たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

声になった言葉が、無限大のイメージを相手に伝えるんだ!「花もて語れ」1巻

ぼくは、宮澤賢治の作品を愛しています。
銀河鉄道の夜」は何百回読んだかわかりません。不安な時、怖い時、落ち着かない時、宮澤賢治の言葉が側にあるだけで安心するんです。
だから、ぼくのカバンには必ず、「銀河鉄道の夜」や「宮澤賢治短編集」が一冊入っています。
お守りみたいですね。
そして、密かな趣味として、銀河鉄道の夜」を朗読してました。
実はすげーーー内密に、ネットラジオつないで何回か朗読したことがあります。当然告知してないので聴いてる人0人。だ、誰か聞いてたかもしれないけど……。
でも、なんかもうね、読みたいんですよ。
声に出したいんですよ。
「声に出して読みたい日本語」なんて本が流行りましたが、確かにそのとおり、言葉は声に出すことですごく安らぎます。
でもね、もう違うの。僕にとっての、「銀河鉄道の夜」は、宮澤賢治は、違うの!
世界そのものなの。
宮澤賢治の本には、賢治が伝えたかった世界が詰まっているんですよ。本の中にものすごい濃度で、恐ろしいほどに、詰まっているんですよ!
もう、あんまりにも子供の時から読み続けていたので、手に取るだけで「銀河鉄道の夜」の世界が、あの言葉の数々が、襲ってくるんです。
包みこんでくるんです。
飲み込んでくるんです。
そこはとても居心地が良くて、あったかくて、幸せなんです。
物語は悲しいかもしれないけれども、賢治の言葉があまりにもあったかくて、心を安定させてくれるんです。
恥ずかしながら、自分がサイトや商業ライティングでの口調を全て「です・ます」で統一しているのは、賢治に憧れているからです。まー全然似ても似つかない、爪の垢にも及びませんが。(ちなみにノリが軽いのはオーケンの影響。これは余談。)
 
ああ、賢治について書きすぎました。
このままだとどこまでも書きそうなのでストップしますが、それと同じくらい、何かを伝えることの感動を、絵で描き上げる片山ユキヲ先生の作品が大好きです。
 

●どっどど どどうど どどうど どどう●

「空色動画」の片山ユキヲ先生の新作がこの「花もて語れ」です。
「空色動画」はアニメーションを媒介にして、どこまでも無限大に広がる世界を表現できる喜び、それを共有できる幸せを描いた物語でした。
可能性に限度なんかねえよと。伝える手段はいくらでもあるんだよと。
確信、そして信念。片山ユキヲ先生は漫画という表現を通じて「表現」を描きます。
 
ちょっとわかりづらいかもしれないので、最初の0話にあたる「ブレーメンの音楽隊」のシーンを見てみましょう。
ヒロインは人と話すのがめっぽう苦手で、友達がいない、空想家の佐倉ハナ。
両親を亡くし、元々あがり症で人と向かうことが出来ない。会話が極端に下手で、いつも不安に負けてしまう。
しかし彼女には類まれなる才能がありました。
いつも一人で空想し続けていた彼女は、完全に空想の世界の視点に入り込むことができるたのです。
 
まー、すごく大げさに聞こえますが、これ「表現」しなかったら単なる「思い込み」でおしまいなんですよね。
夢想家、空想家。一人の世界ならそこで終わり。
しかし、それを相手に伝えられたらどうだろうか?
一年生の時のハナは、決死の覚悟で「ブレーメンの音楽隊」の文章を、学芸会で読み上げるのです。

漫画は音がない媒体です。
だから読む側の脳の想像部分を刺激するために、文字と絵を駆使します。
このページだけ見ても分かると思いますが、ハナが完全に「ブレーメンの音楽隊」の世界に入り込み、感情移入のみならず「ロバの見ている世界を再現している」、というのを漫画で再現しているんです。
 
物語は相手を感動させる力を持っています。だから読書は面白い。
しかし物語はそこで終わりません。「さらに別の人に伝えることができる」のです。
ハナの朗読を聞いて、一緒に劇に出ていた子の心に入るんですよ。

もうこのページがあまりにもすごいのでまるまる引用します。
分かるでしょうか。ハナが見ている「ロバの見た世界」が、ロバ役の子に入ったんです。
物語を読んで、朗読を聞いて、映画を見て、音楽を聞いて、泣いたことのある人ならきっとこの感覚は分かるはず。
今目の前にある現実の世界とは別の、心の中の、脳の中のスイッチがガチッっと入るんです。
 
