たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「まどか☆マギカ」が描く少女至上主義 〜少女の感情は救いをもたらすのか〜


やあ! みんな大好きキュゥべえだよ! エントロピー
みんなぼくのことをボコボコにしたいとか言ってるみたいだけどぼくは宇宙のバランスのために頑張ってるんだよ。
むしろ褒めてもらいたいね!
 
あいかわらずキュゥべえのムカつきっぷりが愛しいですね。
ここまで明確な「悪人」がおらず、その行き場のない怒りをぶつける先がこの生き物になるというルートにまんまと流される作品なかなかありません。ボコボコにしたくなるのは計算済みなんでしょうか、でしょうね。
ああもうほんと、歴史に名を残す淫獣だなあ。
好きか嫌いかといわれたらめちゃくちゃ好きです。
でも側には来ないでください。
 
さて、9話ですがキュゥべえさん無い株をさらに下げますね。
いまだったら八九寺真宵柊かがみの声と差し替えられてもモヤモヤしそうな気がします。
そして不安をかきたてすぎな小物の数々ときたら。

なんでまどかの部屋こんなに椅子だらけなん。しかも全部まどか向いてるし。「ぼくらの」的な!
こういう心象風景と現実の境界線を作るのが本当にうまい。もう理屈の世界じゃなくなってますね。
一応、まどかが寂しくて仕方ないからぬいぐるみを椅子に載せて自分を囲んだ・・・とも見えますが・・・こんなに椅子は、ねえ。
あと気になったのこれ。

一回気になったらドクロにしか見えないんですが。
ちなみに蛾です。
もうどこまでが「考えすぎ」なのかわからない。
全部少女たちが見ている感情の世界なんでしょうねえ。
というわけで、9話からちょっと「少女の見ている世界」と「僕らの見ている世界」が違うという話。
ネタバレ有りなので収納。
 
 
 
 
 
 

●視野が狭いところに惹かれるんだよ、人間て●

エントロピーの話が各所で話題になっていましたが、個人的にはそれどころじゃなかったので「うん、わからん!」という感じでした。
まあ、ある方がおっしゃってましたが、ファンタジーであふれた世界、それこそライフルやマシンガンじゃなくてマスケット銃で戦うような非合理的な世界に、突然妙なリアリティあふれる言葉を挟まれてもなあ、という意見はたしかに出るだろうなとは思いました。
でもなんだろう、自分の見方が「のめりこみ」型なので、エントロピーとかなんてぶっちゃけどうでもいいんですよ。

敬愛する先輩が目の前で残虐な死に方をし、自分は一度は親友を殺しかけ、今回は魔女になった親友とその亡骸に対面する羽目になって、でも誰にも言えないとかさ。
まどかこの状態で精神的に崩壊してないだけすごいですよほんと。ぼくなら発狂しかねない。
そこにキュゥべえがやってきて「君はエントロピーって言葉をうんちゃら〜」とか言われて理解できるかっつーはなしですよ。

むしろここで「あなたは一体・・・」と話せるだけ強靭だと思うんです。
 
一応ぼくらは第三者で、この世界の出来事が現実に起きうるなんて思いもしないので冷静に巻き戻しをしながら「キュゥべえの言うことは妙だなあ」とか考えられるんですが、まどか目線ではそれどころじゃないですよね。
一番最初見たとき、もう自分も何がなにやらさっぱり分からなくて、「こんな状況でそんな事言われても・・・」というのが正直な感想でした。
自分は少女じゃないですが、この作品少女の目線に視聴者を引き込むだけの演出が本当に細かくなされていると思うのです。
まどかが「怖い」と思えば視聴者も「怖い」と感じる。さやかが「辛い」と感じれば視聴者も「辛い」と感じる。杏子が「悲しい」と感じたら視聴者も「悲しい」と感じる。

一旦呼吸を置いて、どうやったら都合よく物事を成し遂げられるかを考えると、この作品自体見え方はガラっと変わります。
もっと効率よく逃げる方法はあるでしょう。
諦めて時間をおいたほうがうまくいくでしょう。
四の五の言わずにキュゥべえをほおり投げればいいでしょう。
よそにいけと言えばキュゥべえだってよそに行く、はずでしょう。多分。
いや、どうかな。
とまあそういう「冷静に考えれば」が一切少女たちは出来ない状態になっています。
でもこの錯乱と視野の狭さってめちゃくちゃ人間味溢れている気がするんですよね。
中学生の女の子たちに、宇宙の規模とか合理性の話されたって、目の前で起きている友人の死や、自分が巻き込まれそうな絶望的な未来でいっぱいいっぱいなのあたりまえですもの。
 
