たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

めんまの最近は、楽しいコトばっか!「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」第二話

「あの花」二話見たよー。
いやーよかったですね。

「のけぞりモンスター 金」な!
略して「のけモン」っていやすぎるタイトルですねほんと。
ちなみに「ポケットモンスター金」が出たのは1999年11月。まさに10年前ちょっとで、子供たちが夢中になっていた頃です。
金・銀のクリスタルバージョンは2000年末発売。
ぼくはポケモン世代じゃないんですが、ケーブルで交換するのを見てハートに来た人多いんだろうなー。
<追記>
「五年前」設定!?(ゲームショップでのセリフにて確認、作中では明言なし。小説版は小学五年生で、5年前。)
だとしたら「ですよ。」や「ボーボボ」が2007年なのでしっくり納得。
ちなみにポケモンエメラルドは2004,パールは2006年発売。
整合性はまあ重要じゃないのでおいておくとして、このへんどう描かれるか気になるところ。
 
さて、今回は物語的に大きな動きがあるわけじゃないんですが、人間関係的にはすごい動きのある回でした。
過去の美化ではなく「今の美化」を描いた、という点で二話目にして大きな価値があったと思うのでちょっと綴ってみます。
以下、ネタバレありなので収納。
 
 
 
 
 
 
 

●世界は閉じなかった●

じんたん、ゆきあつ、つるこ、あなる、そしてめんま
この5人は秩父の街から出ていません。ゆきあつとつるこはエリート校へ、あなるはギャルっぽいノリでレベルの低い学校へ、そしてじんたんも同じ学校に行って不登校に。
彼らは10年経ったけれどもとにかく世界が狭いままでした。
しかし、ここに世界をがっつり切り開く子が出てくるんだもんなあ。
 
ぽっぽです。
髪の毛いがぐりからもさもさになっても一発でわかるデザインはすごいですな。
彼はいわゆるバックパッカー。日本にいるときは廃墟化していた子供の頃の秘密基地に住み着いて暮らし、新聞配達のバイトでお金を貯めています。
そして高校には行かず、卒業して世界中を飛び回っているという規模のデカさ。
いやあ……一話の時は「この秩父の町が世界の全て」みたいな描かれ方していたのに、ぽっぽの存在で一気にひらけたよ!
 
実際、見ての通り図体はでかくなりましたが全然変わってないんです。
変わったけど変わってないんです。
変わったのは「視野」
他の秩父組4人に比べたら視野の広さは桁違いです。世界地図に付けられたマークの多さときたら。
海外旅行に行ったからって人間変わるのか、と問われたら変わると答えたいです。少なくともぼくはそう。
言葉も通じない場所に身一つで飛び込むことは、ある意味無謀、ある意味冒険。大人になってもね。でも「意外となんとかなる」「世界はこんなに楽しい」と、今を楽しめるんです。過去にしがみついて苦しんだり悩んだりするのが馬鹿らしくなる。世界中にこんなに沢山の人がいていろんな生活があるのに、ってなる。
変わってないのは「楽しむ心」
童心に帰る、なんて言いますが、ぽっぽは童心そのままなんですよね。楽しい物は「楽しい」、面白いものは「面白い」と言える。
子供の時に「すげー!」と言っていたことって、何がすごいのか?
目の前にある「今」が「すげー!」なんですよ。
ぽっぽは子供の時、じんたんを本気で「すげー!」と言いました。そして今、目の前にいるじんたんに「すげー!」と言います。じんたんからしてみたらぽっぽの方が何百倍もすごいんですよ。だって自分は引きこもり、ぽっぽは世界旅行者ですよ。でもぽっぽは「すげー!」って言います。心から。
これが、じんたんのルサンチマンをナタでばっくり割ってくれます。本当に爽快!
よかった。
世界は閉じなかった!
 
