たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

『神さまの言うとおり』の映画が、モヤモヤして好きでモヤモヤして、つらい

神さまの言うとおり』見てきました。
まず結論。面白い。
そしてもう一つ結論。モヤモヤする。
 

                                                                                                                                          • -

 

ここなー。ビー玉。
いやいい表現だと思いますよ。R15だし。ホラー映画作るつもりじゃないだろうし。
でも納得いかない。
マンガが、B級ゾンビ映画みたいに次々人がパーン!パーン!って死ぬから面白かったのに、オシャレになっちゃった感じがして。
いや、わかるんだよ……そうしないと公開できないのも。
だからめをつぶる。
 
いや違う。モヤモヤはここじゃない。
 

                                                                                                                                          • -

 

神さまの言うとおり』は、最初買って読んで、即売りました。
ぜんっぜんあわなくて。腹が立って。物語作る気あるのかよ!って。
ところがぼくはバカなのか、即買い直したんです。
 
このマンガ、一切理由がない。
作者は、意表をつこうとしてどんどんネタをほおりこんでくる。
もうネタありきで、原因がどうとか、理屈がどうとか、全部考えてない。
物語作る時に大事なのは「なぜ」を究明することなのに、それを放棄している。
 
だから物語に見えないんですよ。
ばかだなー!って。わけわかんなさすぎて、笑える。
青春マンガなのかなーと思ったこともありました。
でもヒロインが死の間際になるとエクスタシーを感じて、それがストーリーに一切関係ない、というのを見た時に「あ、なんも内容ないわ」と大笑いしたものです。
あのシーンなんだったの? って聞くのがナンセンス。面白いからいいんだよ。
 

                                                                                                                                          • -

 
この「中身の無さ」になぜ人が惹かれるか、つかぼくが「おもしれー」と思ったのかが不思議だったのです。
 
多分、ぼくはこのマンガ好きじゃない、嫌いなんだと思います。
同時に嫌いすぎて、気になって仕方ない。
それって好きなんじゃん。
 
一点、めちゃくちゃに好きなシーンがあります。ここは好きだって言える。
主人公の高畑が幼い時、回っている自転車の車輪に指つっこんで、その指がふっとぶシーン。
 
「ヤバイキャラ」として天谷が後から登場しますが、第一部は実は一番ヤバイのは高畑。
でもヤバイかどうかだってわかんねえよ。みんな頭おかしいもん。
きっと「頭おかしい」という意味や、設定にも、作者は興味が無い。
 
ここまで空っぽで、人がめきめき死んでいくことが、やっぱり面白いんだよ。
しまいには、人死んでも誰も気にしなくなるからね。「ハイ脱落ー」程度。
こんなバカなのに、なんか読めちゃう。
多分、「まー、人生も理不尽だしな」っていう思いと噛み合ってるのかな、マンガは。
3巻の飲み食い野球拳の盛り上がらなさ、オタク引きこもりのタケオの後半の展開。
もうなんだろうねあれ。ツッコむ気も失せてくる。ゲラゲラ笑えてくる。
そこが、いいなって。
 

                                                                                                                                          • -

 
でもその、「驚かせよう」の外側にいっちゃった変な力は、映画ではエンタテイメントとして見せることができない。
原作のしょうべんこぞう綱引きとか、映像的に面白く無いですしね(マンガだとおもろい。天谷のオナニーとか)。
 
映画で最高に面白かったのはやっぱり前半。ビー玉は目をつぶるとしても、パコーンパコーンと死ぬ様子は楽しい。
あと招き猫の映像化はよかったなー。ペシャって殺されてビョーンて食われるあの希薄さ。怖い、って思えない。「お前は負け」という勝ち負け感が「生きてるか、死んじゃったか」に集約されているのは、マンガのいいところを拾ってる。前田敦子の無駄遣いもいい。
 
ただ、指ふっとばすシーンがない。
高畑が「鬱屈を貯めている普通の青年」になっている。
ここだよ。ぼくはクレイジーな主人公が見たかった。かっこつけても、頭のネジ飛んでいる高畑が見たかった!
でも福士蒼汰がかっこよすぎて仮面ライダーフォーゼです。途中から正義に目覚めちゃう。
 

                                                                                                                                          • -

 
三池崇史が「エンタテイメント青春映画」として描く荷を背負った時、「殺し屋1」や「ビジターQ」にはできなくなった。
じゃあ日和ったのかというと、そんなことはないと思うのね。
日和った、妥協した部分はあった。しかし原作の頭オカシイ部分を、三池崇史天谷と高畑のBLにすることで、表現した。
 
