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「りびんぐでっど!」灰田もなこのゾンビ度を考える。

腸がはみ出しちゃった、あちゃー! これからは「ゾンビ萌え」が流行る!? 『りびんぐでっど!』(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
 
エキサイトニュース書かせていただきました。
あちゃー。
明るく楽しい、しあわせゾンビ。さと「りびんぐでっど」が面白い。 - たまごまごごはん
チャンピオンの断面図分補給! さと先生のゾンビっ子マンガ「りびんぐでっど」が連載始まったぞー! - たまごまごごはん
しかし、これで、さと先生も一巻越えになるわけですね。
「いわせてみてえもんだ」から「美大道!」で超絶進化を遂げ、そこからまさかの週刊チャンピオン連載、単行本、二巻は間違いなく出そうな勢い。
これはすばらしい。
みつどもえ」が休載中の今のチャンピオンで、最も楽しみな作品の一つです。
いやまあ、最も楽しみな作品が多すぎるんですが、チャンピオン。
みんなで読もうチャンピオン!
 
にしてもゾンビっ子ブーム来てますね。「さんかれあ」がアニメ化でどうなるのか楽しみです。
ただ、「さんかれあ」はなんだかんだで重い部分があるんですが、「りびんぐでっど!」は軽い。
このバカみたいな軽さがすっごい好きなんですよね。「ゾンビ」を属性化してしまっています。
下手したらそのうち、「イカ娘」みたいにアニメ化して侵略してくれるんじゃないかと期待してます。
侵略じゃないね。
感染だね。
 
ここで、ちょっと「りびんぐでっど!」の中におけるゾンビ描写について考えてみたいと思います。
ネタにマジレスというよりは、さと先生がどれだけゾンビというシチュエーションに対してライトさを加味してバランスを保っているかの確認です。
 

●ゾンビとしてのアイデンティティ

まず、ゾンビの定義にあたるものをちょっと考えてみます。
といっても実際は定義なんてありません。100種類あれば100通りのゾンビがあるからです。
あえて、あえて言うならば、「死んでいる」という最低限のルールがあります。
 
ただしこれ、ほんと意味の捉え方で違うんですよね。
感染型のゾンビの場合、映画でもゲームでも、生命的に死亡していない場合が多いです。
つまり、精神的に死んでいる・社会的に死んでいる、という扱いです。
わかりやすいのは「アイアムアヒーロー」だと思います。あれは感染して、社会的には死んでいる(精神的活動が出来ない)けれども、医学的には生きている。だから殺していいのか分からない、というパターン。
誰かに完全に操られているのなんかもゾンビ呼ばわりのことがあります。
この場合のゾンビの有理点は走れるということです。
だって、医学的に死んでいた場合、腐りますもの、走ったら脚が取れるでしょう。
ゲーム「レフトフォーデッド」でゾンビがすごい勢いで走れるのは、あれは「感染者」だからです。
 
そんなわけで、最も多いと思われる、一般的にゾンビと呼ぶのは「医学的に死んでいる」「精神的にも活動できない」タイプのゾンビ。
いわゆる歩くゾンビ
彼らが人を襲うのは、仲間を増やすためや「食べたい」など、非常にシンプルな欲求のため。
それが群れをなしてくるというのがゾンビの怖いところではあるんですが、逆手にとって最近では「ゾンビが普通の生活を送っていたら平和じゃないか」という考え方も増えてきました。ようはヴァンパイアバンドみたいなかんじでゾンビの町を作ってしまえばいい。
こうなると、ゾンビが平和に暮らしている中に飛び込んでくる人間こそが侵略者状態ですね。
なんかのCMでゾンビの一家が平和に暮らしていて、お父さんゾンビが会社に出勤しようとしたところ、ヘッドショットで生存者が撃ってくる、なんていう皮肉めいたのがあったらしいですが、まさにこんな感じ。
 
で、ですよ。
先ほどあげたような例は「医学的に死んでいる」「精神的には記憶が残っている」タイプのゾンビです。
精神活動ができるので社会的に生きているんですよね。
りびんぐでっど!」のゾンビ、灰田もなこはこのタイプです。
完全に生前の記憶も、生活の記憶も残っています。だけど体だけ死んでいる。非常に便利極まりないじゃないですか!
……と思いきや、やはりゾンビとしての不便さもあるんです。そう。先ほどの「走れるか歩くか」でいうと後者なんです。
まあ走るシーン実際にはあるんですが、すぐ体ばらけるんですよね。特に首がすぐとれる。
 
りびんぐでっど!」が過去のゾンビ作品から取っているゾンビ部分はこれらになります。

・生命活動は停止している。
・激しく動くと体は簡単に崩れる。
・痛覚が無い。(触覚などの感覚はある)
・時折、自己を失って人を食欲のために襲う。
・肌は死色をしている
・内臓などを描くフェティッシュにこだわっている。

