たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「女の子たちが集う」のがなんでこんなに楽しいんだろう

ストライクウィッチーズ」の映画版見てきました。
いやー。面白かった。
特にエーリカが鼻水をゲルトになすりつけるシーンが最高でしたね。
泣きました。
うそです。
 
キャラ物としてはほぼ申し分ないくらいこってり描かれているので、今までの作品を見てきたファンなら最高度に楽しめると思います。
逆に初めて見る人には、何がどうなってるのかわけわからないとも思います。2のラストシーンで魔力を完全にもっさんと宮藤が失った状態、ネウロイに襲われ、救われたあとの町を再建している状態からのスタートなので、「初見でも楽しいよ!」とはちょっと言いづらいかなーという気はしました。
ただ、銀幕にでかでかと、しかも何度もズボン(ぱんつ)がドアップになるのは必見かもしれません。これは今までのアニメ見てない人だったら仰天ものでしょうが、1・2と見慣れているファンからしたら感動的なシーンだったりします。いやほんとまじで。
慣れってすごいね。
 
で、映画としては、ぼくはストライクウィッチーズ大好きなので、ファン目線からしたら「すごくよかった! あのねあのねゲルトがおねえちゃんでね、エイラーニャは夫婦でね、シャッキーニは姉妹でね、宮藤は相変わらず淫獣でね、もっさんはわっはっはでね、ペリ犬がすげーいい役でまじペリ犬でね」といくらでもいいところは書けまくれる、しゃべりまくれる。映画見た人とえんえんと朝までストパン話しがしたい! ……んですが、ちゃうねん。
あくまでも単体の映画として見た場合、これ「ビギン」でもなければ「ジエンド」でもないんですよね。つなぎなんですよ次への。いわば「帝国の逆襲」だけ見ているような状態。いやちょっと違うかも。いやあってるかも。
3があるかもー!というのがファンとしての嬉しい目線。
「えっ、つまり映画としてどういうこと?」と一瞬首を傾げるのが映画としての目線。
結論はいわば「ない」んですよ。2のラストシーンのようなやり遂げた感はないです。
だから「映画として点数をつけなさい」って言われたらすっごく困るんですよ。わかんないですもんこれ。
でも、これはファンであろうと、それほどでもない人であろうと感じるだろうなと思ったのは、女の子たちが結集するってなんて気持ちいいんだろう、ここです。
物語的にはやたら面倒なネウロイが出てきたり、各地の悲惨な状態が描かれたり、誰かのためなら身を挺して進む宮藤の成長など非常に濃いんですが、それらも含めてみんなが集まることのすごさを延々と描いた作品でした。
 
どのキャラも好きですが、ぼくはエーリカが飛び抜けて好きなんです。
今回彼女たちは、特に宮藤やリーネちゃんあたりは再開を心から喜んでオーバーリアクション気味なところもありました。再開が嬉しすぎて、ストライカーユニットで宮藤に突撃するリーネちゃんは、もう宮藤の専用おっぱいになるべきだと思います。
ただ、「うれしいね、一緒だね」だったらそこまで惹かれなかったと思うんですよ。
全員が各々バラバラに動いているんだけど、一緒にいるってのがすっごい魅力的なんです。
その体言みたいなのがエーリカ。あの子再開を喜んでるんだかそうでもないんだかよくわかりませんが、それでこそエーリカ。ネウロイの出現よりも腹減りを気にしますが、それでこそエーリカ。
 
あとはペリーヌ。あんなにもっさん依存症だった彼女が、とあることをして一人立ちしているのを見たときはちょっとうるっときました。とてもケツに水ぶっかけられて吹っ飛ばされていたキャラとは思えません。
全員が成長し、それぞれバラバラの場所で、それぞれの仕事をしている。
○○は○○の場所で、自分のやるべきことをやっている。その場所にいって出会う。
この距離感にグッとくるんだな。
 
