たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「砂場」としてのアニメがある、日々の楽しみ。

【革命機ヴァルヴレイヴ】鰤並みのライブ感 エルエルフ「ボクジャナイ」 2話まとめ
「革命機ヴァルヴレイヴ」 プロデューサーが語る作品誕生・企画の秘密 池谷浩臣(サンライズ)×丸山博雄(MBS)(1/2) | アニメ!アニメ!
 

 
今期は『進撃の巨人』『惡の華』『ガルガンティア』『はたらく魔王さま』『むろみさん』などなど傑作揃いで楽しんでいるんですが、地味に毎回楽しみなのが『ヴァルヴレイヴ』だったりします。
確かに、「ええええー」っていうシーンは多い。
多いんだけど、次どうなるのか破天荒すぎて、続きが気になってしかたなくなっちゃうってのがもうでかくて。まさか!ひょっとして!みたいな。
特に、エルエルフさん!
敵国(侵略国)側のエリート?らしいんですが、とある事情で一気に主人公たちも、元味方も敵になってしまって四面楚歌。まさかの連続で、かわいそうにもほどがある。
ぼくはショーコがドストライクなキャラなので、あの展開は嬉しくもあり、「はえーよ!!!」と思わず突っ込んだりもし。その後のシーンももろにアレがアレだからうん。
割りと、オマージュ的なものを隠そうとしません。もろだしです。さあ突っ込め!といわんばかりです。
そこが、なんか面白い。
最初は「中二病型ロボアニメ」という認識だったのですが、これは「場」なんだと理解しました。
みんなで「うわー!」「ちょwww」「エルエルフさんww」「まじで!?」という場なんだと認識したら楽しさに拍車がかかりました。
ロボットかっこよくて、女の子かわいくて、エルエルフさん総受けっぽくて、楽しいことづくしですよ。
真剣に解釈するには、まだ材料が少なすぎるのですが。
でも今は上のインタビューのセリフのように「砂場」として楽しむのが正解なのかもしれないなーと、開き直って楽しんだり、エルエルフさんのBL妄想に浸ったりシます。
ハルトはエルエルフさんにまた噛み付いてください。ショーコはぼくの嫁にしますので。
 
一番驚いたのは、Twitter的なものに他人の個人情報を流したシーンです。ナンデー。
はっ、ひょっとしてあれにはなにか意味が・・・
 

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なので、観てくださる方も「このキャラは好きかも」とか「この人物はあまり気にいらない」とか(笑)、わいわい言いながら楽しんで観てもらえたらうれしいです。深夜放送なのでほんとすみませんが、できればリアルタイム視聴をオススメしたいです。

とにかく今、考えているのは、毎週、楽しみに見ていただけるものを、どうやってお届けできるだろうか、ということが一番です。
「次はいったいどんな話になるんだろう」と、単純に胸がワクワクする。そんなアニメーションに出来たらいいな、と。

アニメが好きだったり、メカが好きで見てくれる方々やスタッフ含めてみんなが、毎週遊べる砂場みたいなものになれたら幸いですね。メカ、キャラ共に松尾監督のこだわりの演出も見どころだと思います。  

 
このアニメが「砂場」って表現は面白い。
ようは、きっちり組み立てられた建造物ではない。
ワクワクするような広い空間が準備されて、そこで自由に遊んでいいよと。遊ぶための作品という前提が面白い。
わいわい言いながら楽しむっていうのも、ネット前提なのがすごい。
 
ヴァルヴレイヴの話からはずれます。
アニメや漫画って、楽しみ方は時代によって変わってきたなと感じます。
ぼくより前の世代だと、おそらく「雑誌」がメインの場だったでしょう。

『同人少女JB』は作者の一本木蛮先生が、ほぼ自らの体験を当時の記憶を元に描いた、アニメファンの楽しみ方の貴重な資料。
すごくいい作品です。リアルタイムじゃないけど、ワクワクしてくる。
当時にしても、『うる星やつら』なり他のいろいろな作品なりを語り合う場が欲しい、自分の考えた設定や楽しみ方、解釈や評論を交流したい、という思いはあったわけです。今とちょっと違いとは思いますが。
でもすぐにどうこう伝えられない。だからこそ、はがきを買ってきて、イラストを描いたり、文章を書いたりして、ポストに投函したわけです。
そこから「同人誌」にステップアップした人も多いかもしれませんが、印刷を考えるとそれは今よりはるかに高き壁でした。
 
