たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「みそララ」4巻、相手に文で熱気を伝えるにはどうすればいいんだろう?

みそララ」は本当に社会人の心を突くね!
いやほんと、大人な人は「あーあるよねー」と、まだ学生の人は「そういうこともあるのかー」と楽しめる、リアルをうまく笑いで突きつけてくるとんでもないマンガです。読み終わった後100%のハッピーがあるとは限らないけれども、絶対にマイナスや0にはならない、10%はプラスの勇気をもらえる作品です。
特に今回だと、最後の一連のエピソードに引き込まれた人は多いと思います。勧善懲悪じゃないんだよねえ世の中。ほんとヒロインの麦みそに変わってぶん殴ってやりたかったけど自分が同僚ならやっぱりしない。とにかくこれは読んで確かめてみてください。
 
さて今回話したいのはそちらではなくて、33ページから始まる音楽ライヴレポライティングの話です。
簡単にあらすじを書きます。
ヒロインの麦田さん通称麦みそは音楽に興味のないライターですが、仕事で新人のよく分からないライヴのレポを書く事に。当然音楽知識なんてないからなんだかわからない、しかも演奏しているのは全然好きになれる気がしないミュージシャン。うわー冷める……やべえ。ところがライヴが始まるとなんだか面白い、よく分からないけど面白い! そして帰ってきてテンションは高い、これは書ける!と思いきやみるみる冷めていく。……やべえ。これをさてこれをどうレポする? 
 
ライターの仕事は人に見せる文章を書くこと。
求められるものをどの相手に魅せるかを意識して書くこと。
うん、難しい。
たかが文、されど文。自分もへなちょこながらライターをちょびちょびとやらせていただいているわけですが、未だに常に悩みます。
ブログの文章はすごい楽しいのです。だって好き勝手書いてますもん! 楽しいと思ったこと全部詰め込んでるだけだもんそりゃーもー、病みつきです。
しかしライターとして書く文章となると、うん、すげーすげーすげー楽しいんですが、悩みます。まあライター仕事の方も好きな物についてしか書いてないという全くもって幸せな状態なんですが、自分はもうめちゃくちゃ主観ばっかりなんですよ。
例えば「プリキュアを見ている人」に「プリキュアのここが最高だよね!」と共感を分かち合うのはとても楽しいことなんですが、「プリキュアを見ていない人」に「見てみたい」と思ってもらうにはどうすればいいんだろう?
自分と読者には当然のことながら明らかに温度差がある、さて、どうすればいいんだろう?
あるいは見ていたときに大興奮したものが、一晩明けたあとに冷めてしまった。さて、どうすればいいんだろう?
 
ちょっと「みそララ」のエピソードに絡めながら、自分の実体験も書いてみようと思います。
 

●主観と客観と羅列●

今回の「みそララ」で面白いのは、麦みそに音楽知識が全く無い状態だったことです。
要するに「素人」なんですよね。音楽評論家の意見と同じものを書こうとしたって土台無理な話。うーわー、これまんま自分だー、と読んでいて頭抱えたものです。無知ですいません!
しかし「無知さ」から生まれる激しい情熱や興奮は最高のエッセンスでもあります。書いている人の楽しさが伝わって楽しくなるのは最も理想的。
この作品、それを否定はしません。と同時に肯定もしません。
 
好きで仕方ない気持ち、どうしても受け入れられず拒絶する気持ち、これを「主観」とします。
好き嫌いは別として完全に第三者視点から冷静に語る視線、これを「客観」とします。
ブログのような一定の決まっている層に対しての場合、どちらか重視の方が安定するかもしれません。どっちも面白いんですよね。抽象的でパワフルな情熱的な文章も、冷静に分析してハッとさせる文章も。
さて、ライターとして「みそララ」で求められているのは「主観+客観」
そんなことできるの!?ですよ。
 
ところが奇しくも自分も全く同じこと編集さんに言われました。
最初はむちゃくちゃ戸惑いました。超主観型人間にはこの言葉の意味が分からなかった、というのが本音というか。
だから未だに同じミス犯します。主観主観主観の押し付け。分かる人には伝わるかもしれないけど分からない人に伝わらない。
だめじゃん!
 
無理やり客観にしようと頑張り過ぎると陥る罠の一つが、時系列の羅列です。
あったことを順番にそのまま書いてしまう。全部入れなきゃ、あれもこれも、こういう見方も、あの部分も、あでも主観すぎるといけないし……気づいたら単に順番にあったことをレポートしているだけの文章に。ある意味「レポ」ですが、それは「事実」であって、「相手に楽しさを伝えるレポ」ではない。
客観的に「楽しさ」を伝えるってどうすればいいんだー!
 

