たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「殺彼」殺人鬼キャラって並ぶと、男の子心がうずうずするんです

知人が出したマンガが面白かったので書きます。
というかホントは何らかの媒体で書きたかったんだけど、グロくてアウトでした。

そういうことです 

殺彼-サツカレ-(1) (バンチコミックス)

殺彼-サツカレ-(1) (バンチコミックス)

 

大介+旭の『殺彼(サツカレ)』という作品。
タイトルでスイッチ入った人は、くらげバンチを読みに行ってくださいな。暴力満載だから。
http://www.kurage-bunch.com/manga/satsukare/

 

ざっくり言うなれば、殺人鬼キャラの乙女ゲーみたいな作品。いろんな殺人犯がいるよ、あなたの推しは誰? という感じ。
このあたりに関しては、下記のブログがすごい面白いので、是非目を通してみてほしいです。

"自分に愛を囁く推し"が地雷な夢女子と夢男子にこそ『殺彼』を読んでほしい(布教場所)

「推しが好き!でも自分なんかに愛を囁く推しは見たくない!と思った経験がある夢女子と夢男子の夢諸氏」

心からわかります。ぼくのことを見る推しなんて偽物なんですよ。

そんなひねくれ夢男子心が芽生えたのも確かなんですが、別の部分でぼくの男の子心がぐりぐり刺激されたので、書いてみようと思います。

 

殺人鬼これくしょん

 

能力ヒーロー物に見えたんです。
いや、全員悪党だし能力なんてもってないけど、それぞれ「殺人犯」としてのキャラ立ちがすごい明確。

シリアルキラーって、フィクションでは時に主役よりも魅力的な存在。ハンニバル・レクターとか。
それをずらっと並べると、もう選手名鑑なのよ。野球チームチップスのコレクションしているようなワクワクが高まる。

 

1995年に、ディアゴスティーニから「マーダーケースブック」というシリーズが出ていました。
毎週世界の殺人犯を特集した一冊が届くという。

90年代悪趣味ブームの一環だったのかなあ。96巻も出てたんだよこれ。ぼくも何冊か買った。
ジョン・ウェイン・ゲイシーとかアンドレイ・チカチーロとかずらーっと並ぶと、もう昆虫採集の箱みたいなキラキラ感あります。
参考・http://www.geocities.co.jp/Berkeley/4767/murser_casebook.htm

 

書かれているのは現実なんだけど、読んでいるとすっかりキャラクター化されていっちゃう。それぞれにステータスを付けたくなる。知力とか精神力とか数値つけたくなっちゃう。

 

これですよ。『殺彼』にはたくさん殺人犯がでてきて、それぞれにステータス画面が掲載されている。
殺人犯アヴェンジャーズです。新キャラの殺し方が描かれる度に、テンションがあがる。

 

人殺しは「悪」。でもデフォルメフィクション化されると「かっこいい」。
「貴方が享受している様々なエンターテイメント、それらはしばし”暴力”と隣合わせである。何故人は笑顔で楽しめるのか。それは自分とは直接関係のないものだから」
マンガの序文が、人間の本質を突いていて、鋭い。

自分と違うやつはかっこよく見える

このマンガは、優太から見た「殺人犯たちのやべえ世界」を追うパートと、個々が女性を殺す(言うなれば「夢」)パートにわかれています。
殺人パートは、視点は女性側。顔が描かれず、もがいている手や足しか見えない。

ぐいぐい顔を近づけて、自分を殺してくる。多分そこに恐怖を覚える人8割、ワクワクする人2割くらいじゃないかなあ。

いや、怖いですよ。生きたままバラしてくるし。

と同時に、告白してくるロマンチックパートにも見える。

それも相手はこっちのことなんておかまいなしに、自分勝手に迫って来て蹂躙する。

 

そこが、ぼくにはヒーローの活躍の場、みたいに見えた。
普段の姿(殺人を隠蔽している状態)は、いうなればヒーローが自らの身分を隠して過ごしている状態。
殺人パートで、自分の理論なり信念に則って、殺害していく。
人間の感情のどこかが欠損しているのって、特殊能力っぽく見えるのよ。自分のためだけに窮地にやってきて命を救ってくれるヒーローと、自分のためだけに時間を費やして切り刻んでくれる殺人犯、ベクトルが真逆なだけで、「別にこっちが何者でもかまわない」という部分も含め、一方的にときめく度合いは似てると思う。

