たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

オタクが「これってマイナーなんだけど」と言う時のキモチ。

●なあ、マイナーマンガの話をしようじゃないか!●

マイナーだけど面白い漫画を紹介するスレ(2ch)(酔拳の王 だんげの方より)
マイナーの基準が余りにも難しいのでおおよその目安しか立てれないですが、それでもこのスレ、良作マンガの名前がごろごろ転がっているので必見です。
個人的には>>250に出ているヴァンデミエールの翼」は心の一冊です。
あとせっかくだから、「マイナー…かなあ?」レベルで自分もちょっとあげてみると、山東ユカみずたま注意報、あめかすり「オママゴト」、松下紺之助「黄昏幻燈館」粟岳高弘「鈴木式電磁気的国土拡張機」榎本ナリコ「寓話」あたり。「サナギさん」はもちろん超有名なのでいまさらすすめたりしません!、とサブリミナルしておきます。
他にもマイナーといえばいっぱいいいのあるよね、あれとかあれとか(以下30時間語るたまごまご
  

●「これはマイナーなんだけど…」という時の気持ち●

「今日の早川さん」悔い改めよハーレクイン!とチクタクマンは言った(coco's bloblog)
早川さんの服のデザインがマニアックすぎです。というのはおいておいて。
いつもながら、鋭すぎてまるで自分を鏡で見ているようです。
2コマ目に注目。

とかくオタクは<一番乗り>が大好き。後になって「今頃良さに気づいたの?」という一言を言いたいがために常日ごろアンテナをみがくことを怠りません。もちろん認知が広まる頃にはすでに別の方向へと全力で走り出しています。オタクにはブレーキなどないのです。

あーー!あの時とかあの時とかの自分に言い聞かせてやりたい!チクショウチクショウ! 
「あ、この本マイナーで一般受けしないんだけどさ、自分これ好きなんだよね。本屋にもあんま並んでなくてさ…」
以上フラッシュバックでした。もう消して埋めてしまいたい。気分はアイマスの雪歩です。
 
普通に会話する分には「○○って知ってる?」「○○っていう本があるんだけどさ」みたいにしゃべるので、メジャーかマイナーかって言葉は、あまり意識はしないんですよね。
しかし「マイナーなんだけど」という言葉をつけた時点で「そこそこ、そのジャンル(マンガ・小説・映画・音楽・ゲーム)を自分は知っている」という自負は、無意識にあるんじゃないかなあ?と思うんですヨ。
 
小説やマンガを「マイナーなんだけど」とオタクが付けて呼ぶときには二通りあると思います。
1、「知らないよね、ごめん、申し訳ない、でもしゃべりたいんだ」という下手にでる気持ち。
2、「知らないよね、オレ知ってるよ、どうだ、すごいべ」という上手にでる気持ち。

 
1の人は、作品がメジャーになると喜びます。でも心の中では、娘を嫁に出した父親のような複雑さもあったりします。嬉しいけど旅立っていくのは不安、みたいな。たまたま好きだった作品がマイナーなだけの場合は、メジャーになろうとなんだろうと気にしない場合も。
2の人は作品がメジャーになると悲しんだり「おれはこれはくると思ってた」とかウンチクを語ります。んで新規ファンをけなしたり、原作以外認めないとか言ったりします。あるいはメジャー化したらさくっと捨てる人も。
あまり2のタイプに固執してしまうと、単なる「青田狩りチェッカー」と化すこともあります。あれれ、本来の目的はどこへやら。
 
とはいえ、「マイナーだけど、マイナーだから面白い」は間違いなく存在するんですよね。「メジャー」じゃないからこその楽しさ。だから純粋に作品を好きで探す人も、気づいたらマイナーに埋もれている、なんていうサブカル人も結構多いのではないでしょうか。
 

●マイナーだからこその魅力●

はて、最初にに上げた作品は自分にとってものすごく好きな作品ではありますが、「誰にでも面白いか」というと決してそんなことないんですよね。むしろ多分他の人には合わないだろうなあと思います。これはひいきめに見てではなくて、客観的に「うけつけない人いるよな」という意味です。
 
作品って、狭ければ狭いほど、個々の好みに細分化されて、細分化されるほどオタクとしては「自分にあった作品」になります。それが他の人に受け入れられるかどうかはまた別の問題。
そんなわけで、自分探しをするがごとく、マイナーな棚へマイナーな棚へと手を伸ばすことがあるのもまた確か。
そんな「秘境」で「自分の好みに合った書物」に出会う喜びときたら!たまらんちん。
自分の究極の好みの作品に出会うために掘り進む冒険者型オタクになるか、仲間と共有しながら広く楽しく作品をたしなむ社交型オタクになるか。どちらの道に進むかは自分次第。あえていえば冒険者型オタクの道は険しい上に、先ほどの早川さんのように常にピリピリした緊張感と戦ってオタクやるハメにはなります。
各地で言われていますが、「げんしけん特装版」の篠房六郎先生のマンガはほんとこのへん端的にあらわしてますネ。冒険者型で、アイデンティティとオタク思考がくっついちゃうと本当に生きることに苦労しそうです。それでもやめられないんだよなあ、自分もですが。
 
でもね、最近はその間くらいの人間関係も趣味も両立できるオタクも増えていると思うんですよ。バランスが取れている、すすめ上手聴き上手なオタ。そしてそうありたいなあ。
「人に合わないかもしれない」と分かっていても、薦めたくなるのはオタクのサガ。それは相手のストライクゾーンに当たるかどうかわからないけど、当たったらイイナ!なんてマイメロにお願いしながら下手なボールを数だけ投げます。そして、自分のストライクゾーンに当たるボールがあるとイイナ!と思いながら、相手の好きな本の話を聞くのも楽しいんですよネ。
いつも言ってますが、面白いマンガあったらほんと教えてほしいなと自分も思います。その人が心から「面白い」と思ったものって、どんなにメジャーだろうがマイナーだろうが、そこに必ず面白さのファクターがあるんですよね。マイナーになればなるほどそのファクターが尖っていくから楽しくて仕方ありません。あとは、合うか合わないかは自分の感性で取捨選択。
 
だから「マイナー」作品はいつの時代もなくならないと思いました。「メジャー作品だけ読めばいいじゃない」なんて思うのは、やっぱりイヤ。その作品が今後売れようと売れまいと、マイナーで、自分が共に過ごせる作品はいつも傍らにあってほしいと思い、書店の海を泳ぐのでした。
ちなみに恥ずかしながら、マイナー本だと思われるのだけ集めた本棚が自分の部屋にあります。意識しすぎです。恥ずかしい!とかいいつつちょっとやっぱり誇りだったり。こういうのって自分だけでしょうか。


〜関連記事〜
そして彼は、あえてマイナーな本に手を伸ばすのであった
ひねくれ頭でマイナーなの漁ってて、宝を見つけたときの興奮があるからオタクはどんどん深くなるー。
踏み込んだオタクが見えるものと、見失うもの。
「面白い物を人にすすめる方法」オタク編。

〜関連リンク〜
おたくをやるには人生も一日も短すぎる(あなたの正義は人を殺しますか)
つまみ食いオタクライフのススメ
豊かな社会ほどひとは近視眼的になる。(Something Orange)

何をどう消費するのもそのひとの自由だし、それを他人が良いの悪いの、豊かだの貧しいのと批評する道理はないでしょう。
ただ、ね。ぼく個人としては、やっぱり受動的に作品を享受するだけじゃなく、積極的におもしろいものを求めてほしいと思う。

メジャー・マイナー。深い・浅い。低俗・高尚。何が面白いかを決められる自分の感性を探して信じたいです。