たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「ミスミソウ」に見る、閉じた社会と壊れていく心

「田舎はいいね」って誰が言い出したんだろう。
そうなんだ、田舎はすごくいい。空気もきれいだし、景色も美しいし、人も本当にあったかい。
都会にはない何かが残っている。
 
本当に?
何が残っているの?何が残っているの?
狭くてがんじがらめの視野が残っているんじゃないの? 
 

●田舎の鬱屈●


田舎では、発散しきれないストレスがどんどんたまっていく。
そんな「鬱屈」という文字が見事に再現されたのが、押切蓮介先生の「ミスミソウ」です。
田舎の学校でクラスメイトのイジメにあう、少女春花の物語…と書くと「いじめカッコワルイ」的な感じを受けてしまいますが、もうそんなレベルでの話しじゃないです。
ここに叩きつけられているのは善悪すらも混沌とした、狭い狭い視野の中での圧迫感です。

そもそもクラスの人数が少ない地域だと、それだけ家族のような関係が築かれるという利点もありますが、同時に他者が入り込めないような集団を作り出してしまうというデメリットもあります。
また、一度できた力関係も、都会の学校だと高校や大学デビューですっきり清算できるものが、いつまでたっても引きずり続けなければいけないと言う苦しさもあります。
そして、みんなが黒を白と言ったら、自分も白と言わなければいけないという暗黙の了解すら出来ていく様が、多くの作品で描かれてきました。
実際にそうかどうかはわかりませんが、外界との接触の少ない田舎ゆえに価値観が狂っていくというのは、日本らしい特異な恐怖感につながります。
ミステリー小説でその田舎の様はよく描かれるのかな。あと有名どころだと「ひぐらしのなく頃に」も田舎だからこその狂気感が魅力的でした。マンガだと「花園メリーゴーランド」は性と村意識の混沌さが極めて悪い後味を生む傑作でした。
 
そんな田舎の、小さな中学校。小さな社会のさらに小さな社会。
鬱憤を発散させる場所なんてない。漠然とした不安をただ内に内に秘めていく描写の圧巻さよ。読んでいてかなり酔います。
あれ、この世界はどうなっているんだろう?こっちの価値観がおかしいの?

出てくる少ない大人の一人である先生が最初の段階で、いきなり吐くシーンは強烈でした。
何も言わないし、何もまだおきてないんです。何も。
なのにいきなり突きつけられるこのシーン。作品内の空間がいかに精神的に、すべてのキャラを圧迫しているのを一発で伝える迫力にやられました。
 
あとはもう、ページをめくるごとにどんどん追い詰められていくんです。
なんてことはない、本当に外側から見たらそこから脱却するのはなんてことはないんです。引っ越すとか、証拠を押さえて警察にいくとか、戦うとか、色々あるんです。
でもね、それをしていいのかどうかすら分からなくなるんですよ、この作品の迫力は。
この連環に必死にしがみついていなきゃいけないんだ、ここで我慢しなきゃいけないんだ、ここでこのまましたがっていなきゃいけないんだ。
もう何が狂っているのかなんて分かりません。
分かるのは、そのはけ口がどこにもなくて、全員の心が水風船みたいにパンパンになってしまっているこということ。
 

●美しいまち、美しい少女●

この作品の残酷なところは、二つあります。
一つは主人公の春花と、友人相場くんが、外からきた子であるということ。つまり、この世界のルールの輪には最初からいないのです。よそものなのです。
だからこそこの空間の中で育ってきた、いつまでたっても逃げ道のない圧迫感を外側から見ることが出来るのですが、同時に、だからこそ自分の置かれている悲惨さが分かってしまい、辛さが増幅されます。
じゃあ、よそものじゃなかったらいじめられなかったのか?そこは読んで確かめてください。いじめる・いじめないの問題じゃないのです。
 
もう一つは、あまりにも田舎の光景と、少女春花が美しすぎること。

そう、すんでいるのは田舎のとてもきれいな町なんです。ふと目を向けるとそこにはきれいな花も咲いています。美しい田園の風景を見渡す事だってできます。
少年、相場君はそれをカメラにおさめ続けます。少女春花と妹のしょーちゃんは、微笑みます。その姿、その光景はあまりにも美しいんです。彼女たちがいかにこの歪んだ閉鎖的な世界で、異質に描かれているかは、ぜひ読んで確かめてください。

