たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

MOLOKONOMI先生から漂うこのガチロリ臭の正体を探りたい。

コミックLOでハイペースで漫画を描き続け、瞬く間に先月新刊を出した作家さんがいます。
MOLOKONOMI(モロコノミ)先生です。

好きな人なら、表紙一枚で即買い、逆に合わない人にはなかなか勧めづらいハードルの高い本でもあります。
「合わない人にはハードルが高い」と言うのはもう、褒め言葉ですよね。
狭く深い作品は面白いんですよ。
 
以下、エロマンガの話のため収納だよ!
 
 
 
 
 

●フィクションですからね。●

ロリコン漫画は色々な雑誌に載っています。阿吽、メガストア、Rinなどなど。しかしコミックLO系列はなにか飛び出ているというのは色々な人が言いますね。それは噂の意見広告とか抜きにしても、です。
「エロリマンガはファンタジー」。そんなの誰でも分かっております。感覚的に受け付けるかどうかは別として。
それを踏まえた上でも、LO作品の中の何作品かは「見ていてすごくたまらない」という人(ぼくとか)と「見ていられない」という人に分かれます。ロリコンであっても分かれるのですからすごい。
むしろロリコンの方が両極端に分かれるかも。「LOじゃなきゃだめなんだよ」って人もいましたし「ロリ好きだけどLO苦手なんだよ怖くて」という人もいました。
なーんとなく……分かりますかね。LOを定期的に読んでいる人なら「だろうねー」と頷いてもらえるかもしれません。
町田ひらく先生やEB110SS先生なんかは、特にそのロリコンの持つ業みたいなものを描くトップバッターでもあるのでわかりやすいでしょう。ストレートに「ロリコンがいかに滑稽で罪悪的か」を描き出します。それでも抜けられない、どうしようもない。だからフィクションの中でその業を背負おうと。
今は、他のアプローチからロリコンの業をえぐりだす作家さんもいます。
それが、MOLOKONOMI先生だと自分は勝手に思っています。
 
この作品集でも1ページつかって、少女がこう語ります。

フィクションですからね。わかってるとは思いますけど。

まれに分かってない人もいますから念押しで。
逆に考えてみてください。
フィクションに、「フィクションですからね」といわれるシチュエーションって一体なんなんだこれ?
 
おそらく、その答えは絵を見ていただければ一発で分かると思います。
「アカネちゃんと少年A」という作品で特に顕著に現れているのでちょっとピックアップ。

扉絵です。
ロリコンの少年が普段いつも夢の中で妄想でこの子に悪戯をしていたけれども、人気のないところに連れ込んでしまった……と興奮と後悔で責めさいなまれる話です。
見ての通り、少女がものすごい少女臭いんですよ。

僕は射精した後の虚無感を知っているから
妄想を現実にしてしまったら絶対後悔するって思ってたのに……
(「アカネちゃんと少年A」より)

ロリコンは基本的に妄想で遊戯することを楽しむことで充足感を得ます。
それで十分です。
足るを知るべし。
しかしその裏で、ドロドロとうごめくどうしようもない感情もあるわけです。この少女を見る視線、そしてモノローグ。
結論を言ってしまうと、セックス自体はしません。しかし少年とアカネちゃんはえっちな悪戯をします。アカネちゃんを騙しているため彼女は分かっていませんが、少年は恐ろしいほどの虚無感に苛まれます。
そうなるってわかってるんだよ、だから近づいたらだめなんだよ。足るを知れよ。
だが、この表紙の少女を見る目線は制御出来ていない性欲に満ち溢れています。
 
この微妙な罪悪感に共感できるかどうかがMOLOKONOMI作品の鍵になります。
「フィクションであることを楽しむ」エロマンガとして、あり得ないような少女とのハッピーラッキーセックスを楽しむ作品もあります。それは性欲昇華、需要と供給を考えると非常に素晴らしいことです。
MOLOKONOMI先生作品もその性欲昇華のパワーはあふれんばかりに持ち合わせています。しかし同時にロリコンの持つ後ろめたさと影をも描いています。
 

●少女たちの、ハッピーからアンラッキーまで。●

先程もあげた町田ひらく先生、EB110SS先生の作品の少女たちは、暗いロリコン欲求を、少女側が受け止めるように描いています。実際に犯されているのは少女たちで暗雲立ち込めているのですが、実のところ男性の滑稽な性欲を少女たちが「もう仕方ないことなんだ」と厭世的にとらえて受け止めてくれている。実は少女の方がはるかに男性より上位の権利をもっているんですよね。
ところがMOLOKONOMI作品はちょっと違います。
少女たちは時にはめちゃくちゃに凌辱されます。時には自分から誘います。作品によってバラバラなんです。
 
個人的感想なんですが、MOLOKONOMI先生作品の
少女たちって、行き着くところ結局ロリコン男性の描く究極像」であり「ロリコン男性の持つ少女への畏怖」の体現なんじゃないかと思うんです。

本当は全裸図を見た方がわかりやすいんですが、それは実際に見てもらうとして。
このようにMOLOKONOMI先生の絵柄は極めてシンプルなラインで描かれておりながらも、適確に少女独特の体系を捉えています。モデル体型じゃないんですよ。おなかは筋肉がなくてイカ腹体型でぽっこりしていますし、逆にアバラは浮き出ています。
そして注目すべきはへそ。

