たまごまごごはん

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少女達が持つ「きらめき」は一体どこからくるのだろうか。長月みそか「少女素数」

「きららフォワード」で、長月みそか先生の待望の新連載がはじまりました。
これがね・・・すごいのよ。よくぞこの連載でGOを出してくれた!という感動でいっぱいですよ!
 
長月みそか先生は、少女の一瞬をとても繊細に描く作家さんです。
今まではLOで青春系エロマンガを、きららで4コマを描かれていました。

LO連載の方はもちろんエロシーンありですが、それほどエロマンガを読まない人でも安心して楽しめるレベルです。
むしろそこに眠っている甘酸っぱさと、思春期特有の思考過程は是非味わっていただきたい逸品。性に目覚めた頃に、学校生活と性の狭間で揺れ動く少年少女の心の機微が、たまらなく愛しい作品集です。
 

また、4コママンガ「HR」はそれとリンクしながら、さらに深く、そして軽やかに少年少女達の姿を描いています。詳しくは以前感想を書いていたのでご参照いただけると幸いです。
関連・青春って、結構苦いのよね。「HR ほ〜むる〜む」
甘酸っぱいというよりも、ほろ苦い青春の想い出がいっぱいつまっています。
 
さて、そんな長月みそか先生の新作の題名が強烈です。
その名も「少女素数
今までひらがな名ばっかりだったので、インパクトも絶大。
今回は中学生の淡い恋物語ではなく、もっとテーマに標的を定めて弓を引き絞っています。
そう、テーマは「少女」です。
 

●少女性の追究●

長月先生の描く「少女」は、ものすごくいつも輝いています。
感情が豊かで、日々の生活が楽しそう、というのはもちろんなのですが、もっともっと別の輝きを放っています。
現実の少女の生活ではなく、もっと観念的な、イメージとしての「少女性」の部分です。
 
少女性、という言葉自体が正しい物ではなく、造語ではあるのですが(アラーキーか誰かが作ったはず*1)男性でも女性でもない、「少女」という存在のイメージがいかに特別かをよく表している語だと思います。
たとえばこのコマ。

非常にノスタルジックな背景が強烈に目を惹きます。
この作品の背景、ものすごく丁寧に描かれているんです。「上手い」というだけではなく、「郷愁」が全面に押し出されているという意味で。
その中に、少女達が舞い込んでくるわけです。
 
「少女性」と「ノスタルジィ」は表裏一体です。
そのイメージは、時に成人男性がコレクションのように愛でる対象であり。
またワクワクやドキドキのいっぱいつまった宝石のようにまばゆい一瞬の輝きとして女性が思い描いたり。
あくまでも、通り過ぎた大人がイメージする「今はもう手に入らない光」です。手に入らないから追い求め続けます。
 

主人公はこのヒゲの男性。
設定が面白いんですよ。この男性はフィギュア造形師なんです。
人形師じゃないの?と思ったのですが、背景に出てくる箱なんかを見ていると、やはり萌え系のフィギュアも作る造形師さんのようです。
お母さんは小物屋さんを営んでいます。下には二人妹がいます。そんな中で、彼は「いいおじさん」として周囲の人に好かれ、フィギュアを作り続けています。
 
ちょっと衝撃だったんですよね。少女性追求で人形に行き着く人は数多くいますし、自分もその感覚は分かるのですが、フィギュアの中にも少女性をしっかりと見いだし、誇りを持って作っているんですよ。
そういわれて、改めて手持ちのフィギュアを見ていると、確かにこだわりを持って体の各部に「少女」と練り込んだ作品は山ほどあるわけです。
フィギュアを介した追究の魂を、真っ向から最初に完全肯定したこの作品は、すごい。
 

●少女達は輝きに満ちている●

二人の妹たちと、この兄が中心となって話は進んでいきます。

妹たちは兄が大好きなんですが、その「好き」は極めて純粋で邪念のないものです。まるで犬がじゃれついているかのよう。
どうしても読者側としては、邪念も抱きたくなってしまうのですよ。というのも、特に「かわいい女の子」がとても重要な位置を占める雑誌ですから、ついつい女の子達に対してラブ的な感情を抱くパターンに飲まれそうになります。もちろん飲まれてもいいんですが、今回の長月みそか先生の作品は、その方向にはシフトしていません。

きっぱり最初に言われてしまいました。「そういうのとは違う」と。
しかし同時にこの後「エロティシズムをまるで感じないかといえばそうでもない」とも言っています。
ようは「女」として見ているわけではないんですが、「特殊なもの」として心に引っかかっているんですよね。単純な「女の子だから」ではなく、もっともっと別なところにテーマは眠っています。
 
「少女」は「女」であって「女」ではありません。
あくまでも「少女」の語の持つイメージの問題です。
「少女」は「ここにいて・つかむことができない」「今あって・失われる」「希望に満ち・憂鬱の塊でもある」「女であり・女ではない」という極めてアンバランスな存在です。
この男性はそこに気づいているわけです。
「かわいい」という表現は非常に便利なのですが、それは漠然としたものでしかありません。
なぜ「かわいい」のか。なぜ少女は光を放つのか。
それを分解していったときに、素数として残るのは一体なんなのか?

第一話では視線は、あくまでも主人公が妹たちを見る角度で語られます。
それは父親が娘をかわいがる視点とも似ていますが、それよりも憧れに近いです。
少女の中に眠る、独特な、そして一瞬の光。
それはなんなのか、探せば探すほど深みにはまり、だけど追い求めてしまう。手に入るかどうかは定かではないけれども、追い続けないわけにいかない。
それが「少女性」。
 

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で、何がすごいかって。
「少女美を探求する」のをテーマにして、萌え系雑誌で直球勝負に挑んだということですよ。
もちろん多くの作家さんが「少女とは何なのか?」を求めて求めて追い求め続けて、作品にしているわけなのですが、それをライフワークにせんとして手を伸ばし、この雑誌に掲載されたことが驚異的です。
長月みそか先生はいままでの作品もそうですが、「少女はかわいい」では妥協出来なかったんですよ。

「少女」という存在に踏み込んで、その素数を見つける旅に出かけようとするこのかなり特殊な作品、激しく自分は注目したいです。
主人公は少女美を求めて生きています。
長月みそか先生も、その主人公とシンクロしながら、「少女」を追いかけるために走り出したわけです。
その足跡と、旅程で見つけるであろう数多くの「少女」の片鱗を見ることができるだなんて!
今から続きが待ち遠しくてなりません。
自分も少女のかけらを見つめながら、自分なりの「少女」を少しでも手にできるのではないか?と期待しつつ。

にしても、本当にこの作品が載ったことに感謝感激!
わかりやすいジャンル区切りが出来ない作品なだけに、それを受け止める器があるというのは非常に貴重なことだと思います。
今回は一般誌なのでエロなしですが、「少女のエロティシズム」もまた一つのテーマだと思うので、いずれLOでも復活してほしいなー、・・・と思いつつ、今はこのステキな旅を心から応援しながら見守りたいです。
 
〜関連記事〜
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「あでい いんざ らいふ」については「いちゃラブ」大全でちょっと書いてるので、そちらももしよろしければ是非。
 
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