たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「性転換」が起きた時のことを、まじめに考えられる二作品

ここしばらくで、少年画報社から性転換TSコミックスの傑作がぞろぞろ出てきているので、感想を書いてみます。
 
1・自分が性転換したら、きちんと受け止められるものだろうか?「のぞむのぞみ」

 
「自分」の性別が変化した場合を描いたのが「のぞむのぞみ」
女性の体になったらどんな気持ちなんだろう? 憧れのおっぱいやおしりがいつでも触れるのか。やっぱり性感覚って男性よりすごいって本当なんだろうか。
とかね。
だって、もうどうやってぜーーーーーったいに、男性は「女性の身体の感覚」はわからないんですもの。こればっかりは絶対に。想像するしかない。想像したらやっぱり憧れが拍車をかけてファンタジーで膨らんじゃうわけですよ。
だから性転換ものは面白いわけで(女→男もしかり)。異性への憧憬です。
 
ここまでいうと多分女性の中から「そんないいもんじゃないよ?」って声が出るのもわかる、わかってる。
そう、そこなのよ。
結局、きちんと性の差に向き合って、現実的に性転換したらどうなのよ?という問いに、真摯に向き合っているのが、この作品。
 
主人公ののぞむくんが少しずつ女の子の体になってしまう話しですが、重要なのは「のぞむの見た目が変わらない」という部分です。
性別が変わってしまっても、そのまま「男子」として生活するのがキモです。
最初はチンコがなくなるだけ。徐々に体が女性になっていく。
いきなり、見るからに女子になるわけではない。もともと彼はかわいい顔立ちなのでそこまで違和感が起きない。
でもこれ、「男の子が女の子になって、男の子を演じる」というちょっと面白い構造です。
体が女の子で、元々男である「自分」を演じるのよ。
 
のぞむがまだ陰毛が生える前の年齢なのが、絶妙です。
男子としての「自我」も育ちきっていない、「自分」の性が完成していないんだもの。
その状態で外枠である体が先に変化して女性になったらどうなのかという実験レポートのような作品。
茶化しや賑やかしは一切ないです。妄想でやるであろうエロへの興味についても、一通り身体の問題として描かれます。
そうだ、性転換版・保健の教科書かもしれない。なんか、全部肯定してくれる感じや、読んだ後きちんと書いてあるのにムズムズするところが。
 
「まだちんこがあった頃なら、もしオンナのコの身体になったらまず、オナニーしたいって思ったはずだけど、いざそうなってみるとなんだか怖くって出来なかった。どんな魔法か宇宙の法則なのか知らないけど、オンナのコとしての快感を知っちゃったら二度と元に戻れなくなる様な気がしたし、ちんこの先っちょとおんなじでヘタに触ってもヒリヒリ痛いだけだったから」
 
野球部の合宿で男友達がみんなエロビデオを見てオナニー大会するシーン。合宿中のオナニーをどうするか問題って、絶対あるよねー。ない? あると思うよー?
当然のぞむは女性化しつつあるので同じ話題になりえない。でもエロいことは「男の脳」なのか「女の脳」なのかはっきりしない状態で当然考えるわけで、その際のセリフがこれです。
女の子になってオナニーしたいってのは、男の夢の一つなわけですが(反論は聞かない)、現実問題心がかたまり得ない状態だと、恐ろしさが先立つ気がします。
ようは、男女ともまだ自慰や性感覚を知らない状態にリセットされる
選択肢を自分で選ばないといけなくなる。喜んでヒャッホー!ってあんまりならない気がします。
 
夢の中だけですが、実際誰か男性と恋をして性行為をすることになったら、自分は男の子のチンコを入れられるんだ、という描写も男目線で描かれます。BL見すぎてる自分でも、ちょっとこれは新鮮だった。そうだよなー、おしり以外に入れられるものがつくってなんか奇妙だってか、怖いわ。
だが、それをイメージして指を入れてみたらどうなんだろう? 
オナニーを覚えたら覚えたで、やはり周囲の友達の男の子を意識しだしたりして、大変。逆に男の感覚はわかってますからね。
 
トイレ問題、体つきの問題、生理、胸の膨らみ、など徐々に訪れて、今度は隠すことができなくなってくる。
でもやっぱそれは外殻の感覚の問題。
 
「だけどそれよりも怖いのは……、バレちゃううコトはもちろんとして……、ココロまで女のコになってしまうコト」「ココロの奥まで変化させられてるみたいなカンジで……まるで催眠術にでもかけられたみたいに時々ボーっとなって、男だったコトも忘れてしまいそうになってるから、それがすごく怖い」
 