まどかも、さやかも、杏子も、視野はすごく狭いです。少なくともキュゥべえが見えない大人のぼくからしたら、狭いことこの上ないです。一旦落ち着きなさいと言いたくなる。
だけれどもその視野の狭さこそが感情の熱さと力。
実際、アニメを見てみたらさ。
冷静な判断よりも、彼女たちの激情が心を打つじゃないですか。
 

●少女の感情のエネルギー●

キュゥべえがひとしきり語った後に、まどかが「そんな訳の分からない理由で」「みんな騙されていただけじゃない!」と言うシーンが好きです。すごい演技で飲み込まれたよ。
そうなんよ。キュゥべえ的には「合理的」「あくまでも同意を前提として契約している」という、至極まっとうな意見があがっています。そうなんですよね、そのとおりなんですよ。断ればいい。
「69億人いるなかで一人死んだって」理論は、昔から語られている犠牲や生贄理論とも似ています。
まあこれを聞いて「はいわかりました」となる人はほとんどいないですわな。少なくとも今の世の中では。

「この宇宙のために死んでくれる気になったらいつでも声をかけて、待ってるからね」
キュゥべえはどこまで迷言を残すんでしょうか。
この虚ろなまどかの瞳が痛々しいです。
 
ここで興味深いのは、なぜ「魔法少女」にこだわったかの正体でした。
「とりわけ最も効率がいいのは、第二次性徴期の希望と絶望の相転移だ」byキュゥべえ
なるほどね、少女の感情が最強なんですね。
 
あんまり詳しいことしらないので細かく書くことはできませんが、古代から現在までなぜか高まり続けている処女崇拝的な匂いは感じます。

ちょっとこの本に載っていた沙村広明先生と森馨先生の対談より。

沙村「処女と言っていちばん萌えるのは、戦争とかで処女のまま死んじゃう人たちっていっぱいいるじゃないですか。そういう、処女のまま、綺麗なまま死ぬってスゴイって思うんですよね。尊いものが失われてしまうような感じで。いつかそういうものを描きたいんですが。」
森「誰も見ていないまま枯れちゃう花みたいで、もったいないですね。」
沙村「変な話なんですけど、処女って切手蒐集家にとってのすごく高い切手のようなものなのかな。使わないまま眺めているというのが最高の至福で……。」

沙村「(星新一の「月の光」について)ああいうのはよくわかってらっしゃるというか、言葉は一切教えないんですよね。この子と意思の疎通というのは必要なくて、飼って御飯を食べさせて、髪を梳かしてあげるとか、そういう愛でる行為だけに集約されている。そこはさすがですね。だからわからないのは、自分の嫁は処女がいいとか処女と付き合いたいとか言う人がいますけど、それは本当にわからなくて。処女は愛でる対象であって、嫁にしたり付き合ったりする相手じゃないと思うんだけど。」

沙村「なんだかんだ言って最終的に、自分が見て綺麗だと思う処女性というのは、外部の情報が入ってこない隔絶された環境の中で純粋培養して、自分が与えるもの以外何も知らない状態で育てるというところなのかもしれない。錬金術でいうホムンクルスみたいにゼロからつくって、発生したまま何にも触れさせない状態にして、俺の声以外聞かせないという(笑)」
森「いいですね(笑)自分以外には誰にも会わせないという育て方。育成ゲームみたい。成長がある程度早くて、一定のところで止まると、なおさらいいかも。女の人の少女っぽさって、肉体的なものもあるんですけど、精神とか知恵とか、女社会の社会性がそうさせてしまうところがあるので、何も教えないと結構純粋培養の状態で少女っぽくいられるかも。ずっとそういう状況にい続けてくれればいいんですけどね。」

なかなかに濃い「処女論」ががっちり載っているので、興味のある方はこの記事以外にもオススメ。もちろん実際の処女かどうか、セックスしたかどうかが問題ではないです。イメージや、もっと本能的な部分のはなし。
なぜ世界は処女像や少女性にかしずくのか、あるいはそれを滅茶苦茶に破壊したいと願うのか。
上の沙村先生のコメントは、たしかに沙村節全開で言っていることは業が深いんですが、わからんでもないんですよね。
ベクトルは違いますが「ガンスリンガー・ガール」や映画「エコール」にも通じるテーマの一つです。