全員が集結する時の高揚感は、映画キャラの服部静夏の目線で描かれます。
最初は宮藤を英雄として崇めているものの、途中から彼女のはちゃめちゃっぷり(といってもアニメを見ている人には「芳佳ってこういう子だよね(ニコニコ)」って感じ)に嫌気がさして険悪な雰囲気になります。
私の思っていたヒーローと違う! あなたはヒーローじゃない!
ところが後半からラスト、自分はなにを欲していたのかを感じ取ります。
501のストライクウィッチーズ達が集結したのを見て。
私もこうやって、飛べるんだろうか。
 
「みんなでがんばろう!」という熱血さとはちょっと違うのが魅力だと思うんです。
結構全員バラバラで、性格も合わない。
エーリカなんてまさにそうですね。自分勝手で適当。だらしない。
でもそんなマイペースな彼女を見ると、自分は「いつものエーリカだなー!」と嬉しくなります。
ストライクウィッチーズの全員が、そうなんです。「いつものエーリカだなー!」と笑うんです。
これが安心する場所たりえる理由だと思います。
もしこれが、全員「私たち一緒だから!」ってがんと向かい合いすぎていると、戦争という局面で戦う時にちょっとしたいさかいであっさり崩れかねません。
全員ばらばらだから、逆につながっている。不思議なんですが、それは映画を見ればわかります。
 

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女の子たちが集まる時にグッとくる作品って結構あると思います。
ちょっといくつか。ストライクウィッチーズとはベクトルはちょっと違っても、僕の中では似ているものです。
 
一つ目は「けいおん!」。
まずマンガ版の方です。
マンガ版の「けいおん!」は今御存知の通り高校編(梓編)と大学編(唯達編)にわかれています。
大学編は今までのノリに割と近くて、山田尚子監督いわく、トイレにいくわけじゃないんだからみんな一緒の大学行かなくても、のとおり。あそこはバラバラの進路でもよかったと思いますが、一緒の大学に行くのは彼女たちが「自ら選択をする」という意味では大きいとは思います。
っていうかムギね。彼女がほんと軸ですよ。アニメと大学編は。唯はエンジン。ムギが軸。
で、高校編がすごく好きなのです。
実質一人で置いて行かれて寂しい梓のところに憂と純がやってくる。
これだけだと「ベタベタした箱庭」なんですが、憂って今まで姉依存症みたいな子だったのに、家を出て寮生活しているお姉ちゃんからきっちり離れている。ここに「えっ!」ってすごく驚いたんです。
しかも姉離れしてからの憂の、しっかりしたキャラの立ち方と成長っぷりには目を見張るものがあります。唯のようなエンジンに似ているのが実は梓で、憂は軸になっているムギに似ているかもしれません。
純ちゃんはマイペース役。ストライクウィッチーズでいうところのエーリカに近くて、「いつも一緒にはいるけどマイペースで適当」なのが最高の魅力。
マイペースキャラは「あなたが必要なの!」とそんなに言わない割に、一緒にいて変わらないだけで安心できるからいいんですよね。
そして入っていた下級生s。
あくまでも高校生という枠の中での箱庭であるのには変わりないんですが、音楽は一つのつながりの理由であって、それぞれは前を向いて別のことをしている。ここがいい。
で、アニメ版。高校生という箱庭をいかにキラキラに描くか、というのが映画版で特に強く押し出されていましたが、学校ではいつも一緒の割に意外と学校以外では遊んでないというのがちょっと面白かったんですよね。
あ、律と澪とか、和と唯とかは除きます。唯と律とかって休日遊んでなさそうなんです。ムギが律と遊びに行く回は非常に新たな一面が見られていい回でしたが、それは実は全員が「いつも一緒」ではなかったから。
律なんかは、TV版でも映画版でも他の友だちがたくさんいるのが描かれているのも印象的でした。いちごとかね。あれちょっとだけのシーンなんだけど色々想像しちゃいますよ。
なるほど。アニメ版「けいおん!」は箱庭のようでいて、一瞬を切り取っただけで実はそれぞれ別な方向を向いている。ただ音楽がある瞬間だけはみんなが集まる。
いいじゃんその距離感。
 
