たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

昨日までの生き方を否定するだけじゃなくて、これから進む道が見えてきた「アイドルマスター」24話

アイマス24話見たよー。
いやーよかったですね。


「ライブステージが、ケータイにおりてきた!」
つまりモバゲーの「アイドルマスター シンデレラガールズ」がスマホ対応になったってことですね!
正直、めちゃくちゃ面白いです。ケータイゲームなめてた・・・。
キャラが立ってるって大事よね。
双葉杏が大好きです。
あ、いやまあ、上はそういうシーンではないんですが、タイミング的に。
 
さて24話は完全に春香さんの回・・・と思ったら違いました。
今までのすべての話をひっくるめた上ですごい回でした。
すべてはこの回のためにあったんじゃないかってくらい。
そうか。アイマスアニメは無駄な話なんて一つもなかったんだ。
以下収納。
 
 
 
 

●疑念●

すごく正直に言うと、見終わった後、こみ上げる前にまずは首をかしげたんです。
本当にそれでよかったのかと。
春香の悩みって言葉にするのがすごい難しくて、だからこそこんな24話もかけて描かれてきたわけですが、22話(クリスマス回)でも今回でも千早のセリフにあったとおり。
「変わらなきゃという思いと、変わって欲しくないという思い」
痛いほどわかりすぎてしまって。
みんなが大人になり、忙しくなり、だんだん疎遠になって・・・。寂しいなと思いながら、まさに「変わらなきゃ」という思いで人は生きていきます。
でもそれはすごく、ものすごく寂しいこと。変わって欲しくない。これは「願い」
ただ、それが「しかたない」のは、自分は大人だからわかってはいるんです。しょうがないよねって。
 
今回は真正面からそれにボールを投げてきました。
出した答えは、美希は「生っすか」の後番組のMCを断り、千早は海外レコーディングよりも765プロといる時間を選び、・・・ほぼ全員が765プロに戻ってきた。仕事の量を減らして時間を作りつつ。
美しいですよ。この流れは。
でもノドにひっかかったんです。
それで、いいのか?
色々経験してきただけに、モヤモヤが溜まり溜まってちょっとおかしくなりそうでした。
 
自分の疑問を解きたくて、ずっと考えていました。
結論としてはそれでよかった、というか当然の帰結だったです。
アイマスがそういう作品だからとか、アニメ的盛り上がりとして、ではなく、彼女たちの今までの選択を洗い直せば、ここにたどり着かないわけがなかった。
きっかけはぼくが自分と春香の境遇をかぶらせてしまって、心のなかの傷えぐられながら「いいんだろうか」とずっと悩んでいたときに、友人がふと言った言葉でした。
彼はやよいがずっと大好きだったのですが、こう言いましたよ。
「家族を大事にするやよいが、今回どんな気持ちだったのか考えちゃうんだよね」
あっ、そうか。
そういうことなんだ。
 

●それぞれの、願い●

何度か書いてきましたが、この作品に765プロの少女たちは、モラトリアムは望んでいません。
むしろ常に自分を変え続け、自分と戦い続け、前に前に進んできた子たちです。
しかも途中の961プロの一件でもそうでしたが、彼女たちは信じるものを叶えるためだけにがんばりました。勝つため、じゃないんです。
961プロはまあネタみたいなノリの存在でしたが、彼女たちのすすむ道がなんなのかを浮き彫りにするには最適な存在になっていました。
あまとうさんかっこいいしね。

青春すなー。熱血すなー。
あまとうさんいい子だよ。ジュピター好き。
 
竜宮小町は別ユニットじゃーん」という思いもありました。普段から別活動じゃないかと。
でも彼女たちは、特に伊織はそうは考えていません。

「個人でちゃんと活動できてるんだし」という、大人たちの言葉。
ぼくの抱いた疑念も同じでした。「みんなそれぞれ卒業してバラバラに活動すればいいんじゃないの」と。
しかし伊織とあずさは言葉を飲みました。でも、だけれども。
竜宮小町も、律子も、わかってはいるんだけども「個人」だとはずっと感じていなかった。
765プロのみんなと一緒にいる、って思って活動してきていた上での、ソロ活動だったんです。
 