 

優太は「突然能力に目覚めちゃったけど、どうすればいいかわからず混乱している」みたいな状態。
彼は人を平然と殴り飛ばすのに、殺人の罪から逃げたがる優太はたいがいクズ野郎なので、その点堂々と責任まで背負って殺している殺人鬼たちの方が、はるかにマシにすら見えます。
優太単体だと放置できないヤバい奴なんだけれども、それより何十倍もあかんやつが出てきたことで彼がヒヨコに見えてしまうこの状況、超人の中に凡人が転がり込んだみたい。
優太ストーリーパートからの、殺人パート描写は、RPGのボス戦が続くみたいな気分になります。

暴力と娯楽

暴力が娯楽になるのは、防衛本能でドキドキするのが気持ちいいからだと思う。

このマンガ読んでいて思い出したのが、キン肉マン」でラーメンマンがブロッケンマンをキャメルクラッチで殺すシーンでした。
初めて読んだ時、めちゃくちゃショックだった。怖くて怖くて。「自分がこうなったらどうしよう」という恐怖心から逃げられない。なるわけないんだけど。

ところが、見てはいけないものを見た感から生まれたドキドキが、すごい心地よくなってきた。
残虐シーンという娯楽の楽しみ方を知ったのはこのへんから。
まさに序文にある「それは自分とは直接関係のないもの」だと分ける心理が生まれたからだと思う。

 

『殺彼』も、やっぱり「自分とは直接関係のないもの」として楽しんでいる部分ありました。
今度は逆。「殺されるシーン」によってリアルシミュレートされることで、「自分がこうだったらどういう気分になるか」が表現される。

新しい殺人犯が次々出てくるの、超人がどんどん出てくるみたいな感覚になる。ブロッケンマンが殺されたのを見てショックだった幼いときの感覚を、もう一度味わっている気分になる。

自ら死の感覚に近寄ってスリルでハラハラするのを求める快感なんじゃないかなあ。ジェットコースターとかバンジージャンプみたいな。マンガという媒体だから、しっかり命綱つき。安心ですね。

殺人理論

後半出てくる料理屋のおっちゃんの竜崎豪が、すごい好み。
ネタバレは避けますが、しっかりした理屈があるので、ぶっ壊れてはいるけど納得はできるんですよ。生命に優劣がなぜつくのか、という。
個々の殺人犯に明確な価値観があって、誰一人として同じじゃない。

壊れた人たちが立て続けに出てくることで、一周して「やっぱり人を殺すって「何か」理由がないとできないよね」と認識できるのも面白い。

ヒーローはそれぞれ正義があるからヒーロー。その逆もしかり。

 

どちらかというと女性向けかな、という気はしますが、グロ好きなら男子にオススメ。

だって公式サイト見てよ。

後ろにいるやつら!

誰が最強の(読者自身の中で)殺人鬼か、推せるか。考えるだけでワクワクする。フィギュア化して並べたい。きっとマクファーレントイズみたいにイカしたやつになる。

数値データ化は作中でやっているので、さらに勝手に「何人殺したか」「殺人にかけた時間」みたいに数値つけると楽しいと思う。

 

その一方で気になっているのは、彼らの生い立ちの部分。
「なにかあった」から殺人犯になったのか、「最初から欠けている」から殺すようになったのか。

もし前者だとしたら、全員にハードなお話があるはず。
理論じゃなく本能で殺す記知は、自分が傷つけられるのを嫌がるらしいので、何かありそうだけれども、他のキャラはちょっとわからない。

「殺人の思想と能力」が今は前面に出ているので、まだ個別ルートは見えない。

見たいなあ。はやく続いて。

 

こういうのの女の子版も見たいなあ、と思ったけど、えぐい女の子大集合ものは結構ありますね。「trash.」とか。でも「殺されるシミュレーション」はないかなあ。