たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

あの日見たしずかちゃんのお風呂シーンを僕は忘れない

藤子不二雄という免罪符●

のび太の新魔界大冒険』をテレビでやっていたので、久しぶりに見たんですよ。

ドラえもん自体声優さんが変わってからほとんど見ていなかったのですが、旧作の『魔界大冒険』が取り立てて好きな映画だったので、それはもう楽しみました。
 
魔界大冒険は、トラウマ的なおっかなさがある映画だったなーと今でも思います。
個人的に怖かったのは、もしもボックス世界の中でもしもボックスを使うとパラレルになるというよくわからない感覚と、心臓が別の位置にあるという設定でした。メジューサもしつこくて怖かったなあ。
美夜子が食べられるシーンはエロかった。
パラレル世界に興味を持って、SF短編集とかを読み始めるきっかけになった作品でした。
 
で、本題はそちらでなく。
久しぶりに見たしずかちゃんがとてつもなくエロティックだったという話をしたいのです。
 
当時はどっちかというと『エスパー魔美』の方が好きだったんです。あの子ダイレクトに無邪気でエロ可愛いじゃないですか。
エスパー魔美見てるとだいたい、クラスのあだ名が「エロ」になるんだよね。
でも藤子不二雄作品は、かつては今のジブリみたいな、親の目をくぐり抜けるラインの一つだったので、エスパー魔美はオッケー。
今でこそ「おしっこテレポート」(尿意をもよおした魔美がテレポーテーションで他の子のぼうこうに尿を飛ばした事件)がエロいとかディープ性癖的な部分が見られますが、いやいや、お父さんが娘のヌード絵画を描いている時点でもうおちんちんピンピンですよ。エロいでしょうそれ。高畑さんの前に平気ですっぽんぽんで出てきちゃう女の子ですよ、あんな女の子と知り合いになりたかったよ! 素直に!
どっちかというと、魔美さんは「お姉さん」立ち位置で見ていたので、ああこんな天真爛漫で明るくあけっぴろげーなエロいお姉ちゃんいたらなー、と子供心に思っていたものです。
ぼくが小学生の弟で、魔美みたいなお姉ちゃんがすっぽんぽんで風呂から出てきたら「ねーちゃん服着てよ!」って言いながらちんちんたってますね。そういうシチュエーション何度想像したことか。
これが今の性癖に大きな影響を与えているのは間違いないです。
 
はて、じゃあしずかちゃんは? 
ドラえもん』は子供の頃大好きで、ドラえもんなしの生活がこの未来に来るなんて、大人になったらドラえもん見ないなんて考えられませんでした。
かつて『欽ちゃんの仮装大賞』で大山のぶ代が審査員をやっていたときに、中学生の出場者が「ドラえもんの声やってください」とリクエストしたら、欽ちゃんが「中学生でドラえもん見てるの?」と聞いてどっと笑っていたのを見て、親に「中学生になったらドラえもん見たらだめなの!?」と震え声で聞いた記憶があります。そのくらい好きでした。
で、どのキャラが好きだったかというと、ジャイアンだったんですよ。
劇場版のジャイアンかっこいいじゃん。普段いじめっこだけど、あんなにかっこよく決める、まさに「心の友よ」というのは真実だったのを見せられたら、そのインパクトが強すぎて、いじめているからといって報復を受ける普段のジャイアンがかわいそうに見えるくらいに、ジャイアンが好きでした。
 
しずかちゃんはというと、そんなに興味を子供の頃は持っていませんでした。
お風呂シーンは確かにニヤニヤウェヒヒってなりましたが、その程度でした。そこにときめいたりしなかったし、エロいと感じませんでした。
距離が近すぎたんです。
魔美さんは、「こんなお姉さんいたらいいな」だったから、すごく魅力的だった。
でもしずかちゃんは、手を伸ばしたら届く距離にいる存在だと思っていたから、そんな子供心震えませんでした。
むしろ、映画版ヒロインの美夜子とかリルルとかのほうが魅力的でした。遠いから。
 