●お弁当作戦●

煮詰まっていた自分に編集さんが言ってくれた言葉をまんま書いてみます。
 
熱いものや生物はその瞬間は美味しいかもしれない。
しかし広くたくさんの人に食べられて、かつ長持ちするのは、お弁当なんだよ、と。
 
わー!と頭の中に光が差し込んで来て目が覚めました、そうか、お弁当か!
お弁当の良さとは何か。
【色々なものが一つを引き立てるように詰まっている。】
つまり飲み会の席じゃないんだから何でもかんでも大量に詰め込もうとしない。適度に出す情報は絞り込んでいく。極端な話メインのハンバーグなどの食材を引き立たせること一本に絞る。どうしても載せたいものでもそぐわなければカット。無駄じゃないよ、別の機会にその材料は取っておけば使えるんだぜ!
【適度に冷ます】
冷ご飯をお弁当に入れる人はいませんものね、冷めた視線で書けという意味ではないです。あったかいごはんを入れるんです。それは主観でいい。思いのままに情熱をぶつけるような熱々の食材を準備! ただしそれは熱すぎるから一旦冷ます。一番いいのは一晩置くこと。イラストなんかでも描いてから一日置いて見る人多いですよね。そうすると熱しすぎて抽象的すぎる言葉やラブレターのようにイってしまった文章が自然と浮かび上がって抜けていきます。あとはそこに、客観的知識というおかずを添えればさらにおいしくなる。
 
それ以来ずーっと何書くときでも「お弁当お弁当……」と呪文のように唱えるようになりました。
それでもまだまだ熱すぎるか冷めすぎている部分が多いのが自分の欠点なので、適度においしいお弁当になれるよう頑張りたいんだよなあ……本当に難しいけど、お弁当が多くの人の手に渡ることを考えたら、その作業もちょっとパズル的で楽しくもあります。
 
みそララ」でもこのお弁当作戦(命名はされてませんが)が使われていました。
熱気を殺す必要はない。まずは思いっきり無知で構わないから自分の感性をそのまま出す!
しかしそのまま提出せずにまずは一晩寝かせる。
人や本やネットからの情報も、「人の言葉だから」なんて言わずにどんどん使えると思ったら使う。確かに自力でつかんだものじゃないけれど、断片を単純につなぎあわせたら面白くなるわけじゃない、それを演出するのが「お料理」じゃないか。
 

●伝える力●

主観+客観。
未だに自分はつかめませんが、お弁当作戦を聞いてから色々試してみて、時々「あっ」と何かに触れる瞬間があります。
まあ大体それは自分が見てきたもののモノマネなんですけれどもね。まだまだ「自分だけの」なんて作れる域にありません。
しかしモノマネであろうと借り物であろうと、自分の感情が第三者に伝染するのなら、やっぱり嬉しいわけですよ。
極稀に、「作ったお弁当」な文章が面白いと思ってもらえることがあります。反応があることがあります。
これがあるからやめられない。無論反論や全く感性の合わない人もいます。受け入れてもらえないこともあります。それでも誰かに1mgでも「楽しい!」と思ってもらえるのなら……!
 
当然編集さんと自分自身は別人ですから、編集さんの言うこと=全て正しい訳ではないです。しかし「そういう見方をする人がいる」というのを理解するだけで、なにが第三者から見て興味を引きこみながら面白いと感じさせるのかを意識させ、「買ってみたい」「やってみたい」「行ってみたい」につながる。
文章を書くって、やっぱり楽しい。
 
みそララ」ではさらにもう一つ、相手に浸透する文章の力について書かれていますが、これは読んで確かめてみてください。
やはり宮原るり先生経験者だけあって、デザイナーやイラストレーターのように光が当たる部分ではない、極めて地味で「おまけ」にすら見えがちな「ライター」という職業を本当に丁寧に描いています。
お仕事熱血物としても面白いんですが、文章力アップ面でも本当に実用的で参考になると心の底から感じます。
 

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さてと。
お弁当もいいけど、それよりこの目の前にある本数の山をどうまずはこなせばいいのやら……。
 
みそララ 1 (まんがタイムコミックス) みそララ 2 (まんがタイムコミックス) みそララ 3 (まんがタイムコミックス) みそララ 4 (まんがタイムコミックス)
全然関係ないんですが、自分みそララ3・4巻表紙の、こっちとあわせない女の子3人の視線が大好きなんですよね。
これが共に働く仲間の信頼ってやつか。
個人的に粟屋さん>米原さん>麦みそで好きだったんですが、この巻で麦みそ株が自分の中で高騰中。
あと髪切った米原さん反則じゃね?