たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

肉体は所詮物質なのか?「フランケン・ふらん」が描く身体。

●人体へ触れるタブー。●

人体を自由にいじりたい。
これは大昔から人間の中にぼんやりと眠る夢です。と同時に、決して犯してはならないタブーの一つでもあります。自分の思い通りに肉体を用いる、といえば聞こえはいいですが、墓掘って死体を意味もなくいじくりまわしたり人の身体パーツをもてあそんでいいのか、というのは物議をかもし続けるところだと思います。確かに医学面では必要でも、個人の趣味でどうこうするものかと言われると、本能的に抵抗があります。
その部分をうまく描き出したのが、人造人間譚フランケンシュタインの物語でしょう。多くの場合それらは、反逆や苦悩など、悲劇的な結末を迎えます。やはり禁忌への危機感は常に抱えている部分なのかもしれません。
それをコメディタッチで描いていったら?ギャグにするのは簡単ですが、嫌悪感と笑いをいっぺんに持ってくるのはなかなか難しいと思います。
 

●グロかわいいよ、ふらんちゃん。●

ここで、チャンピオンREDに連載されている、木々津克久先生のフランケン・ふらんに描かれている「肉体」観を見てみたいと思います。1、2話はだいぶ前に連載して、今は3、4話までやっているのですが、相当特殊なマンガになっていると思います。といっても、多くの人がご存知のように、チャンピオンREDは臓物と虫とエロスの渦巻く核融合みたいな雑誌です。まったく浮いていないのがすごい。
主人公のふらんちゃん、医学に長けた天才です。これがまたグロかわいいのですよ。

いつもフラフラと寝ぼけまなこで、浮世離れした感覚の中でさまよっています。頭にはフランケンシュタインのシンボルマークのようなネジ*1、口元は「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」のサリーのように縫い付けられています。単なる萌えキャラではなく、グロテスクな部分をしっかり残しつつキュートというのが描かれています。目がぱっちりしていて、その異形に近いかわいらしさが強調されているのもミソ。「ふらんちゃん」と「ちゃん」付けで呼びたくなってしまうデザインの妙。個人的にこういう異形なのにかわいいキャラはツボなのです。
もっとも、このキャラの存在が「かわいい」という時点で人体への色々なゆがんだ楽しみ方の目線はあるんですよね。一部の人にしてみたら、十分気持ち悪いデザインと取ることもできるでしょう。グロでもかわいいでもない半端さが、どっちかというと「かわいい」寄りに押されているから。
「萌え」ではなく、「かわいい」は強い。グロや狂気や核弾頭だって「かわいい」には勝てないのが今のマンガの世界の公式になっているのではないかと思います。
 

●ふらんちゃん、人体をいじる。●

このマンガはただふらんちゃんが不気味なだけではありません。
彼女が、もう日常茶飯事で人体をいじくり繰り回し続けているのが面白いのです。

まあ、いじっているのは人体かどうかすら。
彼女のいるところに、人体解剖あり。医学的な興味ゆえの人体いじりなのですが、それはブラックジャック先生のとはまったく別物なのが面白い。

別に殺す快楽だとか、人体いじりが好きだとか、そういうのでもなくて純粋に好奇なんですよ。もう医学的な話が好きで好きで仕方ない。もちろん医学ですから、相手の望むことをしようとはするわけですが、「自分の好奇心>>>相手のため」という感じ。
んで、彼女が医療を施すシーン満載ですが、このへんはかなりグロいです。しかし彼女のぼんやりした瞳を見ていると、それすらもあんまり気にならず自然な流れに見えるから不思議。
彼女のきめ台詞は「術式を開始します」。テンションがあがれば「開始する!」に、眠ければ「開始しまーす」に。もうなんというか、彼女の気分次第で大雑把。しかし、まぎれもなくそこでいじっているのは命ある人体なのです。医療マンガの苦悩はありません。殺人鬼の快楽もありません。ただ人体をいじるのみ。それがこのマンガのキモだと思います。