心にスイッチが入るのは、相手の中に眠っている様々な記憶のトリガーを引くからでもあります。
物語の中の視点を朗読で再現することは、作品の追体験をすることになります。
と同時に、相手の心の中に眠っていた様々な感情を蘇らせるんですよね。
親とケンカしたこと、友達と遊んで楽しかったこと、ささいなことだけどすごく悲しかったこと、寂しさにおびえたこと。
ロバ役の子の引き金は今、ハナの朗読によって引かれたのです。
 
物語を聞いて「入った」子は、さらに他の子に対してその感情の揺れを表現します。
この場合は演劇ですが、それは例えば涙かもしれません、興奮かもしれません。
「気持ちが伝染する」というのは、相手の心の引き金を連鎖的に引くことにほかならないのです。
そして。

伝わった時のは、何者にも代えがたい大切な宝ものになります。
 
これがまだ最初の0話だからすごいんです。
ハナの朗読による、相手の心を揺さぶる物語は、ここから始まります。
 

●そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。●

物語はハナが社会人になってから始まります。
もうね。
朗読が小学校の時に得意だったからって、大人になって社会性が身についている、なんてうまくいかんのですよ。

泣きそうになるくらい最高に悲しくなります。
そうさ、同じ経験をしたことがあるさ。あの時の心細さと言ったらないさ。便所に篭って一人でいたかったさ!
 
「空色動画」でもヒロインの少女は相手とのコミュニケーションが極端に苦手でした。
一人妄想の世界にこもり、自分の体は今ここにないかのように逃げていました。
ハナもまた、同じように杞憂に怯え、寂しさに震え、失敗を恐れる女性です。
このページなんて、もう見るだけで「わああ!」ってなりますよ。

ある、あるよ、あります! 勘弁して!
片山ユキヲ先生はコマの使い方もかなり破天荒。自由に何もかもぶち壊しながら、どこまで描けるかに挑む作家さんです。
この1Pで、いかにハナが苦しんでいるか、寂しがっているかが一発で伝わります。
と同時に、孤独を感じたことのある人の心の引き金をがっつんがっつん引いてくるのです。
片山先生の漫画自体が、人の人生の朗読みたいなものです。相手の記憶をぐいぐい引き出してきます。
苦しい。
怖い。
淋しい。
恥ずかしい。
ハナの思いは恐ろしいほど伝わってきます。平安な日常を暮らしたい。人に迷惑をかけたくない。足手まといになりたくない。
だけど、できない。

ギャグのように描かれるハナの失敗続きのシーンですが、彼女は悔し涙と流すのです。
ああ、普通でいい、せめて普通でいられればどんなにいいだろう。
 

クラムボンは かぷかぷ笑ったよ●

しかし、彼女が空想を愛し、色々なことを思い浮かべ、そこに思いを馳せ続けていたのは決して、絶対に、無駄じゃないんです。
彼女はふとしたきっかけで、「朗読」の教室に紛れ込みます。
確かに小学校の時に朗読は得意だったけれども、よもやそんな教室があるとは。
でも実際に朗読の教室って存在するんですよね。
そこまで多くはないのですが、検索すると結構でてきます。うちの地元でないかなーと思ったら、こんなのが。
NHK文化センター札幌教室:朗読教室 (元NHK札幌放送劇団 松井 信子) | 好奇心の、その先へ NHKカルチャー
やっぱりあるものですね。
 
この漫画は、朗読の何が面白いのかをきっちりおさえています。
無論、その理論がメインではありませんが、「何が楽しいのか」を理解しておくことは非常に重要です。

「物語」と「お話」の違い、ですね。
たくさんの物語や知識は、黙読されます。おそらく本を買って声を出して読む人はほとんどいないでしょう。
しかしこのセリフ、まさにそのままですよ。

思いを「声」にする悦びと、
読み手と聴き手で
感動を共有する、
至福があります。

「悦び」「聴き手」と漢字にも気を使って丁寧に描かれているのがこの漫画の特徴でもあります。「聞く」と「聴く」は別物ですものね。日本語ってそこが面白い。
朗読は確かに聴き手のためのものですが、声に出して読む事自体が悦楽なんです。
いやもう、スゲー楽しいですよ!
確かに声に出して読むのって、すっごい抵抗あるのです。なぜか声が出なくなったりするんです。
でも読んでみてください。声に出してみてください。
まさに「悦び」です。
 
彼女は別に文学少女でも何でも無いんです。単なる夢想家です。
しかし彼女の夢想する世界を、誰かに伝える悦びはもう小学生の時に感じていました。
自分一人でも楽しい、でも誰かに伝わったら、それは、幸せです!

