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「エスパー魔美」に感じたヰタ・セクスアリスと、性転換願望のお話

twitterでもごもご話していた内容が個人的に面白かったのでメモしておきます。
 
Togetter - まとめ「「エスパー魔美」のヰタ・セクスアリスと、性転換願望のお話。」
 
藤子F不二雄先生の傑作、「エスパー魔美」のお話。

 
エスパー魔美」を全く知らない方にはこちらが参考になります。
エスパー魔美Fan Site MAMI WEB
エスパー能力自体はそれほどすごくないものの、うまく組み立てて行く力を持っている高畑さんとのコンビネーションで、事件を解決していくのが非常に面白い。
まさにSF(すこしふしぎ)。
 

で、幼いころ、「エスパー魔美」を見たかどうか学校で言い合って、見た人は「エロ魔人」扱いされたものです。ああ懐かしい。
というのも、設定の一つがものすごい飛び抜けたものがあったからです。
それは「お父さんが画家で、魔美はヌードモデルをしている」というもの。

これこれ。たぶんかなりの頻度でこういうシーンが出てきているはず。
 
うん。
すごいシチュエーションだなあ。
無論、これは芸術として描いているので健全そのもの。内容も健全そのものなので、そこにスポッと設定として入り込んでいるだけです。他にも色々絵は描いていますから、美術の一貫なだけ。ですが、娘のヌードデッサンをするパパというのはなかなかクるものがあります。
これだけ強烈な設定ですから、話そのものにも絡んでくるわけですが。
にしても子供のすこやかな性の目覚めにはもってこいじゃあないですか。
だって、魔美これすごいあっけらかんとしてヌード描かれてるんですよ。日常茶飯事として。もうすっきりさっぱり爽やかに裸ですよ。
「変態ダー!」と見るのもいいんですが、性を肯定する一つのあり方としてかなりよくできた作品ではないか、と思ったりシマス。
 

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というのも、性の目覚め、ヰタ・セクスアリスは人間には絶対あるわけで、それを意図的に変化球で引き出す作家側、という立場にうまく藤子F不二雄先生は立っていた気がしてなりません。
ドラえもんでも、しずかちゃんのお風呂シーン自体はそうでもないですが、入れ替えの話とか体バラしたりするフェティッシュはちょっとした豪速球っぽさを感じます。
 
で、「エスパー魔美」ですよ。
「お父さんが画家で、魔美はヌードモデルをしている」という設定は、やはりマジョリティではないわけで、色々な衝撃を子供に与えました。
もう一つ書き加えなければいけないのは、あっけらかんとヌードモデルしている魔美や、彼女の裸体の絵を、魔美のことが好きな高畑さんは知っているわけじゃないですか。
この高畑さんが死ぬほどいい男で、本当にピュア。裸が割と平気な魔美と違って、高畑さんは激照れするんですよね。
このギャップもまた、カウンターになって子どもたちの心臓直撃。魔美のジャブ、高畑さんのフック、お父さんのアッパー。
 
ちょっと先程のtwitterの会話でもあったものですが、引用しておきます。

エスパー魔美ヰタ・セクスアリス
A「娘をヌードデッサンする」親父視点
B「自然にヌードデッサンされている開放された自分」魔美視点
C「よく知っている好きな子がヌードデッサンされている」高畑さん視点

Aはまんまですね。裸の女の子の絵を描きたい!というもの。触れていないのがミソです。触れちゃダメなんです。絵に描き込めるという行為が美術へと昇華している。
同時に、「美術だったら裸見られるんだ」というモヤモヤをどれだけの子供の中に産んだことか!
ヌードデッサンへの憧れマキシマムです。
 
自分はBでした。割とエスパー魔美で「全裸」が好きになった傾向はあります。おかげで今はキャラ同士が全裸になるエロマンガを愛好しております。
すっげー明るいんですよ魔美。全裸で。
普通に会話してるんですよ。全裸で。
これが妙に羨ましくて。
しかも描いてもらえるほどきれいな自分ですよ。
今考えてもなんかぞわぞわする。
 
