たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

つかさがリボンを解いた日〜巡らない時代〜

『らき ☆すた』のつかさが免許を取っていた・・・(今日もやられやく)
免許自体はまあ、取ってもおかしくないだろうなー程度に受け止めたのです(こなたなんかはもう運転している)。
とはいえ多分一発で仮免受からないだろうなあー、めっちゃ時間かかってこそつかさ!みたいなイメージでした。実際この4コマのオチもそんなノリでチャンチャン♪でした。いつもの「らき☆すた」クオリティ。
だがしかし。一番何が衝撃だったかって、運転免許の写真がリボンなしだということです。
慌ててコンプティーク買ってきて確認しました。

うん、してない。
つかさがリボンしてない。
な、なんだこの衝撃は。
いや、免許証の写真だから普通っちゃ普通なんだけども、徹底的に記号化されたこの「らき☆すた」というマンガの中でその記号が失われたということはアイデンティティの解体にも近い状態です。
いや待てよ、証明写真だけかもしれない! 普段はリボンを!

してないだと!!!!!!!!!!!!!??????
やべえ。
本当か……つかさ一筋で生きていた自分としてはこれは衝撃を受けざるを得ない。
大げさに見えると思います。はい大げさです。でも衝撃だったんだよ!
(注・今までもお風呂や寝る前などははずしていましたが。)
 

●つかさの成長●

まあ、この4コマ一本だけがつかさリボンなしで、他の4コマはリボンしていました。

よかったよかった。
しかし、上のコマとリボンしているコマ比べてみてください。
他のアニメやマンガの場合は「あ、髪型変えたんだー」で済むところなんですが、「らき☆すた」は徹底してキャラクターが記号化されている作品です。
このリボンがあるか無いかの差は、強烈にでかいんですよ。
しかもあのとろくて色々不器用なつかさが、運転免許を取るだなんて、という大人への一歩を踏み出しています。ああそうだった、この子達もう大学生なんだよ。こなたも正々堂々とエロゲが買える年なんだよ。
そこに来て、この運転免許の4コマの題名を見て驚愕。

巡らない時代

あかん……泣かせる気か!
確信犯でした。つかさの成長の証としてリボンが外されている。
まあ来月以降またリボン付けてくるかもしれませんが、とりあえずこの時点で、つかさはリボンを外すという行為によって一歩自立したことを隠喩しています。
寝る前やお風呂で外しているのと意味が違うのです。
 
らき☆すた」は割とさらっと年月が流れて、さらっと次のステップに移行するところが好きなところでもあるんですよね。いつのまにか卒業して、いつの間にか大学生になって、でもつるんでた仲間とは今も仲良しで。
うん、卒業は確かにドラマティックなイベントだけど、人間関係は変わるもんじゃないくて意外と卒業を超えても変わらなかったりするもんだ、というあたり妙にリアル。
加えて「らき☆すた」は萌え作品と見えがちですが、実は結構毒っけの強い作品でもあります。単行本読むとわかりますが、結構キツいネタを平気で流してきます。これもキャラがかわいらしくデフォルメされているせいで重みが残らないから、というのは大きいでしょうね。風刺ネタとか意外とキツいことさらっとやってのけます。かと思えば割とどうでもいいことをだらーっとやったり、緩急の激しい珍しい作品です。
ただひとつ芯が通っているとしたら、それは時間が流れている、ということ。
色々キャラクターは動いていて、あんまり変わっていないようにも見えるけれども、時代は巡らないんだ。
どんどん、前に進むよ。
 

●つかさの記号性●

らき☆すた」の中でもつかさはとりたてて記号性の強い子だと思います。
まーこなたの青ロング+ほくろや、かがみのツインテール、みゆきさんのピンク+めがねなど全員記号的なんですが、つかさは特にネット上でネタにされやすい記号性を持ったキャラです。
例えば下記を見てください。

意味のない記号の集合体ですが、これでつかさに見えるんですよね。

この作品なんかはそれをうまく利用しているというか、つかさという存在は記号の集合体である、という理念に基づいているものだと思います。
もっと突き詰めれば。

これで連想するキャラは?と聞かれたら「つかさ」と答えられるほどに。
薄紫+黄色のライン。それがつかさでした。
あるいは「つかさと認識されるもの」でした。

記号性を逆手にとった面白いマンガ作品なので、読んでみてください。
「つかさ」というのがもうすっかり記号として分解され、サブカルチャー内のアーキテクチャの一部としての素材化されていることに気づかされます。

