たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

情報に疎いことは不幸せなんだろうか?「木造迷宮」3巻の優しい問いかけ

アサミ・マート先生の木造迷宮は本当に味のあるいい漫画です。
なんて書き方するとえらい適当なホメ方みたいで申し訳ないんですが、ほんと、味があるんですよ。というのも読む度に感じ方が変わる漫画だからです。
劇的なことが起きているわけでもなく、時代もよく分からない世界なんですが、ほんとジワジワと隠し味のように色々なものがにじみだしてくるんです。
 
例えば三巻の帯にはこう書いてました。

女中さんと暮らす幸せ(はーと
メイド萌えの新ジャンルだワン♪

ワンじゃないよ!とか思いますが、うん「萌え漫画」として読んでも間違いなく秀逸ドコロの騒ぎじゃない。女中オブ女中。ロマンチックが止まりません。

もうこのシーンだけで悶え死んでしまうわ!
文筆業を営む冴えない男の元に、謙虚でかわいらしくてやさしいという大和撫子の権化みたいなヤイさんが来るとか、どんだけだよ!変われよ!自分が奉仕されたいよ!!!
あとヤイさんの裸足が色っぽくてねえ……。
日本女性の裸足の美しさを「木造迷宮」に見る!
靴とかはかないんです。下駄です。
下駄の素足女性の美しさをここまで描いた作品はなかなかない。素晴らしい。
 
という萌え路線もありますが、3巻をなんか以下読んでいて思ったのはちょっと別なことでした。
今回は心のフックに引っかかっちゃったところがあるので、少し自分語りも入れつつ書いていきます。
 

●何も知らない私ですが●

この作品のヒロインのヤイさんは、極端なまでに女中に特化した存在です。
時代はだいたい……昭和30から40年代くらいでしょうか。なんとも日本情緒漂いまくりで、独特なテンポを持った不思議な女性です。

見た目もものすごく若く(幼く)て、小も中も、学校に行っていません。
今月号のリュウを見ると、学生服を着ると他の学生よりも幼く見えるほどです。とはいえ年齢的にはかなり上……なはず。
このへんが不詳なところがヤイさんの魅力の一つでもあります。
そして一番の特徴は見ていただければ分かると思いますがとにかく謙虚だということです。
これを「女性の謙虚さの象徴」としてみるのも、ありだとは思います。
が、どうもそれだけじゃないんですよ。
彼女が謙虚なのには理由があるのですが、それは実際に3巻を読んで確認していただくとして、ここで注目したいのはヤイさんにも楽しみたいものはある、欲求はあるということです。
「人間の美徳は謙虚」とかそういうことを考えて、意図的に我慢を重ねて謙虚にしているんじゃないんです。
彼女も、おいしいものは食べたいし、やりたいことはいっぱいあるし、楽しいものには目がないし、決して「自制しなければいけない」という念に押しつぶされ耐えているわけじゃあないんですよ。
じゃあなぜここまで謙虚なのか?
実は相対的に謙虚に見えているだけで、彼女自身は謙虚にしている意識がないんですよね。
だから、上記のように「萌えキャラ」でありつつ、きちんと一人の人格を持った、人生を歩んでいる人間として描かれています。決して「都合のいい女の人」じゃないんです。
 

●「知らないこと」は不幸なのか?●


ヤイさんが、キャリアウーマンのサエコさんに連れられて街に出るシーンです。
この世界、題名の「木造迷宮」の通り、非常にクローズドな世界を中心にして描かれています。基本的に朴訥なダンナさんと朴訥なヤイさんが、木造家屋でごく日常的な生活をしている。もうめちゃくちゃクローズドもいいところですよ。
ところが、この世界成立しているんですよ。セクシャルな目線で読めばとてもフェティッシュな表現も多いのですが、それが度を越さない。外部との風通しが悪い密閉空間でもなく、いろいろな人が出入りもする。
なんとも不思議な空間なんですが、ところがどっこい新しい世界に劇的に変化もしない。
まるで時間が止まったようなんですよ。
だからこそ、ヤイさんは(というかダンナさんもですが)「知らない」んですよ。
 

顕著に現れているシーンです。
全く何も知らない純朴の固まりみたいなヤイさん。何でも知っていて情報の最先端にいるサエコさん。
今風に言えば情弱とデジタルネイティブ、という感じでしょうか。
普段の木造家屋では違和感のない女中ファッションも、デパートでは浮きまくります。
 
このヤイさんの反応を見るとわかりますが、彼女も面白いことは好きですし、楽しいことはしたい、至って普通の女性なんです。
繰り返しになりますが、決して耐え忍んでいるわけじゃない。
ただ、知らないだけ。
 
さて、この朴訥さが魅力的なヤイさんなんですが、情報的金銭的に圧倒的に恵まれているはずのサエコさんより幸せそうにすら見えます。
なんでだろう?
 