だから自分の身体も、こんな程度です。適当に扱っているのを見ていると、安心すると同時に、肉体なんて所詮パーツなのかな?と思わされてしまいます。
 

●肉体=部品。●


第4話に出てくる整形の話。
プチ整形をはじめ、整形に対してどう感じるかというのは100人いたら100通りの答えが出てくる複雑なところだと思いますが、この世界では基本的に整形はささいなことです。
なんせ、人体バラバラにしてくっつけて次の日笑ってるような世界です。ふらんちゃんも肉の組み合わせみたいなものですし。むしろ、体を大切にするのはナンセンス。壊れたらとりかえればいい。気に入らなければ改造すればいい。

もうね、あっさりと。工作みたいに。
めちゃめちゃ痛そうなシーンですが、なんかあっさりしているのがユニークです。グロいけれども、今すぐにでもできそうなノリじゃないですか。
 
肉体が特に深い意味を持たずに部品のようになっていく感覚、ってのは創作の中ではわりとベースになる場合の多い考え方だと思います。もちろん、命を大事にして体をいたわる、というのは現実的には大切な思想ですが、小説マンガ内でそれを捨てても、意思が働いていったらり、精神と肉体がバラバラになっていったり、というのは面白いモチーフです。思想的な部分もありますし、クローン・ロボット・AI・人造人間・アンドロイド・サイボーグ・ゴーストなど、精神と肉体の乖離や融合の物語は数多く作られています。
この作品では機械には頼らず、あくまでもふらんちゃんの特殊な「医学力」をもって肉体を改造します。
肉体が部品、というと思い出すのは、マンガ「GUNSLINGER GIRL」。こちらはスナッフビデオの犠牲者や、親に殺された少女や、犯罪に巻き込まれてボロボロにされた少女達の精神すらもリセットし、人体を薬漬けにしてとっかえるという強烈さと、徐々に終焉を迎えざるを得ないというやりきれなさが全編に漂っています。未来を考えるだけで鬱になるのは、人体と精神に踏み込んだ人間への罪と罰を描いているからかもしれません。
しかし、「フランケン・ふらん」は、そのへん死ぬほどさっぱりしているのですよ。

超刹那的。今この瞬間がよければいい!
この話のオチがまたブラック過ぎて、ニヤニヤと黒い笑いを誘われること間違いなし。ぜひ雑誌で確認してみてください。悪趣味だけれども、肉体を部品としてみる視点の一つの形が提示されているんじゃないかな、と思います。
 

●精神と肉体は関係を持つのか、別のものなのか。●

基本的にブラックコメディなので、この作品は今後もぞわぞわする描写と後ろめたい笑いで楽しんでいける良作になるのではないかと期待大です。まだ4話ですが、基本オムニバスになりそう。
ただ、3、4話を見ていると、精神と肉体の関係や、肉体そのものの価値はあるのか、というのが暗に描きこまれています。非常に皮肉めいた形で。笑いながらそれらを見た後、自分の手をもう一度見てみよう。気に入らなければ取り替えられるのかな?もしかしたらこの手は他の人のパーツともなりえるのかな?増やしたら便利なんじゃないかな・・・?
人体を勝手にいじる、というタブーはやはりタブー。ただこういう作品の中で色々な考え方が提示されていくのは面白いことだと思います。次回はどんなグロテスクな身体改造をしてくれるのかしら。
ちなみに。攻殻機動隊みたいに素体になるのって、ちょっとあこがれませんか。何体かボディ用意して、入れ替わりしながら暮らしたいっすよ。ねえ。
 
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チャンピオンに集中連載されていた「ヘレン」も本になってほしいのですが、出ないかなー?
ガンスリは死ぬほど面白いのですが、続きを読むのが正直最近怖いです。ペトラはかわいいのだけれども、アンジェやエッタ達が…。
 
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ロボット、人形、人造人間。
余談ですが、吉富先生の「BLUE DROP」や「RAY」を見ていると、非常に女の子たちは美しいけれど、あれも入れ物のように感じられることがあります。
 
〜関連リンク〜
フランケン・ふらんEp3.「Take to piesces」感想(赤い放射能に汚染されたブログ)

*1:ちなみに、メアリー・シェリーの原作「フランケンシュタイン」には頭に刺さったネジはなかったはず。映画の中で融合していったのかな。