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まどか☆マギカ」でも、多くの人が強靭な精神力ですべてを打ち破るスーパーヒロインが生まれ、何もかもを逆転してほしいと願っていることでしょう。
ぼくだってマミさんが復活してくれるなら、してほしいよ!
でもね、どこかでじわじわと押し寄せてくる「破滅」を望んでいる部分もやっぱりあるんです。もういやんなるんですがあるんです。
それは上で引用した沙村先生の意見と同じで、「希望」を持った少女の状態から、「絶望」を覚えた魔女の状態へと落下する「もったいなさ」かもしれません。
変なはなしですが、それこそさやかがこうして魔法少女になってなかったら、まどかも、友人の仁美も、他の多くの大人も死んでいたわけで。
頑固で意固地で気まぐれで視野が狭くて、でも必死だった「少女オブ少女」なさやかに惹かれるのは「共感」だったり「残酷な感情」だったり入り交じって大変です。
まあ物語の作りとしては、そういうのを刺激されるんだから……ほんとまいっちゃうよ。
ようするにこの「まどか☆マギカ」のヒロインたちが少女じゃなかったら・・・成人女性だったらここまで心を揺さぶられたかどうか、という話にもなりそうです。
でもそんな話はつくらなかったでしょうね。だってこの物語においても「少女は特別」扱いなんですもの。
人が少女を見る視線は、やはり何かしら複雑な、一言で「かわいい」とかいいきれない悶々とした感情を背負っているのを浮き彫りにさせられます。
キュゥべえっという、感情のない鏡によって。
 

●完全なる少女としての杏子●

さやかは少女性を自己否定(人のために、という思いが自分のためになっていたことなど)によって失い絶望し、魔女になりました。
とはいえ、魔法少女になるのって・・・すっげえ恥ずかしいことなのね。
ハートキャッチプリキュア」の「デザトリアン」状態。心のなかダダ漏れ

LOVE Me Do \(*~3~*)/

まどか語で「LOOK AT ME」。
この「私を見て」という渇望はあまりにも切ないですがなんというかこう……は、ハズカシイ。
泣けるシーンですが、天国でさやかは「やめてーーーもう見せないでーー!」と悶絶していることでしょう。
ヒドイハナシダナ。
 
さて、もう一人の魔法少女杏子はさやかと正反対の性格の持ち主でした。
でも本当に?
実は対極になっているだけで、同じ感情の持ち主だったことがわかる演出には、やられますよ。ずるいよねほんとうにさ。

あの魔女を倒したらポロッとさやかのソウルジェムが落ちてくるんじゃないかとかさ。
とかさ。
 
ないんだよ。
わかってるんだよそんなの。
無理なんだよ。
じゃあなんで彼女は命を賭してまでさやかを助けようとしたのか。
まずは杏子の感情の動きを追って見ます。
 

これはさやかの死体(正確には魂の抜け殻)をまどかの元に持ってきたときの杏子の反応。
彼女は人の痛みや苦しみを実は誰よりも知っている子でした。
そこに流されて大失敗をしている(契約してしまった)ので、そうならないように拒絶をしてきた子でした。明るくて元気で激しい彼女ですが実はATフィールドはりまくりでした。
彼女が、人一倍強いまどかの激情や、さやかの真っ直ぐすぎて痛々しい様子を見て、元の「少女としての感情」に揺さぶられたのはもっともなことです。

表情の面で言っても、杏子は一番豊かな子でした。
ある意味、最も最後まで「諦めなかった子」かもしれません。いやまあほむらもまだ諦めてないですが。
 
最初から命を捨てる気だったかどうかというと、そんなことはなかったとは思います。
できれば生き延びて、最高のハッピーエンドを迎えたい・・・とは思っていたんじゃないかと。
でも「無理」なのも分かっていました。
キュゥべえが最後のほむホームで「まさか、そんなの不可能に決まってるじゃないか」と言うシーンで殺意が芽生えた人も多いと思いますが、杏子はきっと同じセリフを聞いても同じ行動を取ったんじゃないかと思います。
 