 
大人が「個人でちゃんと活動できてる」からいいんじゃないの、というのは決して間違いではないんです。むしろ正論なんです。
そして彼女たちもそれを分かっている。
自分たちは今「アイドル」だ。ファンのためにがんばる責務がある。そのために全員身を粉にして頑張っているし、もっとがんばろうって思っている。
そうすればそうするほど、何かを失いかけているのもわかっている。
何か。
みんなといる時間。みんなといられる可能性。
むしろ、みんなといることが重要だったのかどうなのかすら。
これについては、春香を筆頭にだれも何も言えません。
言えないよね。だって「個人での活動」が正しいんだもの。変わらなきゃ。という思いを胸に抱いて頑張っているんだもの。
しかしなぜ胸に全員がひっかかるものがあったのか。
 
それが、「家族」という言葉なんだと分かった時、僕の中ではすんなりと落ち着きました。
彼女たちは765プロに戻っていいんだ。戻らなきゃいけないんだ。
 

●わからない、わからないよ●


春香はミュージカルの主役の座を、美希よりもすぐれた芝居で手にします。
しかしそれは芝居ではなく、春香の叫びそのものでした。
ここはねえ・・・聴かなきゃわからないし、本当に聴いて欲しいんです。
毎回思うんですが中村繪里子さんの演技異常ですよ。すごいよ。どうしてあんな機微を表現できるのか。
役と自分がシンクロしすぎてしまい、神がかった春香の演技を、神がかった演技で演じています。
春香の叫びは、まっすぐな丁寧な表現では言えません。
しつこいようですが、全員が頑張っているのはやっぱり仕事的には「正しい」んですよ。それぞれバラバラに頑張っていて、忙しいのはそれは素晴らしいことだし。頑張ってねと春香も言いますし。
しかし、彼女の行動はなかば執念、かなり鬱の領域にまで達していました。

サインは出ていた。
辛いよって。
苦しいよって。
でも辛いって言いませんでした。みんな頑張っているのが正しいから。
「みんなでたのしくやりたい」っていうのは、みんなの負担になるんじゃないかって思ったから。
そうだよね。春香はみんなを引っ張る弾丸であると同時に、自分よりもまわりを第一に考える子だもの、言えなくなっちゃうよ。

『時は過ぎていく、私一人を置き去りにして。
どうすればいいの? 私は一体どうすれば。わからない、私にはわからない!』
「がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、だよね」
がんばる、という言葉は非常に危険です。
ポジティブな状態では素晴らしい言葉だけれども、マイナスな精神状態のときは自分をむりやりおさえつける枷になる言葉です。
6話の時のプロデューサーの空回りをふっと思い出します。
今回春香が使っていた「がんばる」は、今まで、特に中盤の「みんなでがんばろう」とは真逆の意味の「がんばる」です。
彼女は無理やり自分をおさえつけました。がんばるという呪縛で。
 
苦しい。辛い。みんなといたい。みんなと笑顔で「がんばりたい」。
楽しかったんだ。それが。
今、彼女は笑顔になれない。一人で「がんばらなければ」いけない。
そう、しなければ、なんだ。彼女は「一人でのがんばり」を望んでいない。「みんなでがんばりたい」。
でも言葉にできませんでした。
 
ぼくが冒頭でも書いたように「これでいいんだろうか」と感じたのは、ここの春香の精神状態と同じだったからです。
みんなは前にいかないと「いけない」。がんばらなければ「いけない」。
だから、思い通りに行ってはいけないんだろうなあと困惑してしまう。
春香はそもそも基本的にあまり考えずに、直感的に思ったまま動いちゃう子ですが、同時にアンテナがあまりにも敏感すぎるがゆえに、自分を押し殺すキャラでもあります。
今までは打算無しに「誰かのためになりたい」と粉骨砕身し続けてきました。大なり小なり。そこにストレスはありませんでした。
だからこそ今回彼女の最大の苦痛は、みんなが離れていくことでした。
それに対して「行かないで」なんて言えるわけない。だってそれは「わがまま」じゃないか?って思うから。
まあそうですよ。事情を知らない大人からみたらやっぱりそれはわがままです。
 
美希は天才肌だし、どんどんやればやっただけ出来る子です。そして出来たことを見てもらいたくて、キラキラと輝きたくてさらに努力することが楽しい子です。
今までの春香も、美希は同じだと思っていたでしょう。
二人の共通しているのは、努力すらも楽しさだったということ。向上心、なんて改めて言うまでもなくデフォルト。歌詞にはあるけどね。
だからはっきり言います。春香はわがままだよと。
春香、全然楽しそうじゃないよ、と。
 

