親友も出てきます。

セミロングでいつも笑顔の雪倉さん。自分が最も好きなキャラです。
びっくりするほどの元気な笑顔。親友ではあるけれど、深すぎる部分までは食い込まない。「ささめきこと」のキョリちゃんみたいなポジションです。
が、この子怒るとものっすごい怖い。笑顔で怒ります。
この世界では「悲しみ」「苦悩」そして「笑い」が大半を占めますが、彼女は笑顔を装って「怒り」という人間の感情を担っています。

雪倉さんも色々な嫉妬やモヤモヤを抱えています。
モヤモヤってなあに?
さあ、それは本人にもわからない、奇妙な感情。
しかし、人の輪が広がることでそれは解決されていきます。
彼女もまた、笑顔の裏に激情を湛えた少女の一人です。
 
ではケロっと明るい少女、春はどうなんでしょう。
本当に何も考えていないんだろうか。
 

●わたしだってどうすればいいかわからないから●

前半は、春が詩緒を見る視点で描かれ、中盤分散していきます。
そして一巻の後半で、詩緒が見た春が描かれるのです。
このぐるっとまわった視点がとてつもない感情の熱風になっています。

普段は春が元気に詩緒をサポートして、明るく楽しい場をつくります。
でも本当にそれだけでいいの?
それじゃ、一方的に助けられているだけだよね。
 
少女たちの関係はそんなんじゃない。
なぜ一緒にいたいと願うのか。
どうして一緒にかえりたいのか。
強く、崩れない絶対的な存在のように輝いていた春が脆く崩れて行く様は痛々しい事この上なし。
しかし、ある意味それは必然なんです。だって春は「絶対的」じゃないですもの。
単なる一人の少女ですもの。
悩むよ。
苦しいよ。
泣き虫詩緒の泣くシーンの方が圧倒的に多いんですが、春だって泣くよ。
泣くんだよ。どうすればいいか分からなくなって感情が昂るんだよ。
 
感情の高ぶりって、どうにも抑えようが無いんですよね。
この作品での「泣く」シーン、総てが「それは泣くよねー」となるかというと、そうでもないんです。
なんだか良く分からない、どうしてなのかわらないとんちんかんな部分で感情がぐわー!っと昂るのが描かれているんですよ。
 
ぼくがこの作品を「すごい」と感じたのは、たぶんきっちり計算された人間関係や、視点の移動、閉じない世界でのつながりの描写でした。
しかしそれ以上に、もう言葉に出来ないくらいに「すごい!」と感じたのは、このわけがわからないけど感情が昂る描写の熱量が凄まじいからです。

理屈では簡単なんです。どうすればいいかは分かっているんです。
でも出来ない!
理屈部分を支えてくれるのは、怒りの権化である雪倉さんではあるんですが、それをもってしても、あるいは詩緒と春の二人の関係だからこそ、なんとか自分たちで解決しなければいけないもの、あるんじゃないのか?

このコマ、前半で紹介したコマと見比べてみてください。
春が手を差し出し、次は詩緒も手を差し出す。
そして手をつないで、だけど手を離してふたりして悩んで。
繰返し繰返し二人は、そして他のキャラは距離感を図っていきます。全く上手くいかない。
でもうまく行くように、少しでもうまく行くように、しっかりと待つ。
そして言葉で表す。
言葉の使い方と間の取り方がうまい、と漫画のテクニック的な話はできますが、それを超越した感情の暴走、ぶつかり合いがこの作品のメインテーマになっています。
圧倒されますよ。
風圧に飛ばされて、気づいたらこっちももらい泣きするくらい。
もらい泣きは、空気を飲み込む感情の台風なんだもの。
 

●一緒にかえろう●

題名の「一緒にかえろう」が非常に秀逸です。
この言葉、何度かこの作品の中でも出てきます。
そう、一緒に、なんです。
一緒にいたい。
ただそれだけのことなのになぜこんなに苦しいんだろう?なぜこんなに戸惑うんだろう。
どうしてこんなに泣いてしまうんだろう。

ちょっとそこまで、
一緒にかえろうか。
 
「かえる」は平仮名。
「帰る」「返る」「変える」。すべて当てはまります。
家に一緒に「帰る」ことかもしれない。
一緒に過去の自分達の感情に「返る」ことかもしれない。
新しい自分たちに「変える」ことかもしれない。
ただ、一つ共通しているのは「一緒だ」ということです。
 
さあ。
一緒にかえろう。
 

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「つぼみ 6」でも出張版が載っています。これがまたいいんだなー。
「百合ですか?」と言われると、うーんと迷うんですが、そういうカテゴライズじゃない、むしろ男性とか女性とか、そういうので区切らない、ようするに「あなた」と一緒にいたいが大事なんですよ。
それがもう止めようの無い感情で溢れてしまって、嫉妬だったり、苦しみだったり、申し訳なさだったり、愛しさだったりが爆発していて、一冊の本を開いたら爆風が吹き出してくるんです。
凄まじい本にであってしまった。
そしてもらい泣き。
大人になってようやく、「ああ。もらい泣きっていいものだなあ」としみじみ思えるようになりました。