記号認識としての黄色いリボンは消え去り、つかさぼっち。
この絵を描いているLeicaさんは「つかさ」を絵筆にして様々な角度から作品を作っている方なので是非他の絵も見てみてください。
 
つかさは「存在」「現象」「文字」そして「ブレイクビーツ」
「T5=つかさ症候群末期症状」現在進行形。

様々なアニメ・マンガ作品がありますが、自分は「つかさ」ほど徹底的に分解を施されたキャラを知りません。
きっとまだまだ他にもいるのかもしれませんが、「つかさ分解ムーブメント」はなぜか一部で衰えるところを知りません。自分もその虜になっている一人です。
つかさの(特にアニメ版での)不可解に見えることのあるキャラクター性、薄紫+黄色の分かりやすさ、勝手にこちらが妄想を加えやすい性格、自己を投影しやすい器などが絶妙に組み合わさっているんだとも思いますが、それ以外の何かがあるような気がしてなりません。
「つかさRecords」さんの背景を見ると、さらに「セミロング+リボン」でつかさが完成することすら証明しています、記号的に。
TsukasaRecords
つかさをネタにした音楽が集結しているので、つかさ好き必聴。

こういうギャグのネタとしても(ごく一部で)流行したつかさ像。
つかさが好き、というのはあると思いますが、それを超越して「つかさという現象が面白い」という再構築の始まりです。


これでつかさだと感じさせられるからすごい。
こうなってくるとキャラ愛を超越して、「つかさ」という素材化して存在していることがわかります。
 

●脱却と成長●

長くなりましたが、つかさが「のんびりっ子」という漫画の基本のキャラクター性や、二次創作的に受け入れられている不可思議なアメーバのような「つかさ素体」を、つかさはリボンを外すことで脱却しました。
一人の人間として成長し、別のステージに移行しようとしています。
最初は考えすぎだろうと思っていましたが、副題に「巡らない時代」と付けられているのを見て、作者の美水かがみ先生が「『らき☆すた』はゆっくりではあるけどループしませんよ、前に進みますよ」と言うのを明確に押し出した気がします。これはでかい。
まあ、それでもつかさなので急に周囲が変わることもなく、劇的な変化は遂げずじまいではありますが、それでも時間の軸の中で確実に変化は始まっています。
あとは受け手側で自由に考える問題なので、今後つかさがリボンをつけようとつけまいと「どうでもいいじゃん」と言われたら全くもってそのとおりですが、「つかさのようななにか」は「つかさ」としてさらに深く魂を持ったように感じてなりません。
つかさ、人間宣言
 
今後もしかしたらさらりと彼氏ができるかも知れません。
そうしたら、箱庭の外の父親の気分で温かい目で泣きながら見守りつつ応援するのみです。
だけれども今後もやはり「つかさ」を記号として見るかもしれません。つかさという絵筆をつかみ、がしがしと自己表現する作家さんは現在たくさんいます。特異な存在としてのつかさは、成長ではなく変幻しつづけます。
原作のつかさと、受け手の中のつかさの乖離はどんどん進んで一人歩きするのだろう、と考えるとなんとも不思議な感じですが、どちらも「つかさ」。
あとは読者に委ねられるのみです。
まあ結論を言うと、

つかさ誕生日おめでとう!
(かがみんもだよ!)
 

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今後もリボンをつけていくのか、外していくのか、気になって仕方ありませぬ。
無論どっちでも応援するのみですが、一番大事なのは「記号」ではなく「キャラクター」であることを再認識させられた次第です。ただしつかさが持つ「記号」の一人歩きはもう止めることは誰にも出来ません、暴れ馬です。本当になんでここまで?!というくらいにうねっているので、興味深く「つかさ創作」の世界を見続けていきたいところです。
なんかどえらいものがうまれそうでー。それだけ人を魅了する何かが紫と黄色のラインにはあるんですよ。つかさというキャラクターと別次元で。