たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

もし隣にいる人が人間じゃなかったら妄想

亜人』面白いですねえ。
舞台になっているのはごく普通の日本で、出てくるのも普通の人間達。
なんですが、主人公は自覚しないまま暮らしていました。自分は人間じゃない、ってことを。
死んでもすぐ再生する能力を持った「亜人」。なかば都市伝説的ですが、実際車に轢かれて死んだはずの彼は、死ななかった。
人間の中にはこの亜人を、何度も殺す……いや、人間だったら死ぬはずの暴力をふるい、裏で亜人体実験をしている人もいます。
非常に人数が少ないため、捕まえたら莫大な賞金が出るという噂も。
彼は亜人だとわかった瞬間から、多くの人に追われるハメに。
一体亜人ってなんなのか? 人間は亜人に何を求めているのか?
なんとも不思議な話です。

「もしかしたら人間じゃないかもしれない」という恐怖は、昔から語り継がれてきました。
この作品もその一つ、と考えていいと思います。
この物語の特徴としては
・「自分」が異物だったということ
・最初は人間としての情で押し流されていたのに、だんだん慣れてきて主人公が冷めていく面白さ
亜人が操る、亜人にしか見えない謎の物体
・主人公ケイと、その幼馴染カイの少年のエロティシズム
がデコレーションされていること。
特にケイとカイの少年の美しさは、実にいいですね。決して耽美寄りではないんですよ。
極めて真面目なケイ、健康優良不良少年のカイの、イキイキとした少年美です。
他にも女の子たちも出てくるんですが、やっぱり男の子二人の躍動感と、逃走の物語は実に魅力的。
 

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ケイの妹の慧理子が、ケイが亜人だと知って「自分を人間だとカンチガイしてた奴が…家族にいたなんて、キモすぎる」っていうシーンがあります。
衝撃でしたね。
いやいや、確かにキモすぎるのはわからんでもない。けれど家族として一緒に暮らして、そんな急に人間じゃないってわかったら手のひら返せるものか?!
 
実際は、彼女の心が詳しく描写まだされておらず、昔のことを思い出すシーンもあるので、そんな手のひら返したってわけではないとは思うんです。
けど、自分の家族が「人間じゃない」と知ったらどうだろう。
宇宙人でも、ゾンビでも、なんでもいい。
だからといってそうそう手のひらは返せませんよ、家族だもん。
 
しかし、逆に。
「自分」が人間じゃない、しかも賞金が出ていて追い回されている、と知ったら、どうだろう。
確かに家族は見捨てないだろうと思います。
思いますけれども、同時に「誰ひとり味方はいない」という妄想にも責めさいなまれる気がします。
もしかしたら、妹のセリフはそういう視点から描かれているのかもしれません。
 

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「人間じゃないかもしれない」妄想の恐怖を描く場合、いくつかパターンがあります。

1・危害を加えるために人間のふりをして潜んでいる。
吸血鬼や宇宙人など、自らが意識して人間の世界に潜み、接触を試みるパターン。
2・生き延びるために人間のふりをして潜んでいる。
平成狸合戦ぽんぽこ』『ゲゲゲの鬼太郎』のように、生きる場所を追われたり、仕方なく人間になって暮らす場合。
3・人間世界に興味を持って紛れている。
かぐや姫型。人間世界に来て、人間ではない意識はある。帰るところもあるのが特徴。
4・自覚はないが、人を傷つける行動をとる。
ゾンビ型。人間だと思っているけれども、暴力を働いたり殺したりする。『リバーシブルマン』がこれ。
5・自覚はなく、人間だと思って暮らしている。
人間だと当たり前に思っていたのに、実は違ったという場合。
6・途中から人間じゃないものになった。
今まで人間だったけれども、なんらかの行為によって人間じゃないものに変えられた、あるいは目覚めた場合。『ハーベストマーチ』など。

他にも未だあると思いますが、おおまかにこんな感じ。
亜人』は5ですね。
 
「他者が人間じゃなかったら」という恐怖は、1や4の場合だと思います。
普通に暮らしていて、親しくなった近所のおじさんやおばさんが、突然噛み付いてきたり、こちらを殺す手段を講じてきたら、下手な殺人鬼より怖いですよ。
今まで見てきた人生なんだったの、全部うそなの?ってなる。
この場合の恐怖は、殺される恐怖よりも世界は自分が認識していたものと違うという恐怖です。
 
その点、5のように自覚がないのは、「自分が人間じゃなかったら」型です。
他人が自分のことを「人間だ」と思い込んでいたら、人間じゃなくても全然怖くないんですよ。気づいてないんですから、そりゃ人間でしょ、中身は違うかもしれないけど、ってなります。
しかし、自分が人間じゃなかったら、世界は自分が認識していたものと違うのパターンにすっぽりはまるんですよ。
自分は人間だと思ってた、でも違った。一気に世界観・価値観はひっくり返ります。
前者が「怖いのは人間じゃないなにか」だとしたら、後者は「怖いのは人間」なんです。
 

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ぼくには幼い頃から、いつもモヤモヤと妄想しては怖くなっていることがあります。
それは「世界中の人間がぼくにウソをついている」という妄想。
そんな大掛かりなことあるわけがないんですが、考え始めると怖くてもう仕方なかったんですよ、子供時代。
自分が見ているものはウソで、自分が認識しているものは偽り。真実は他にあって、ぼくは知らない。
恐ろしかったですね。恐ろしすぎて自分の心明かせないことが多々有りました。ほんと子供の時ですが。
 
今はさすがに分別はありますが、それでもやっぱり、たまにこの恐怖、首をもたげます。
「誰かにだまされているのではないだろうか。」
「自分だけ何かしらないんじゃないか。」
あんまり思いつめると鬱になるので、カーズ様のように考えるのをやめるしかないんですが。
 
結構こういう漠然とした、認識の差異って「恐怖」の対象だと思うのです。
森の中に何か恐ろしいものがいるけど、それをはっきり理解できない、という中世の時代のドイツ。
その恐怖が形をなして生まれたのが「狼男」でした。
得体が知れないから、形を与えようとする。
形を与えたものが都市伝説となる。
都市伝説がさらに恐怖と好奇心を呼ぶ。
好奇心がさらに膨らませる。
メン・イン・ブラックなんかはその典型みたいなものなんだろうなあと思います。
実際いるかもしれないけど……。
 
幽霊の正体見たり枯れ尾花、なんていいますけども。
正体を見る勇気がなく恐ろしいから枯れ尾花が幽霊になるわけで。
ぼくは一生「世界は自分が認識していたものと違う」という妄想と一緒に生きていくことになりそうです。
それを楽しめたら面白いのにな、と、こういうマンガを読んでいると思うのです。