たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「キルミーベイベーファンブック&アンソロジー」キルミーの世界は、人が死ぬ世界の上澄みだ。

 
キルミーのアンソロジーが、すごい。
実は最初スルーしてたんです。だってちょっと値段高いんですもの。ファンブックでカラーだから、まあそこまで損でもないかなーとは思いつつも、どうせなら1500円くらいのガチのアニメ・マンガファンブックと1000円以内のアンソロがいいなーと。
(ちなみにマンガのファンブックなので、アニメ情報はありません。注意!)
で、中身も多分4コマやギャグメインのアンソロジーだろうからまあ、あとでもいいかなーと。
でも書店で見かけて本を裏返してみた時に、仰天したんですよ。
有名な4コマ作家さんに混じって……小島アジコ袴田めら今井哲也……
えっ?
これは間違いなくヤバい何かが載っている、と嗅覚が働いて、慌てて買って来ました。
結論として。
ヤバいです。
8割は明るく楽しいキルミーベイベーの世界。
2割はドス黒いキルミーの世界のリアルを描いた作品。
確かにこれは本編ではできない。アンソロならではの企画です。
 

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キルミーベイベー」は、殺し屋ソーニャとアホな子やすなの日常を描いたスラップスティックコメディ。
「たまごまごのココがアニメを楽しむツボ!」第6回 『キルミーベイベー』 殺し屋と女子高生、二人のほんとの気持ちはヒミツだよ。
二人きりの世界の、明るく楽しく狭い毎日。「キルミーベイベー」 - たまごまごごはん
まあ、残酷度合いに関しては非常にライトで、でもやってることはハード。トムとジェリーみたいな感じです。
リアルだったらやすな何回死んでるかわからないくらいですよね。ギャグギャグ。
 
と言いたいところなんですが、なんだか妙な儚さがある作品でもあります。マンガアニメ共に。
何が儚く見えるかというと。
1・二人しかキャラが出てこない(たまにあぎりさん)
2・ソーニャが結局何をしているかわからない
ここなんです。
 
まず1ですが、ここは解釈がわかれると思います。
やすなはソーニャが大好きで、二人でいる時が一番楽しいから視野が狭まっているだけの描写。二人共一緒にいない時はそれぞれの時間をちゃんと過ごしている、という考え方。やすなに他の友だちがいる可能性です。
もう一つは、本当に二人は友達がお互いしかいない、という考え方。あとあぎりさん。
これについては、原作もアニメも一切答えを用意していません。少なくともモブ自体はいるので「実はこの世界は二人しかいない世界だった」なんていう恐ろしいオチはないんですが、前者であれば描かれない二人の部分がお互いに知らない、というなんかちょっと切ない状態になります。後者であればそれはもうちょっとやりきれないです。
 
そして2。
ソーニャは殺し屋殺し屋と言っていますが、実際に殺すシーンは描かれていません。まあ描けません。
やすなもソーニャに殺し屋をやめるように言いますが、少なくともやすなはソーニャの「殺し屋」としての顔を見ていません。まあ実際に殺害現場なんて見たらえらいことになるんですが、これだけ干渉しているやすななのに、ソーニャの「本当の顔」は知らないんです。
これってすごく、寂しいことです。
 
これらを踏まえると、実はキルミーベイベー」の作品で描かれている二人の幸せな世界は、何か得体のしれない世界の表面だというのが見えてきます。
上澄みなんです。水底にはどんよりと溜まった、文字通り死臭があるはず。それは見せず、綺麗な部分をすくって見せているのでこんなにも楽しく、切ない。
まあ、ギャグマンガですからそんなに考えなくてもいいんですが、この二人がもし成長していくとなると、どこかで今の楽しい時間の終焉が来てしまう。上澄みを取ったあとから、死臭が浮かび上がってしまう。
 

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上記3人の作品は、まさにその部分を突いて来ました。
ぼんやりと考えていた「死」についての儚さを、キルミーのオフィシャルで読めると思わなかったので驚愕ですよ。
 