ぽっぽのいいところは、素直に「すげー!」と言いつつも、相手の気持ちを思いやれる大人らしさを兼ね備えたところだと思います。
中盤、ちょっと説明しづらいというかはっきり描写されていないのですが、ゆきあつと話をしたことをじんたんに言えないシーンがあります。
これ、きっとゆきあつとじんたんに対して何かしらの感覚が芽生えたから何だと思います。世界規模の視野を持てる人間でも、人間の持つ痛みや辛さは共感できるんですよぽっぽ。
学校での出来事にぽっぽは絡むことが出来ませんが、ゆきあつ、あなるあたりと邂逅していく鍵になる、非常に重要なキャラになるでしょう。
そして。ぽっぽがこのままポジティブなキャラでいるのも見たいけど。
ぽっぽが強烈な爆発をするのも見たい。
まだ、わからんよね。
この作品に関してだけ言えば、本音でぶつかりあってドロッドロのケンカをするくらいで丁度いいと思いますし。というかもうドロドロか……。やっぱぽっぽはそこからみんなを引き上げる役になるんでしょうか。
首にぶら下げたものが、ひどく気になるので……ね。
 

●高校生カースト制度●


右:「股の緩そうな」女(byつるこ
左:股のゆるくないあなる。

すっごい表現だなあ、「股の緩そうな」って。
左にいるあなる……現在は安城鳴子ですね、は、右側のガチンコギャル達にくっついて、それっぽい服装、それっぽい生き方をして暮らしています。
面白いのはあなるが昔から「流されやすい子」だったという点。
子供の頃はめんまに憧れ、めんまみたいになりたい、と思っていました。そして今はギャル仲間達みたいになりたいと流されている。
変わったけど、変わってない。
変わったのは「憧れの対象」
いや、別段憧れているというわけでもないでしょう、ギャル達は。ようは輪の中にいたいというだけ。交友関係が変わっただけ、という方が正しいかもしれません。
変わっていないのは「好きなものを大切にするところ」
流される、っていうけど、それって「大好きなものを大切に思える」ってことなんですよね。これは後述。
 
問題はこの後の会話です。
 
あなるとギャルの会話で「引きこもりの相手させられて最悪」というのがありましてん……刺して来るねえ。
「今頃鳴子でエロいこと考えてるよ? 絶対」「うっわありそー」
うぐぐ……顔を上げられない。
でもじんたん、確かに一話でルサンチマンの塊で、すごくドロドロしていたけれどもさ、あなるに対してそういうことしてないよ。
いや! もしかしたらエロいこと考えたかもしれないよ、若いんだもん、男の子だもん。
悪いことか!? 笑われることか?!
そうなんだよ。「引きこもり気持ち悪い」というレッテルを貼ることで、彼女たちは自分たちを一個上の段階に上げているんですよ。
私たち>引きこもりのじんたんって。
 
というのも次に続くつることの会話でみえてくるものがあるからです。

エリート校に通うつるこは、「話してるとこ、誰かに見られたら恥ずかしいし」というのです。
カースト制度、できてますね。
つるこの学校の生徒>あなるの学校の生徒>引きこもり
誰かを下げることで、自分の位置を保っている。つるこは多分気づかないうちにそうしている。
いや、気づいて、自分の心を保つためにそうしているのかもしれません。
 
ここまできて、ルサンチマンの塊だったじんたんも、「股の緩そうな女」と言われたギャル達も、あなるも、つるこも、みんな「自分」を保つのでいっぱいいっぱいなのが分かります。
いいとか悪いじゃない、そうせざるを得ない状態に陥ってしまう高校時代の痛みです。
ここを、自分の今に重ねてみる人と、高校時代の自分に重ねてみる人で見え方変わりそうです。自分は後者。
まあまあいい学校行ってましたよ。だから他の学校の悪口言っちゃうつるこの気持ち分かってしまって嫌になる。
そして学校でうまくいってたかというとそんなことなく灰色状態だったから、じんたんのルサンチマンっぷりも分かりすぎて嫌になる。
誰がいい、誰が悪いじゃないんだよ。
カースト制度を作ってしまう時期があって、みんな痛い思いをするんだよ。
 