アニメ・マンガ作品は、ひとつの「テーマ」でした。
それぞれが研究し、自分の思いを深めていく……なんて大げさっぽいですが、文学や映画と同じで。
自分はこの世代じゃないですが、ナディアやジブリゆうきまさみ作品が好きでアニメージュを買ってははがき送ってました。
学校で話す相手の見つけ方がわからないのですよ。
特にナディアとパトレイバーは、話したかった! 
「ぼくの考えたレイバー」とか「ノーチラス号の仕組み」とか「レイバーの国産運用資金」とか「島編マジで」とか「ナディアと暮らす生活」とか考えてはニヤニヤしてましたよ。
わあ、今と変わらん。
 
妄想するだけで楽しくてならないのですが、やっぱね。
さみしい。
いや、すっごい楽しいんですよ。楽しいけど、たとえば画面の隅っこに小さいキャラがいて、それを発見した時に「見てみて、ここにいる!まじで!」って言いたいのよ。
ムスカ落ちてる!とか。
でも、中高生時代は、猛烈に自分でオタク趣味を隠していました。今思えばなんでだろう、という感じなのですが、恥ずかしかったのと、ばかにされるんじゃないかと恐れていたからです。
おんなじようにJ-POP聞いている面々の前で、ナゴム好きなのを言えずにいたり。隠れて聞いて悦に入るってより、ばかにされそう、っていう恐怖感が強かったです。
なんだろうねあの自意識過剰時代。
これがおそらく、先ほどの『同人少女JB』より少しあとの時代。
究極超人あ〜る』の光画部に憧れた頃です。
あ〜るは別にオタク漫画じゃないんですが、あの「先輩がいて成立する趣味空間」は、マニア趣味を持って孤独だった人間の、憧れだったのです。
当時サークルを組んでいる人も多かったと思いますが、労力は相当なものだったんじゃないかなー。
 

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ぼくにとっての大きな転機は、90年代でした。
草の根BBSという、パソコン通信を使って、交流できるようになった! 知らない人と。
草の根BBSって、誰かが自主的にPCつけっぱにして、そこに電話回線で直接つないで掲示板に書き込むBBS。今思うととんでもない労力です。
お金もアホみたいにかかるので、テレホタイム(夜11時からはつなぎ放題になる)に接続しました。
他にもニフティサーブなどがありましたが、個人的には草の根BBSの少人数の部室感が好きでした。
当時の雰囲気を知るにはこの二作品がいいかと。

あいとまはまあファンタジーですが、当時のPC環境がよくわかる、記録漫画になりました。
まさか当時これが記録漫画になるなんて思いもせず、サーティーに萌えていた(萌えもこの頃から)わけですが。
オレ通はパソコン通信マニアの恋愛を描いたラブコメで、夢のひとつでした。可愛い女の子がネットの向こうにいるかもしれない!
今以上にほぼない(世界が狭いから)んですが、夢見たんです。今はネット恋愛は当たり前のようになっていますが、当時としては画期的な作品でした。
 
でも恋愛とかどうでもよいのよね。
ぼくが欲しかったのは、ひたすらに趣味の話ができる相手だったんです。
奇しくもこの時期『おジャ魔女どれみ』と『新世紀エヴァンゲリオン』という、ぼくの人生をぶん殴ってきた作品があったんだもん。
話したいよ!
集まっているのは、アニメマンガ好きともうわかっている。もう趣味を隠す必要はない!
全開でした。さらけ出しまくりでした。
さらけ出しすぎて、この時に自分が実はロリコン趣味だったと知らされたわけですが。
 
今思うと、エヴァというアイテムをゲットした自分は、それはも夢中になってまさぐりましたね。
当時は「おもちゃ」じゃなくて「聖典」レベルな感覚で探求したものですが、今思うと「おもちゃ」としてもよく作られているんだよなあと感じ入ります。
ネットが広がり始め、インターネットではじめになると、検索ができちゃうじゃないですか。
あんな謎だらけな作品手渡されたら、そりゃ検索検索また検索ですよ。検索すること自体が楽しくて仕方ない。
発見したら語りまくりです。死海文書云々。アスカかわいい云々。世界の中心で愛を叫ぶ云々。アスカかわいい云々。
 
この時期本当に楽しかった。学生時代だったからというのもあるのかな。
同好の士と出会えることが(ネット越しですが)、こんなに楽しいなんて!
砂場で小さく細い塔を作っていた自分が、仲間と一緒に砂場いっぱいつかったお城を作り始めた気分でした。
アニメ・マンガが好きで、会話できる「場」を見つけたんです。
 

