たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

ロボットに性別があるのはなぜだろう。流星ひかる「それはロボット」

まず、この単語を見てみよう。
「メイドロボ」
はい、ときめいた人挙手。はい!はい!ノノノ
まあ、十中八九自分の中でこれを聞いて思い浮かぶのがマルチだったりまほろさんだったりミソッカスだったりするせいなんですが、冷静に考えてみたらそれって結構与えられたアニメ・マンガ・ゲームのイメージでした。
メイド機能を果たすロボットをじっくり、かつ現実的に考えてみたら、女性型とかにこだわらず色々な機能を付けた方がいいことに気づきます。スリムなボディより、寸胴ボディからコーヒーの一杯でも出る方がよいだろうし、腕もアームがいっぱいついている方が便利だろうし・・・。うわっ、気持ち悪っ。
 
ここで一つの問題が浮かび上がります。
ロボットを作る際、なぜ男性型・女性型となるのか、というところ。
「動く人形」の延長としてなら、確かに性別は「人型」なわけだから求めて行きたいテーマです。しかし、知らず知らずのうちに創作や人間型ロボット工学の間では「普通言われるロボットは男性型、女性型が出ると『女性』と冠される」という流れがあるように思われます。まあ、足だけとかアームだけとかなら別ですが。
それでもなおも人間型を追求する科学者が多くおり、かつアンドロイドは女性型が追求され・・・というのが面白いじゃないですか。なんだかこの流れ、アダムが最初に男性型をしており、そこから女性として美しいイヴが生まれた、ってのと何か似ている気がしてなりません。
でもね。皮はがしたらやっぱり機械なわけで、本質は男性でも女性でもないんですよね。
さてはて、見た目の、そして中身の「男性的」「女性的」はロボットの中にどう生かされ、人間はそれをどう捉えているんだろう?そんなことが創作の中では繰り返し問われ続けてきました。
 

●女性のカラダ、男性のカラダ、ロボットのカラダ●

コミックハイ!に連載されていた、流星ひかる先生の「それはロボット」というマンガをここで紹介してみます。
この作家さん、基本ほんわかエロ(18禁にならない程度)をやさしいタッチで描く人なのですが、とてもロボットを愛しておられる方で、以前からちょっとずつロボットをテーマにした短編を数多く発表されています。今回はそれの総まとめのような本です。
そのため、「ロボット」という存在について、独自の解釈をしていらっしゃるのが非常にこれが面白い。
 
まず、人間型ロボット物といやあ、顔とか形が限りなく人間に近いものとして描かれる場合が多いじゃないですか。それが理想ですし。
しかし、流星先生の描くロボットは、もうそりゃ旧時代の三等兵状態のものばかりで統一されているんです。
その中から一遍、「同類はロボット」という作品を見てみます。

まさに絵に描いたようなロボット!あ、いやまあ、絵に描いてるんですが。
ここでオタ文化に造詣の深い方なら、ちょっとした違和感を感じるはず。女性型として設計されているようですが、全く女性の体型をしていないんですよ。服装こそ女物ですが、まるで女装したかのようなぎこちなさ。つまり、外側は男性準拠の形をしているんです。
加えて顔がのっぺりしているからの違和感もあるのですが、やはり極めつけは髪の毛がないことでしょうか。
このロボット、学習型のようでことあるごとに色々覚えていくのですが、やはり一番のネックになるのは「女らしさ」の部分のようです。
まあ、そりゃそうです。人間だって「女性」というものについて、男性は理解しきるのは不可能だし、女性ですら分からないことがたくさんある。それよりも「個性」が大事なのもまたしかり。
 

突然、「ロボットと会話してください」といわれたら、困惑するというのも新鮮。科学者じゃない一般人としては、ロボットは興味の対象ではあっても、個々の感情や思いをぶつけるような相手じゃないわけです。確かに「まほろさん」くらい自己があるのなら別ですが、この外見で表情ナシでは、さすがにさらけ出すのは無理があります。
そう、そこが流星先生の狙いなのではないかと思うのですよ。短編がいくつか入っていますが、見事なまでに全員この丸顔なんです。だからロボット側の感情は表現されないし、人間もかならず困惑します。見ていてこっちもすぐには感情移入できません。あえて距離感を置くこの設定、うまい。
 