●幸せの在処。●

ちょっと自分語りモード入ります。興味のない人はこの項目読み飛ばしてくださいな。
自分は幼い頃から北海道とはいえども割と街中に住んでいたので、言わば都会っ子でした。まあまあなんでもあるような所で育ちました。
で、大人になってからとある仕事でど田舎も田舎、とんでもない田舎中の田舎に住むことになったわけです。
どのくらい田舎かというと、積雪すると道路が封鎖されて全くどこにもいけなくなるし、お店から食料がなくなるほどの田舎。町とか村ってより大自然でした。
中高時代からオタク生活を送っていたので、これは最初えらい堪えました。だって本欲しいと思っても入手出来るようになるまで時間かかりまくりますし、ちょっと風が強いと届かない有様。インターネットは電話回線か、早くてISDNがマキシマム。テレ東なにそれおいしいの状態。これはきつい。
そんなわけでホームシックというか「街シック」にかかって月2くらいで飛行機に乗って買出しに出かけていました。
はっきり言って、今みたいにネットで情報がすぐ手に入る状態ではなく、かつ本もなかなか届かないので、情弱もいいところにならざるをえない状態でした。仕事も忙しかったですし。
 
しかしそれが不幸だったか?と言われると……苦労はしたけど、しまくったけど、それはそれで正直楽しかったんです。
たくさんの人に知りあったり。それこそ休日は何もすることはないけれどもその止まったような時間が心地よかったり。
ええ、時間止まりましたね。そもそも新聞が半日以上遅れて届くような地域です、時間が止まっても仕事自体にも、自分の人生にも差し障りありませんでした。
近所の子供はいいました。
「何でもあるよ。ここにしかないものいっぱいあるよ」
ああ、いいこと言うなあ。「マイマイ新子と千年の魔法」の映画の、新子の台詞を聞いたとき、その子のことを思い出しました。
YouTube - 「マイマイ新子と千年の魔法」まるごと見せます(小さな事件)
この中の台詞ね。その子も、自分の住む田舎を間違いなく誇っていましたよ。「あれこれ手に入らなくて残念」とも言っていましたが、そんなことも言える子でした。すごいもんだ。ぼくには言えない。
 
確かにクローズドで、自分の中の貪欲さは満たされませんでした。欲しいものは手に入りませんでした。
だけれども、こんな貪欲の固まりの自分だけれども、明らかに違う動きをしている時間の中で「楽しかった」と言えるものがたくさんありました。
 
都会に戻ってきて、今は情報の渦の中で仕事をしています。
欲しいものは何でも手に入ります(お金があればですが)。行きたいところはすぐ行けます。情報はリアルタイムで手に入ります。
あの頃の生活とはびっくりするほど正反対です。
今のこの環境で、また沢山の人に出会いました。
大きな声で「楽しいです! 幸せです!」と言えます。
 
じゃあど田舎にいた時不幸せだったの?
いや、違う。
あれは幸せだった。
 

●足るを知ること。●


ヤイさんとダンナさんの生活は、とても質素です。外には間違いなく新しいもの、楽しいこと、面白いものが流れまくっています。決してこの漫画の世界が閉じているわけではありません。それはそれで存在するのです。
しかし、ヤイさんとダンナさんはその流れの中にいません。止まった時間の中で、自分たちのペースで時間を過ごします。
前述のコマで言えば、都会っ子のサエコさんはそれはもう幸せでしょう。充実した日々を送っているでしょう。
じゃあヤイさんとダンナさんは幸せか?と問われたら、この本を読んだ人は口を揃えて言うと思います「幸せでしょう」と。
 
こんなにかわいい女中さんがいるから幸せなんだ!というのももちろんあると思いますが、それだけじゃないと思うんです。
ふたりとも、欲がないわけじゃあない。ただ「幸せの作り方」を知っているんです。
それは足るを知ること
作者さんが意識しているかは分かりませんが、自分にはそう見えました。
 
今ある環境の中には沢山の幸せがある。楽しいことも山ほどある。
木造の迷宮のような家屋の中で、日々の繰り返される日常はまるで永遠にストップしてしまってこのまま変わらずにフェードアウトしていくのではないかという錯覚にすら襲われます。

だけど、特別がなくても「何もない」わけじゃあない。
「足るを知る」ことでたくさんのものが充足されていくし、そもそも身の回りには楽しいことは山ほどある。
 
サエコさんのように最先端でバリバリ手に入れて前に進むのは「幸せ」でしょう。
ヤイさんのように留まった時間の中で日々をすごし、その中で小さな楽しさを見つけるのも「幸せ」でしょう。
優劣はありません。どっちが優っているとかじゃないんです。
ただ、どちらも幸せなんだと分かったときに、切り替えができれば心の置き場所はぐっと広がることに気付かされました。
今になって、情報の渦中で貪欲に新しいものを求めながら「楽しいなあ」と思っている自分が、「木造迷宮」を読みながらまさかあの時の子の言葉を思い出すハメになるとは思いませんでしたよ。
「何でもあるよ。ここにしかないものいっぱいあるよ」
 

 
関連・日本女性の裸足の美しさを「木造迷宮」に見る!
 
木造迷宮」は素直に「女中さん最高!」と楽しんでよし、じんわり味わってよしの本当にいい作品だと思います。だからこそまあ好みは分かれるとは思いますが、こういうのが好きな人には一生モノの作品になるんじゃないかしら。
コミックリュウは他にも「ねこむすめ道草日記」や「くおんの森」「第七女子会彷徨」「アステロイド・マイナーズ」など、幸せの在処がばらばらの角度から攻めてきつつも「足るを知る」ことの充足感が味わえる作品が心なしか多い気がします。刺激いっぱいな少年誌と違って、対象年齢が相当高め(多分30代以上向け)だというのもあるんでしょうか。
これらのゆったり作品を読んだ後に、「ロボット残党兵」「青空にとおく酒浸り」でぐぐっとテンションをあげる。うーん、大好きコミックリュウ今月も、あさりよしとお先生がアニメージュで書いていたOVAレビュー総集編本がついてるので、OVA好きなアニメファンの人は必見!