 
アイマスでとても多用される表現なんですが、背中の後ろにものすごく大きな空間ができて、キャラがとんでもない不安の縁に立たされる瞬間があります。
強烈な圧迫感です。
千早が歌えなくなった時も同じような描写が多用されていましたが、今回も顕著です。
ここで、言葉で「不安です」「辛いです」とは絶対言いません。
律子に陳情したのは、ミュージカルの練習を休み、仕事を減らして、みんなでのニューイヤーライブの練習をしたい、ということでした。
ここだけ聞いたら、そりゃもうね。とんでもないわがままですよ。ここだけ聞いたら。
律子だって当然仕事として「はいそうですか」とはいかない。美希も言います。春香が主役なんだよ?春香が休んだらみんなにも迷惑がかかるのに、それは分かっているはずなのに、なぜここまで追い詰められたのか。
彼女の心を表現していたのはこの一言だと思います。
「でも、もしかしたら、このライブが、全員でやる最後のライブかもしれない!」
最後・・・。
 
今までそんなことは一度も言ったことがありません。
しかし春香のアンテナは感じていて、飽和していました。
このままじゃ、最後になってしまう。
春香の言動自体はもうめちゃくちゃなんです。しかし、だからといってなにもしないでそのままにはできない。
彼女なりの、「みんなでいたいんです」と言えないなりの、悪あがき。
 
きついなーと感じるシーンです。
わかりづらいですが、×がついているのは全部全体練習の日です。
ケータイはすべて、全体練習にいけないという旨の連絡。
つまり、全体練習自体はすべて春香が仕切っていて、連絡もとっているんですよ。
けれども、見ての通り春香も半ばあきらめムードです。途中からメール開かないままになっています。
もう一つ、今まで春香は電話派でした。みんなに電話で連絡をしていました。できるだけ直接話すことを大事にしているんです。
ただ、以前美希だけは忙しそうだからメールで、とメールしていたんです。
だけどどうだい。今回はみんなメールだよ。
みんなに、電話できないんだよ。
遠慮。不安。
おかしいな。いつもみんなで一緒にいて、あんなに気軽に話せたのに。

わけがわからなくなってしまって、もう止めることも、かといって泣きじゃくる事も出来ず、こぼれ続ける彼女の涙。
彼女の心はパンクしてしまいました。

美希視点はある意味今回の視聴者視点です。
それはわがままだ。けれども春香は何を望んでいるの? 
教えて欲しいんだよ。春香の、そして自分にもある、モヤモヤがなんなのか。
 

●家族●

最初の話しに戻ります。
友人が「やよいはどんな気持ちだったんだろう」と言っていたのがものすごい僕の中ですんなりきたんです。
まあ、この回ではやよいはそんなにセリフはないです。非常に目立たないです。
けれど彼女の視点になった瞬間にあるものがみえてきます。
7話「大好きなもの、大切なもの」。やよい回です。この回で彼女が家族をどれだけ大切に感じ、守っているかが丁寧に描かれていました。
そんな彼女が今のこのバラバラな環境を見たらどう感じるだろうか。
がんばるのは正しい。けれども寂しいでしょう。そこにきて、一緒にがんばってきた仲間である春香が辛い思いをしていると知った時、すごく純粋な気持ちになるはず。
そばにいたい、って。
 
同じ事は他のキャラにも言えます。内容的にわかりやすいのは響でしょうか。
ぼくは勝手に「ハム蔵&いぬ美回」だと思っていた16話の「ひとりぼっちの気持ち」。
響よりも動物の方が目立ってるじゃーん!と不思議に思っていたんですが、そっか。響にとって動物たちは「家族」だったっけ。
だから家族をメインに描いて、正解なんだ。やっと今分かった気がする。ちゃんとオカマっぽい「とびだせ!どうぶつワールド」のディレクターがワンカット登場しているあたり、上手くリンクしています。
そんな彼女が、大切にしてきた仲間が苦しんでいるのを見たらどう感じるだろう?
 
みんなそうです。
 
響も、雪歩も、真も、貴音も、やよいも、亜美も、真美も、あずさも、伊織も。
そして美希も、律子も、千早も。
 
すごいなと思ったのはやはり千早でしょうか。
今まで彼女は家族とも、友人ともうまく付き合えませんでした。最も「家族」の絆に餓えていた、苦しんでいた子です。
それはingなんです。現在進行形なんです。
すごいよね。20話で劇的な復活をみんなの力で成し得たにもかかわらず、うまくいってないんですよ彼女の血縁の家族は。
千早が歩いてきた道、私達が歩いてきた道「アイドルマスター」20話 その1 - たまごまごごはん
歩こう果てない道、歌おう空をこえて「アイドルマスター」20話 その2 - たまごまごごはん
だからこその、彼女にとってのもう一つの家族。
それが「みんな」でした。

