たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「黒博物館スプリンガルド」異聞に見る、19世紀少女写真の光と闇のジレンマ

さて、富士鷹ジュビロ先生の新刊が出たわけですが。
黒博物館 スプリンガルド (モーニング KC)
相変わらず熱い藤田節炸裂の、義と奇才アクションマンガ、として純粋に楽しめると思いました。
大まかに内容を書いておくと、バネ足ジャックと呼ばれる、切り裂きジャックの前に登場した都市伝説的な実話?を藤田流アレンジで、とんでもなく激しく「信念のぶつかりあい」に昇華した物語。
作品の合間に、史実の裏話がたくさん乗っているので、イギリス猟奇系伝説がお好きな人にはここだけでもオススメ。
もう藤田先生が、この「バネ足ジャック」という素材にほれこんで、素で燃えているのが感じられて、それだけでワクワクしちゃうよ。
 
さて、本編についても書きたいことは山ほどあるのですが、個人的にハートを打たれて、同時に悩ましい思いにもかられたのが、この単行本の後半にある「異聞 マザア・グウス」でした。

それは、少女美に狂う男と、伸びやかに生きていく少年少女の価値観の歪みのぶつかりあいでもありました。いや、思いっきり爽快でさくりと読めるのですが、自分にとってはとても悩ましい。
 

●19世紀写真技術の爆発●


このスプリンガルド異聞、基本的には本編と別物、として見てみます。
お坊ちゃまのアーサーのところに突然転がり込んできた、ボロをまとった少女ジュリエット。その子は実は良家のお嬢様でした。
ステキなボーイミーツガールの瞬間で、藤田先生もこの部分を至ってポジティブに描いています。
が、「なぜボロ?」という部分に関しての設定が面白い。
 
まず、キーワードになるのが、写真です。
写真といえば、今でも「記録媒体」として生活に密着したアイテムだと思います。自分もすげー写真好きで、いまだにフィルム型の一眼レフ愛用してます。「この時間」を切り取るアイテムなんですよね。
自分は時間に後ろ髪引かれるタイプなので、とにかく「時間を残せる写真」大好きなのですが、そんな感覚はカメラ開発初期からあったようです。ちょっとヴィクトリア朝のアリスたち」という本を参考に、簡単にまとめてみます。
 
1826年にフランスで、世界最初の風景写真が撮影されました。1839年には、ダゲレオ・タイプと呼ばれる写真がイギリスで特許を取得。写真の誕生!
とはいってもこの時点では非常に時間がかかる上に、特許権のごたごたで広まりませんでした。
 
1851年。湿版の「コロディオン」と呼ばれる写真術が、かの第一回万国博覧会にて発表されました。クリスタルパレスがロンドンに作られたアレですね。映画「スチームボーイ」に出てきたやつだと思います。これで一気に写真人気は爆発。50年代後半からはプロアマあわせて数多くの写真家が登場することになります。
が、写真って「絵におとる、芸術じゃない」という叩かれ方をしたり、特許権の問題でもめたりとなかなか大変な目にあっていたようです。それでも根強く使用者が、多くのお金を時間を割いて情熱を注いだのはよーくわかるじゃないですか。
その後、1880年代には巻き上げ型のフィルムが開発され、時間をかけて絵画を描くように撮っていたコロディオン型は一気に衰退。喜ばしい進歩ですが、ここで写真の感覚が「高尚な趣味から、記録に使えるもの」へとも、大きく変わった部分があったみたいです。
 
とはいえまだまだ不便な写真機を構え、ゆっくり時間をかけて、今を切り取る。熱中した写真家達は数多くのモチーフを撮る事になりますが、そこでどどーんと一部の人に愛されたのが、「少女」
 
はい。ここでスプリンガルド異聞に戻ります。
 

●少女が、カメラの前で退屈する時●

この作品で出てくるのは、写真狂の男と、先ほどの少女ジュリエットの対比。
ジュリエット自体がかなりアクティブで、気の強い子だからというのもあるのですが、写真技術と、少女写真愛好家への割り切りっぷりが面白いです。

