たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

終わらない日常はだいたい嘘で出来ている

がっこうぐらし! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

がっこうぐらし!』が始まり、わーっ!という展開に驚かれている人も多……。
多くないよなー。だよねー。
原作あるし、みんな怪しい怪しいって煽ってるし。構えて見ちゃうよね。
 
ぼくは原作の『がっこうぐらし!』が本当に傑作だと思っていて。
それは「虚構」だから。
実は「虚構でした」じゃなく、「虚構」ありきではじまって、みんながその虚構にすがっていくことで、活路を開いていく。
しかもその上、虚構を崩さぬまま卒業式をちゃんと迎える。(5巻)
あそこまで行ったら、もう「虚構」じゃなくなるんだよ。
(ちなみに「がっこうぐらし!」はコミックスとアニメが全然違うので油断できない。太郎丸があんなに出番が多いのと、みーくんとめぐねえが一緒にいるのは既におかしい)
 

●ウソの上に成り立っている「キルミーベイベー」●

キルミーベイベー (7) (まんがタイムKRコミックス)

ここで思い出すのは、『キルミーベイベー』。
これも虚構の上に成り立つマンガです。
 

一巻。
メインはやすなとソーニャとあぎりの3人しか出てこないという、とんでもなく人数を絞りに絞ったマンガ。
もっといえば、必ず出るのはやすなとソーニャしかいない。
その二人の間で、隠し事がある。
 
やすなとソーニャのバランスを改めて考えてみます。
基本的に、ソーニャは別に誰かと関わりたいわけじゃない。
むしろソロで動いたほうが殺し屋としては動きやすい。
ところが、やすながソーニャのことを気に入ってべったりくっついてくる。
振り払えず、気づいたら腐れ縁みたいになって、思わず構ってしまっている。
 

好きだなーこういうやりとり。
ツッコミしてくれるのわかっている人間のボケ方です。
 
で、気づく。
ああそうか、ソーニャには「やすなの知らない、知り合い」がいるんだ。
組織っていう知り合い。
 
やすなは?
やすなに友達はいるんだろうか?
いるのかもしれない。少なくともこのマンガでは描かれない。
 
ソーニャはやすなのことをある程度知っている。
だけど、やすなはソーニャのことを、ほとんど知らない。
 

●あの子はソーニャのことをまだ何も知らない●


元するめ工場にいった時の話。コラでも2次創作でもなく、本物。
ホラー回だということもあって、おかしな存在が登場したり、オチがバッドエンドだったりと、ある意味キルミーらしい回でしたが、狂気度は今まででダントツに高かった気がします。
 
問題は、上のコマを見た時のやすなの感情。
誰が死んでようとショックは受けると思う。
友人が死んでたら、そりゃショックも受けるだろう。
ただ、これが「オチがある」と楽観視しづらい。
なぜなら、ソーニャは殺し屋であり、いつ殺すか、殺されるか、分からない、ありえるから。
 
昨日、ソーニャに手を振って帰った。
次の日の朝、ソーニャは学校に来なかった。
先生は「急な用事で転校」と言っていた。
やすなが見たソーニャの机には、物一つ残っていない。
 
そんな日が来る可能性は、やすなだってわかっているはず。
だから殺し屋をやめさせようとしているんだし(最近やめさせてないな?)。
 
ただ、やすなとソーニャの日々は、安定していけばいくほど、ソーニャの「虚構」がやすなの「現実」にすり替わっていく。
やすなは、ソーニャのことを何も知らない。
でも、多分だけど。
「知らない」ことは、やすなは「知っている」。
 

●「普通」なんてそもそもない●


何度か紹介している「キルミーベイベー ファンブック&アンソロジー」より、今井哲也版キルミー。
ソーニャ側の心理が描かれることは本編ではほぼありません。
だって、それは全部「言ってはいけないこと」だから。
 
やすなとソーニャの暮らす日常は、一見普通に見えます。
でも普通ってなによ。
ソーニャの「普通」は、毎日人を殺すこと。
それは他の人にとって「普通」ではない。
 

人を殺すことはギャグとして描かれる「キルミーベイベー」。
ただ、慣れてはいても、好んではいないんじゃないかな。
 
例えば。
親友と話している時に、相手が嫌いだとわかっている話題は、避けると思う。
それが思いやりだから。仮に軽いウソみたいになっても、いわゆる「方便」。
他にも「聞かれないから言わない」こともある。ウソではない。
でも「内緒」ではある。
 
ソーニャも同じ。わざわざいう必要がないというのもある。
しかしそれ以上に「言ってはいけない」から人殺しの話題は避けている。
それはウソだ。ウソをいうのも仕事だ。
ソーニャがやすなに聞かれないから言わないことは山ほどある。
ただの「内緒」だ。言ったら、もしかしたらソーニャのみならずやすなに被害がいくかもしれない。
 
ソーニャとやすなの日々が保たれるには、「虚構」の「普通」を用意しなければいけない。
 

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近藤るるるの「アリョーシャ!」を思い出します。
アリョーシャ! 01 (ヤングキングコミックス)
彼女も暗殺者。隠して生きています。
とはいっても彼女の使命は「普通(この普通はマスの人間が過ごす普通)の学校生活」を送ること。
しかし狙われる。だから、殺す。それを、他の子は知らない。
 
ここまでくると、吉良吉影とかも「虚構」をもってして静かに暮らしている人間。
吉良吉影が罪だと言って滅せられねばならないのなら、ソーニャもいつか滅せられるんだろうか?
 
殺人というとどうしても大きな話になっちゃうけどね。
でも多くの人が、自分の全てをさらけ出して生きているわけじゃない。
人によって使い分けたり、秘して棺桶まで持っていく思いを抱いていたり。
 
どこかで「虚構」を持つことで、日常は静かに続いていく。
 
 
 
 
 
 
 
おわり。