たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そして凸守には、本当の意味で笑える日が来たんだ

ぼくの大好きな女の子が出るアニメが最終回を迎えました。
その子の名前は

凸守早苗ちゃんデス!
 
最終回は本当にいい終わり方でした。
正直、六花と勇太はまあ救われるだろうと。そうじゃないと困るぞと。思っていました。
確信めいたものもありました。絶対なんとかしてくれるだろうと。
けれども、ぼくの愛する凸守はどうなるのか、全くわからない状態で11話が終わっちゃったわけですよ。
凸守とモリサマーはやっぱり「光」属性だったんだ。 - たまごまごごはん
もう、この一週間胃が痛くて胃が痛くて。
「大丈夫、脇役だからって放置するようなことはない!」と自分に言い聞かせつつも、正直恐怖でした。
だから、最終回で最初凸守が出てきた時、心臓が止まるかと思いました。
冗談でも誇張でもないのぜ。
 

●おでこが見えない凸守●


作中キャラが「オマエ誰だ!」と言ってわからなくなるシーンっていろいろなマンガ・アニメであると思いますが、このシーンは本当にわからなかった。
わかりたくなかったが正解かもしれませんが。
まさか、凸守が髪を下ろしたらこんなふうになるなんて。
そもそも「髪を下ろす」という発想自体ありませんでした。
ええ、とても美少女で、かわいくて、お嬢様っぽくて、この髪型最高だと思いますよ!
今だからこそ「見られてよかった」って言えますよ。
思うけどさ。思うんだけどさ。
これを見てどれだけショックだったか!
 
六花が眼帯を取ったのは、大きな事件でした。
勇太に言われて、そして現実を受け入れるための決別として眼帯を取った六花。
大変な事件でした。
 
それと同じくらい、へたしたらそれ以上に大きな事件が彼女には起きてるんです。

一人、自作魔法陣を解体する彼女は何を思っていたことか。
彼女がこうなったきっかけは、ひとつは六花がマスターではなくなった(中二病離れをした)こと、もうひとつは先輩である勇太に叱られたことです。
直接的な原因は。モチロンそれ以外にも山ほどあるはず。
 
凸守は、純粋に「楽しい」から遊んでいた子でした。
中二病」というカテゴライズが正しいかどうかもわかりません。ごっこ遊びです。
勇太は彼女が楽しんでいた世界を否定しました。そのとおりです。
でも凸守は11話ではっきり言いました。
「そんなのわかっている」と。
分かった上で、楽しいから遊んでいた子が、決別するのは並大抵のことじゃないです。
 
じゃあなんで髪の毛なのか?

今まで彼女は髪の毛をすごく雑に扱っていました。まあ、痛むからあんまりよくないよね。
とはいえ、あの髪の毛のツインテールは、彼女にとっては「ミョルニルハンマー」なわけですよ。
そのミョルニルハンマーを捨てた。
彼女が一旦、大好きな六花や、大好きな中二病的な遊びから離れるには、口癖の「デス」(DEATH?)とミョルニルハンマーを、最初に捨てなければならない。
まずは形から。幼い考え方かもしれないけど、まずはそこからです。
六花のシンボルが眼帯だったのと同じです。

そのわりに、ヘアピンがハンマー型なのは、引きずってるのかなあ、なんて思いました。
引きずってるっていうか、まだこの段階では根っこまで変わってないんですよね。
表面だけです。
 
この髪型、奇しくもある一つのものを隠してしまいました。
それは。

凸守のおでこです。
おでこを出すのが子供っぽいから、といえばそうなんですが、今までの凸守の髪型を見るに、意図的に隠そうとセットしないと隠れないんですよね。
ツインテールをほどくだけじゃなくて、前髪をわざと垂らしている。
 