ここで出ている、「乞食娘(の格好)」というモチーフは実際に大人気だったようです。あとは「中国娘(の格好)」とか。
このへん「ものめずらしさ」という面と「少女性」という面がぶつかりかっている気がします。

やはりここで希代の少女写真家ルイス・キャロルを出さずにはいられませぬ。彼の計算された構図と少女美の追及にはほとほと恐れ入る。
これは「不思議の国のアリス」をキャロルが語った少女、アリス・リデル。キャロルもまた、少女に乞食の格好をさせて撮影していました。コスプレです。
キャロルが何を考えて撮影していたかは今となっては想像することしか出来ませんが、一つ間違いないのは、少女達が少女であるこの瞬間を大切に保存しておきたい、という純粋な思いでしょう。と信じたい。

非常に珍しいキャロルの撮影した少女ヌード写真。やはりスキャンダラスだというのもあってほとんどが焼却された中で、かろうじて残った作品のようですが、あまりにも光と影がいっぺんにあふれている「少女性」が詰め込まれて、インパクトのある写真になっています。そう、美しいけどなにか別の暗さを感じる、人間の色々な感情が入り混じった魅力。
 
この頃の写真、なんせ時間かかるもんだから女の子は飽きちゃうんですよ。同じポーズをとり続けるのは苦痛です。
そんな、アンニュイな顔がまた、今は撮影できない「少女っぽい」魅力を放ちます。元気な姿と、飽きた顔。イキイキした心の生と、魂の抜けそうな心の死。
非常に魅力的な二律背反ですし、少女達がそれで満足していたのならばっちり。ですが「スプリンガルド」で出てくるネタは100%フィクションとは言いがたい、どんよりしたロンドンの闇をすくいあげていました。
 

●フィクション乞食少女、リアル乞食少女。●

この時代のロンドンには膿のような部分も絶大にあったわけです。このへんは「スプリンガルド」本編でも楽しめると思います。万国博覧会をはじめとした「光のような繁栄」、そして死や性と隣り合わせの「歪んだ闇」
 
「乞食姿の少女」というモチーフは、ある意味純粋な「少女像」への欲求なのかな、と思っておくことにします。もちろん事実としての真相は色々ありますし、それこそ先ほどもかいたものめずらしいコスプレという感覚もあるでしょう。
が、どうしてもそこにドロドロした感情や偽善が0じゃないのが難しい。そのうち現実のロンドンでは、乞食の少女にお金を払って撮影被写体にするのがはやったようです。そして少女の親は、いいもうけになるので娘を撮影に出す。うーん。このへんの真相は諸諸説説あり分からないのですが、それでもまだ面白がって撮っている人は欲望に忠実だった、という面での芸術家だったのかもしれません。

こちらはクローシェイ撮影の、実際の乞食娘の写真。リアルを切り取るという意味なのかもしれないですが、どうにも完成しているので、楽しんでいる感じはあります。
これはまだマシ。こっちは恐ろしい。

J・T・ワイスの、少女売春婦の写真。何を意図して撮られたのかさっぱりわかりませんが、なんというかエロスを通り越しすぎて死のにおいがぷんぷんする、おっかない写真です。完全にロンドンの膿の部分ですねこれ。
少なくとも、愛情を注いでいたキャロルの写真*1とはどうも方向が違う気がします。
 
スプリンガルド異聞は、その性的倒錯と、時間と人権を奪い去る行為としての写真撮影の様子が、非常に分かりやすく描かれています。決して少女写真の否定ではないです。その過程の闇の部分、ロンドンの闇の部分をデフォルメしてアレンジされています。が、闇であることは間違いない。
 

●時間を切り取ることと、時間を奪い去ること●

同意なく強制された撮影は、相手の時間を踏みにじる行為。それがいかに高尚な芸術嗜好であろうとも。そんな思いがこめられつつ、本当の美はそこにあるのかい?と藤田先生は問いかけます。

