たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「イタいマンガ」が魅力なのはどうしてだろう。

ちょっと以前にまとめたオタク系マンガをずらっと並べたエントリを引っ張り出してみます。
オタク系・文化系青春マンガをしらべてみた
はい、どれもこれも大好きー。だってオタクだもん。
 
とりあえずこれらの中にもわりと「ポジティブ」に「熱血」に描かれた作品もいっぱいあると思います。「G戦場」とか「なつのロケット」とか。イタイかどうかでいうと青春独特のイタみは満載ですが、まだ前向き。解消されていく快感も伴ってますしネ。
しかし先ほど載せた「ヨイコノミライ」は解消されてないわけです。
いわゆる「イタイ系オタク青春」マンガの何が魅力なのか、自分なりに考えてみました。全部私観です。
 

あと、妄想少女オタク系もこの部類でしょうネ。
痛いマンガとは言うけれど、そーんなに痛くないですよねコレ、トータルで言うと。
もしこれにコーサカがいなくて、咲ちゃんがいなくて、大野さんがいなかったら、かなりイタイマンガだったと思います。多分グダグダのまま、何もせず何も実現できず、ただお互いの足を引っ張り合い、つぶれてしまったのではないかと。この考え方ネガティブですネ!自分ったらほんとにもう。
荻上の問題にしても、同人誌作成の問題にしても、笹やんの優柔不断っぷりにしても、咲ちゃんがいなかったらと考えるだけで恐ろしい。もっとも同人誌なんて作らなかったか、あのメンツだけでは。あるいは、くがぴーの発案止まりか。田中だけは仮に大野さんいなくても、しっかりと職を手にしそうではあります。
結局最後はものすごいハッピーエンドを迎え、今でも「いやー、げんしけん面白かったなあ!」と自分も心から思います。最終巻マダー?
しかしふっと立ち返ったときに、あくまでもそれが「オタクを眺める一般人からの視線」だったんだな、と感じることもあります。マンガ自体はコミカルに、いろいろなキャラの視点の角度から描かれるので、オタク空間面白いねえ、とはなりますが、
「あー、あるあるw」「こいつら笑えるw」「荻ちん萌え!(←間違い」が根っこな気がします。どこか、「オタク」から離れた位置から楽しんでいるんですよね。浄化されるのを。
浄化っていうと、オタク社会がドロドロ汚れているみたいな書き方に見えるかもしれませんが、そういう意味じゃなくてなんてのかな、精神的なスッキリ感。やっぱりどっか体育会系のノリだと思います。
大野さんの凶悪な乳とポジティブさと小悪魔っぷりが、ネガティブオタではなくポジティブオタです。「大野さんみたいな人間いるわけないヨ」はごもっとも。でも彼女と咲ちゃんがある意味、他の部員のネガティブオタク達を映す鏡でもあったな、と思います。
悪意にとらえると、「外部からの刺激があったからよい方向に成長できる」というオタクユートピア幻想だな、と思いました。でもね。自分はそこが心から大好きだし、そういう浄化感が、みたいんですよマンガなんだから。
オタクにも青春がある。オタク世界だから楽しいこともある。そういうちょっと客観的な位置から見た部分が、魅力なんだろうなと思いました。
隠れオタやってて「自分はオタクじゃないもん」と言い張っていた自分が見た意見です。
 

ルサンチマン」なんかもこっち寄りかな。リアルかどうかと言うのに対しての思いは以前書いたとおりなんですが、そのまま受け取るのではなくてそのウラのネガティブっぽさのコレクションだと思うとイタおもしろい。
やくろあんてなさんが書いてくださったコメント。
「アニメは見ていないので分かりませんけど、小説の方はネガハピ、超人計画含めかなりリアルです。ネガハピは非日常だけどリアルです。」
げんしけん」の方が比較的現実味ありそうな世界に見えながらも、こっちの方がエグく感じ取れる人が多いのは、やはり作者滝本さんの「本性」なのかもしれません。結局自分がポジティブになれない悶々をキャラにそのまま焼き付けてるから、たとえキャラや世界が非日常でも、その前の見えなさ、ネガティブにしか物事をとらえられない性質が浮き彫りになっていて、なんだか見ていてイタくて仕方ないんだと思います。超主観型、ですネ。
はて、んじゃこういう「自虐的作品」はキライ?となると、面白いんだよなあ。
楽しみ方としては、

・その自虐っぷりを指さして笑う。
・うあー、このシーン自分もだよー、とのた打ち回る。
・オレ、こいつらよりはだいじょぶかも。と安心感を得る。
・ちょ、このシーン痛いヨ!と友人との話題の種にしやすい(オタク内で)。
・ネガティブオタク生活、どうやって生きるか!という糧になる。なると思う。