そしてC。これは結構男子だったら多かったんじゃないでしょうか。
要するに、エロ本よりもクラスメイトの子のパンチラの方が攻撃力が高いってことです。
だよね。知っている子の裸のドキドキ感は半端じゃないよ学生には。
実際にテレビを見ている子達も、魔美は友達感覚になる演出になっていますから、まさに友達の裸を健康な形で覗き見する感覚だったと思います。
このシチュエーションを見てドキッとして、はじめておちんちんが大きくなる。いいんじゃないかなーうんうん。
 
番外編として、「地底からの声」というアニメの回で、おしっこをガマンできなくなった魔美が友達の膀胱に自分のおしっこをテレポートさせるシーンがあります。
これはむしろ今見た方がドキッとするほどエロいと思う。
奇才の発想すぎます。というかテレポーテーション万能説。
 

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はて、ちょっとBの話を膨らませます。
自分は「少女に生まれ変わりたい」欲求の強い人間だと思います。
と言うか「ある程度かわいい『少女』になりたい」人って結構いるんじゃないかしら。「女性」じゃないのがポイント。
「少女」という生き物になりたいという欲求です。
逆を言えば、絶対になれないからそう感じるだけかもしれません。実際に「少女」である瞬間にはそんなことは思わないわけで。
 
だから、魔美が羨ましかったんですよね。
かわいい外見、それを最大限にキレイに描いてくれる人間の存在。
性的な要素を感じさせない純然たる美としての自分の一瞬を、永遠に留めておける。
羨ましいですよもう。自分もヌードデッサンされたいですよ。
「少女」への憧れ、極まれりですね。

エスパー魔美」をリアルタイムで見ていたとき、魔美は自分より年上でした。そして心の底からドキドキしました。お腹の肉の具合やふとももふくらはぎ、割とむっちりしているんですよね。だけど極めて少女的。女性になりきっていないこの未成熟感。
この一瞬に憧れて、気づいたら魔美の歳を通り越して、今でも憧れている感じです。
 
改めて大人になってから「性転換」という言葉を知り、順序立てて考えられるようになってみると、自分の中の「性転換」への憧れは「美少女になりたい」「それをとどめておきたい」という人形願望に近い感じがしました。要は今の見た目のまま女の子になりたいわけじゃなくて、人形のように美しい少女の一瞬を体験したい、というものに近いかもしれません。
 
そういう意味で、エスパー魔美ってすごい作品なんですよ。
女の子の姿を美的な意味できっちり捉えて、そして保存することが目的とされている。「この少女はかわいいですよ」と作者自らによって語られている。
性的ではないはずの「美」を保存する行為が、転じて見る側の中の性のあり方を引き出してくる。
自分の「少女」嗜好を確実にたたき起こしてくれた作品の一つです。まったくもってヰタ・セクスアリスです。
 

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ここまで作者が丁寧に意図して子どもたちの「性」を引き出してくる作品は、やっぱり貴重だと思います。
どうせ「性」はあるんだもの、ならざっくり引き出そう。うんうん。
エスパー魔美」は「性」がテーマだったわけじゃなくて、人間ドラマやSF的要素を中心とした中に、さくっとヌードが入っていたのでそのへんのさじ加減も絶妙だったんでしょうね。
あとは男の子役が「触れない」部分も重要でしょうか。うーんちょっと違うかな、自分から積極的に女の子に介入しない、むしろ開き直っているのが女の子側で、女の子側が許してくれるからご褒美的に見ることが出来る、というバランス感。
他にもこういう作品たくさんあると思いますが、それでもやっぱり「エスパー魔美」は自分の中では偉大でした。
 
ちなみに自分のヰタ・セクスアリスは以前もちらっと書きましたが、エスパー魔美もそうですが、学研の科学でした。博士と主人公とヒロインの構図が最高すぎですよ。しかもヒロインの女の子の体の中を探検とかもうね。ねえ。
 

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