わかるでしょうか……。
へその中まで描いてるんですよね
少女という存在がもう本気で美しくてかわいくて何もかもが好きで好きで好きでしょうがなくて描いている人の絵だと思います。線の強弱が一切なく、均一な太さで描かれているのもMOLOKONOMI先生の特徴。最初見ると非常に違和感があってびっくりしますが、あっという間に癖になります。あるいは、合わない人には徹底的に合わない。
これが「究極像」の方ですね。明るい話も暗い話も、この点に至っては徹底しているので、MOLOKONOMI先生の絵柄が心に引っかかった人は買って損無いと思います。ものすごいふるいになっていると思います。
 
そして、「畏怖」の方。

良いシーンですね。良いシーンなんです。
しかし、此の話例えるならば太宰治が人間への複雑な心境を湛えつつ描いた「走れメロス」みたいな話のロリコンのような物語になっています。
結局彼はロリコンなので興奮するんです。しかし彼の兄、この少女の父親が彼女に対して働いている性的行為を知り、自分は理性で手を出さず、この少女を守ることを誓います。
でも! 妄想はするし興奮もしている。
いわば贖罪なんですよねこの物語。
 
こちらはギャグっぽい作品。ほんとジャンルばらばら。

おじいちゃんが、除霊と称して少女に手をつけてしまうお話。
この少女の描き方もいいですね。おじいちゃん側が性的に興味を持っている視線で描かれています。
「どこが?」と思われる人はそのまま生きていった方がいいです。
「やっぱりそうか」と思われる人は、強く正しく生きていきましょう(握手を差し伸べながら
 
凌辱ものも、ギャグも、女の子エロエロハッピーものも、ジャンルはばらばらですが「少女に対して興奮している男がいる」「それは俺たちだ」というのを思いっきりMOLOKONOMI先生はえぐりだします。
だから、「フィクションはフィクションのまま、ファンタジーであってほしい」人には相当きついと思います。自分を鏡で見ているような気分になるからです。
逆にロリコンであることを自覚し、それでもなお好きなのだから仕方ない、ロリコンとして生きていかざるを得ないという決意をした人達にはたまらない偉大なるロリコン先駆者からの共感のご褒美となっています。
実際ものすごくエロいんですよ。
そのエロさが逆に読者の中の「ロリコン」の本性を引き出してきちゃうから、ファンタジーのままでいさせてくれないんです。
 

●それでも少女は美しい●

少女側の精神性などは描かれてはいますがすこし希薄です。
ものっすごいパワーで「男性の性欲を受ける少女」として描かれています。

このシーンとか素晴らしいですね。実際は着物の下に下着を付けておらず、脚まで描かれています。少女美の極みみたいなシーンです。
そこに欲情してしまう男性目線で徹底しています。
欲情してもうどうしようもないんだよ!という叫び。
また欲情してしまったことに対する後悔。
だけれども欲情する楽しさに目覚めてしまった前進。
 
MOLOKONOMI先生作品の目線が極端に特殊なのにはわけがあります。
LOの持ち込み募集広告が、LOファンにはたまらないネタ満載な件

MOLOKONOMI先生は、LOに来る前自分自身のためのロリ漫画を描いていたそうです。

これすごいことですよね。
自分の欲求を包み隠さず自分のために描く。照れずに、しかも最後まで仕上げるとなるとこれはとんでもない情熱です。
今は無論プロですから、読者のニーズにもあわせた作品を描いているわけですが、この作家さんの作品を一通り読み終わって、興奮しつつも何か心に引っかかる感覚が残るのは、この部分のせいです。
つまり、作家さんが本気で興奮したものに対するあらゆる感覚を、疑似体験しているんです。
ロリコンの目から見たら、世界はこう見えるんだよと。
そういう目線見ると、作品のノリはバラバラですが、この作品かなり一本筋が通っているんじゃないかと思います。
女性でも好きな方がいると聞いて「はて?」と思っていたのですが、女性がロリコン視線を感じられる、しかもロリコン男性がどうしようもなく耐えられないようなつよいあこがれを持って見ている少女側になれる、という意味で考えれば確かに納得。
 
ロリータを愛するロリコンが持つ、欲情、後悔、興奮、苦悩、光、闇。
それらがまぜこぜになって悶々と悩んでいる時に目の前に少女が現れたらこう見えるんだ。
MOLOKONOMI先生の「しちゃダメよ」はそういう本なのです。
だからこそ、興味本位で買うと大変なことになる。と同時に理解した上で是非「ロリコン体験」をしていただきたい本です。
 

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個人的に好きなのはこのシーン。

一編だけ「少女モノローグ視点」で描く作品があるのですが、それがこれ。他が完全に「男性から見た少女」なので珍しいです。
だけど同時に、これも「究極理想の、オレの好きな少女」という描き方とモノローグなんですよね。だから見ていて、本当に欲情せざるをえない。

ヘドバンしながらエロ漫画!  MOLOKONOMI『しちゃヤダよ』
 
老人が頻繁に出てくるエロマンガはちょっと珍しいですね。それこそ最近だと町田ひらく先生くらいじゃないかしら。
じじぃになってもロリコン。結婚して孫がいてもロリコン
ああ、なんと業の深いことよ。だがしかたない、フィクションの中で満たし生きていくしか無い。
かなり絵も作品の芯も個性の強い作家さんなので、今後どう「自分のための」「読者のための」エロマンガを描いてくれるか楽しみです。
エロリマンガが天職とも言える作家さんだと信じてやみません。