たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

近過ぎない、遠過ぎない、適切な人間関係の距離感「メラン・コリー」

親友の「にしうりわりと」君の単行本が出ました。
「西瓜割」って書くので、書店さんによっては「す」の棚にあったりするんだぜププー。
「に」ですので。
 
まあ友人の本となると「宣伝ですかー」とおもわれるかもしれませんが、前もちらっと書いたんですが逆なんですよね。
友達の本だからこそ、がっつり読んじゃうので厳し目に読んでしまうというか。あら探しするというか。だってもっとよくなってほしいじゃん。
で、ここで書いてるってことは、この漫画が悔しいけど素直に面白いと思ったからです。
悔しいは褒め言葉ですよ。
 
そもそも、ぶっちゃけこのマンガ超出落ちなんですよ。
作家名が「西瓜割」で、ヒロインがスイカ少女。ネタ完成じゃないですか!
なもんで、どーすんのこれ、と。出オチはあとがきついぜと。
しかし作者が描きたかったことは別にこの出オチじゃないんですよ。というかそこで「出オチかよ!」ってのは、罠。
 
このマンガは「まんがタイムきららミラク」に掲載されているもので、いわゆるきらら系4コマのハードルは背負っています。
かわいい女の子が多い、変顔やショッキング展開は少ない、などなど。
続き物でキャラが多いのも「きらら系」を担っているので、初見誰が誰か覚えるまで連載だと追うのが大変、というのもあります。
しかし、この作品はひとつぶち破っているものがあるんですよ。
それはスイカ娘が分かれば、あとはわからんでもなんとでもなるというもの。
乱暴な言い方に聞こえるかもですね。
決して他のキャラがおろそかになっているわけじゃなく、細かく描いてあるんですよ。それは一冊通して読めばわかります。
でもさ、雑誌をたまたま見た時に、全部のキャラなんてわからないでしょう。
そこで、この作品は「スイカ娘メラン・コリー」と「その他」でがっつり分けてしまっています。
メラン・コリーだけ認識できれば、それでいいんです。それで内容分かるんです。
スイカかぶってますが、実はこのスイカも割れたりかぼちゃに変えられたり無くしたりと、案外扱いが雑。
スイカかぶってなかったら分からなくならない?と思うんですが、彼女だけ関西弁なのですぐわかります。このへん作者のテクです。激しい会話のやり取りが多いマンガで、特にメラン・コリーはやたらしゃべるのですぐわかるんです。
 
ならば「ドラえもん」とか「侵略イカ娘!」系なのかというと、全然違う。
だって、この子なんもできないですもん。
オバQ以下だよ!
スイカ人間というアイデンティティも、扱いがとんでもなく雑。そこ重点じゃないんです。
 
じゃあこのマンガなんなの? 「異文化が混じり込んだ」系ギャグ漫画じゃないの? 違う。
このマンガのキモは人間関係って結構雑でもいいんじゃねという芯が通っていること。だとぼくは思いました。
っていうかだからこそ、悔しいけど面白いんですよ。
ぼく自身は「けいおん!」とかのように、色々な関係を積み重ねて「楽しいこといっぱいやろう! もっとみんなで一緒にいよう!」っていう青春ドラマが大好きなんです。眩しいよね。特に女の子たちのそんなの、キラキラしていて目が潰れるよね。
ところが「メラン・コリー」はそういうの、一切無いんですよ。
 
メラン・コリーは亜民という少女のところに居候をするんですが、家族はほとんど出て来ません。二人暮らしみたいなもんです。亜民の家には佳乃という仲良しの子がちょくちょく遊びにきている、という設定。友人に光と杏という子がいます。
で、メラン・コリー(以下メラ)が余りにも働きたくないからと逃げ出すシーンがあります。
そこの会話。
 
杏「新しいの買えば?」
亜民「あた、新しいのってそんな……」
佳乃「無神経ね」
杏「そう? 何かメラっちじゃないといけない理由があるの?」
亜民「え? それは…… いや……別に無いですけど」
杏「(……無いんだ……)」
 