まず袴田めら作「苺とチョコレート」。
少女百合マンガの大家が何を描くのかと思ったら、なんとやすな視点から見た「死」という強烈なシーンでした。
やすながたまたま交通事故を見てしまい、そこで人がどうなったのかに興味を持ってしまうんです。
人が死ぬってなんだろう? 気持ちが高揚してしまった、不謹慎だ。
でも退屈な毎日を繰り返している私達には、刺激的で魅力的だ。
……というモヤモヤを隠して、やすながソーニャに明るく接するんです。殺し屋であるソーニャに。
ああなるほど、ソーニャが殺し屋としての一面を見せないとしたら、やすなもまた、見せていない一面があるかもしれない。
死と隣り合わせの友人がいることで、自分も死と隣合わせかもしれないと考えるやすなの姿は、いつもどおりの笑顔なのでギャップでゾワっとします。
 
次に小島アジコ「キルミーキルミーベイベー」。
801ちゃんのアジコさんじゃなくて、ORANGE STARのアジコさんが来たよ! 世界不信でトゲトゲだよ! 待ってました。
先ほどの話で言うと1の件なんです。二人きりのマンガという特殊な状況、傍から見たら一体どうなのか。
「そーいやーさー、私のクラスに自称殺し屋の女子がいた話、したっけ?」
ああ、そうか。第三者からみたらソーニャの現実は見えてないから「痛い子」なんだ。
「あー、そういえばとりまきみたいのがひとりいた。すごくもっさりした成績も運動神経も悪い、中学校だったら絶対いじめられてそうなタイプ」
「なんかキモいの同士が傷なめあってるみたいなんですけどww」
ああ、やめろ、やめろ!
けれども、もしやすなに友人がいなくて、二人でいるのをクラスメイトが見ていたら、出てくるかもしれない発言です。まあアジコ流というか、かなり人間不信にブーストをかけているので、「周囲はみんなばかにしている!」という被害妄想を具現化したようなマンガに仕上がっています。強烈です。
ところがこの第三者の会話、うわさ話の域から、死の話にシフトします。
バカにして笑っていた「殺し屋」。でももし本当だったら?
最後のオチまで含めて非常にとんがったマンガ。これを読んでからキルミーを見ると見え方が変わります。
 
そして今井哲也作「いつまでふたりで」。
今井哲也先生がアンソロジーに参加して普通なものを描くわけがない。でも最初の方は普通のキルミー同様のギャグ4コマになっています。
あれ、普通に描くように言われたのかな、と思って読み進んで行ったら、やっぱりありました、巨大な落とし穴が。
ソーニャはやすなに言われて「殺し屋じゃない人ごっこ」をします。やすなはいつもどおり面倒くさいネタフリをしてきて、ハンバーガー屋でドタバタを繰り広げます。
でも一応やすなは「ソーニャに殺し屋をやめてもらいたい」という純粋無垢な思いでコンタクトをとっているんです。それはソーニャもわかってる。
この作品の1人称はソーニャ。
「こいつにとって、普段の私は『普通じゃない』なのか。……まあ、そうだろうな。ひとを殺すことが日常の人間なんて」
先程も書いたように、キルミーの世界は「描かれている世界」と「描かれていない日常」が対をなしています。どっちが「本当の自分」なのか全くわからない。
実はハンバーガー屋に行ったのも、ソーニャのターゲットが取引にくるという情報があったから。つまりやすなといる時間ではあると同時に、殺し屋である自分の時間でもある、という極めて珍しいケースでのワンカットを描いています。
ソーニャの「普通」は、やすなとドタバタやっている時間なのか。それとも殺し屋として残虐に人を殺している時間なのか。
 

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少女期と死は似ています。
どちらも、幸せがあって、終焉がある。
終焉があるから幸せだと感じられる。
キルミーベイベー」は別に深刻なマンガではありませんが、少女を描き、死を臭わせることで「少女と死」というテーマを包含している可能性を見せました。あくまでも可能性なんですが。
それを、プロの作家が汲みとって、公式のアンソロジーで出したというのはすごいことですよ。
二次創作同人誌でもいっぱいあるのかもしれませんが、公認で出せるということに驚いた。
ほんわかギャグと、理不尽不条理系と、このような死の臭いのする作品のバランスがあまりにも絶妙。
この作家陣を選んだ編集さんはすごいとしかいいようがない。よくぞやってくれました。
それでいてファンブックとしての資料的価値ももちろんあり。カラー原稿全部載っているのはおいしいです。
あと、キルミーキャラクター診断て・・・3人しかいねえじゃねえか!
なにはともあれ、明るく楽しい「キルミーベイベー」を見たい人には不条理系とリアル系マンガは毒が強すぎるかもしれません。
けれどももともと死を扱っている作品。是非「少女」と「死」について見てほしいんだ。