●あなるの大切な物●

この作品の面白いところは、基本じんたんの一人称視点で話が進むのに、その他のキャラ……めんまだったりあなるだったりに視点が移動するところだと思います。今のところこの三人で回している感じで、ぽっぽやゆきあつやつるこは外部キャラですね。
本当はじんたんのモノローグのみで進んでいく方が正しいのかもしれませんが、あくまでも多角的に今と昔を見ることに焦点を当てたため、視点の切り替えがガンガン入ってくるようになっています。そしてこの演出が功を奏してします。
今回はあなる視線が非常に多い、モノローグだけじゃなく、匂わせ方も。
あなるの匂わせ方ってひどいねなんかね。
 
まずいいなと思ったのはここ。

ギャル達がカースト制度に則って、引きこもりなじんたんを嫌がるのに対して、じんたんの気持ちがわかるというのを暗にほのめかすシーン。
じんたんが学校に行けないこと、めんまの出来事を引きずってダメージを受けていることを感情移入出来ているんですあなる。
いや、正確に言うともっと違うか……あなるもまだ、めんまのこと引きずっているんです。
それをインナーに閉じ込めたじんたん。
上からかぶせて隠しているあなる。
 

あなる「死んだ子の名前、軽々しく口にすんな!」
つるこ「自分で言って自分で辛くなるなんて、救えないわね本当に、あなたも、ゆきあつも」

めんまのことを、10年越しに語って感情的になるあなる。冷静に「救えない」と言い放つつるこ。この対比は面白い。
つるこは現時点ではどういうキャラか全く描かれていませんので、何を考えているか分かりません。ここはあなる目線なので「つるこは過去の出来事を完全に封じ込めて切り捨てた」と感じているように見えます。
先ほど書いたあなるの「変わっていない」ところはここだと思うんです。
 
あなるは「好きなもの」がたくさんある子の代表選手みたいなキャラだと思います。
 
好きなモノが多すぎて、コンプレックスに苛まれ、でもやっぱり好きで。
今から昔に戻ったこのシーンのこの顔、ずるいよ……。
 
あなるの「好きなもの」。
おしゃれ、美味しい物、ゲーム、おもちゃ、漫画。
じんたん。
めんま
 
今のところ、部屋に「10年前」の写真を飾っていたのはあなるのみ。
うまいよなー。「手前にタイヤが写っている=セルフタイマー」ですよ。本当に「私たちだけの写真」なんですよ。
ぽっぽは弟分だから手前、じんたんはリーダーだから中心。
そして、あなるは。
めんまのすぐそばにいました。
家にいるときは、他の子に合わせる必要がないから昔と同じ野暮ったい眼鏡。

そんな野暮ったい眼鏡がいやで、クセッ毛がいやだった子供時代。
めんまは髪の毛がとてもきれいで、かわいくて、あなるは憧れていました。
子供の頃の憧れと嫉妬は紙一重。
 
ここすごいよ。

めんまが仲良しの証に、あなると同じシールをゲーム機に貼ろう、って提案するシーン。
あなるは、それが嬉しいんですよ。
嬉しいんだけれども。

あなる「めんまが大好きなのに、だいっきらいで」

ほんとすごいよ。よくこれ描いたよ。
貼ってくれためんまのシール、子供時代のあなるは剥がそうとするの。
子供の頃の憧れと嫉妬は、本当に紙一重。
 
実はちょっとこの作品に対して危惧があったんです。
「やっぱり昔はよかったね」で終始してしまう、過去の美化にならないかって。
ならなかったね。
むしろ子供時代にこそ起きる黒い部分、ちゃんと描いてくれたね!
あなるのこの「シールを剥がそうとした気持ち」、もう分かって仕方ない人多いと思うんですよ。そうなんだよ、大好きで憧れている人ほど、なんだか妬ましくて、悔しくて、腹立たしくてさ。モヤモヤ抱えるんだよ子供心に。
年を経て「その嫉妬も含めて、大好きだったんだ」と確認できるのが成長ですよ。
 
