たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

あかんて、LO9月号の表紙があかんて。

入稿終わったので、ご褒美にLO9月号買ってきたのですが、もうただただ表紙に撃ち抜かれましたね。

パッと見た目普通の、ステキにかわいい水着の表紙じゃないですか。
ここについてるコピーが半端じゃない。

この娘の母親が本当に好きだった。
それを今、思い出した。

ズドン!(心にパイルバンカーを打ち込まれた音。
もうこのコピーを読んだら、二度と「ステキにかわいい水着」だとか言ってられなくなった。
 
そのあと、このコピーの意味を一生懸命考えようとしたんですよ。
たとえば自分はこの子の伯父とか。あるいは昔から仲の良かった親友の家族と一緒に遊びに来ている(で、その親友の結婚相手は自分の初恋の相手)とか。
もうちょっとひねって、自分と奥さんが海に来ていて、娘に母親の面影を見つけたとかというのも意見で見かけたのですが、わざわざ「母親」と書いてあるとなるとちょっと違うかも。あるいは母親が亡くなっているか……。
 
しかし、考えても考えても、そこにある物語性を超越した部分での心臓の撃ち抜かれっぷりがひどいんですよ。
なんでか考えるまでもなかったんですよ。
この娘と自分は、親子ほども年齢が離れているんですよ。
しかも「好きだった」。過去形。
ポジティブにもネガティブにもとらえることの出来る表現ですが、ただ一つ言えるのはこの少女は目の前にいて、すぐ触れる事の出来る位置にいるけれども、果てしなく遠いということです。
もし仮に、その母親が手の届かない存在、好きだけど言えなかった存在だとしたら。
娘の彼女はさらに遠い。それは年齢という壁もあるし、自分のロリ嗜好がノスタルジックとの混同なんだという現実を突きつけられている部分もあるわけで。
 
ああ。
みんな育っていく。
ぼくは、とどまったままだった。
 
ノスタルジック嗜好、自分は好きです。後ろ向きなんて見方も出来るかもしれませんが、同時に「それだけ本気で過去を愛している」というのもあるので。
その失われた、愛すべき物の幻影を追い求めて究極にたどり着こうと手を伸ばす愚かさこそが、時に純粋かもしれないですし。いや言い過ぎかしら。
 
たかみち先生のイラストは常にそうなんですが、この少女、こっちを見てませんね。
自分はカメラのファインダーから少女を見ているだけ。とてつもなく分厚い壁がそこにあります。
でもいい、見ていられるだけで幸せならばそれでいい。
寂しさと憧れは表裏一体。
切なさをたたえながら楽しく生きられるロリコンライフ 。Wちゃんやってくれおるです。
 
ほんとすげえなあ……絵の見え方が全く変わってしまうキャッチコピーに感服せざるを得ません。
と思っていたらどう反応するか見られていたでござる。
ロリコンの楽しいところも滑稽なところも悲しいところもえぐってくるLOの表紙が大好きです。
 
中身ですが、どうしても「にまじ先生への業務連絡」が面白すぎて何もかも吹っ飛んでしまってなりませんでした。
あと「マコちゃん絵日記」の悦子はエロい。
今月は園ジぇる的な意味でも、育ちかけ成長期的な意味でも充実したものすごい一冊になっていたと思います。
にしてもだ。
もっちゃん
「もっちゃん」がついに単行本になった、ってのがいまだに信じられません。
(「もっちゃん」は出る出るといわれて数年以上でなかった伝説の本なのです)
壮大な嘘でもつかれているんだろうか・・・。は、早く手元に・・・!