凸守のオデコは、幼さや純粋さの象徴みたいな扱われ方でした。
あるいは子供的な頑固さとか。硬いし。
それをわざわざ隠したというのがグサグサ来ました。
 
もう泣いてもわめいても、あの部活(?)は戻ってこない。
最後まで抵抗したけど、六花は自分で道を選び、勇太は現実に帰れという。
そこで我を通して、一人抵抗し続けるレジスタンスになるという道もあったんです。
けれど、彼女はそれをしなかった。
彼女のこれは演技でもなんでもなくて、悩みに悩んだ末の決断だったんでしょう。

11話の泣き顔の後に、こんなん見せられたら……。
もうダメかと思った。本当に。
 

●凸は一生治らない●

今回最大の救いは、ここでした。

あっ!
これが何を意味するのかは色んな感じ方があると思います。
未だに「偽モリサマー」だと憤っていてちょっかいをしかけている。
モリサマーなら自分のことを受け止めてくれるのを知っていて、ちょっかいをかけている。
周りが変わっても、モリサマーがいることだけは変わっていないと安心できている。
勇太や一色やくみんには出せなかった彼女の本音も、モリサマーにだけは出せるんだというのを見て、深く息をつきました。
大丈夫だ!
 
「まずは外見から」というのは、何か自分を変えるときにもっとも最初にする行動です。
高校デビューをする。だからまずは外見から。
新社会人になる。だからまずは外見から。
父親・母親になる。だからまずは外見から。
これがモリサマーの言っていたセリフに重なってきます。

「なんかこう、自分は人とは違う、自分だけは気づいているから特別だ、とか。そういうのにすごい囚われてるっていうか。ほら、富樫くんも私も中二病を卒業して、高校時代は普通の高校生やるぞーって思ってたわけじゃない? でもそれだってきっと、『普通の高校生』みたいなイメージを、自分で勝手に作って、それに囚われているのよ」
ダークフレイムマスターの格好をやめた勇太。モリサマーを捨てた丹生谷。
ミョルニルハンマーを捨てようとした、凸守。
自主的に恥ずかしくなってではなく、半強制的に、です。
選択肢がなかったという意味では、六花も同じ。
恥ずかしくなったわけじゃない。飽きたわけじゃない。

ここなんかは本来笑えるシーンなんですが、そう考えるとなんか切なくなります。
もう根っこの部分で、好きで仕方ないままなんだよ。
大好きなんだよ。
大好きなんだよ。そういうのが。
「そういうの」ってのはすごくアバウトです。アバウトでいいです。
魂で感じる部分だ。
 
幼いながらに形だけでも、自分の想像する「普通の中学生」に戻ろうとした。
でも、戻れなかった。
つーか戻らなくていい。
最初の頃、六花の家でモーゼルを握った勇太がぼくすごく好きです。
あれは心からの本音ですよね、「かっこいい!」って。そうそう、それでいいんだよ。一生それでいいじゃん。だれがモーゼル嫌いになるべきなんて言った。むしろ言われたって好きでいればいい。
凸守もそういう点では無理矢理に髪をほどかなくても、そのままでもよかったのですが、彼女が好きなのは「中二病的なもの」だけではなく、六花なんです。
六花が哀しい思いをしているのに、一人ギャーギャーやってられない。
でも。でも。
凸守が何も変わってなかったというのを改めて、ネタをクッションにしながら見せてくれて、どれだけ救われたことか。
 
この作品は、中二病全肯定アニメです。
中二病」ってカテゴライズがよくないのかな。伊集院光的な使い方なら、自虐的にそれを懐かしんで笑う、のほうが近いと思うんですが、誰か第三者が「中二病だ」と指さして笑うものではないでしょう。
「好き」でいいじゃないか。
個人的にこの作品で、足から頭まで「好き」でできていた凸守だから、大好きだった。
だから、彼女が、たとえ外見が変わろうと、「好き」であることが変わってないのを見た時、涙が出るのも当然ってもんでしょう?!
「好き」なことしてる彼女が、「好き」なんだよ。
 