さやかの死体を腐らせないように、わざわざ魔力をつかって保持しているのがなんかもうね。
この時点でキますよね。
ほむらは「邪魔になるからおいていけ」と言いますが、そのとおりなんです。多分・・・わからないですがそんなことほむらも言いたくはなかったでしょうが、そうせざるを得ない。死体を持っていくかどうか、保管するかどうかは「感情」の問題でしかありません。
しかもここで「魔力をつかって保持している=自分の命を削っている」なのです。こうしたことで、いわば「自分のためだけに魔法を使う」という決意が揺らいだ時点で、彼女は魔法少女ではなくなったんだと思います。
うん。
人間になったんだと思います。そう思いたいだけなんだけどね。
 
まどかの立場だったら「私もなんとかしなきゃ」と思うのは必然でしょう。だってそうキュゥべえが追い込んでますもの。
しかしそこで杏子が放つ言葉がタイトルになるとかかっこよすぎですよね。

「毎日うまいもん食って、幸せ家族に囲まれて、そんな何不自由ない暮らしをしているやつがさぁ、ただの気まぐれで魔法少女になろうとするんなら、そんなの、あたしが許さない。いの一番にぶっつぶしてやるさ」

さらりといっていますが、これ全部杏子が失ってきた物じゃないですか。
食べる物もなく、死にそうだった家族。
一家心中してしまった自分の家族。
孤独に戦い続けてきた日々。
見たらすぐわかると思いますが、杏子は別にかっこつけて言ったわけじゃないんですよ。もう本音も本音。そして見ている視聴者の最大の思いの代弁でした。
ならなくていい。キュゥべえの戯言になんて付き合うな。と。
それが本当に戯言かどうかは別にして、ね。
 
ここで思い出されるのは、ソウルジェムに貯まる「穢れ」です。
先程の処女性の話とも絡んできますが、負の感情ともいえる「穢れ」が溜まりきった時に、魔法少女は魔女になります。呪いを吐き散らす存在になります。
分かりやすく「魔法を使えば穢れがたまる」「魔女は人に絶望を与えて自殺を引き起こす」と表現されていますが、負の感情が負の感情を引き起こす連鎖の引き金になるというのは本当に納得。
穢れ無き少女、あるいは処女(性的な意味ではなく心の面で、ですね)がそれを貫いたときに人を救えるとしたら。

すごいなあと感じたシーンです。イメージシーンなんですが、青のさやかと赤の杏子が混じりあい、青のさやかは泡になって消えてしまう。

実際は杏子の流している血なんですよね。
描写的に一瞬経血に見えるのも興味深いところです。
杏子はまさに自分の血と魂を持ってさやかを救おうとしました。犠牲とかそういう観念なしに、彼女の感情として。
 
「救う」って言葉難しいですよね。
場合によっては非常にエゴを引き起こしかねません。
さやかが上條くんを「救おう」としたのが、実はエゴで、見向きもしてくれなかったことで嫉妬が巻き起こったのはあまりにもも悲しい話です。

それがさやかの生んだ魔女の姿に反映されています。
人魚姫ですか。騎士は彼女が望んでいた「悪を倒す正義の味方になりたい」という思い。

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人魚姫についての説明は不要かと思いますが、さやかのいた立場は、実際は自分が助けたのに言い出せず、他の姫に王子がとられ、王子は幸せになって泡になったというあのシチュエーションそのまんまです。
ただし、人魚姫は泡になってもそれを恨まなかった。
さやかは恨んでしまった。
人を救うはずだったのに、自分すら救えなかった彼女のエゴが爆発してしまった瞬間でした。
なんだろうね。死ぬよりきついから、これ。
 
じゃあ杏子もまた「救う」というエゴに飲まれていたのか?
そんなことはない、と信じたいです。
ヒーローイズムに則っていたわけじゃないです。多分杏子はもっと合理的な方法でさやかを倒す手段もあったでしょう。
さやかを救う私かっこいい、ではここまでできなかったでしょう。
もしかしたら魔力の消耗や、今後の自分の人生を考えてこの決断をとったのかもしれません。
でも本当にそれだけなの?
ただひたすらに杏子は、さやかを救いたい、と願ったんじゃないかな。

それが、マミさんが三話で言っていたセリフに跳ね返ってきます。

「他人の願いを叶えるのなら、なおのこと自分の望みをはっきりとさせておかないと。美樹さん、あなたは彼に夢を叶えてほしいの?それとも彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」

完全なる自己犠牲というのは人間には難しいです。
「ひとりぼっちは寂しいもんな、いいよ、一緒にいてやるよ、さやか」
彼女はこのセリフで明確に自分の「願い」を明らかにしていたと思うんです。
さやかを救いたい。
そして自分の孤独から逃れたい。
「一人ぼっちは寂しかった」んですよ。
魔女になるとかならないとか、魔力が後いくらだとか、そういう合理的なものじゃなくて、もっと感情の生み出す非合理的な思いで彼女は決断しました。
だから、惹かれるんだよ。
 
そして、彼女は「永遠の少女」になりました。
 

●人魚姫は救われましたか?●

『まどか☆マギカ』のスタッフ「電車で美少女の女子高生がまどマギの話をしてて超うれしかった」|やらおん!