20話です。このシーン、最初は「確かにこの子たちなら全員ででてくるよなあ」くらいにしか思わなかったんですが、今回になって全員出てきたことこそに意味があると強く感じました。
誰一人欠けちゃダメなんです。

20話の時、千早は携帯電話の充電すらしませんでした。そもそもケータイをそこまで重要なものとして扱っていませんでした。機械に興味がないというだけでなく、人とのつながりに興味がなかった。
でも今回、24話でそれは変わりました。

千早は、こんなにも強く、「つながり」となるものを握り締めているんです。
あの千早がですよ。
千早が苦しんで自暴自棄になっていたとき、「ほっとかない、ほっとかないよ!」と叫んだのは春香でした。
春香だって怖かったはず。嫌われるかもしれないって。でもほっとかなかった。
じゃあ今回はそのお返し? 
違う。
私たちは家族なんだ。

プロデューサー「千早は、その家族のことが大好きなんだな」
千早「はい、大切に思っています、とても!」
プロデューサー「なら、大丈夫だよ。きっと、千早と同じように感じてるとおもう。家族ってそういうもんだよ」

 
伊織が毎回いいこと言うんですよね。

伊織「なんで言わなかったのよ! 話してくれたって・・・話してくれたっていいじゃない」

真と雪歩は「春香が苦しんでいるのを気づかなければいけなかった」と自分を責めますが、それに対しては千早はきっぱりと「いいえ、春香のためだけじゃなくこれは私の願いなの」「今の私にとって765プロは新しい私の家族なの」と言います。
伊織の言葉って、まさにそれだと思うんです。
家族なら心配する。誰が悪いじゃない。ただ「話してほしかった」という率直な思いは家族だからこそ出るものです。
 
ここで言う「家族」は、無論血縁ではありません。
彼女たちは親友であり、戦友。一緒に支えあってがんばってきた「仲間」。
けれど「仲間」だったら、きっと個人で離れていった時、それで終わりかもしれない。
だけど「家族」なら、・・・家族なら、帰ってくるよね。どんなに忙しくても、そこはやすらぎの場所なんだもの。
 
じゃあ「家族」ってなによ、と言われると非常にわからないです。
わからないですし、この作品でも明言はされません。
でも定義なんていらないじゃない。

一緒にいたい人がいる。
それでもう十分、「家族」なんじゃないかな。
地味に運動会の回で伊織と真が喧嘩していたのも、蓄積されたものとして拾い上げられていました。そう、家族だからうまくいかないこともある。喧嘩もするさ。
 
逆をかえせば、家族だから今後離れていくこともあるでしょう。
子供が、兄弟姉妹が、離れて暮らしていくように。
けれども「家族だから」それでもいいんです。ただし「家族だから」一緒にいる瞬間は大切にするし、「家族だから」離れていても安心できる。

美希は言います。彼女の位置は絶妙すぎるよ。

美希「迷子になっちゃいそうだったから。美希ね、アイドルのお仕事楽しいの。キラキラでワクワクできるから。だから前ばっかり見て、どんどん走ってって。でも気づいたの。このまま進んじゃったら迷子になっちゃうかも、って。どこへでも行けるのは『ただいま』って帰れる場所があって、そこで笑ってくれる人がいるからかなって。そこにいる人が、笑ってくれるからかな、って」


彼女たちはこれから走り始めるんです。今よりも一層。もっと個人の活動増えるでしょう。
本当に春香が言ったように、「これが最後のライブ」の可能性だってあります。
それでもいいんです。
ただし、家族であることを確認する作業が絶対に必要だった。
家族だ、ここに戻る場所がある。その手応えがあれば、遠くに出かけることが出来る。みんなが同じ思いであることを確かめ合え、信じられる。たとえバラバラでも、今回の春香のような心配はいらない。
 
なあ、悩んでいたぼくよ。
美希がなぜMCを断ったのか。千早がなぜ海外レコーディングにいかなかったのか。
春香がなぜ「変わらなきゃいけない」の中で「変わりたくない」にしがみついたのか。
もうわかるだろう?

彼女の夢は、アイドル。
その大いなる力には、大いなる責任が付いてくる。
わかってる。だけどそれ以上にわすれちゃいけないものがある。
自分の夢。
帰る場所。
 
6話でプロデューサーに手渡した、キャラメル。
自分が今度は、自分から受け取ります。
怖い。自分の願いがみんなの負担になることが怖い。
けれど、私はみんなを信じてる。
みんなを信じてまっすぐに来た自分を、自分が信じないでどうする?
みんなの「帰る場所」だって、思ってるんだよ。信じてるんだよ。
大丈夫。
 
街頭テレビを使った演出はど派手でしたが、いいじゃない。
心情的にはこのくらい、なによりも大きくて、でっかくて、大事でしかたない家族なんだもの。
帰ろう!