今、あなるは「大好きなもの」「大切な物」を最も守る子になっています。

これすごいよね。ゲームは箱に入れて管理して、衣装ケースにきっちり収納。10年前のだよ?
それどころか「ラブ&ペリー」や「ウシキング」みたいなカードゲームや「ボボーボ」のマンガまでちゃんと整理して取ってるんですよ。もうここで泣いたね。
なんだろうなあ。
昔好きだった物って、やっぱり年をとると捨てざるを得ない事って多いわけですよ。ましてや子供時代に遊んだ物って、高校くらいだと一番「いらない」って感じる時期。捨てたりあげたり売ったりしちゃいますよ。
でもね、あなるはちゃんと取ってるの、整理して。
大好きだった、って気持ちを、すっごく大切に取ってるの。
それをさ、クローゼットの中にしまってるでしょ。これ見られないようにじゃないですか。友達来ても、これなら分からないよね。
なんかもうこれ見たらこみ上げてきちゃって。
ぼくも子供の頃遊んでいたおもちゃたくさんありました。でも捨ててしまいました。
だけど、大好きだった絵本セット……それはもう見すぎてボロボロできたなくて廃棄物にしかみえないものなんだけど、大人になってからもこれだけは捨てられなくて。
今も倉庫に眠っています。
今、それが好きかどうかは分からない。けれど「かつて大好きだった」気持ちを否定したくない。
 
大好きだった、めんまのことも。
 
あなるは、本当に、本当にいい子だよ。
 
ギャル友達からは卑下されていたじんたん。
あなるはじんたんをすごく気にかけつづけている描写があるのもいいですよね。
 
偶然ショップで働いていて、おどおどしているじんたんに向かって何か言おうとしているあなる。
でも言えない。まあ、そうよね。
ただ、子供の時と違うんです。やっぱり「今」なんです。
子供の時はめんまやじんたんに色々なモヤモヤがあって、それをうまく吐き出せないまま曲がってしまって、後悔し続けていました。じんたんと同じように。
だけれども、今は行動できる。
そして、言える。
一話では「あんたみっともないよ!」とはっきり言いました。

そして二話では引きこもりのじんたんに「学校来なよ」と言いました。
今も、あなるにとってじんたんは、じんたんなんです。ぽっぽと同じ。
子供の時は盲信だったし、うまく歩み出せなかったけれど。今なら踏み出せる。
そもそも「めんまのため」と聞いたら、子供時代ならあなるは手伝わなかったかもしれません。

でも、今はめんまのためと聞いて、ちゃんと手伝ってくれた、必死に手伝ってくれた。
まあ必死にっていってもさ、ゲームなんだけど。だけど「あなる」って名前で呼ばれて怒っていたのに、めんまのためと聞いたら「あなる」と言われても怒らなかった。「じんたん」って呼んだ。
童心に帰った。そう、帰ったよ。
でもそれだけじゃない。成長したから、童心を大切にできるんだ。あなるはそういう子なんだ。

だから、こんなに笑える。
この笑顔は、この瞬間は、3人とめんまにとっての宝物になった。まさに、「今」。
ケーブルで繋いだゲーム機は、私たちの絆。
 

●じんたんの闇と光●

今回は話があなる中心なのですが、もちろんじんたんの成長も描かれています。
そもそも引きこもりで人と会うのが苦手なじんたんであるのは変りないんですよ。ぽっぽとあなるが今回一緒だったのでなんか明るく見えましたが、基本は。

こうだもん。
あなる目線から見たじんたんがかっこよく映るのは当然だけど、客観的に見るとやっぱりじんたんは「昔は輝いていて、今はくすんでいる引きこもり」であることに変わりありません。
 
脱線しますが、この作品こういう「外から見た」「自分から見た」の差の描き方が本当にうまい。
めんまという、キャラデザ的にも浮世離れしたキャラがいるせいもあるのですが、成長して自分を客観視出来ている自分感情的にパニックになっている自分の比較を的確にいれてくるんですよね。
上のじんたんのカットなんてまさにそう。じんたん自身が「あー、俺こう見えてるんだろうな、だっせえな」というカットです。

