たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

とあるひとつの、いびつなお父さんと娘の物語。小路啓之「ごっこ」

少し前の作品ですが、改めてこの小路啓之先生という作家は奇才だなあと思ったので紹介。
ちょうど昨日のラジオで「来世であいましょう」の話をしたのがトリガーなんですが、アフタ連載時からこの人のみえている世界ってちょっとフィルターが違う気がします。
 
この「ごっこ」という作品は、30歳の独身男性が4歳の血のつながっていない少女を育てる奮闘記です。
って書くと、ちょっといい感じですよね。
いわば、小路啓之フィルターを通した「よつばと!」だと思うといいと思います。

全体的にこんな雰囲気です。
この子がヨヨ子(正式名ヨヨ)。目付きが悪くてBB弾探しの名人です。
まあ、子供っぽさをたたえていてかわいいですよね。
 
問題なのは小路啓之先生フィルターがアクが強いということで。
小路啓之先生を知っておられる方ならこの作品が「普通にいい話」になりえないのは予想できると思います。
 
まずなぜヨヨ子がこの30歳引きこもり独身男子の元にいるのか。
おたくの娘さん」みたいな事情があるわけじゃないです。
いつも向かいのベランダに放り出された傷だらけの彼女が見えたからです。はい、児童虐待です。
じゃあその児童虐待への抗議として彼女を救うために連れだしたのか?
 
いいえ。
彼は自分の人生に嫌気がさして自殺しようとしていた時に、ふとその傷だらけの子が見えたので、欲望に身を任せて彼女を犯そうとして誘拐してきたのです。
余裕で犯罪者ですね。
しかし、ふとヨヨ子が頭をぶつけたショックなのか、彼を「パパ」と呼んだ瞬間に彼の世界は変わります。
ここで彼女をむりやり欲望に任せて、いわば道連れにしてどうするのかと。
自分を必要としない世界の中で、彼女は偶然のいたずらか、自分を必要とした。
だから、彼はヨヨ子を育てることに決めました。
家族ごっこの開始です。
 
無論、だからといって彼が誘拐犯であることがなくなるわけではありません。
健全? 見た目は、はい。
でも彼の道徳は不道徳、いえ、「犬導徳」です。
ネタバレをするともったいないので書けませんが、この後彼の周りでは明らかに常軌を逸した出来事が続きます。
「日常物」の皮をかぶったモンスターのような作品なんです。
 
でもそもそも常軌ってなんなのよと。
ヨヨ子を彼はきちんと育てています。現時点で1年。
彼女のことを大切な娘として、彼なりに全力で、必死になって育てているのです。
ヨヨ子もまた、すくすくと健康に育っています。
何も知らずにこの二人を見たら、それはもう幸せそうな親子に見えるでしょうし、実際そう描かれています。
でも「幸せな家庭」が、何不自由なく幸せだけで暮らしているわけじゃないのは現実だって同じです。
 

                                                                                                                                          • -

 
小路啓之先生という作家は、非常に異質なものを描く作家です。
今回の「ごっこ」は日本が舞台らしいのがちょっと明確なので、背景等は少し落ち着いていますが、現在3巻まで出ている「来世であいましょう」や完結した「かげふみさん」、短篇集や「イハーブの生活」などは国籍不明気味です。
 
この作家さん、もうとにかくあらゆる「夢」や「希望」を現実で一旦切り取っちゃうんですよ。
サンタ? それはもちろん親ですよと。
ヒーロー? 中に人が入って特撮使ってるんだよと。
平和?
お父さんとお母さんがケンカしたり殺し合ったりする現実あるよと。子供を殺している親がいるよと。犯罪者が見つからずにあちこちうろついているよと。いじめはずっと残ってるよと。
無駄でしかない人生もいっぱいあるよと。犬死みたいな人生もありうるよと。性と死がうようよ蠢いている世界だよと。
 
ところが「夢」を破壊するような「現実」は、非常にいびつな形をしています。
むしろ夢や希望より「現実」の方がいびつで、不思議な形をしています。
その「現実」を次から次へと組み合わせて行ったら、完成する世界って強烈に奇天烈な形になるんですよ。
小路啓之先生が描くのは、まるで九龍城のように「現実」を組み合わせていった末に出来上がった珍妙な「夢」の世界でした。
なるほど、夢とか希望ってのは、残酷で信じたくない現実を組み合わせるとできてくるんだなあ。
 

