たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「好きなもの」を信じる力はどこから生まれるもんかのう

たまにはコラム的なものをだらだらと。
え、最近いつもコラムじゃんって?
はい。
 

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ぼくの基本スタンスは「好きなものを楽しもう」です。
といってもスタンスってほど考えてるわけじゃなくて、単にそういう生き方してきたってだけです。
「好きなものを楽しむ」ってすっげー当たり前のことなんですが、それができなかったんですよ、昔は。
何回か書いてきてましたが、昔は強烈に隠れオタでした。まあ漏れてはいたかもしれませんが、少なくとも共有する相手がいませんでした。
まあ、まだインターネット黎明期どころかパソコン通信時代は、それはもう必死にテレホタイムにつなぎまくってこっそり「エヴァのあれがどうのこうの!」ともめあったものです。
日常生活では出せないのな。
そして「好きなものを隠す」のが日中は癖になってしまっていたため、なんだかぎこちない生活を送っていました。
というか「好きなものは卒業しなきゃいけないんだろうなあ」と思ってました。
このくらいの年齢になったら、捨てないといけないんだろうなあと。
 

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逆でした。
もちろん成長してある程度卒業せざるをえないものはいくつもありましたし、「仕事」という存在で割り切らねばいけないものもありました。
それをも超えて、年を経るにつれて「あ、ぼくこれすきでいいんだ」と思えるようになりました。
大人になってもう何年もたってからですよ。
青春くるの遅いよ!
でもまあ、中学・高校・大学時代完全なる隠れオタだったので、その分埋められなかった青春が一気に埋まった感じでした。
アニメ・漫画・音楽・映画……。好きなものゲージがどんどんあがりはじめました。
 
お金が自由に使えるようになったのもでかいですが、ネットで同好の志に出会えるようになったのが一番でかいです。
「こんなもの(って当時は思ってた)を好きでいちゃいけないんだ」と思っていたのを、のびのび楽しんでいる人がいる。
ぼくは楽しんでいいんだ!
おめでとう!おめでとう!
ありがとう!
 

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その後、逆の悩みにぶつかっております。
ネットで意見交流がしやすくなるということは、その分ノイズが増えるということです。
大好きな作品に対して「好きじゃない」という声も耳に入ります。目にします。
無視すればいいんですが、好きなものへの「ヘイトのエネルギー」の持つ負のオーラって半端じゃないんですよね。
正当な評論であればいいんですが、一言で悪口を言うのもお手軽になりました。
嫌いなものの悪口に全力を注ぐ文章なんかにぶつかってしまうと、すごいゆらぎます。
あれ、ぼくはこれ、好きでいいんだっけ?
好きになったらいけないんだっけ?
 

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まー、今になって思えば「反論があるのは注目されているいい証」なのでそれでいいんですが。
というかないほうが気持ち悪いですし。
とはいえ価値観のぐらつきは、かつての自分のモヤモヤした隠れオタ時代の鬱屈とぶつかりあって本当に悩まされます。
好きなものの悪口(評論ではない)ってとことん苦手なのですよ。できれば見たくない。
「おれがすきなんだからいいだろ文句あるか」と図太くなれればいいんですが、「自分が好きなもので人に迷惑かけてしまうんじゃないか」とわけのわからない自己嫌悪にまいっちゃうんです。
すごいめんどくさいヤツだな!
 

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いろいろな人に支えてもらって、結論は見えるようになってきました。
好き嫌いは人それぞれ。あとはどのくらい自分を保てるか。
気持ちが傷ついてゆれるようなら見なければいい。
 
そして、好きなら「好きだ」と言葉にしよう。
言霊じゃないけど「好き」というと自分が確認できるから。
それでもまだやはりゆれることあります。レーダーを高く立てて感覚を尖らせればゆれやすくなりますし、図太くなれば感性がゆるくなるので一長一短。
どのへんで自分が自分を納得させるか、それには絵を描いたり、文字で書いたり、音楽にしたりするしかないなあと。
 
そんな思いで「好き」だと思ったらとにかく書こうと思うようになりました。
 

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自分の感性を信じないと、その感性がかわいそうだ、とは思うんですけれども。
なかなか自分の感性って信じられないです。本当に不安になる。
だから「なぜ好きか」を追求するようになるんですが、最近になってちょっと考え方変わりつつあります。
「なぜ好きか」を知るのは大事なことなんですが、もっとアバウトな直感を信じたいなあと。
今でいうと、「けいおん!!」とか「まどか☆マギカ」とか「みつどもえ」とかが大好きなわけですよ。
理屈で説明しろといわれたらできるんだけど、それは理屈でしかない。
 
違う、違うんだ。
あの一瞬に「好きだ!」と思ったんだろ?
「楽しい!」と思った瞬間があったんだろ?
その直感を信じろよ。
理屈は後でいいじゃないか。
人の意見に支えられている「好き」もあるけど、自分の「好き」を信じようよ。
そして人の好きなものを分けてもらおうよ。
やっと自己肯定できた感じに来るまで、長かったー。
 

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今でも、好きなものの悪口を聞くのは好きではありませんから、避けています。
嫌いなものももちろん自分にもありますが、好きな人がいることを考えてなるべく言わないでいます。
(ゲームの致命的なバグなど、「情報」は除く)
とにかく、自分持っている時間、限りある時間は全部好きなもので埋め尽くしたい。
次の「好きなもの」で満たしたい。
足りない。それだけじゃない。
今まで愛していたもののことも大事にしたい。ずっと好きでいたい。
今でも「おジャ魔女どれみ」や「パトレイバー」や「ナディア」はぼくの宝物です。
「なつのロケット」「サナギさん」「わずかいっちょまえ」などの本は、読んでほしい人にプレゼントしてます。
 
好きなものを信じる手段がほしいから模索するし、もっと気軽に好きだと思って自分を受け入れたい。
いい加減いい大人なんですが、その「好き」の肯定まですっっっっっっげえ時間かかりました。
まだ旅の途中です。
多分ぼくは評論家とかになれないと思います。
でも自分のために「好きなものは好きといえる」日々を守るために、言葉にする努力をしたいなあと思ったりします。
「○○が好き」っていうのはなかなかいいなあ……作品に対する告白だもんね。
あっけらかんと言える人はすごい。自分は時々、「好き」というのに努力が必要になります。
でも言葉のパワーは偉大。揺らいだらその分「好きだ!」って言い続けたいなあ。
 
精神と労力は大人の心得で。
でも感性は子供のように素直でありたい。
ありたいんだよ。