あなるの場合はこれでしょうか。
感情的になって泣き出してしまい、しゃがみこんでいる。ここにめんまが映っているからそこそこにいいシーンに見えますが、実際はめんま見えません。
歩道に座り込んで泣いている自分。通り過ぎるサラリーマンは気にもとめないそんな瞬間。これ……恥ずかしいよね。
両方が見えて、そのなかで「自分はどこにいるんだろう?」を懸命に手を伸ばし求めていきます、どのキャラも。
 
話を戻します。
じんたんはまだ、めんまのトラウマから脱しきれていません。そもそもめんま自体をまだ幽霊だと認めていませんし、幽霊とは本作で一切語っていません。自分がトラウマによって見ている幻覚だろう、あるいは思いが強まりすぎて生まれた存在だろう、と。
この見せ方によって、「幽霊だから成仏が目標」という安易さをうまく回避しているのも演出としてうまい。見ている側としては「幽霊」なんだろうなあと思ってしまうのですが、おそらく最後の最後までそう言わないんじゃないかな?と思ったりします。違ったらスイマセン。
なんでかというと、じんたんにとって「幽霊」の一言でくくれるほど認めきれていないから。そんな簡単に割り切れていないから。
 
じんたんはまだ、暗闇の中にいます。だけど前に歩けば光もさして来る。
彼が引き篭っていた生き方を一切否定しない。それでもちゃんと前に進めば「今」が手に入るんだよ。まぶしい光が見えるよ。
 
めんまは「ですよ。」が大好きだったようです。
時期的に「ですよ。」は2007年くらいにブレイクしたので、年代的にあわないんですが、まあいいですそんなのは。

「ですよ。」のギャグは「ですよ。の最近は、謝ることいっぱーい」でしたが、めんまはこう言いました。

めんまめんまの最近は、楽しいことばっかー!」

いい言葉だよ!
じんたん、ぽっぽ、あなるは「過去」に縛られつつも、過去があるから「今」が楽しいことをちょっとずつ感じ始めています。
めんまは死にました。辛い。
だけど「最近は、楽しいことばっか」なんだよ?
最近は、だよ? 昔はじゃないよ。
物語はこれから、めんまを中心に他のキャラ達と、過去のピースを集める作業に入るかもしれません。おそらくその中で人間関係はこじれるでしょうし、少なくともじんたんは悩むでしょう。
だけれども、過去のピースを集めて、あなるのように大切にすることは、それ自体が「楽しいこと」になるはず。

痛みも喜びも、全部含めて「今」だもん。
 

●ゆきあつ●

ところで、このシーンを見て共感できるかどうかって結構大きな差だと思うんです。

ここ、ここ。
多分40代くらいになると「なんでみんなで集まってるのに、ゲームなの?」ってなると思うんです。まー、健康か不健康かっていったら、不健康なのは認めざるを得ません。
しかしそれより下の世代だと「あるある」なんですよね。
みんな向いている方向がバラバラで、やっているものもバラバラに見えるんだけど、実は「ゲーム」という媒体を通してみんなが繋がっているという非常に不思議な関係です。
そりゃー、自分がもし親だったら、ここにいる子達にやっぱり「みんなでなんか作ったり遊んだりしないの?」って言っちゃう気がしますし、そうして欲しいんですが、子供って違うのよね。野球とかサッカーとか虫取りとかモノづくりとかじゃなくて、「ゲーム」とか「漫画」という共通言語でつながるんですよ。
そしてその絆は思ったより太くて強いんだよ。
今回はその点、ケーブルを使った通信で表現していたのが巧みすぎです。今はケーブルすらいらないけど、ケーブルがあることで「友達とつながった」感覚がすごく強くなったものです。ゲームボーイ時代ね。
このカット一つで、子供たちの絆を感じられるかどうかはなかなか興味深いところ。ちゃんと物語で拾っているのですが、リアルタイム世代の20代にはおそらくどんぴしゃでしょう。
で、そのなかでもちょっと浮いているゆきあつがクセモノ。じんたんに対して認めつつも、割とカウンター的な位置にいる彼です。