                                                                                                                                          • -

 
他の作品は比較的ストレートにそのいびつさを浮き彫りにしているのですが、「ごっこ」は割とおとなしめ。
とはいえ、描かれている事件や出来事の数々が、例えて言うなら「九龍城」ではなく「一軒家」レベルにおさえこまれているだけに、逆に迫ってくるものがあります。
なさそうで、ありそうな事態なのです。
 
現在小路啓之先生は子育て中らしく、そのへんも反映されていると思います。
上記のような特殊性と、強烈な設定を背負ってはいても、なんかニヤニヤほっこり出来るんですよ。
おそらくこの作品で描かれている世界は、人間一人では手に負えないくらいの物だと思います。
本当に非情で、容赦なく理不尽で、死にたいと思ったり狂気に脅かされたりしますから、表紙だけ見て買ったら「えっ?」ってなると思います。
思いますが、多分ストンと読みきれると思うんですよ。
ロリコンが自殺しようとしたところで少女拉致してる話なのに、その子が本当に子供として愛しく見えてきてさ。その子のために、何にも出来ない自分だけれどもどのくらいできるのが頑張ろうとしてさ。空回りとかしてさ。
本当に駄目な主人公なんだけどさ。即逮捕になる人間なんだけどさ。
一生懸命なヤツと、100%頼ってくる子供と、いびつな世界で生き必死に生きている人間達の姿が見えてきたら、なんか心がほころぶんです。
 
この作品を「すげー設定だから読んで!」とすすめるのもなんか違うし、「ハートフルな家族ものだよ」とすすめるのもなんか違う。
ある程度予備知識として「こういう作家さんなんだ」程度におさえた上で、目付きの悪い少女と天パの30歳のデコボコ人生を楽しむのが一番いいんじゃないかと思います。
なんだい、結局おすすめかい。はい。だって面白いんだもん。
決して道徳的なマンガではないですよ、主人公の背中に書かれているように「犬導徳」レベルですよ。
でもそんな最低な「ボク」があがきにあがいて生きていく姿は、ちょっといいもんです。
死ぬって決めていた男と、死にかけるほど虐待受けていた子の物語ですもの、一番最底辺な状態なんだから、あとは上しか見えない。
 
……って思いたいけど、さらに下がある可能性も、また、あるんだよね。
詳しくは書きませんが、とある結末がくるのがほのめかされています。
一巻の時点では、親子ごっこが本当の親子愛に変わっていくさまが描かれているんですが、ここから彼らの人生はまた形を変えるでしょう。
いびつでとんがった現実を笑う物語で、笑ったあとに心にイガイガが残る作品でもあります。
「希望」というイガイガと「不安」というイガイガ、両方です。

どこまで、いけるんだろうね。
「平和な日常」って、すごくアンバランスな物の上にぽろっと立ってるのかもしれん。
 

小路啓之先生を知らない人なら、ここから入るというのも手かもしれません。いい意味でアクの強い作品が多い先生の作品群の中では割とストンと読める方だと思います。それでいて、小路啓之節はしっかり入っています。
あと、「女の子・女性はかわいい」という考え方(信じているかどうかは別)も徹底して入っているため、出てくる女性キャラがかわいいのもミソ。特に幼なじみ……とはちょっと違うかな、知人の婦人警官マチさんは可愛い上に、重要な立ち位置にいます。こっち目当てに見るのもアリ。
来世であいましょう 1 (バーズコミックス) 来世であいましょう 2 (バーズコミックス) 来世であいましょう 3 (バーズコミックス)
狂った世界のボーイミーツガール〜乙女男子なめんなよサリエリ万歳!〜「来世であいましょう」
「かげふみさん」に見る、意識のハザマ、感覚のハザマ、性のハザマ

かげふみさん」より。
何度見てもかっこいい。
死と性は、どの作品(「ごっこ」も)にも色濃く出ているので是非読んで欲しい作家さんの一人です。