もう一つは「YES!プリキュア5」。
ナッツハウスなんですよ、ようは。
それまでのプリキュアって割りとべったりくっついて仲良くしていること多かったのですが、5は「一緒にいる未来」をそこまで重視していなくて衝撃を受けた記憶があります。
咲と舞なんかは一生二人で過ごしそうなんだけど、あの5人は「将来どうするか」を個々に考えてバラバラの道歩む決意できているんですよね。すごいことだよ。
だから普段は、別に一緒に過ごしていたりはしません。まあのぞみとりんちゃんさんは幼馴染なので別格ですが、他の子は年齢が違うというのもあって別行動です。海に行く回なんてみんなバラバラですからね。なにやってるの!
けれどもナッツハウスに集まる瞬間は、全員がつながる。ここだけ箱庭。閉じた園です。閉じているんだけど、別に一緒のことをやっているわけじゃあない。漫画版の「プリキュア部」という表現が極めて的確だったと思います。
 
他にも例えば「アイドルマスター」のアニメ版なんかもそうだと思います。結束力があるかといえば、あるんだけど別に普段からべたべた一緒なわけじゃない。映像としてみているときは箱庭なんだけど、実際は個々がそれぞれの道を見ていて、集まらない時の方が圧倒的に多い! 
だからこそ、思いはバラバラでも集まる瞬間があまりにも愛しくて輝いて見えるんだなあ。
 
プリキュアシンドローム!」では鷲尾プロデューサーが「湘南爆走族」と言っていましたが、確かにこれ男でも個々に活動しながらも一つの集まれる「居場所」があるのは本当に魅力的。
女の子だとなんでいいのかというと、そこは男子以上に不安定で気まぐれで、だけど感情の動きが強いから。
その空間に男が入ってしまうと崩れてしまいそうな脆さもあるんだけれども、彼女たちはそれぞれ夢中になっているものがあるからなびかない、ってのもいいんですよ。「アイマス」だったらトップアイドルを目指すことに夢中で男眼中にないですし。「ストライクウィッチーズ」もペリーヌやミーナさんが戦争という過酷な世界に対する姿勢だったり、あるいはシャーリーが最速を目指したりと、やりたいことがあるのがいい。
プリキュア5」はそういう点では非常に異質で、ココとのぞみ(あとナッツとこまち)の恋愛があるわけですが、それすらも「5」の方では期限付き、いつか別れないといけない、という切迫感があったゆえに、ナッツハウスで集まっている瞬間が輝いていました。
けいおん!」の映画版は特にそうですね。梓と別れないといけない。でも何かしたい。その思いがロンドン旅行という一大イベントよりもはるかにでかい、というのはすごい演出。ロンドンおまけでしたもん。
 
それぞれが前に進む姿が見たい。
だけど集まれる場があって、生き生きとした笑顔で仲間といる様子が見たい。
そういう人には「ストライクウィッチーズ」の映画版はもう全力で薦めます。本当にその一点は飛び抜けてキラッキラしています。おなじみ飛行中のBGMがテンション高めます。
逆に、その「集いの場」というテーマに興味がない人には、「けいおん!」の映画も「ストライクウィッチーズ」の映画もいまいちどういう映画なのかわからなくて「?」となるかもしれない、とは思いました。重点はあくまでも「集いの場」にあるからです。
でも「集いの場」を体験したことのある人、何かのコミュニティで幸せな経験をしたことのある人は、たまらないんですよこういうの。あるいはそういう場に憧れている人。
ウィッチ達が並んで飛んでいるのも、軽音部が「天使にふれたよ!」を演奏しているのも、765プロがオールスターライブで歌っているのも、そこまでの道のりを知っている人にはたまらなくグッとくる。
ぼく個人の感情としては、そういう「場」、よりかかり過ぎない、それぞれが歩みながらもたまに集える場がたまらなく好きです。
だから、ストライクウィッチーズのズボン(ぱんつ)を見てニヤニヤしながらも、みんなが集まってくるシーンで服部静夏のように「わたしもこうやって飛べるんでしょうか」って思っちゃうんだな。
わっはっは。飛べるさ。
 

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