たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

まるで陶器のような少女たちの、裸体の絡み合い「ふたりとふたり」

吉富昭仁先生の描く少女は、ものすごく柔らかくて、ものすごく硬質だ。
そのお肉はまるで綿菓子のようにふわふわしているのに、なぜか肌は陶器のようだ。
 

●硬質な少女たち●

この不思議な絵の魅力は、最近の百合系の作品で思いっきり発揮されていると思います。
ここしばらくの間に芳文社からは「しまいずむ (1)」秋田書店からは「地球の放課後 2 」(これは百合じゃないです)、そして一迅社から「ふたりとふたり」とマンガ大連鎖中の吉富先生、今までも少女の描写の極めて上手い作家さんでしたが、ここに来て「オレの描きたい少女はこれなんだ!」と開花した感があります。
 
さて、「ふたりとふたり」は性愛を含んだ少女たちの恋愛模様の話。
二組の少女同士の歳の差カップルがいるのですが、その年下組二人は同室の同僚生。しかし同僚のその子との間には距離があると思い込んでいて近からず遠からずの関係を保っていたけれど、お互いが年上の女性と付き合っていると知ってその壁が決壊する……。
 
一話からその歳の差カップルの濡れ場が描かれています。
エロいですかと言われたら。
それはもうエロいです!
しかし、汗もかいているしねっとりと舐め合っているというのに、妙にさらっとしています。
きっと彼女たちの肌に触れたら、汗を拭きとってしまえば手触りさらさらなんじゃないかと感じるくらい。
二人が全裸で絡み合っていても、それがまるでオブジェみたいなんです。
 
吉富先生の描くセックスの様子は本当に特殊。
強烈にエロいんですが、ゾッとするほどきれいです。
何もかもかなぐりすててお互いの体をむさぼり求め合っているのに、あたかもパズルのピースをはめたかのごとく違和感が全然ない。もう背景と混じり合って一枚の絵になってるんですよ。
これはほんと、紙の上で見ていただきたいので引用しません。是非見て!
確かにエロくて興奮するんだけど、それを通り抜けたところに何かもうキラキラ輝くものを見ているような不思議な気分になるんです。
おそらく構図をものすごく凝っているせいだと思います。少女二人が裸体でからみ合うのは、吉富ワールドの中では電線が街をうねっているのや、ビルが不思議な形状でねじれているのと同等の感覚なんでしょう。空間の把握がものすごい特殊な感覚で行われて紙に投影する作家さんなのですが、それを「少女」で表現している気がします。
あとはおそらく、少女たちの裸体にトーンが一切使われていないこと。背景にトーンをつかいがりがりとペンで描き込んでいても、少女たちの体はアウトラインだけで真っ白なんです。だから闇のなかでも浮かび上がるんです。その光る裸体が二つ混じり合う光景は、幻想的じゃあないですか。
そして最後に、特徴的な素足。裸足の描写に全力を費やすくらいの勢いを感じる作家さんです、とにかく裸足のシーンが多い。以前「つぼみ」の小冊子でこんなことを書いていました。

やっぱ女の子は脚です。
特に生足、素足にグッときます。
素足は無邪気さ無防備さを象徴していると思うのですが、いかがでしょう。

全く全力同意です。
というかむしろ吉富先生に影響されて裸足ラブな人間になってしまったですよ!
そんな無防備少女たちを、セックスという極めて生々しい人間の行為に絡めつつ、それをまるで芸術品のようなポーズで構図の中に収める。
「ふたりとふたり」は恋愛物語であると同時に、少女をいかにオブジェ化するかの挑戦でもあります。
 

●迫る少女、迫られる少女●

このマンガの中で印象的なのは、年下組の二人の少女。
同室で暮らしており、お互い距離を置いていましたが、それぞれ女性と付き合っているというのが発覚してから「実は私あなたのこと好きだったの」というまあまあなんともフリーダムな展開。
一応最初は「それぞれ彼女がいるから」と距離を話しているのですが、黒髪ロングの小夜子が極めて自分の欲求に忠実なのがこの作品の一番面白いところだったりします。
 
もう、押しまくりなんですよ。ダメだと分かっていても「でも好きだから」とぐんぐん迫ってくる。
しまいには裸で布団に入ってくる!
いやそれ、我慢しろっていっても無理です。追い返せない。
三つ編みの少女亜由美は、理性を働かせつつも拒絶のできない少女。もちろんそれは、自分の中に眠れる欲求があるのをわかっているから。
ここで亜由美が、裸で布団の中で寝ている美しきオブジェのような小夜子を受け入れてしまうシーンはほんと必見。
二人の心情とかを考えるとそんな簡単なものじゃないし、猛烈に求め合う激しさもあるんですが、そういうの忘れてしまうくらい。二人の絡み合いはあまりにも美しすぎて、ただただボーっと見ていたくなります。
 
とはいえ、いわば浮気なわけで。
これがどうなるかは実際に読んでみてください。この展開もある意味吉富昭仁先生らしいオチに向かっていきます。
 
いやはや、短編の「熱帯少女」が恐ろしいほどのセンスの塊みたいな出来だったので、長編だとどうなるかと思いましたが、キャラが連続することで作れる数々のレリーフを刻み込んだ碑のような作品になりました。
描かれている背景は広くても、この本はクローズドな少女たちの密室です。
 

吉富昭仁先生の百合漫画は、「百合」という体裁と保ってはいますが、究極的に求めているのはおそらく「少女をいかに描くか」だと思います。
悩める少女も、明るくざっくりした少女も、裸足になればみんな心はむき出し。
それを最高に美しい形状にコマの中に閉じ込めておきたい、という思いがじわじわと湧き出します。