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「おたくの娘さん」第九集、読者としての少女、世莉緒の物語

おたくの娘さん 9 (ドラゴンコミックスエイジ す 1-1-9)
おたくの娘さん」9巻見ました。
いやあ。今までは主に叶とコータが主役だったんですが、今回は世莉緒と遙が主役でした。
世莉緒は、以前のコミケで叶がはじめてあった、オタクの同じ年の友達の少女。もう一人の「おたくの娘さん」です。
遙はこれまでもずーっと出ていた、コータ達のいる宿に住んでいる売れっ子同人作家。今回は自らの身分を隠して、秘密サークルとして個人のオリジナルを出店しています。この話がなかなか深くて面白いんですが、そちらは今回置いておきます。
ちょっと世莉緒という少女の話をします。
 

●明るくて元気なオタクのわたし●

世莉緒は、叶にとって非常に貴重な存在なわけですよ。
オタク趣味を持っている父親コータ達の、まあちょっとずれた世界の中でどうすればいいか分からない時に、自分と同じ視線の高さでいてくれる本当にレアな女の子です。
しかも自分よりもオタク文化を楽しんでいて、イキイキとしている。
ああ、こんなに楽しくていいんだと。彼女の存在は心の大きな支えです。
 
しかし、世莉緒と出会ったのはどこかというとコミケだけなんです。
これ分かりますよね。
コミケ会場は非日常。つまりコミケの自分=本当の自分とは限らない。
世莉緒は「優等生オタク」なんかでは決して無かった。

コミケ会場で、明るく元気な彼女。
しかし普段はおとなしくて人に話しかける勇気も無い内向的な子でした。これには驚いた。
上のコマにもありますが、本当の意味で内気な子なわけではないのです。じゃなきゃコミケで叶とあんなに楽しく出来るわけがない。ただ、居場所が分からなかったんです。
 
ぼくは、「自分が好きなモノを好きと言えるようになる瞬間」を描いた作品がもう、キャラがもう、大好きで大好きでならないんですよ。
恋愛を告白するよりもそれは勇気のいることな場合すらあります。
人生で、誰にも言わなくていいや、墓の中まで秘密にして持って行こう、そんな人もたくさんいます。
世莉緒はそういう子でした。ただ、コミケという非日常、自分を知らない人しかいない世界ではそれを開けていた、開いていた世莉緒のことを叶は見ていたんですよ。
 
叶は間違いなく世莉緒に救われていました。彼女も真面目で真っ直ぐな子だから、どうすればいいか分からなかったんです。でも世莉緒の存在によって、オタク文化に対しての許容幅がガンと広がり、安定した自分の位置取りができるようになりました。
 
ところが世莉緒もまた本当の意味で救われていたんですよ。
ああ、自分は「好き」でいていいんだ。自分から拒絶する必要はないんだ。
見えなかった彼女の苦悩がこの巻ではがっちり描かれています。それが遙の創作とからみ合って昇華されていく様は圧巻。コータと叶の本編とは直接関係ないサイドストーリー的なものですが、これは本当に是非読んでいただきたい。
 
「好き」に境界線なんてない。何もかも退ける必要はない。
思っているよりも、世界はあったかい。
そう言ってくれる作品が僕は好きです。
 

●大切な存在、「読者」●

さて、同人活動・商業活動において重要なのはもちろん描く作家。作家がいなけりゃはじまらない。
しかし「読者がいなけりゃ終わらない」のもまた事実。
作家がいて、読者がいる。それが一番大事な関係です。
世莉緒の存在はいままで描かれなかったこの部分をしっかり描写しました。
主人公のコータはなんだかんだで消費型オタクでありつつも、クリエイター側なんですよ、アシスタント業やってますし、コミケでは自分で出店していますし。
叶はそこまではまりこんでいないので読者・クリエイターどちらでもないフラットな立場。
純粋な「読者」としての存在が世莉緒なんです。

この言葉は、キますね。
「漫画読み」なんて言葉そのものは特別な意味のある言葉ではないかもしれませんが、今の彼女は「漫画を読む立場」です。だから遙やコータが「作家」なら、世莉緒は「漫画読み」という役職にあると言っていい。
 
自分なんかはいわば読者なわけです。
たかが読者、とやっぱり思っちゃうんですよ。描く人ってすごいよなあ、自分なんて一介の読者だしなあ、と。
同時に、自分の思いにあわないからもう読まなくていいやとか、読者であるがゆえの逃げも入り始めます。
それでもいいと思うんです。
ただ、この作品は世莉緒というキャラを通じて言います。
読者と作者は同じくらい大切なんだ。その中で創作活動が行われていくんだ。
 

世莉緒のこの笑顔は、とある作品に向けられたものでした。
こんな顔見ちゃったら……ねえ。作者ならばこういうでしょう。
「冥利に尽きる」
この笑顔があるから描く、という作家さんもいるでしょう。
売れるから描く、という作家さんもいるでしょう。
描きたいものを描く、という作家さんもいるでしょう。
いずれにしても「読者」の存在は絶大。
 
読者としてのプライドを持ってもいいことや、読者であることの大切さを世莉緒は教えてくれました。
最初は叶の補助キャラ的な存在だった彼女が、よもやここまで漫画読者に限りなく近い存在になるとは思いませんでした。今まではコータ視点でこの話を見ていましたが、今回はすっかり世莉緒視点で読んでいました。
自分は好きなモノを好きと言えているだろうか?
読者として胸をはって、一生懸命楽しんで読めているだろうか?
世莉緒はぼくにとってちょっと特別なキャラになりそうです。
 

遙は今回めちゃくちゃかわいいんですが、同時に漫画を描く人には強烈に重いキャラだと思います。「50点」の話は是非読んで欲しいです。
今までも面白かったですが、ネタだけではなくここにきて「漫画にいかに接するか」がガチンコで描かれてきていてものっすごい面白い。カウンターになっている遙の売り子の男の子の意見も興味深いです。
モノを作る・受け取るって難しいなあ。でも好きなんだよね。だからやるんだよね。