美しすぎるから、この世界にとっても、彼女にとっても残酷なんです。
 

●一度狂った感覚は戻らない●

この作品はとにかく読むと、自分の感覚が呑まれます。
閉じた輪の中で、ぎりぎりと腕をかきむしりながらひたすらにストレスを溜める世界。気づいたら爪を全部むしってしまっていそうな世界。そして、何を本当の感覚なのかわからず、はけ口を血眼になって探してしまう世界。
読者をあっという間に中学生に引き戻して、一気にそのイヤな感覚を叩き込んでくるからこの作品は恐ろしい。
読んでいるときの気持ちの悪さは、自分達が中学生の時に責めさいなまれた、得体の知れない不安がよみがえって来るからなのです。ましてそれが田舎の閉じた空間で共鳴し、不協和音がワンワンと鳴り響いているんだから。

陰湿で生々しいイジメの数々は「イジメってよくないよね」というありきたりな回答では済まされません。色々な人間の負のエネルギーが溜め込まれていく感覚。ギリギリと脳みそのなかでこらえてこらえて、痛くなるほど、脳細胞がどんどん死んでいくんじゃないだろうかと感じるほどのあのストレスです。
 
押切先生の作風はそのストレス感を他の作品でも、ギャグとしてうまく描いていたのですが、今回はその負の集大成とも言える勢いです。
ちょっとこの視点の流れを見ていただきたいので、引用してみます。

イジメっ子のボス格の小黒さん(髪の毛が色のない方)と、その腰ぎんちゃくのような佐山(黒髪の方)のやりとりです。
佐山は相当に壊れた人間なんですが、彼女がそうなった理由もちゃんとあります。閉じた世界観を一番よくあらわしているキャラでもあります。
一方小黒さんもかなり陰湿なイジメをしているキャラなんですが、どこかこのグルグルと病んだ世界を達観しているところがあります。彼女が何を考えているのか今の時点でははっきりとはわからないのです。
そんな佐山を見る小黒の嫌悪の視線と、佐山が盲信する小黒の関係。小黒の目と視線の先が行き来する事で、彼女の中の酔うようなの感覚をすごい勢いで体感させられるのです。
この後の展開も含めて。
 

この世界は、もうすぐ終わるはずでした。卒業とともに廃校になって、あとはそのままのはずでした。そしてきれいな光景だけが残るはずでした。
しかし溜まり溜まった鬱憤は、全員の脳細胞を破壊してどこかで腐って死んでしまいそうです。
この物語がどこに向かうのか見ないと、後味が悪くて仕方ありません。でも読んだらさらに後味が悪くなりそうです。
 
自分はこの物語をどこから見ているんだろう?
やっぱり、視野が狭くていっぱいいっぱいだった中学校の頃の自分から見ているんだろうか、それとも、それを達観して世界に絶望している視点から見てるんだろうか。
なんだか、それが分からないと心が壊れてしまいそうでしかたないくらい、読んでいて不安になる。
 

ちなみに「三角草」は、厳しい冬を耐え抜いた後、雪を割るようにして咲く花のこと。
彼女はミスミソウになれるのでしょうか。それともその花を踏みつけて血まみれになるのでしょうか。
次の巻から始まる物語も予告で描かれていますが、鬱屈と逃げ場のない閉じた世界の物語はさらにギリギリとストレスを与えてくれそうです。
とにかく色々な人に「読んでみて!」とすすめたいのですが、読んだあとの後味の悪さも逸品すぎるのでなかなかすすめられない作品。だけど一度は読んでその迫力と圧迫感は感じてほしいのです。
ゆうやみ特攻隊(2) (シリウスKC)でろでろ(12) (KCデラックス ヤングマガジン)プピポー!1 (Flex Comix)
そして怒涛の押切蓮介祭り。開催中。
 
〜関連リンク〜

押切蓮介/ミスミソウ(マンガ一巻読破)
『ミスミソウ』第1巻 押切蓮介(Lエルトセヴン7 第2ステージ)