●これでいいのだ●


くみん先輩はすごかったですね。
これもギャグシーンではあるんですが、六花の完コピとは恐れ入る。
だってそんだけ、見て覚えていたんでしょう。これすごいですよ。
寝てばっかりに見えて、この人全部見てるよ。
 
くみん先輩は一歩引いた位置にいます。
モリサマー的に言うところの「○○でありたい」という理想像がないキャラです。
一色でさえ、モテるためにギターやってるのに。くみん先輩と、普段の凸守はそういう「こうあるべき」という意識がない。
楽しいものを見たら「楽しいね」と、素直に言える貴重なキャラです。
彼女はリセットポイントみたいになっていて、あっちにふらふらこっちにふらふらするキャラクター達を、別に諭すでもなく自然に元に戻す作用があります。
もっとも、後夜祭で布団持ち込んでいたのはありえないと思いますが。あれはなんだったのか。燃えるぞ。
 
しかし、今回で彼女がすごいキャラだったことは実証されました。
というかやっぱり今まですごかったんだなと。何もかもわかって見ていたんだなと。
六花もそれをわかって、くみん先輩に伝えたんでしょうし。
それにこれ。

靴だけじゃない、ちゃんとわかってる眼帯。
「形から」ではじまり「形」で安定する。
わかって受け止めているくみん先輩はすごい。
もし今までの全てわかってやっているなら、改めて見直すととんでもないキャラなんじゃないかしら。
一色のことはよくわからないですが。
 
そうそう、一色よかった、すごいいいやつだった!
今回自転車で駆け出した勇太を見て、すぐモリサマー、凸守、くみんに連絡をしたって、コイツめちゃくちゃいい奴じゃないか。
一色は中二病的なものは患っておらず、恋の病だけ患ってますが、近からず遠からずで勇太の大親友になるんじゃないかな。わかってくれるという意味で。
この距離感好きだなあ。
 
そして。遂に。

凸守復活!
この瞬間は、本当は「六花よかった!」なんですが、「凸守よかった!」デスよ!
別に髪の毛そのままで来てもよかったわけじゃないですか。
違うんだよ。
六花の前では、「早苗ちゃん」じゃなくて「凸守」でありたかったんだよ。

このシーン。六花と勇太が自転車で走っていくシーン。
いいよね。おさえているのが凸守ってのが。
凸守的には、ちょっと嫉妬もあるでしょうに、まずは六花が六花であることを優先できている。
 
一回どん底まで落ちてから、もう一度好きなところに戻ってきた人間は、強いぞ。
 
ほんというと、この後また部室でのんべんだらりとやっている姿や、マスターと戦う凸守の姿、見たいです。
見たいんだけど、とりあえずそこは今は描かれなくていいのかな、と。
凸守の11話から12話までの物語は、きっと描いたらとんでもなく多い情報量が詰まっている気がします。
だけどそれはあえて見せないで、こちらが受け取るがままにして、結果だけ……凸守は大好きなものを守ったという結果だけ見せてくれました。
よく見ると、ちゃんとおじいちゃんひきとめる凸守、髪の毛にミョルニルハンマーつけてるんですよね。ワンカットだけ。
なんだか、すごく、嬉しかった。
 
本当に素晴らしい作品でした。
なにか余韻を持たせて考えさせるというよりは、はっきりと「中二病」へのエールを送った明確な作品ですが、その明確さがとても心地良かった。
なにせ、誰かに否定されたり、周囲に圧倒されたりすると、不安になりますしね。
自分の好きなものを、自分は好きでいたらまずいんじゃないかと。流されそうになるもの。
でも、それでいいんだよ、と言ってくれるこの作品はやさしい。
反対していたおじいちゃんですら、そのうち認めてくれるんだろうなと思うくらい優しすぎる世界。
 
好きでいいのかな、楽しんでいいのかな、と不安になったら、今後凸守を思い出そうと思います。
ぼくは凸守に出会えて、本当によかった。
大好きです。
ありがとう、凸守。
 
 

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