残酷な話(?)ではありますが、やはり「ロボットだから」こその距離感はあります。それを最初から乗り越えるのは無理です。いきなりロボロボした格好の機械がやってきて「私女の子です!」といわれてもちょいと困る。このへんはあさりよしとお先生の「荒野の蒸気娘」なんかでもうまいこと描かれています。
だけど同時に、見た目ではない部分でロボットに対し、男性・女性としての扱いをしてしまう、というのが興味深いポイント。人間の目は物に対してすら、男女の感覚があるのではないか、というのがふんわりと描かれ始めるのです。
 

●見た目としての女性像は、ロボットの最重要事項?●

さすがにあの丸顔で女の子女の子しているのも不気味なのですが、いざマスクをかぶるとさらに不気味になっちゃうこともあります。人形的というか、不気味の谷というか。

先ほどのロボットに顔がつきました。皮かぶっているだけなので、当然表情はありません。
非常にシンプルな少女漫画的なタッチなのに、そこはかとない不気味感があります。そして、このセリフがあまりにも興味深いです。
「男の子好みのファッション、男の子に好かれるメイク」…。
男の子から見てかわいいから、女性らしくする。もちろんそれも非常に重要なことですが、はたしてそれは本当の意味での「女性型」なんだろうか?
逆もそうですね。女の子に好かれたいから「男らしくする」のが本当に男性なのか?ということです。
極めて難しすぎる永遠のテーマで、人間関係をモチーフに昔から描かれている部分なんですが、これロボットの視点から見るってのは面白いです。
 
人間側はロボットに対して「女性型・男性型」という型を与えるわけですが、すっぴんからっぽの状態だとロボットは当然男性でも女性でもないわけです。赤ん坊に近いというよりは、OSのみの状態、が正しいでしょうか。
たとえば。ある人は自分のPCをカスタマイズして、男性または女性のように感じる場合があります。ペットの場合もあるかな?MSオフィスのイルカとか、HPのマスコットガールとか、ATMの女の子とか、そのへんまさに人間の「物に対しての感覚」をあらわしている気がします。
ただ、やはりそこで声とか見かけはかなり重要なわけです。女性的なフォルム…なんて言葉もあるように。それは、男性から見て柔らかいラインだったり、女性から見てたおやかに感じる雰囲気だったり。
つまり、周囲の視線で機械やロボットは男性・女性と性別がつく。そんな距離感と人間側の感覚が、このマンガのほとんどの短編に練りこまれています。これも、外見が無骨なロボットゆえでしょうね。

はて、所詮ロボットだしと距離を置いていた少女も、気がつけば感情を大いに傾けるようになります。
このロボットには感情なんてない。ましてや自己があるわけじゃなくて、ほかの人がそう見ているからあわせている。
なのになぜ、人間と同じように接しちゃったり、感情をぶつけちゃったりするんだろう?
 
結局、外見ではないんです。いやもう、外見があればあるほど人間はロボットに感情移入するんですが、外見がつるつるした球体のようなものであっても、それが動き、自律しているかのように行動していれば、感情は起きてしまうんでしょう。ここが面白いですよね、人間の脳の働きが。
他の短編でも同じように、「たかがロボット」に対して激しい感情を起こさせられる人間模様が描かれています。

ロボットに情熱を傾ける婚約者に嫉妬する少女。
冷静になれば、なんてことはない。
「仕事と私どっちが大事なの!」「いやそれ別次元だから」みたいな話にすぎないわけです。しかし相手が動くロボットだと嫉妬心が膨らむのって、分かりますヨ。表情も感情もないロボットなんかに嫉妬するだけ無駄なんだけれども、まるであたかも相手が女性の人格を持っているように感じるその感情。このへんがロボットに対する人間の感覚のキモなんじゃないでしょうか。
同時に、鏡のように跳ね返ってきます。人間が人間を見るとき、一体どこで「個人」を感じているの?
 