いつも笑って待っていてくれた春香。
今度はあなたが家に帰る番だよ。
765プロは、みんなの家だよ。あなたが信じていた家だよ。
 
本当のクライマックスは街頭テレビじゃなくてこっちなのが最高にいいですよ。

正直どう考えてもここまでビッグアイドルぞろいのプロダクションになったのにたるき亭の上のまま、765って貼ったままなのはどうなのよ、というのはあるかもしれませんが、これは変えちゃいけないアイコンとしてこの作品では機能しています。小鳥さんの存在も、ですかね。
千早が歌を取り戻した時も、後ろに輝いていたのは765プロでした。
今このオンボロビルの前にいるのは、超ビッグアイドル達。
ものすごい勢いで急成長し、あらゆるメディアの顔をかざり、大成功した子達です。
けれどもそれはこの765プロという家族があって、笑って帰って来られる場所があるから。どこまでも全力で走って行って、帰ってきて自分たちを確認できるこの場所があるから。
春香が信じていたもの、みんなが言えなかったものを、やっと確認できたんだよ。
これは「結論」じゃない。
13話でライブを成功させてチェンジし、再出発した彼女たちの、もう一度の再出発の始まりがこの瞬間。
今までの道を否定する必要はない。今まで頑張ってきたことこそ、ささいなことも含めてすべてが、みんなの糧であり、宝物だよ。
一度家族を確認できたら、また歩き出せるよ。
もっと歩き出せるよ。
 
お帰りなさい。
 

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地味にいいなと思っていたのが、春香の家族のシーンです。
声だけの登場ですが。

精神的に本当に滅入っている時に、特別扱いせず、でも気を使う「家族」の様子がすんごく丁寧に表現されている名シーンだと思います。
ちょっとこの春香のお母さんのセリフだけで泣きそうになりました。
今は765プロという家族に目を向けているけど、いつかこちらの家族にも目が向くといいね。
 

あと、今回春香も美希もそうですが、千早の表情の描き方がとんでもなくすばらしい。
今まで笑えなかった彼女が、素直に微笑んだり、必死に叫んだりできるのは、今までの話の積み重ねの上でのこと。
逆に言えば今回だけ見ても「丁寧だねー」くらいで終わっちゃうところなんですが、1話から全部見ていると本当に今回、キャラ一人一人の動きすべてが「つながっている!」という気持ちになって。
このシーンが泣ける、じゃないんですよもう。なにもかも、シンクロしてしまってちょっと頭が変になるね!
春香視点や美希視点だけじゃない。やよい視点でもいいでしょう。雪歩視点でもいいでしょう。
全キャラの視点で味わえる、噛み締められるだけのものになっている回だと思います。
セリフ自体はほとんどないキャラもいますが、そもそもセリフで物語を構成していく作品ではなくて、むしろ表情と挙動と声色で描いていく作品なので、みて、きいて、じっくり味わいたいです。100の言葉を重ねても、一人ひとりの演技と表情を見るのにはかなわないです。
 
最終回。まるまる一話ライブでもいいなとすら思います。もうここまで積み重ねてくれたら何をやっても納得する。しようじゃないか。
ぼくは予告で、みんなの声に混じってプロデューサーの声があっただけで、満足してしまったんだよ!
今回は自分たちで家族を発見しなければいけなかったのもあってプロデューサーは助言止まりでしたが、今後もしかしたらプロデューサーは家族でありつつ離れていくかもしれないし、今まで通りの忙しい日々を送るかもしれない。どちらでもいいです。
アイドル達も思いも寄らない道を歩むかもしれない。でもその時はぼくはプチピーマンさんになろう。みんなを信じて家族になった彼女たちを信じる。
一つの家族像がここにできた。
たとえそれが「みんなで楽しく」を具現化した夢や理想でもいいじゃない。
夢や理想を見たいんだよ。
見せてくれてるんだよ。
けいおん!」の感想の時も書きましたが、アニメ版「アイマス」も、ぼくにとっては「人を信じてもいい」という夢を見せてくれる、「誰一人傷つけない、日曜日よりの使者」です。
このまま、どこか遠く、連れていってくれないか。
 

夢なら、覚めないでいて。