とあるテクニックで写真家が、少女達を骨抜き状態にし、服を徐々に脱がしてヌードをとるというなんとも屈折した描写がなされています。
しかしなんというか、悔しいけどこの写真家の気持ちそんなに嫌いじゃない自分がいるんですよ。そんな自分にすげー嫌悪感が沸くんですが。

こんなのに1mgでも共感したら、そりゃアレですわな。でも正直なところだからしかたない。
少女の時間を奪い心を奪うことの最悪さは思い切り感じるのですが、この写真家絶対手は出さず、ヌード写真撮るだけなんですよ。
性欲なのかはさだかでなくても、少女の美しいヌードは、衣装の一つ、なんていう19世紀の考え方には共感できるところが多々あります。
 
少年少女の美。
それは通り過ぎる一瞬の中だからこそ存在するものです。
だから写真を撮ったり、動画を撮ったり、絵画にしたり、マンガや小説で描写して、必死にその消えゆく瞬間とつなぎとめたい!
そんな気持ちを昔から多くの人が思い描き、恋焦がれ、数多くの作品を生んでいる。それらが自分にとっては非常に愛しい存在なのですが、写真や動画はあまりにもその点難しい問題が多すぎるのも、認めざるをえませぬ。
しかし、それによって数多くのすばらしい少女写真家が淘汰されてきたのだろうな、と考えるだけでも複雑な気持ちになるのもまた事実。キャロルが焼却した写真に、どれだけ傑作があったことだろうか…。
 
このスプリンガルドという作品自体、テーマは別のところにあると思うので、決して少女美についてうだうだ考えるのは正しい読み方ではないかもしれないです。
でも、そんななんとも言えない価値観と時間に歯噛みをしながらも、「その瞬間は消え行き、前に進むからこそ美しい」と、自分だけ時間にとどまり傍観するようなことを言いつつ、ジャックに蹴り飛ばされておこうと思いました。
 

バネ足ジャック、という奇天烈と猟奇趣味と派手さの極みのようなエピソードを、人間の情熱や少年少女の成長と組み合わせた本作。このデザインのキャラを不気味に、かつ超かっこよく描ける人は、やはり藤田先生しかいないかもしれないです。
シリーズ化しないかなー。
 
黒博物館 スプリンガルド (モーニング KC) [asin:4403010423:image] ナイトシフト〈2〉トウモロコシ畑の子供たち (扶桑社ミステリー)
スプリンガルド異聞に興味があって、当時の様子が知りたい人には「ヴィクトリア朝のアリスたち」は非常にわかりやすい写真集なので、おすすめです。キャロルの写真の美しさ+アンニュイさ+正確さも面白いですし、他の作者が撮った当時の闇の部分もちゃんと掲載されています。
「トウモロコシ畑の子供たち」には短編で「バネ足ジャック」というのが載っているので、参考に掲載。

[asin:4870316552:image] [asin:4870316560:image]
あんまり関係ないのですが、個人的に好きな写真集。少女とコミュニケーションをとり、少女へ、人間への愛情こめて撮影しつづけたこの作品集。作者はやはり、周囲の「少女写真への弾圧的な雰囲気」を見て、その愛情ゆえに完全にそのジャンルから手をひいて、亡くなりました。見ているだけでその真摯な視線にじんわりくる、愛のこもった切り取られた一瞬です。

〜関連記事〜
「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。
「ロリコン」って言われるとオタクは心臓が跳ね上がるのです。
少年少女の時間と姿への、憧れ、羨望、そして後ろめたい感情。その思いもまた、純粋なものだと、思いたいなあ。
少女性の深みについては、さらにさらに突き詰めてくれる作品を見たいです。それが極めて不安定な魅力でも、また成長する前向きな魅力でも。
 
〜関連リンク〜
黒博物館スプリンガルド(wikipedia)
いやあ、この時代の関連写真+絵画てんこもりなので、必見。バネ足ジャックという素材はほんっとにシュールだけど、倫敦っ子の求めている感情を表現していて興味深い。

*1:もちろん、彼がどのような感情で撮影していたのかは完全には分からないのですが…個人的には愛情も間違いなくあったかなという説を支持したいデス。