まず、大きく分けて「佐藤くん的視点(ひたすらインナー)」で読む人と「岬ちゃん的視点(他人と比べて自分を確認)」で読む人がいると思います。
前者は「イタイ!自分も当てはまる、共感できる!」という自分を見つめなおせるタイプ。痛いのを楽しめる人かなあ。
後者は「自分よりひどい人いるんだ。うん、自分はまだ大丈夫」というタイプ。確かにNHKのキャラはみんなイタイ。だから見ることでほっとする効果も少なからずあります。まだこれよりは、マシかもしれないとして、糧にする人向け。
んで、「オタクキモイ」と客観的ぶってるよりも、どっぷりはまりこんで見れる方が、そのイタさも面白さも味わえる、共有できると思いました。ネガティブ心理が柱だけど、最終的にはポジティブに向かって行きたい!という、太陽に手を伸ばす感覚も隠し味程度にちょっとだけあるとさらに魅力的。まだ人間捨ててないヨ、モテたいし楽しく生きて行きたいヨ誰か助けて!という感覚がたまらない。
あれ?他力本願じゃん。

ネガティブな話が面白い、というのはブログ界隈でも同じかもしれませんネ。痛い非モテネタやオタクネタはやっぱり面白い。でもそれは痛いのをわかってて客観的に楽しめるから、という側面もあると思います。
ラブやん」「みーたん」もその部類でしょうね。特に「みーたん」。コミックハイ連載中の賛否両論のヒドいマンガ(ほめ言葉)ですが、オタクのダメなとこの皮肉しか詰まってない。オチもない。だけどそれが時々自分に跳ね返ってきたりしてイタいのもあるけど、指差してケラケラ笑えるライト感も強いんですよね。「ラブやん」とか絶対ありえないくらいカズフサはダメなんだけど、だからこそ面白い。
もっともこれは、オタ経験があって一通り何かを乗り越えてないと、そこまで笑えないかもしれません。意味がわからなかったりただキモいだけだったり。
でも、乗り越えたとき・・・キモ面白いんだなー。とりあえず、こうはなりたくない。うん。いかにそう思わせて楽しませてくれるかが、作品の要なんじゃないかと思います。

あとあびゅうきょマンガとか。オタクマンガじゃないですが、タカハシマコ榎本ナリコのマンガもこの部類じゃないかな?なんて思いました。あと西岡兄妹。後味最悪型。あえて絶望への道をひた走る作品たち。個人的にはこの中に福満しげゆき作品もオススメしたいです。もう最初からグダグダで最後も絶望。
んじゃこういうのの何が楽しいのかと言うと、
・人生外側から眺めてただひたすらに落ち込みたいとき
・オタクネタや人生のイタイとこを殺伐と見たいとき
・自分の傷を確認したいとき。精神的リスカ。ああ私こんなにダメなの!
・自分がオタなのわかってて、それでいて批評する立場でイタイのもわかっていて見る。
・最近私、痛いのが気持ちいいの・・・。

そんなわけで、このタイプは苦手な人にはとことん苦手だと思います。「ヨイコノミライ」は最初買って、途中からダメになった方も多いんじゃないでしょうか。
自分も、きづきあきらマンガ大好きなんですが、正直こういうマンガ「だけ」だとほんと滅入ります。コレ読んだあとは「アニメがお仕事!」や「G戦場ヘブンズドア」みたいな「戦う意思のあるマンガ」を読んですっきりさせてから寝ます。まあどれもこれも寝る前に読むもんじゃないですネ。はい。
 
上記のように、イタイのが面白いかどうかはまず視点の差で大きく異なると思いました。
立場の差だと
①もうどっぷりオタクであることを自覚してる
②オタクなのわかってなくないけど、認めたくない隠れオタク
③オタクってなんだろうよくわからないけど面白いな、という「一般人」。

多分①がもっとも楽しめるでしょうネ。②だとダメージでかすぎるかもしれません。それで目覚めたりして。
んで、視点の差だと

①あーオレこれ。イタイやつだゼはははorz
②うう、若い時のキズが痛む、けど懐かしい。
③オタクっつうのはだな、殺伐としたもんなんだよ!
④自分はまだ、ここまでひどくない、うん、大丈夫。という安定剤。
⑤こいつらキモスwwwwオモシレー

自分は②タイプ。青春物はどんなものでもちょっと痛くて切ない。それを増幅させて「そこ黒歴史!掘り起こさないで!!!」ってところで楽しむのが、自分の楽しみ方です。Mじゃないヨ?多分。
どれもこれもそうですが、イタイのは「酔えたもんがち」。冷静になるよりも泥酔しちゃいましょう。
 
リアルな青春を描くマンガは、努力と根性でハッピーエンドをつかむのもあれば、ひたすらバッドエンドにネガティブに突き進むののもあるから、やめられない。
 
追記・ちょっと修正しました(11月10日)