たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

村は閉じ、性は抜け出ず、ぐるぐるまわる

花園メリーゴーランド(1) (ビッグコミックス)
突然ですが『花園メリーゴーランド』。
めちゃくちゃ好きなマンガのひとつです。
 
もともと、日本の村の民俗学にものすごく興味があったぼくです。
最初のきっかけは、前も書いたように、もらった艶笑譚の絵本です。
日本昔ばなしはそんなに好きじゃないし、別に江戸時代にもあんまり興味ない。嫌いじゃないけどそこまではーという感じ。平安鎌倉室町もそこまでは。戦国時代はそれなりに……でも調べるほどじゃないかな。
 
あ、違う。江戸時代の性風俗には興味ありました。
枕絵や春画艶本。あと『吉原炎上』で遊女が、川で出産して子供を殺すシーンとかめちゃくちゃ印象に残ってて(違ったらゴメン、なんかと混じってるかも)。
それと、銭湯文化。男女混浴で下の隙間から入って中ではうんたらかんたら。混浴禁止令がでてうんたらかんたら。
このへん見て「性って怖いな」という印象がすごーく強かった子供時代。
 

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で、いっちばん興味があったのはやはり明治・大正・昭和の風俗や慣習や性。
「性は怖いもの」という偏りを感じながら成長したところで読んだのが、「津山三十人殺し」に関する記述で、もう衝撃でしたね。ガツーンと。
学生時代はまだネットなんて全然なかったし、ケータイもなかったからこそなのかもだけど。そこまで村って切り立たれるのかー、狭い社会に押し込められるとここまで狂うのかと。
 
この話をすると長いので一旦切り上げます。
とにかく津山三十人殺し事件の「夜這い」の風習に、思いっきりヤられました。
なんかもう、ナメクジがうごめいているイメージですよ。
だけどやっぱ若いから、興奮もするのね。
おっかないのに、半端に羨ましくもある。まあクラスメイトの女の子に夜這いするイメージですよ。興奮しないわけないでしょう。
と同時に、噂一つで村八分、逃げ場のない世界に閉じ込められる恐怖。
 

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学生時代に岩手によく18切符で電車に乗って出かけていました。
何度行ったかわからないくらい。宮沢賢治大好きだったので。
あと東北の電車が好きだったので。
 
駅から降りたら自転車を借りて、フラフラしていたものです。
で、遠野に遊びに行って、『風の又三郎』に出てくるたばこの葉を見て「でけー!」とか喜んでたわけですよ。そりゃ役人さんも枚数数えるなーとか。
 
遠野はほんと、いかにも妖怪出そうな町だった。
山の合間からは木々の呼吸なのかずーっとモヤが天に登り続け、遠くの積乱雲は雷を落とし、鬱蒼と茂った草の中を川がチロチロ流れて、大工さんが木造の家屋を建てている。
今はどうなのかな。遠雷を見た時は感動で足が震えたな。
 
奥の方に行くと、神社があったので遊びに行きました。
 
自販機を見ると、中にチンコが!
コカ・コーラの横に、チンコが!!
押したら出てくるのか、チンコが!!!(注・出ません)
 
木製のチンコが、コーラの真横にデン!デン!
そこは生殖器崇拝の神社でした。ちんこだけだったのかなー、まんこがあるのかまでは未チェック。
近くに公民館みたいのもあって、そこにもチンコ。
噂でチンコ祭りがあるのは知っていたけど、まさか岩手で、神社に出会えるとは。
 
こっちは「怖さ」じゃなくて「楽しさ」を感じました。
だって、自販機に入れなくてもいいだろ別に。
ノリいいなーって。わいせつ物陳列にもほどがある。
楽しいなあ。
今もその神社あるんですかね。名前も覚えてないよ。
(遠野が閉じた町っていうわけじゃないよ)
 

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どんどん興味が深まる。
津山三十人殺しをはじめとして、日本各地の逸話とか民俗学とかをちょろちょろ読むようになりました。
ちっちゃい趣味です。話す相手もいないし、話すにはエロ話だし、それより本でもっと資料を集めたいし。
今は話したいし教えてもらいたいからこうやって書いてるけどね。
 

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で、出会ったのが『花園メリーゴーランド』。
もー、「これだー!」ですね。
エロマンガじゃない媒体で、きちんと民俗学に則って、夜這いを描いている。
しかも完全に閉じた村の、外に噂を流してはいけないしきたりの中の、夜這い文化。
 
簡単に説明だけすると、外部から来た主人公が、性にオープンすぎる村に来てしまって、そこでおののいてしまう話。
彼は村の同世代の女の子と出会うんだけど、当然二人は処女と童貞。ところが村では性教育があって、少年も筆おろしされてしまい、少女も好きでもない男に貫通されてしまう。
でもお互い情が湧いてしまっていて、特に少女側はもう辛い気持ちでわけがわからなくなっちゃってる。
男の子は外に出たいんだけど豪雪で出られず、村からは「もうすぐ祭りが始まって外に漏れると困るからはよでてけ」オーラで圧迫される。
 
セックスにはオープンな村で、誰とでも男も女もやり放題、夜這いもし放題。
その村の中だけでは。だから村の秘密が外に漏れることは恐怖。外部から来た彼は、閉じた世界に穴を開けてしまいかねない。
 