無いんだ……。
亜民すっげーいい子なんですよ。なんですが、のび太ドラえもんを愛するように、栄子がイカ娘をいじくるように、メラをそこまで気にかけているわけじゃあない! 雑!
ちょいボケ気味の亜民、亜民が好きでかなり気が強い佳乃、気が弱いのを克服すべく髪を染めたけどやっぱり気が弱い光。メラはほぼ全員ボケなのでツッコミまくります。メラ自身ツッコミどころ多いんですが、そこはセルフツッコミだったり、流しオチ(放置プレイ)だったりするのが、基本ギャグ。
で、これの繰り返しで人間関係が深まっているかというと、外見的にはぜんっぜん深まらないんです。
 
人情話的なもの殆ど無いです。
それ自体もメタネタになっています。
亜民が一人暮らしなのを「メラちゃんも居ますし(寂しくない)」と言ってくれそうな展開をメラが期待しても、そんな展開は一向に起こらない。感動のシーン、無し!
確信犯的なんです。この人間関係の雑さ。
 
で、外見的には深まらない、と書いたのは、実は内面的には深まっているからなんですよ。
杏というキャラがいて、この子も亜民達の友達の一人なんですが、性格はすごくマイペースで自由なんです。適当なんです。
この「適当」は本来の意味の適当ではなくて、いい加減の方の適当。間違った用法の方の適当。
出番もそれほど多くないですし、唐突に出て、唐突に去ります。
突然亜民家にあがってきて「何か面白いことやってよ」と言い出したり、メラのスイカが割れた時にカボチャ買ってきたり、町中でひょろっと会ってメラにいらんこと言って「ほんじゃあたし用あるからまたね」とさらっと去ったり。
全く、彼女から強い「好き」という感情のようなもの、ありません。もしかしたら亜民達とも仲いいけど、マンガの枠の他に仲いい友達いるんじゃないの、ってくらい。
 
ここなんですよ。
杏が非常にこのマンガを象徴するキーキャラになっているので例として出しましたが、メラをはじめ全員が依存的な友人関係を築いていないんです。
そしてよく言えば良い感じの距離感をとれているから、すげー心地いいんですよ。
メラすらも、かまってもらっている亜民や他の子に依存してないですからね。
それぞれが独立して、各々の人間関係を持っている。たまたまその瞬間なんとなーく意味はないけど仲がいいからみんな集まっている。
その中にメラがいて、なんとなーく輪に加わってツッコミ役になるけれど、別にいなきゃいけないわけじゃない。けれどもいたら仲良くはしている。
「好き」とか「嫌い」じゃないんです。もっとフラットな「一緒にいる」関係なんです。
 
4コマ漫画はコマのサイズで人間の描ける量が決まりやすいのもあり、比較的小さな世界、小さな人間関係を描くのに向いています。だから職場物とか学園ものが非常にフィットするんですが。
ところが「メラン・コリー」は杏のようなキャラをはじめ、全員がバラバラに人間関係を持ってそうで、たまたまその円と円の接点がこのマンガにおさめられているだけにすら見えます。やたらと広いんです。
なんか水素結合みたいです。強いようで弱いようで強い人間のつながり。
このいい意味での「雑」な人間関係がすげー心地いいんだぜ、というのを、出落ちではなく描いているから、悔しいけど面白い。読んでいて楽しい。
ほっといてもこいつらつながってそうだし、離れてもなんとでもやれそう。これ気持ちいいですよ。
 
個人的には前半見せたメラの下ネタ色のどぎつい会話やバイオレンスなやり取りがもっとみたいんですが、そのへんは雑誌的に難しいのかなあ。
「女の子同士物」に見せかけて「男同士で適当にやってる時の気楽さ」みたいなのが描かれているから楽しいので、そこはうまく、どこまでできるか追求してほしいです。
あとはやっぱり、杏です。彼女の出番が多すぎても少なすぎてもいけない、なんか歩いてたら偶然会うくらいの頻度がいいと思うんですが、彼女が今後どう絡んでくるのかは大きなカギになりそうです。
本当の意味で肩に力を入れずに読めるマンガに仕上がっていると思います。新食感だなー。
 
メロンコリーそして終りのない悲しみ
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あ、間違えた。
  
なんかこのまま漫画が続いて、数年後お酒飲める年になったら全員酔っ払ってテーブル囲んでいる図がすごくイメージしやすい女の子マンガ、というのが第一印象です。その時に彼女たちがするのはあけっぴろげな猥談で一つ。
なんか全員彼氏いても不思議じゃないんですよね。メラ以外。
あとがきがわりの「メラン・コリーインタビュー」がこれまためんどくさい外タレっぽくて、この放り投げ感実にいい。