朗読している最中に、「入っている」彼女のこの表情!
全身を使って、心と声を使って、物語に入り込む幸せ。言葉にできる幸せ!
もちろん彼女に自信はありません。でもただ、それを伝えたくて彼女は、読むのです。
 

●小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。●

やまなし
彼女がとある人物に、宮澤賢治の「やまなし」を朗読するシーンがあります。
「やまなし」は賢治作品の中でも、極めて単純でありながら難解で、様々な研究がなされている作品です。
宮沢賢治/やまなし
このサイトで「やまなし」研究がまとめられていますが、そもそもクラムボン」とはなんなのか、未だに誰もしらないのです。
賢治にしかわからないのです。
だけれども「やまなし」は数多くの場所で朗読されています。
なぜか?
それだけの想像力を喚起する力をもった「お話」だからです。
ハナは、「やまなし」が小さな蟹の見ている世界であることを意識しながら、本当は浅いのだけれども身長に比例して深く見える青い水の底を夢想します。
そこに浮かぶ数々の泡は、とても小さなものだけれども、蟹達にしてみたら巨大なものです。

そのイメージを持ちながら音読するのは、なんだかよくわからないクラムボンは かぷかぷ笑ったよ」を感じさせる力になります。
ここが片山ユキヲ先生の上手いところだと思うのですが、想像の世界と現実の世界に境界線を引かないんですよ。
想像したものは、現実じゃないかと。表現されたものは、形になっているじゃないかと。
今、ハナが読んでいる「やまなし」は空想です。現実ではありません。
しかし「入った」聴き手にとっては、「やまなし」の世界はまぎれもない現実なのです。
 
上にある青空文庫を読んで、このシーン、想像出来るでしょうか。

俄に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。


片山ユキヲ先生の漫画の真骨頂とも言えるシーンです。
ハナのイメージしている、そして声に出して語っているシーンは、このようなアングルから見えた、蟹達の恐怖のシーンなんです。
ハナの想像力によって、今、聴き手達は蟹の目線になったのです。そして食べ用と狙ってくる魚の恐怖、鉄砲玉の用に飛び込んできたカワセミの驚きが絵として表現されます。
そうだとも、これは想像だとも。
だけれども、紛れもなくイメージとして伝わった、現実なんだ。
 
彼女の朗読は、ハナの心の中でもやもやと溜まり続けていたたくさんの空想を相手に突きつけます。
深くイメージされたものは、伝わるのです。
ハナがまた、ボキャブラリーが貧困で、自分の言葉で表現出来ないというのがいいんですよ。
トークは全く出来ないんです。だけれども想像は言葉ではない。イメージです。感覚です。
この感覚が極まって、他人の言葉を借りて「お話を読む」という行為で、相手に思いを伝える。
読んでいるハナも熱くなります。聴いている側も引き込まれます。
そして、聴き手の心の中でくすぶっていた引き金が、ガチリと音を立てて引かれるのです。
 

 
00特別なお知らせ 50: 感動をつくる・日本朗読館
朗読がテーマという異色作なので、ちょっと地味に見えるかもしれません。表紙も癒し系です。
しかし、恐ろしいほどの熱量を持った、とんでもなく熱い物語です。
ええ、絶賛しますとも。是非読んでください!
そして、声に出して大好きな物語を読もうよ。お話をしようよ。
下手でもいい、朗読することで自分が奮い立つように、人間ってできてるんだよ。
片山ユキヲ先生は、ものすごく冷静に物語を作りながらも、描いている時激しい感情を塗り込める作家さんだと思います。
だからこそ、読めば伝わる力が紙の向こうから押し寄せてきます。
 
空色動画(1) (シリウスコミックス) 空色動画(2) (シリウスコミックス) 空色動画(3) <完> (シリウスコミックス)
「空色動画」は本当に傑作なので、何度でも勧めます。
空想することを笑うな。表現することを恐れるな。感動することに臆するな!
 
いいか!アニメに限界なんてないんだぜ!「空色動画」
わたしたちが動くから、アニメは動くんだぜ!「空色動画」2巻
待ってろ、次に動くのはこっちの番だぜ!「空色動画」3巻