そんな性にあけっぴろげな社会でも、少女が涙を流して、少年が好きになってしまうのが切ない。
どこでもパンツ脱いじゃうようなおばちゃんたちも、かつては、最初は、そうだったのかもしれないと思うとなんとも切ない。
男はともかく、女性は子供もできる。だからどの家も「誰の子だかわからん」と笑っている。
 
笑えないよなー。
ただ、この価値観の世界の村に生まれたら、ぼくも絶対わからないまま過ごしていたんだろうな、と考えて、ものすごく変な気持ちになる。
怖いでも楽しいでもないよね。
一番感じるのはきっと「出られない」という窮屈さかもしれない。
 

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花園メリーゴーランド』の世界観は割りときっちり調べられた上で描かれていて、実際にあった可能性はかなり高い。
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 (ちくま学芸文庫)
この本がかなり近い、というか参考にしているはず。
豪快だなーとも、ほのぼのしてるなーとも感じるし、同時に自分が女性で誰が来るのかわからない立場で夜這いされたらと考えると背筋がゾクッとする部分もある。
多分赤松啓介が調べていた時期前後が、夜這い風習の最後の時期なのかなあ。戦後がぎりぎりとは聞きますが。
 
花園メリーゴーランド』は舞台が1980年代なので、さすがにそこまではやってないと思うけど、いかんせん村社会がどうなっているのかは分かりかねる部分もある。
なんといっても、もし起きていても「人に言わない」から、この手の性の民俗学は、なかなか形に残らなかった。
性はともかく、その地域に住み着かないとわからないものって、絶対あるんだよね。
フィールドワークしても、よそ者には教えない、風習。
赤松啓介は「自分で経験」してるからすごいよね。
 
その部分に興味がある。
花園メリーゴーランド』は、これをフィクションとして少年少女の成長物語に組み込んだ。
すげえですよ。
すげえし、そっからぼくの民俗学への興味も加速しまくりですよ。
でも、当然おっかないから、「自分で経験」する覚悟なんて全くなく、本を読むのみ。
今はないとは思うけどさ。けどさ。
色々な暗黙の風習はあるじゃん。
その地域は幸せのため風習を守っているのだから、よそ者が興味本位で近づくもんじゃない。
 

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ミスミソウ: (1) (ぶんか社コミックス)
今となっては、すっかりケータイコミックの「怖い話」カテゴリに入っていて、うへー!?ってなります。広告の煽りっぷりにびっくりしてしまう。
ミスミソウ』も田舎のクローズド感の描写が秀逸中の秀逸ですね。
こっちは性があんまり絡んでいません。
ただ、現代の社会の閉じた環境ってこうだよね、がしっかり描かれている。
 
やっぱり家庭でも学校でも町でも、閉じてしまうと大体不健康になる。
決して風習を捨てるとか伝統を捨てるとかじゃない。
外部との交流があるかないかで、思考が逃げ場を失うか、外に広がるかの差が生じる。
 
ミスミソウ』の場合は、それが残念な方向に転がってしまった。
なんてことはない、逃げればよかったのに、声をどこかにあげればよかったのに、できなかった。
閉じる、って、思考が表に向かなくなる、何かに怯えてしまうことなんだろうな。
 
ツバキ(1)
民俗学的には『ツバキ』もすごいとおもう。
というか、まさに津山三十人殺しの事件を、都井睦雄側からの視点で描いている。
(キャラは架空のものですが)
 
ツバキがほうぼうを旅しているため、彼女は視野が広いのに対し、向かう先々の集落はやはりどこも閉じている。
ほとんど健康な、風通しの良さがない。
傑作だと思います。
『ゆうやみ特攻隊』も、閉じた社会の恐ろしさの、究極形を描いてますね。
 

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まるで不健康なものを見たいがゆえに読んでるみたいですが。
不健康なものを見たいがゆえに読んでるんです。
 
花園メリーゴーランド』は確かに、外部の人間である僕達から見たら、狂った世界です。
けれどもあの閉じた世界の中で、彼ら・彼女らは本当に不幸だったのか?と聞かれるとわからない。
特にラストシーンで、成長した少女に出会う場面。
幸せに見えるよ。
不幸にも見えるけど。
その境界線ってなにさ。
ぼくが幸せと不幸を、彼女に線引きできるのか?
 

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「遠い世界の話じゃない」……と言いたいところですが、遠い世界の話だわな。
戦前にしたって、町暮らしの人には遠い世界だったでしょうよ。
 
完全に興味本位で、日本の村社会の性風俗を見てはいます。
もし夜這い村、花園メリーゴーランドみたいな村の人が、ネットで生活している僕らを見たら、幸せそうに見えるのかどうか。ネットだって、時には村じゃないか。LINE八分とか。
同じ日本で価値観の角度が変わることが、なにより興味深い。
 

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そういう意味合いで、エロマンガでよくある「田舎の性の祭りにいってうんぬん」っていうのを見ると面白い。
極めると、水龍敬ランドになるんだよ。完全に閉じた、外からの倫理の入らない世界。
これって、ユートピアだ。
そして、ディストピアだ。
 
ほんと、面白いなあ……。