たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

友達は恋愛よりも難しい。『ともだちマグネット』

 
そもそもだよ。
「オタク」と「リア充」って、人間そんな二分できるものじゃないでしょう。
オタク生活が充実していれば「リアル」が充実しているわけですし、リアル生活を謳歌しつつオタク趣味を持つ人もいる。
「オタク」と「リア充」に線引きしたって仕方がないよ、だってみんな人間だもの。
 
という前置きをしておきまして。
それでも! やっぱり! 「オタク」側には引け目がなぜかある!
のが現実。
なんも悪いことしてないんですが、なかなか自分のオタク趣味をオープンにするのは難しいものです。隠れオタク歴半端じゃない自分が経験で語ります。
最近は気軽に「俺オタクだからさー」とかいう人増えましたけどね。うらやましいし眩しいよ。
当然ですが、全く悪いことじゃないわけですよ、オタク。むしろ想像以上に世の中は寛容になりつつある。
けれども「プリキュア好きでさー」と言うのはどうにもツライ。キビシイ。言いづらい。
ごめんなさい、好きでごめんなさい、ってなる。
これは「オタク」なのが悪いんじゃなくて、自分の中のコミュニケーション不全を、ぼくがオタク趣味と脳内で結びつけているから、勝手に苦しくなっているだけ、なんでしょう。
そういう意味ではネガティブなスタートラインなのかもですね。
「オタク」と「リア充」は人種が違うんじゃない。コミュニケーション得意な人と苦手な人の思考パターンが違う、というだけ。
 
『ともだちマグネット』はオタクのヒロインが、リア充バリバリな女の子に追い回されて、コミュニケーションをとれずあたふたするマンガです。
ヒロインのオタク女子高生・沢村真琴の描写が、まったくもって「オタク」であることリアルに、ためらいなく描いているのがとてもいい。
好きなものは日曜アサの「ハッピィ☆パレット」。うん、プリキュアみたいなものですね。
その他のアニメ全般が好きな、とてもオタクオタクしているオタクです。
ここで面白いのは、彼女が「はいオタクです、すいません」と自己紹介しているところ。
「すいません」なんですよ。
 
なぜ謝るのか?
これは実際読めば、わかってくると思います。説明のしようのない、自主防衛本能なんです。
コミュニケーションが苦手で、できれば一人で静かにしていたい。わかるわかる。かき乱されるとペース狂っちゃうんだよね。
けれども、ツイッターやチャットには書き込むんです。
つまり、一人行動が好きなのは事実だけど、どこか人とコミュニケーションを取りたい感情はある。
ネットは比較的その距離感が取りやすいですから、彼女がネット寄りになるのはわかります。
なんせ、自分がハッピィ☆パレット好きでも、同好の士が集まっているんですから。安心するよ。
 
けれども、そこに踏み込んでくるのが、隣の席の松本なつみ。読モをやっている元気系ギャルです。
絵に描いたようなみんなの人気者。真琴いわく「リア充」。
最初真琴は、めっちゃくちゃなつみが苦手なんですよ。なぜなら、どんどん人のプライベートなところに踏み込んでくるから。
実際は踏み込むっていっても、ごく自然の友達の会話なんです。
けれども想像してみてください。友達だと自分が思っていないギャルが、あたかも友達のように親しげに話しかけてくるオタク側の困惑。
うん。わかる。
 
ここで、なぜ困惑するかの理由の一つに、真琴に自尊心が極度にかけているというのがあります。
自信がない、の更に上。「自分なんかがこんなところにいてはいけない」「自分なんかが人気者の彼女と一緒にいてはいけない」。
おおげさではありますが、中高生時期って「自分なんかが」ってのは、ある人にはあります。
違うな。おとなになってもあるよ。
 
スーパーハイテンションで、気まぐれで、マイペース極まりないなつみは、真琴の目から見てもうキラッキラなんです。
ああ、あなたは私の住むところと世界が違います、これ以上かき乱さないでください、いえ、あなたに迷惑です、と。怯えまくります。
全般的にその真琴からみたなつみの距離感が描かれているのですが、なつみが真琴に声をかけるのも当然理由があるわけです。
それは詳しくはここには書きませんが、なつみだって悩みはあるとだけ。
真琴視点でみたらなつみは女神みたいなもの。日常を謳歌して毎日キラキラ輝いていて友達の多い「リア充」。
けれどなつみから見た、真琴の魅力はそれはもう強烈なんです。
だから、お互い踏み込んだり踏み込まれたりしながら、失敗したかな、怒らせたかなと心の底から悩む。
本気で適当に踏み込んでいるように見えるなつみも、どのくらいの距離感を保てばいいのか苦しんでいるのです。
 
ぼくがいいなと思ったのは、ギャルのなつみとオタクの真琴、一対一の付き合いではなく、真琴がギャルグループと仲良くなるという、個じゃなく「仲間」であること。
最初はそれも苦手だったのですが、ちょっとずつギャル耐性がついて来ます。
耐性って書くと悪いことみたいですが、それは真琴の表現であって、実際はコミュニケーション能力が育ってきているんですよね。
それでもまだ「さん」付けで、並列じゃない。「ギャル>自分」という構図から抜け切れていませんが、そこは真琴となつみが一対一で築いていくところ。
 
「現実の友達」という表現や、「一般人」という呼び方。オタクならではですが、そのへんも丁寧に描かれています。
「一般人のアニメ話ってどんな顔で聞いていれば良いのか……」は、あるあるすぎてムズムズしました。
 
たくさん友達がいるけれども、真琴と仲良くなりたくて苦戦するなつみ。
なつみに振り回されてどうすればいいか困惑しっぱなしだけど、ちょっと嬉しい真琴。
二人が惹かれ合うのは、お互いの魅力をわかっているから。
自分の魅力に自信を持って、胸を張って「友達だよ!」と言えるようになる日は来るのか来ないのか。
変に美化せず、オタクをオタクらしく、ギャルをギャルらしく描いているのが好感持てます。
そして、みんな人との距離感で悩んでさまよっているのも、すごくいい。
それでも「悩む」のは、マグネットのようにやっぱり相手が好きだからです。
男女の恋愛の「好き」よりも、友達とうまく付き合う距離感を保つ長続きする「好き」の方が、難しいのかもね。