しかし、大人になって、あんなに大好きで見ないはずがないと思っていたドラえもんをそんなに見なくなって。
今になって、しずかちゃんに自分が強烈なセクシャリティを感じていたことを痛感させられています。
 

●近すぎて遠い君へ●

かつて、しずかちゃんのエロアンソロジーコミックスが販売されていたことがあります。覚えている人いるかしら。
確か『しずかちゃん白書』っていうタイトルだったと思います。同人じゃないです、商業です。
当時買ったんですが今手元にないので確認できません。
買った時は「なにこれイッツソークレイジー」というお笑い感覚でした。
まだ、早すぎたんですよ。しずかちゃんにエロスを感じていたんだという認識をする年齢になってなかった。
若く、エロマンガを読みあさっていた頃だと、その本は「ジョークだろう」という感覚でした。
今出たら逆に、ドラえもん直撃世代の共感を得ると思うんですが、まあご時世柄難しいのかな。
 
そう、18禁解禁の時期って、ドラえもんを卒業している時期です。
嫌いになったわけじゃない、むしろ好き。でも毎週正座して見るほどじゃない。映画館にも行かない。
ドラえもんのSF性とか、変ドラとか見て楽しんでいる、斜め目線の頃です。
エスパー魔美はエロい目で読めるけど、しずかちゃんはなー、って時期です。
 
でもその本は、エロパロとしてはよくできている本でした。
決して茶化したりせず、普通にエロでした。普通にって変ですが、斜め目線のジョークではなく、ちゃんとしずかちゃんに欲情している本でした。
 
今ならわかります。
だって、今大人になって、しずかちゃんに欲情するもの。
 
エスパー魔美は、今でも僕の中で永遠に変わらない、あけっぴろげで元気なお姉さんのままです。
しずかちゃんは子供の時「同い年のクラスメイト」だったのです。
両者の決定的な違いは、しずかちゃんは大人になっているということ。
タイムマシンの存在で、しずかちゃんが大人になっていること、のび太と結婚していること、よき母であることを知っています。
大人になった時。しずかちゃんが年をとったように僕が年をとった時、初めて気づくんです。
彼女は「手を伸ばしたら触れられる」存在じゃなかった。
「手を伸ばしたら触れられる距離にいる、触れられない存在」だった。
 
T・Pぼん』というタイムパトロールを描いた作品のヒロインに、リーム・ストリームという少女がいます。

ロングヘアで見るからに美しい、そして明らかに先輩であるという、藤子・F・不二雄キャラにしては珍しいタイプの完全無欠型ヒロインです。
ぼんとの恋愛もありますし、リーム・ストリームが心のヒロインだという人は多くいらっしゃるようです。
すっごいわかります。リームは本当に藤子・F・不二雄ヒロインの中でも特殊中の特殊。特別なキャラです。
僕が惹かれたのは、安川ユミ子という第二部から出てくる子のほうでした。
13歳で、殺されそうになったところをぼんに救われる「後輩」です。
優しいけど結構気が強くて、とても藤子・F・不二雄ヒロインらしいキャラです。
読んだばかりの時は、なんでかわからないんですがリームよりユミ子に惹かれて、それはもうだだ惚れでした。
 
今になってみると、幼い頃のぼくは、美人で遠い憧れる女性像、例えば999のメーテルみたいな存在よりも、身近にいる女の子像、サザエさんの花沢さんみたいな方が好きだったんだと思います。
エスパー魔美』が好きなのも、彼女の性格が雑だから。今だらしないお姉さん好きなのもその影響です。
しずかちゃんはというと、その中間で、どちらかというと身近よりです。
「美人:身近」なら「3:7」くらい。
他にもミヨちゃんとかいますが、しずかちゃんはあの髪型とお風呂入りすぎというのもあって、身近度、飾らなさ度が高い気がします。
あの子風呂入りすぎだよなーと思ってたら、普通に「私お風呂大好きなの、一日中でも入ってたいわ!」と言っていてぶったまげました。水棲生物か。
いつでも逢える子だと感じていたんですかつては。だから、そこにセクシャルは感じなかった。
でも、大人になった時。しずかちゃんはぼくのそばにはいなかった。一人の女として、のび太のそばにいる。
子供がいるんだもの、のび太とセックスもしている。
大人になってようやく、しずかちゃんを喪失していたことに気づき、そこではじめて彼女のお風呂シーンがいかに重要なものだったのか、思い知らされます。
今でも見るのは簡単です。ビデオを見ればいい。
そうじゃない。リアルタイムに歩んできたからこそ、ぼくの中のしずかちゃんはもう大人で、お風呂シーンは過去の郷愁の彼方に葬り去られてしまったのです。
 