表紙の色がいいんですよね。
不自然な肌の色をしていて、マンガでは日焼けした少女みたいに見えますがやっぱりゾンビなんだなあとニヤニヤしてしまいます。
触ってもあったかくなさそうなのは重要ですよね。
あとはやはり内臓表現でしょうか。もなこはポロリしまくります。内臓を。
グロっちゃグロなんですが、やはりゾンビといえば骨や内臓が見える楽しさです。これは忘れてはいけない。
「ロボオタク・オブ・ザ・デッド」後編で、縛られた後バラバラにされるもなこのシーンがありますが、これ見て妙な興奮した人もいるかもしれません。
ぼくとか。あれはエロいよ。
これが苦痛そうじゃなくて、楽しそうなのがいいですよ。「えらいこっちゃ!」「マジで!?」
マジで!?じゃないよもなこちゃん。何言ってるの。
48ページの、水森さんが斧でぶった切ったもなこもエロいですよね。
 

●「死」にこだわらない楽しさ●

逆に、ゾンビ作品としてギャグに落とし込んでいるのは以下。

・首がとれても、頭が割れても死なない。
・どんなに切断されても、木工用ボンドで治る。
・腸などパーツを失っても問題がない。
・ゾンビになった理由が特にない。
・とりあえず肉であれば人肉じゃなくても平気。
・バラバラになったパーツがそれぞれ意思をもって動ける。

ここまで来るとわかるかと思いますが、実はもなこのディティールって、ゾンビ的要素を含んだロボットに近いんですよね。
ドクタースランプアラレちゃん」や「究極超人あ〜る」に限りなく近い、ゾンビです。
あくまでも人体なのでゾンビなのはかわりない。
けれどもゾンビが持っている最大の恐怖である「死」の重みを一切排除しています。
 
さと先生のすごいところは、死を無視するんじゃなくて、死をさっくりギャグに落としこんで怖くないものにしてしまったことです。
だって、もなこの生活楽しそうですもの。
普通にバイトして、友達とも和解して、お買い物にも出かけて。いいじゃん!
なんどか紹介していますが、このオープニングがやはり素晴らしいんですよね。

「死」は無視はしてないんですよ。
ただ、コントみたいにすごいさっくり軽い扱いです。何がいいって遺影がライトなのが素晴らしい。これは笑ってもいいところ。
そして間髪入れず、ぼくの一番好きなコマ。

「きにすんなよ」
このコマが、この作品の全てですよねえ。
「ゾンビだから」大丈夫。
 
物語構造は「ドラえもん」とかと同じ。
日常生活に異世界の住民がやってきて、生活がガラっと変わる。
ただし「ドラえもん」と違って何もできないどころか、マイナスドラえもん。損になることしかない。ゾンビだから。
だけどもう一点違うのは、大好きだった相手のゾンビだ、ということ。
主人公側がかくまう、保護してあげる、というのはなかなかステキな関係。しかもちゃんとバイトに行くんだぜこのゾンビ。
かわいいお洒落して、いつも笑顔なんだぜ。
ちょうキュートじゃないですか。
ゾンビへの恋。十二分にありです。
なぜならぼくがもなこちゃんを好きだからです!
これがネクロフィリア的にならないのは、もなこがとんでもないアホの子だからという、この作品最大のバランスを保っているから。
実際読んでもらうとわかると思いますが、とにかく彼女のセリフがアホっぽい。単語トークなんですよね。「生ハムメロン」とか。意味分からん。
一番好きなセリフは「うまし」です。
あと見たままのことを口に出して言うのがまたアホっぽくて安心できます。
そして変なセリフ回しのクセ。「にわかには信じがたい!!」とか、なんでしょうこの口に出して言いたい日本語。
これはもなこの生前からのクセなんだと思います。独り言のシーンですらこれがいい具合に作用して、ハイテンションな空気を保っているのが本当によくできています。
あとは吹き出しの配置がうまい。四方八方に配置することで、噴出しだけで勢いに拍車をかけるのに成功しています。
 
最近のを見ていると、彼女の存在自体結構あちこち外にも見えるようになってきていますし、認められてもいます。
ゾンビってのは隠してますが。それでもね。幸せそうだよ。
幸せそうな子はかわいいものです。
ゾンビという設定を使いながら、最大限まで「かわいい」を引き出している、ゾンビと萌えキャラのいいとこどりみたいな作品。
よく計算されていますわー。
グロありですが安心しておすすめできる、「ゾンビかわいい」作品の筆頭になることまちがいなしだと思っています。
ゾンビ好きでチャンピオン好きで可愛い女の子好きな自分にとっての、ご褒美みたいな作品です。
りびんぐでっど!」があるから一週間がんばれます!