天谷自体は原作だと、バカなんです。狂人ってより、サル。
天谷は相手を犠牲にして生き残るバカ。高畑は「自分が50%で死んでも、君は生き残るでしょ?」って言っちゃう。
バカすぎて二人の間に特に何も目覚めません。むしろ高畑の見えない、理由のない狂気を楽しんでいる感がある。
 
映画は、高畑の行動に理屈をもたせました。
ここがものっすごくモヤモヤする。
こけしまでは理屈はなかった。でもそのあとの高畑は「みんなで生き残る」っていう理屈のもとに動き始めてしまう。
いやいやそういうのいらないから!って不満が膨れ上がったのね。
 

                                                                                                                                          • -

 
その足を引っ張る存在に、天谷をすげ替えたのは最大の功績。
神木隆之介が天谷を演じています。
 
もー、エロい。Twitterの感想みてもみんな「エロい」の嵐。
ずっと、射精してるような顔してるんだもん。神木隆之介すげえな。
 
天谷が常に高畑を意識して、流し目で彼を見ている。
「殺したい」という意識と、「俺と同じだ、愛している」という意識。
高畑はそれを見て困惑し続ける。
 
高畑にはかわいいかわいい幼馴染がいます。
彼女を守ろうと奮闘するんだけど……この映画、天谷と高畑の二人の世界になってる。
「なんで天谷がそこまで高畑にこだわるんだよ、好きになるんだよ」
ここに理由がない。
クライマックスに物語性を持たせなきゃいけなかった、キャラに共感出来る要素をもたせないといけなかった。
その代わりに、三池崇史は二人の理由のないBLに、エロティシズムに力を注いでいる。
 
エロ目線でみると、どのシーンも天谷の高畑愛にしか見えない。
これは悪口ですが、シロクマのシーンまじでいらなかった。理屈の塊だし、もう一人のヒロインがむにゃむにゃだし。だから理屈いらないんだってば。
けれどこのシーンで、天谷があることを高畑に言います。
あーそうか、これ言わせるためのシロクマなんだな。
釈然としないけど、やりたいことはわかりました。
徹底して、天谷の歪んだ愛情に、原作の「理屈も何もない違和感」への思いをこめている。
 

                                                                                                                                          • -

 
天谷と高畑のBLだとおもって見直すと、すんなり楽しめます。
マンガの再現、という意味で見直すと、すっごいモヤモヤします。
 
この2つの間で責めさいなまれて、苦しいです。
つらい。
だから無理やり脳内でつなげています。
「何もない」ということは「エロい」んだよ。
生きてるか死んだか。好きか嫌いか。真ん中がない。
なら、天谷は高畑を愛していて、高畑は天谷を受け入れている。映画では。
 

                                                                                                                                          • -

 
何もない感覚、ただ結果がある感覚。
これはマンガでしか表現できないのか? いや違うはずだ、映画の前半は少なくともそれができている。
もっとも最後までそれだと、飽きられるのもわかる。
  
序盤のバカ映画を徹底したらよかったのかな。
物語性を作ったほうがよかったのかな。
わかんない。モヤモヤ。
ぼくはバカ映画にして欲しかった。いっぱい死ぬの見てゲラゲラ笑いたかった。
無理だってわかってた。
だけど、天谷と高畑が、神木隆之介福士蒼汰がエロすぎて、満足してしまった。
 
三池崇史によるBL作品、だと思えば、これは貴重だよ。
 

                                                                                                                                          • -

 
「殺し屋1」がとても好きでした。
OPで、殺した1が射精するシーンで、本当の精液を使っていた。
あの頭のおかしさ、「なるようにしかならねえよな」っていう変な諦念。
これがたまらなく好きだった。
 
巨匠になった、エンタメ作家として求められる三池崇史には今、それは出来ないと思う。
けれど、今回BLを潜ませたのは彼なりの反撃なんだと思う。
いや、BLじゃない。「やおい」だ。
本来の「山なし、オチなし、意味なし」。
実際、天谷と高畑にヤマもオチも意味もない。ただ二人が見つめ合っているだけ。
 
全部が終わった後に、(原作にはないけど)天谷と高畑が一つの狭い部屋で、だらだら過ごしているのがなんだか想像できてしまう。
意味もなく笑ってる天谷。それをうざいなーとおもってふて寝する高畑。時々会話して、何故か噛み合っちゃう。
……いいじゃん。
 
だから、ぼくはこの映画が好きです。
わかってるんだ、ナンセンスと、ヒロイックの中途半端さがみんなに受け入れられづらいのも。評価が低いのも。
マンガファン的には「もっとバカやれよ」ってのも(ぼくがそうだから)。
ただ、どうしても憎めない。
 
モヤモヤします。
つらい。
 

                                                                                                                                          • -

 
この思いを商業媒体でなんとか書きたいんだけど。
難しすぎるなー……少なくともネタバレなしで、ってどうすりゃいいのかなあ。