たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

セックスも生活の一部ですから「真田と浜子」

 
日本には、艶笑が必要なんだよ。
と、昔のドリフとか見ながら思います。まあ、ノスタルジック感情に近いですが。
エロとかポルノじゃなくてね。「性」があけっぴろげで、愛はあるんだけどちょっと間抜けっていう性。
それこそ、生きてたらちんこは立つし、濡れるし、興奮するの当たり前じゃん、生活の一部だよと。それを笑い飛ばす文化はとても好きです。
 
ハイソンヤギ先生の『真田と浜子』は絵柄でそこ、勝ちましたね。
やってることは、状況を丁寧に描けば18禁にされるかもしれないことではあるんです。
ちょいデブでマイペースなサラリーマン真田。ドSでドMなマイペース系女子の浜子。
この二人の性生活を描いたマンガです。
ギャグでしょ? って言われたらギャグですが、全裸にもなるし、フェラチオもするし、セックスもする。
だがそこに色気があるかというと、ないです。
 
正確には一周してこの二人の関係が色気あるんですが、あくまでも色気はないように描かれています。
一緒に風呂入ったりするシーンもあるんですが、デフォルメというか極度に記号化されています。
あとは行動ですね。真田もこう言っています。
「その放漫さが浜子の色気を奪っているのね」
そうね。雑だもんね。
ぼくそういう女の子の方が好きだけどね。
 
まあ一般的には「恥じらい」がエロスになるわけですよ。
でもこの二人には「恥じらい」という言葉は一切ありません。
そういう時期もあったんだろうなーとは感じるんです。でも慣れてくるとさ、生活の一部じゃんすか。着替え見られるなんて気にならくなるどころか、セックスしてたら裸見られたところでなんじゃらホイですよ。
にしてもふたりとも雑すぎるけどね。普通ではないか。ちょっと変態ではあります。
 
なんせ1ページ目の会話がこうですからね。
浜子「そろそろお尻も試してみたいのだけれど」
真田「ぶっ。公共の場で突然何を言い出すんだ」
浜子「あ、誤解しないでね。私のじゃなくて真田のよ」
インファミレスで男のアナルの話をするカップル。なんだこれ。
全編こんな感じの会話とやりとりで描かれます。
 
男女のアホエロ話って、「変態」は変態なんですが、なんといっても滑稽なんですよ。
たとえば勃起ちんこだとエロいけれども、立ってないしおれちんこが縮こまってると滑稽で笑えるのと同じ。
おっぱいは見えたらうれしいけど、ものすごい勢いで脱ぎ捨てて「のあー!」って言いながら走ってたらギャグにしかならないのと同じ。
この絶妙な滑稽感が作品を貫いていて、その上で二人はえっちして、そのあとお互いにボケたり突っ込んだりしてるから面白い。
まさに艶笑譚です。
 
角度を変えたらエロになるシーンは多いんです。
たとえば浜子がおしっこ我慢しているのを真田が持ち上げたらすごい引きつった顔になるんですが、その時に真田が興奮して勃起するんですよ。
これエロマンガで描いたら、放尿プレイとして超一流なシーンですが、このマンガだから笑える場面に大変身。
真田は浜子が暴れないように髪の毛を縄で縛って逃げられないようにしているんですが、そもそも手を使えばほどけるし、手に持っているはさみで縄切れば逃げれるシチュエーションなんです。でも浜子アホだからそれをしないんですよ(あるいはM属性だからなんですが)。
尿意と真田の変態っぷりに、勢いあまってなんと髪の毛を切るという暴挙に!
割りとSっけのある真田はトイレに入ろうとする浜子の横から、トイレに入っておしっこをするという我慢プレイに入ります。
結局浜子はお風呂でおしっこするはめになるんですが、ここもエロいシーンとして取れるはずが、角度を変えて「滑稽」にまとめています。
まあ、この後二人がいたしたかどうかわかんないけどね。尿くさいね。
 
性が生活の一部になって慣れてくると、どんどん性が滑稽になりますが、この二人の距離感の描き方がうまい。
「同棲」じゃないんです。半同棲なんです。
だから、真田宅に一緒にいる時もあるし、いない時もある。結構気まぐれです。
もちろんそやって暮らすくらいですから、仲良しなのは間違いありません。どんな恋愛があったのやら。
けどそれはそれ。豪快で快活で雑な浜子と、S気味で豪胆で雑な真田は、セックスを生活の一部とした、ケンカも普通にできる、気が置けない関係になっています。
なんですが、名前の呼び方が「真田」と「浜子」なんですよね。
ってことは、そこまでお互いあんまり結婚については考えていない。
それぞれ別々の生活を普段送っているはずなんです。でもそこは一切、全く、描かれない。
あくまでも二人の接点ある時間だけ切り取って描いています。
 
なんか、このくらいの関係の方が「愛」って感じがして、いいですね。
あんまり壁パンな関係じゃないです。ゲラゲラ笑えます。
このシモネタや艶話でゲラゲラ笑って受け入れられることこそが、日本的な「愛」を感じる瞬間なんじゃないかなー、なんて思ったりしますが、まあ人それぞれよね。