最終的に「性」は、「個性」にたどり着きます。自分自身が「性」の細分化のラストです。
性転換で変わるのはまあ身体なんですが、最終的にはやっぱり「ココロはどうなのよ」問題。
自我がどこに向かうのか、自分はどの選択をするべきなのかが迫ってくる。
自分は「のぞむ」を演じ続けるのか、「女のコ」を演じるのか、「女性」になるのか。
テーマは「性転換」だけど、本当のテーマ「自分は何をしたいのか、何を選択するのか」という「個」に迫っているから、この作品はとても丁寧で、一拍置いて考えさせられるものが残ります。
もちろん興奮もしますが。
 
2・あいつが女の子になったらどう捉えてあげればいいんだろう「バランスポリシー」

今度は逆に、思春期に友達が性転換したらどう反応すればいいのかを丁寧に描いたのが「バランスポリシー」
「BLUEDROP」などでSF的テーマに取り組んできた作者らしく、世界の少子化問題、特に女子の現象問題解決のため、政府が若い男の子の適合者を、女の子にすることに決定したという話。
これもファンタジーではある。けれどもなんか、ちょっとありそうだから怖い。
まー、手あげますけどね。あ、しまった、若くないぜ……。
見た目も全然かわるし、歳をとるのも遅らされる(子供を産むため)という、異生物化みたいな話しです。
 
こちらは、その適合者だった友人の健二を見る、主人公真臣の目線です。
今まで一緒にやんちゃしていた少年が、可愛い女の子になったら。成長盛りの男の子ならねえ。
 
「真臣!! 俺がそんなにカワイイか!」
「……うん」
「だよな」
「うん」
「だがしかし! 慣れろ! 俺は健二で、お前は真臣だ!!」
「わ……分かってるよ」
 
健二の心はかなり男臭いんです。そのギャップがどうにも埋まらない。見た目は超絶美少女ですから。
健二と真臣は本当に親友。健二は、真臣と親友でいたいと強く願っています。
でも真臣としては、心中そりゃあ複雑ですよ。
 
「うるせえ! 女みてーに扱うなっつっただろーが!!」
 
そうはいっても健二くん、君はもう女なんだ。
要所要所で、女の外殻になった健二の心理も描かれます。
14歳の割にかなり自我はしっかりしており、自分は「健二」であり、「男だけど女になってあげた」状態だ、と強く考えている。
でもいくら「男だ」と心が念じても、身体は改造によって完全な「女性」化しているのだから、もうそこからは逃れられない。
 
先ほどの「のぞむのぞみ」同様、彼も「自我」の選択をしなければいけなくなります。
健二が好きな真臣の姉ちー姉ちゃん(健二はずっと女性が好きなままです)、健二を好きだった幼馴染のミーコという、二人の女性と接することでそれが、明確化していくのはかなり面白い。
とくにちー姉ちゃん。健二の目線は男性の目線なので、ちー姉ちゃんの描写がものっすごく艶かしい。エロい。
同時に、健二自身もこれから男性にそう見られる、ということに気付かされていく。
ミーコも、男二人よりも気が強い幼馴染、という僕好みの設定なんですが、とある行動で彼女の「女性」の強さが発揮されるので、これはちょっと読んでみて欲しい。
 
結局、自我はしっかりしているものの、外側が女になってしまったら、それを保ち続けるのはどんどん難しくなる。
いや違うな、正確には「周りが『女性』として見ることから逃れられなくなる」が近いですかね。
 
「女になったらよく分かる。すれ違う男がスゲー見てくるのが」
 
真臣の目線になると、健二の描写がやたら艶かしくなります。真臣もまた、どう振り払っても「女性」の「身体」を意識してしまう。友人だからそれを見た後に、振り払わねばいけないと考えてしまう。
健二も、真臣のそんな目線と悩みに気づいてしまう。
 
「男なら……そりゃ見るよな」
 
複雑ですね。
 
最終的にどうするかは、SF的な話の部分も絡んでくるので、実際に読んでみてください。なかなか味のある終わり方をしています。
ぼくは今まで、吉富昭仁作品の少女は、まるで陶器の人形のように美しいなあと思い続けていました。
しかし今回、とてつもなく肉っぽさが強いんです。陶器の透き通る感覚はそのままに、女性の肉感を強く表現している。健二が感じる自分の身体も、真臣の見る健二も、そのくらい血の通った肉体感が必須だったんだと思います。「スクール人魚」の肉質感も別の意味ですごいですけどね。
 

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二つの作品のスタンスは全く逆です。
でも性転換をした上で結論としてたどり着いていく先が、自己のあり方なのは興味深い。
ある意味、「自己」を描く表現手法としての「性転換」が見られる作品なので、どちらもオススメ。
性転換マンガの導入としても、オススメ。