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一人でアニメ・マンガ・小説を見ていた時、悩みもいっぱいあったんです。
「マニア(あえてヲタクとはいわない)って、何歳まで続けられるんだろう」
今でこそ「そんなもん、いくらでも、何歳でも、楽しめるに決まってるじゃん。仕事したって結婚したって子供できたって棺桶に足突っ込んだって、楽しめばいいし、同好の士は世界中にいるよ。必要に迫られるなんてことは案外無いし、あったとしてもきらいになるわけじゃなかろ。途中で環境変わって忘れちゃうようならその程度だってことだ」と言えるんですが、それはこういう経験とか、現状を知っているから。
高校、大学と進むにつれ、何歳までアニメ見られるんだろう?やはり25、いや30、間をとって28?なんて悩み続けていました。
今みたいなインターネットでみんなでニコニコ動画見るなんて想像だにしていませんから、居心地のいいその瞬間を失いたくなかったんです。
 
結果、今もその仲間の一部とは仲良くしていますし、さらに新しい仲間も増えました。
「誰かきっと話せる人がいる」という楽しさで満ちるようになりました。
 

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インターネット時代の、21世紀の、会話の「場」は、広いよ!
広すぎてどこから手をつければいいかわからなくなるよ!
 
だからこそ、色々なアニメ・マンガは「共通言語」を持ってきます。
それはパロディだったり、あるいはネットスラングだったり。
また、例えば「いかにもライトノベル的」なんてのも共通言語だと思います。
あとは、昔からある緻密な世界観やストーリー展開の「作品」。
みんなで芸術館にいって「ここのディティールが」「ここは○○様式で」みたいに話し合う……かのようにアニメを見るのがもう楽しい。
思いついたらブログや同人誌も作れる。形に残せる。
そこまでするまでじゃなくても、Twitterがある。ハッシュタグさんありがとう、すぐ同好の士が見つかるよ!
 
興味深いのは、ここで、僕の中で逆転現象が起きたこと。
基本、アニメ・マンガが大好きで、その話がしたくて、「場」を求めていたんです。
それは今も変わりません。未だにプリキュア5とかけいおん!とかアイマスとか凸守とか山田葵とかみつどもえとかガルパンとか上坂すみれとかアスカとかアスカとかアスカとかの話したくて、うずうずうずうずしてますよ。
 
でも、「今期何見てる?」って言うようになってる自分にも気づきました。
もう話す「仲間」がいるから、そこで会話の題材となる作品を、逆に「場」にしているんですよ、ぼくが。
「題材があるから場を求めている」んじゃなくて、「自分のいる地点で、砂場となる題材を求めている」にひっくり返っていることが稀にある。
これ自体が、意外にも楽しいじゃないかと。
 

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ヴァルヴレイヴが、それでした。
最初は「うわーよくわからんけどおもしろー!どうなんのこれ!でもなんかおかしくね!?」とワクワクしながら楽しんで、ネットを見たら賛否両論やっぱりあって、でもやっぱり楽しんでいる見ている人たちが「砂場」として全力で遊んでる。
自分は「アニメ好き」という「公園」を既に持っていて、楽しむための「砂場」、言い換えれば「共通の話題」として、入り口にたってる。
製作者が「砂場」としてこの作品を作ったとしたら、まんまと手のひらの上です。
最初から、「会話する場ありき」の作品なんだなーと考えると、ちょっと感慨深いのですよ、その「場」が見つからなかった人間としては。
 
雑誌やBBSで話し合っていた頃よりもスピードの早い「場」全てについていくのはちょっと、ぼくには無理。
だけど、キャッチボールしたければ人の集まる場へ、自己発信したければブログやpixivへ、そしてとにかく砂場で遊びたければニコニコへ、と選択できるってすごい。
ほんと、現状アニメが「場」であり、「場」でアニメを語り合えるって、幸せだよ。
 
それでもやっぱり、自分だけ勝手に反応しちゃうポイントってあるもので。
共感してもらいたいわけじゃないし、人と語り合いたいわけでもないんだけど、どうしようもなく心に残ってしまった。なんてこと。
そんなときはみんなと砂場ではきっと遊ばないかもしれない。
以前のように、一人隅っこで黙々とノートに思いを書き溜めるかもしれない。
これも、きっと一生続く気がします。
みんなでわいわい騒いだり。
大切に心の小箱にしまいこんだり。
面白いものだらけすぎて、逆に「何か見損ねていないか?」と焦ってばかりの日々です。