たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

少女と一緒に、ごはん できた!「高杉さん家のおべんとう」2巻

12歳の少女にお弁当を作る よ「高杉さん家のおべんとう」
 
高杉さん家のおべんとう」の2巻買いました。

もうねもうね。


久留里のかわいさがとどまる所を知らない。
あかん。
このかわいさはちょっとした……凶器だ。
 
そしてそして。
高杉さんのダメ男っぷりがとどまる所を知らない。
クリスマス、元旦、お誕生日と、少女を養う上で欠かせない重要イベントをことごとくはずすダメっぷりがある意味驚異的とも言えます。
 
一応簡単に説明すると、高杉さんという博士号を取ってから大学教員公募に落ち続けた、後の無い感じの31歳男性の所に、12歳の少女を預かってくれと言われて四苦八苦するホームコメディ。
(以下、どちらも苗字「高杉」ですが、男の方を「高杉さん」と呼びます。)
それなんてエロゲ的設定ではあるものの、どんなに可愛い子でも実際いきなり独身男性の所に12歳の子がきたら……こうなるわなあというダメ加減がたまりません。
必死になって女の子とコミュニケーションを取ろうとしても、どこからどうしたらいいものやら。下手こいたら女の子に嫌われてえらい目に会う可能性も……。
ぬぬ、うらやましいようで意外とこれ、生々しく怖いぞ。
 
この作品は、ゆるいラブコメではない。
二人の、極めて対人スキルの低い男性と少女の、距離感を描いた物語です。
 

●ダメ男高杉さん●

1巻でも文系学者のダメ人間っぷりが発揮されていましたが、二巻で実際一緒に暮らすようになってからの彼のダメっぷりがほんと「あいたた」でどうしようもない。
どうしようもないんだけど心当たりがあるから困る。
例えばこのシーン。

元旦に伊勢に行って朔日餅を食べ、その後夫婦岩の間から出る初日の出を拝もう! 完璧!
と言って久留里やその友人達を振り回したのに、一つも予定通りに行かなかったのを「『ない』を確認することも重要な研究のステップだよね」と理論で言い訳。
うん。
だめだな。
 
で、クリスマスにあわてて準備をするため、「本気度を示す!」と言って鶏肉を買いに行くんですが。

名古屋コーチンまで買いに行く有様。
ガソリン代とか、実際に料理に使えるのかとか、そのへんの計算まるでダメ男。
 
うん。
本当にだめだな!
頭でっかちで、理論前提。確かに頭はいいけれど柔軟さがほぼ0に近く、逆境に死ぬほど弱い。
なるほど、1巻の時点で「後がない」のはごもっともなことです。そりゃ無理だわ。
とはいえども、彼の行動一つ一つが余り笑えません。
だってね……実際12歳の女の子が急にきて、心に余裕なんてできないじゃん!
しかも妙に「相手は子供だし」的な感覚と「気づいたら越えられてる」感が入り交じってそりゃーパニックにもなります。
そして大人の余裕を見せるためにすることといえば理論武装
ああ、男ってほんとダメね……そうじゃないのに、そうじゃないの!!と読みながら悶えてしまいます。
 
とはいえ、高杉さん全然憎めません。
というのも彼が色々理論武装しながら、トンチンカンなことを繰り返すダメっぷりも全て不器用だからだというのがゆーっくり、ほんとゆーっくりですが伝わってくるからです。
不器用でも一生懸命、その人のためにやろうとする気持ち、それこそが一番大事なのは、子供であるほどよくわかってる。
だからこそ、久留里は高杉さんを慕います。最初は距離があったけど、彼が自分のために掛け値なくしてくれていることが分かってくるからです。
まあそれでも、ダメ男であることには変わりないので。

うん、今はこんな距離感でいいんじゃないかな。
 

●思いを伝える少女●

さて、高杉さんはほんとダメだけども必死に生きてる不器用な男だとしたら、久留里は相手に思いを伝える手段が極端に弱くて不器用な少女です。
例えば友人をドライブに誘う時、うまい言葉が浮かばずパニックになってしまい、なんと次の日の「誘い計画」をメモするほどに言葉を紡ぐのが下手くそです。

必死にメモってる久留里さんかわいい。
かわいいけど、ほんと「人づきあいスキル低すぎ」です。
 
彼女がそれでも割と元気に楽しく生きているのは、自分の趣味に没頭(彼女の場合は安く楽しめるおいしい料理づくりの研究)できているからと、友人に恵まれているからです。
もちろん、かわいくて愛想がない(単に口下手なだけ)ので嫌う子もいますが、二巻ではそれもうまーく解消されています。このへんのリアルな女の子同士のバランスは、女性にしか分からないピリピリ加減だと思うので、男女ともに必見。けっこーかわいい顔してきついのよ。
 
しかし人間、一生懸命やれば、思い通りにはいかないけれども、そこそこなんとかなるもんなんです。
ほんと、人間って思ったよりタフ。
久留里も高杉さんも、ほんっと失敗ばっかりなんですよ。でも、特に久留里は何においても一生懸命だから、そこそこ恵まれていきます。
ゆっくりね。急に幸せはこない。でも確実にくる。0じゃない。

彼女にも友達?が出来ました。
久留里ラブな少年も登場し、彼女のまわりは1巻の孤独さからは想像できないくらい騒々しいことになります。
久留里自身がきっと、この状態を想定すらしなかったことでしょう。
彼女がどのように苦しんでいるか、というのはあまり描かれません。基本、高杉さん視点だからです。高杉さんが、12歳の少女という、自分から見たら異星人のような存在をどう捉えるかが中心になるからです。実際、高杉さんのモノローグは非常に多いですが、久留里のモノローグはほとんどありません。