さっきのあなるの写真。ゆきあつの視線はどこに向かっているんでしょう。じんたん?めんま
 
そこにきてこれだよ。

……ぇぇぇぇ。
めんまの服のにおいかぐとか、どういうことなの。
めんまの服……だよなあ、フリルついてるし。おいおい10年前ですよ。どうやって入手したの?
じんたんはめんまのトラウマでひきこもるという分かりやすい行動に出たわけですが、ゆきあつはきちんとエリート校に入学し、心身ともに健康的な日々を送っています、マラソンしたりね。優等生です。
なのにこれって。バレたら大変なレベルだよ?
だいいち、あのぽっぽがたじろぐって……ゆきあつ何を言ったんでしょう。
このへんはto be continued。
とんでもないところに核爆弾潜んでそうで怖いね。
僕達は「まだ」知らないもんね。
 

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最後にちょっとだけ。

焼肉のシーン。めんま……肉食ったよ!?
ぽっぽが横を向いていたので、肉がどう見えたのかが分からないという見事なすれ違い。そういえば一話でもコップ倒してましたし、物体に干渉することはできるようです。

人間には見えないけど、犬には見えているというのも面白いですね。
でも「幽霊」って言葉にしちゃうと軽くなっちゃうなあ。もしかしたら本当にじんたんの「イメージ」や「概念」が強すぎて生まれた物……という可能性もありそうですが、まあそこは真剣に掘り下げるべきところではないかもしれません。
 
もう一個。

なんでも「かわいい」って言っちゃうじんたんのお父さんが超かわいいんですが、お父さん、じんたんの賞状額に入れて飾ってるんだよね。
なんか……お父さん本当にじんたんのこと大切にしてるんだろうなーって考えると切ない気持ちになります。
ある意味「かわいい」って言えるお父さん、「すげー!」って言えるぽっぽが、この作品を切り開くナイフになるのかもしれません。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』1話に続いて2話も神回! もう弱点がないわ|やらおん!
「いい感じでギャグ・エロが入ってくるから必要以上に鬱にならずに済む」というのはすごい意見。確かにシリアスになると入ってくる、うまいあざとさに笑えるのは見事な計算。
 
<追記>
すごくいい!と思うWEB拍手があったので掲載しておきます。

「あの花」めっちゃ面白いですね。

ところで、2話でつるこがカースト的な事を言った部分についてなんですけれども、
つるこはそういう考えにとらわれている訳では無かったんじゃないかって思ってます。

もし店内であなるとつるこが出会った時に既につるこがそういう考えを持っていた場合、
遠くの席に座ろうとするか、さっさと店を出てしまうかするかと。
少なくとも、近くの席で長居はしない。
だから、つるこはあなるのことを嫌ったり見下げたりしていた訳ではないと思えます。
けれども、気軽に話しかけるにはつるこもやはり壁を感じていて、
それがあの微妙な位置でノートを書いてる状況になった。
ただ、そこであなるとギャルの会話で、じんたんがギャル達に悪く言われたことに対して、
あなるが大した反論もしなかったことにつるこが憤り、
「あなるはもう昔とは違う、彼女たちの一員になってしまった」
「あなるはもう仲間じゃない」
という風に思いこみ、その裏切られた思いから、あなるに対して突き放すようなセリフが出てしまったのではないかと勝手に思ってます。

以上、つるこもホントはめっちゃいい子なんだよ派の妄想をぶちまけてすいませんでした。 by あなるかわいいよあなる

ぼくもそう思いたい! 賛同させてください。
そっか、近くの席になぜ座っていたか、ですよね。いい子だから、突き放さざるを得なかった。
つるこの心が描かれる日が待ち遠しいです。