●さようならしずかちゃん●

しずかちゃんに性癖的に影響を受けていたのは、後から気づいたことばかりでした。
パンチラを意識したのは、しずかちゃんでした。
入浴シーン覗きへのときめきを感じたのは、しずかちゃんでした。
女の子に笑われるM的快楽を知ったのは、しずかちゃんでした。
女の子にいたずらするニヤニヤを知ったのも、しずかちゃんでした。
紅一点のエロティシズムに気づいたのも、しずかちゃんでした。
 
ぼくが好きな藤子・F・不二雄ヒロインは、先ほどのユミ子、エスパー魔美の他に、『チンプイ』の春日エリがいます。

でもエリが好きになったのは、藤子・F・不二雄作品は面白い、と理解してから。物心ついてからなんです。
意図的に、今たとえば山田葵や凸守や律ちゃんが好きなように、「エリ様雑かわいい」という感覚でした。
作品の構造をわかっていて「萌え」ていたんです。本能的な感覚じゃありませんでした。
それはおそらく、同世代リアルタイムで見たわけではないから、かもしれません。
 
ドラえもん』のしずかちゃんは、マンガなら「しずちゃん」は、全くの同世代感覚で見ていました。
ぼくの同級生なんです。ぼくのクラスメイトなんです。
子供の頃はスカートめくりや、プール着替え覗きなんかのやんちゃをしたものですが、今、その女子達には会うことがありませんし、会っても多分覚えていません。
覚えていたら謝らなきゃだね。やんちゃしてごめんね。
あんなにも近くに彼女たちはいたのに、今、疎遠どころか、忘却の彼方に行ってしまいました。
しずかちゃんも同じだったのです。
 
ドラえもん』を見る生活から離れ、記憶の片隅にいたしずかちゃん。
テレビをつければ、元気に走り回っているしずかちゃんは今も見ることができるけれども、それは「今の子の同級生」のしずかちゃん。
ぼくの同級生のしずかちゃんは、今は母親です。
もう手の届かないあの子。だから、かつてのノスタルジーに包まれて、彼女の思い出はどうしようもなく、エロティックな宝物です。

ぼくはどうして大人になるんだろう
ああ ぼくはいつごろ大人になるんだろう
武田鉄矢・少年期)

 
ちょっと話はズレますが、『パーマン』三号の星野スミレも藤子・F・不二雄ヒロインでは特異なキャラだと思います。

アイドルのヒロイン。だけど自分の正体自体はパーマン達には明かしていません。
なんとも言えない甘酸っぱい感じの関係がいい、共闘する仲間なのですが、『ドラえもん』でも星野スミレは登場します。
その星野スミレは、大人になっていて、パーマン一号のミツオの写真を持っています。
というのも、ミツオは本編でバード星に行ってしまっているから。
「遠い遠い国」に好きな人がいるの、と彼女は語ります。
母になったしずかちゃんもいれば、好きな思いを抱えたまま、少女であり続ける星野スミレもいる。
どうしようもなく心が揺さぶられたものです。
 
藤子・F・不二雄から、ぼくが得た影響はあまりにも大きすぎます。
ところでさっき友達と話していたら、「しずかちゃんはお嬢様のイメージが強い」と言われて、はたと納得。
自分は「身近な女の子」だったのですが、1980年代当時に、バイオリンを習っていてお父さんが海外に船で出ているとかお嬢様すぎると。
なるほど。そういう考えもあるのか。
100人いたら100人のしずかちゃん像がありそうです。