この巻を象徴するような大事なシーン。
彼女は多くを語りません。ほとんど単語しかしゃべりません。苦手なんですしゃべるのが。
だけれども、だからこそ、ものすごい悩んでいる。高杉さんも必死に彼女と家族としてどう付き合っていくべきか悩んでいるけど、久留里も高杉さんと、友人たちと、どうすればいいのか本気で苦しんでいる。
だけど、必死な人に対してはきちんと的確な答えも与えられます。
何とでもなるの。
何でもね。
 

●久留里の大きな成長●

久留里が「お弁当」という鍵を通じて高杉さんと仲良くなっていく様は非常に見ていて微笑ましいです。
ほんとね、超絶ゆっくりなんですよ。幸せは三歩進んで二歩下がるんですよ。

一二を争うほど長くしゃべった久留里のシーン。これで長い方ですから彼女の人づきあいスキルの低さがよくわかると思います。
逆にしゃべりすぎて地雷を踏みまくるのが高杉さん。正反対でありながらそっくり。
だけれども、久留里が自分からしゃべるようになったというのはものすごい巨大な一歩なんですよ。
それもこれも、同じものを食べる、しかもお弁当という、来るべき次の日のためにつくるものがある、という家族の絆アイテムがあるからです。

季節の行事は、家族を形作る装置なのだ。

高杉さんのモノローグですが、この作品読んでいるとめちゃくちゃ実感できるんですよね。
クリスマス?正月?まあ別にいいや、となりがちな独身男性ではありますが、守るべき誰か家族がいるだけでその日は特別なものになります。
また子供側にとっても、それは特別なものなんです。別にプレゼントが欲しいわけでも、お年玉が欲しいわけでもない。あ、うそです。欲しいです。でもそれだけじゃない。
少なくとも、家族として、人間関係として行事と料理は一歩踏み出す勇気に変わります。それが二巻では非常に大きくクローズアップされます。
 
久留里の大きな成長としては、二点気になりました。
一つがここ。

今まで実は高杉さんのことを、久留里は名前で呼んだことがありませんでした。お父さんじゃないし、お兄さんって歳でもない。おじさん?うーん……。
高杉さん的にはすげー凹む、気になる点ではあるんですが、久留里は「クリスマス」というイベントを通じて、ある方法でその思いを伝えます。
彼女の精一杯です。読んで確かめてください。
 
二つめはここ。

久留里の貴重な二人の友人がちょっかいをかけてくるシーンなんですが、そこで初めて「怒り」を出すんですよ。これはものすごくレア。
彼女はものすごくおとなしくて、趣味は料理と落ち着きすぎていて、口数が少ないため冷静沈着に見えますが、実は誰よりも繊細で激情家。ここで彼女の本音が顕になります。
なぜ怒ったか?
これもこの作品の根幹になる部分だと思いますのでここでは書かないでおきます。
 

●明日は来る。●

離れてても、同じもの食べてる

このコミックスの帯に書かれたキャッチコピーです。ものすごい的確な素晴らしいコピーだと思います。
料理も特別だけど、お弁当ってさらに特別なんですよ。
今この瞬間だけじゃない、明日も私たちは家族なんだ、という証なんです。明日さようならじゃない、明日も明後日も私たちは家族なんだ。
そして、一緒の食卓にいるのもいいけれども、遠くはなれた場所でも私たちは家族として同じものを食べている。
お弁当は心から安心できる大切な絆。
だからこの作品は徹底して「お弁当」の中身をテーマにして物語が描かれていきます。
そして、深まれば深まるほど、二人の関係もまた複雑になっていきます。いい意味でも、それ以外の意味でも。

高杉さんが急な出張で離れたとき、久留里は友人宅に泊まることになります。久留里は一巻で、ものすごい不安で寂しがり屋なのも描写されていたので、なおのこと読者としても気になるところです。
そしてこれが電話のシーン。
「楽しかった よ。けどね」
けどね。
後の言葉は出てこない。
久留里の中には、確実に何かが生まれつつあります。それがなんなのか、読者にも、彼女にも、分からない。分からないから不安になる。
でもいいんじゃないかな。
そんなに先のこと考えなくてもなんとかなるよ。
とりあえず明日のことだけでいいんじゃないかな。
だから、お弁当。
 

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12歳の少女にお弁当を作る よ「高杉さん家のおべんとう」
久留里語(「○○だ よ」と一文字だけディレイする喋り方)はすっごい癖になります。この最後の一文字をどうするか、どうしゃべって会話をつなげるかを悩んでいるんだろうなと思うと久留里を抱きしめたくて仕方なくなるね!
でもそれってセクハラだよね。ですよねー。中学生にもなるとちと。
この作品、一見展開は萌え系漫画の流れにも見えます。実際久留里も「もふー」「はも゙も゙ー」とかアニメ調の擬態語を使ったりします。しかし中に流れているのは極めてリアルで生々しい問題ばかり。だから冴えない30歳男子でも中学生に性的視線はかけられない。セクハラいくない。
また、いじめ問題、パワハラ、家庭環境の悪化など複雑な問題も描かれていきます。決して目をそらさない。アンファンテリブル、恐るべき子供たち
中心軸になるのは高杉さんと久留里の関係ですが、その他にも友人たち、高杉さんの職場環境など様々な要素が入り組んで、人間関係は複雑化していきます。複雑だからこそ、拠り所として戻ってくる場所として家庭がある。いいじゃないか。
しっかしなあ。久留里かわいくてしかたないんですが、高杉さんとくっつくというのはありなんだろうか。個人的には今久留里が抱いている感情を考えるとそうあって欲しい気もしますが、なんとも複雑すぎる。
まあなんつーかあれだ。

今はこれが精一杯。