●ロボットが動きを止めるとき。●

ドラえもん」はしっぽをひっぱったり電池が切れると、とまります。まあ、直るだろうと分かっていても、それは非常に見た目にショッキングです。それだけ、人間の目にとって「動いている」という状態がいかに重要かが分かります。

この少女は極めて激しくこのロボットをうざがっていました。ロボットゆえに周囲の雰囲気を読み取ることが出来ず、迷惑ばっかりかけられていたからです。まさに「ロボットのくせに!」。
しかしロボット(彼女とします)が止まるときの恐怖感。
彼女を別に人格として認めたわけじゃないけれど、とまることはとても恐ろしく、人間側としてはそこに「死」を感じます。時折人形を怖いという人も同じような感情でしょうか。
動いているものに対する安心感はもしかしたら、人間の中に埋め込まれているのかもしれません。

ところがどっこい、擬似人格を持ったロボットの視線から見たどうですか?というのもちゃんと描かれています。動きが止まっても処理はされ続けているわけで、人間がどんだけパニックになろうと、ロボット側としてはメモリーさえ残っていればたいした問題じゃあありません。むしろパーツ交換できる分、へのかっぱ。
しかし人間側はそこに感じる死に恐怖を受けるそのギャップが面白いんです。
 

●姿形の似たものよ、お前は私の心をなぜ震わせるのだ●

鉄腕アトム」は天馬博士の交通事故死した息子である天馬飛雄に似せて作られ、成長しないゆえにサーカスに売られた、というのは有名な話です。心と体について色々考え続けていたデカルトが、死んだ娘に似せた人形をもって歩いていた話なんかを思い出します。まこと、人型に対する人間の心の動きは興味深すぎます。自分も極度の人形好きなので、物質で出来ているとわかっていても心が乱される感覚は1mgくらい分かるなあ。
流星ひかる先生は以前「半分少女」というマンガの中で、「それはロボット」のプロトタイプとも言える作品を描いていました。「かれはロボット」という作品です。


彼はロボットだからなきません。笑いません。表情をつくることが出来ません。感情があるかどうか、客観的には分かりません。
だから、彼はマスクを捨てました。丸顔の、無骨なロボットでいることを選びました。
それを見た少女が、ものすごく彼に思い入れが強くなるんですよ。恋愛ではない、だけど人間が機械にたいして抱く以上の、強い感情です。これはもう見ていただいたほうがいいと思います。
 
動くことに対する反応。しゃべることに対する感覚。そして外見。
それぞれすべてがそろってはじめて人間がロボットに対して感情を抱く、というわけではないのだと、流星ひかる先生は描きます。そのうち一つでもあれば、そして共にすごす時間があれば、人間はロボットに強い感情を抱き、友人のように、恋人のようにすら感じることがありうる、という可能性を示唆しています。
ボーカロイド」の初音ミクは声しかありません。絵もオフィシャルで動くわけではありません。しかし彼女が悲しそうに話したら、こちらも切ない気持ちになります。彼女がアホの子っぽい話し方をしていたら、和みます。「萌えという、人格を奪った感情」と言えばまだその段階かもしれませんが、二次創作をする人や、初音ミクにラジオをさせたりやさしい歌を歌わせる人たちにとっては、すでにツールの域を超えて、…そうだなあ、アンドロイドや人間まではいかないけれど、愛着のある大切な存在にはなっているんじゃないでしょうか。極端な話、楽器やDTMの音色ですらそういう感情を引き起こさせられることだって、あるのだから。
 
以前何度か、人間とロボットの恋愛はありうるのか、と書きましたが、その答はまだまだ現実的にはありません。しかし、人間側が息子のように、友人のように感情を抱くことは、そう遠い未来の話じゃない気がしました。
問題は、ロボット側に感情はまだない、ってことかしら。
だから今は、創作の世界だけでもいいや。外見が不恰好でも、愛しいロボットたちはいっぱいいるんだもの。
とは言いつつも。やっぱりかわいい少女のようなロボットが、ほーしいなー。という人間のエゴ。自重します。
 
 

半分少女」は青年誌程度の性描写を含む短編が多く収録されていますので注意。でも読後は極めてさわやかで、むしろこっちが照れちゃうような作品ぞろい。先ほどの「かれはロボット」にはエロはないです。
「それはロボット」の方はすべて短編でさまざまな角度からロボットについて描かれている作品集。最終話だけ異質ですが、少年少女の成長の様子がロボットという鏡を通して見ることの出来る、さわやかな青春物語になっています。あとね、流星ひかる先生、ものっそいセミロングっ子大好きで、ほぼ全編に出てくるので、肩までボブが好きな人はそれだけでオススメ。
 
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ロボットへの感情移入についてしらべてみた。
そうそう。今ちょこちょこと「ヴァーチャル・ガール」読んでますが、すげー面白いです。