140 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2011/03/05(土) 16:58:15.44 id:JrbJ8OFP0
9話魔女戦見返してたら……
 
まどかがどんなに声を張り上げても、オクタヴィアは攻撃を止めないけど
杏子が怒鳴り出した辺りでいきなり変化が起きてるんだな……
 
杏子がオクタヴィアの腕を斬る
→杏子がオクタヴィアに語りかけはじめる
→オクタヴィア、床に斬り付ける
→頼むよ神様、一度くらい幸せな夢を見させて……
→魔女空間に恭介の姿が浮かぶ
→オクタヴィアが胸を引っ掻き苦しみ出す
→杏子がトドメの体制に入る
→オクタヴィアの眼に杏子の姿
→杏子が最後の一撃を放つ
→オクタヴィア、剣を下げ腕を開き最後の一撃を受け入れる体制になる
 
「私があんたの邪魔になるのなら、前みたいに殺しにくれば良い。
私は負けないし、もう、恨んだりもしないから」
「悪いね、手間掛けさせちゃって……」
 
さやかはさやかなりに杏子の事を受け容れていて、
最期に、自分にトドメを刺してくれる事を望んだんだな……

これすごいですね。読んで驚愕して見直しました。
深読みしすぎかもしれませんが、そう思わせるだけにたりうる描写なので、自分はこの説を支持したいです。

杏子が魔女に斬りかかって、語りかけ始めたとき、世界が反転します。
表の赤い世界が怒りや嫉妬だとしたら、青い世界は悲しみと絶望かもしれません。

浮かび上がる上條くんの影。
なんかさ、上條くん何にも悪くないんだけどさ。やりきれないよね。ほんと。
この時点で、今まで執拗に杏子を車輪で攻撃し続けていたのに、攻撃の手がやみます。
そう、魔女が「合理的ではない」行動を取ります。

完全に待ってますね。
上の書き込みにある「引っ掻き苦しむ」様子にも見えます。
青の世界に入ってから、実はさやかは一切攻撃をしていません。

そして、さやか=オクタヴィアの瞳に杏子の姿が映っています。
 
さやかが魔女になって意識を持っているかどうかは一切描かれていませんから、推測しかできません。
しかしさやかの魔女空間・・・ようするに記憶中枢の世界の中で、ワンカットこんなのが挿入されているんです。


杏子だよ!
私服ですから、反射しているわけじゃありません。記憶の中なんです。
ああ、そうか。
さやかは杏子のこと、ちゃんと覚えてたんだね。
反発して、文句ばかり言っていたけど、杏子がさやかのこと助けてくれたのも分かっていたんだね。
 
杏子が助けた後、もしさやか側がそれでもかたくなに「あんたなんかに助けられたくなかった」とか思っていたらどうしようかと思いましたが、そんなことはなさそうです。
杏子の思いは、さやかにも届いたはず。
杏子は人魚姫ではなかった。
聖女? ううん。少女だった。

人魚姫は本当に幸せだったのか、それとも不幸だったのか。それはいまでもぼくはわかりません。
しかし杏子とさやかは最後の最後で「一緒にいてくれる」人に出会い、そして未来を憂う必要がなくなりました。
死ぬのが幸せだなんて思わないですが、さやかと杏子は最悪の事態ではなく幸せになった、と思いたいです。
後悔も多々あるでしょうけど、後悔のない人なんていませんもの。
今pixivなどではものすごく多くの杏子とさやかのイラストがアップされています。
すごく気持ちわかります。表現せずにはいられない。
ただ、それはジャンヌ・ダルク的な英雄としてではなく、もっと単純でもっとはっきりとした「これが幸せであってほしい」という切なる願いのあらわれなんじゃないかな。
 
そんなわけで。

ぼくは今後だんごはバルログ持ちで食べようと思います。
 

二巻の表紙、今見ると切ないですね。BDもコミックスも。