たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「げんしけん二代目の壱 10巻」で見え隠れする、「楽しい」の世代交代の波

げんしけん」二代目の壱、10巻目でましたね。
 
つーかさー。げんしけん」一巻出たの、2002年なのね。
もう10年近く立つのか・・・。
 
げんしけん」が出た当時は、よく「究極超人あ〜る」と比較されました。
作品としてはまったく別物なので、比較しても仕方ないんですが(そもそも「あ〜る」は光画部・高校生・別にオタク趣味集団ではない、「げんしけん」は現代視覚文化研究会・大学生・基本オタク集団)、年齢別に見る趣味的な楽しみ方の世代ギャップのようなものがあるということで非常に分かりやすい例だったんですよね。無為な時間を過ごす楽しさ、という点で。
本当にたくさんの論がかわされました。数えきれないくらい。それもまた、通り過ぎた00年代の歴史の一つ。
しかし、一部の若年層には「あ〜る」の世界は重荷のようです。なぜなら先輩の存在がでかいから。
鳥坂先輩とかもう大好きなんですが、確かに「迷惑な先輩」と言われたらそうかもしれません。否定はできない。
それに比べて、「げんしけん斑目先輩の影の薄さよ。事なかれ主義で流しますものね。それが見ていてキュートすぎるんですが、先輩後輩関係の希薄さは大いに感じます。
これが一つ目のジェネレーションギャップ。
 
二つ目のジェネレーションギャップ。
げんしけん」に憧れてオタク入りした人は増えました。
この文章を読んで「あれ?」と思った人もいるかもしれません。
「オタク」って「なってしまうもの」であって、自主的に「なる」ものじゃないんじゃないの?と。
そうなんですよね、「オタク」の語が00年代急激に曖昧になって、別に「アウトロー」な意味やネガティブ思考じゃなくなった。無論個人差はあります。
決定打は篠房六郎先生の描いた、「げんしけん」9巻(最終巻)特装版の同人誌でした。

もうまさにこれなんですよね。最近になって「げんしけん」読んだ方だと見たこと無い人かなり多いと思うのですが(廃版のため)、読んでおいて損はないです。「百舌谷さん逆上する」とあわせて。
安彦良和先生のげんしけんは、おたく大嫌いなぼくに言わせると、オタクへの愛に満ちたオタクボクメツ漫画なのです」にも、情念が混じっておりますね。でもだいたい分かる気がする。
「オタクなのに美形」ではなく「オタク美形」な人も実際に増えました。容姿関係なくなり、ルサンチマンの吹き溜まりではなく「楽しい趣味」に変わったよ、というのを「げんしけん」という作品自体が割と意識的に描いています。
世代論とか今更するつもりもないですし、なんといっても「自分がどうなのか」が一番大切なのですが、少なくともライトに「ぼく・私オタクだよー!」って言える人は増えたと思います。
隠れオタク時代が長くて「オタクって言えない」と思っていた自分からしたら、なんか今とても不思議な気持ちではあります。
そして、こっちのほうがはるかに健康的なんですよね。
げんしけん」内でもそのへんは描かれていて、斑目達の代は割と「コソコソ」して陰に隠れて前にでないオタク。
大野さんなんかは隠れた趣味を出せる同志を求めていたいタイプ。
コーサカやスーなんかは「さっぱり」していてどんどん前に出て楽しめるオタクで、笹原は大学に入って開眼したタイプ。
コーサカの存在とかファンタジーだと思ったけど、いるんですよね実際ああいう感じの人。
 
9巻が出たのが2006年。もう5年近くもたっちゃったよ。
そこにきての10巻目。
さらに作中でキャラの感覚が大きく変わっています。
時代がかわれば、げんしけんのキャラの立ち位置や視点も変わる。
ちょっとこのへんを、新キャラの矢島さんと斑目視点から軽く書いてみます。
 

●新世代「げんしけん」のギャップ感覚●

多分、一番「二代目」が分かりやすいのはこのコマだと思います。

・・・うおお・・・なんか、・・・若え!
荻上の部屋(つまりマンガ製作現場)に集まった旧部員と新部員3人。斑目や笹原はもちろんOBです。
男女の割合も気がつけば「女>男」になり(一部例外含む)、もんもんとこもった感覚はまったくありません。オタクサークルって言われなかったらまったく分からない。
マンガ補正があるから、ってのは当然あるんですが、みんな楽しそうな感じなんですよね。
その中で一人、ソファに座って仏頂面しているのが矢島さんです。

新入生チームに一人、女装男子・・・いや、「男の娘」がいます。
これがめちゃくちゃかわいいわけですが、それに対して矢島さんはこう言うんですよ。
「かなり抵抗ある」と。
 
矢島さんのこの感覚こそが、ある意味「げんしけん」内においての「楽しみ方」の捉え方の変化をつなぐ架け橋になっています。中間にいてモヤモヤしている状態なんです。
前の代でいえば、斑目が「オシャレ」することに抵抗があって困惑する回がありましたが、距離の離れ方としては似た様な感じ。

実は「オタ」という言葉自体があまり使われません。
この巻で使っているのは矢島さん以外の部員だと荻上くらいです、ネガティブな意味での「オタ」ですね。上の「どーせオタだし関係ねーぜ」なんてセリフは特にそれを端的に表しています。
一方、それどころか吉武という新キャラ(ソファ真ん中の眼鏡の子)なんかは「女オタクと腐女子は違うっスよー!」と言っちゃえるくらいにポジティブに使っています。
自分のステータスにしちゃってるんです。彼女の場合は「腐女子」であることを。隠そうともしません。大野さんもバレて覚醒するというステップがあったのに、それがもう最初っからないんです。
 
で、予想通りというか、矢島さんと荻上はあんまりファッションに気を使いません。適当ジーパン常備。まあそれでも荻上はパーカーだった最初から比べたら垢抜けたとは思います。ネクタイかわいかった! ジーパンはかわりませんが。
「男の娘」の波戸君はものすごいオシャレです。吉武も割と色々な衣装を持っていて、文系女子らしさを出しています。漫研の薮崎さも化粧をしてオシャレに気を使っています。
矢島さんが、ここにギャップを感じてしまってすごい困惑をするんですよ。
 
矢島さん自体は、「楽しいことしたいなあ」という思いを持って入ってきています。劣等感は持っていますが、それもオタク趣味に対して。トラウマに押しつぶされているような重荷感もないです。
荻上や大野さんのような強烈なイニシエーションは受けていません。
それでも、大幅な「オタク」感覚のすれ違いが感情を激しく動かします。
どこまで『楽しい』に興じていいんだろうか、そう心を惑わされます。
特に、男の娘の波戸君の存在が。
 

●男の娘。●

波戸君はかなり特殊な「男の娘」キャラ・・・ですが、最近意外とふえているので「絶対的ファンタジー」じゃないのが面白い。
まあ珍しいのは確かだと思いますが。
「男の娘」と「女装男子」は決定的に違いがあって。
そもそも「女装男子」は無理やり女装させられている状態、あるいは男らしさを残して女装している状態ですが、「男の娘」は完全に、できるだけ「女性」に近づこうとする男性を指します。毛もそるし、声も女声を出すよう努力します。「両声類」なんて単語も最近出来ましたね。
そして、ここ大事なんですが中身は男のままなんですよ。
見た目は女の子になりたい、けれども別に男性が好きだからとかじゃなくてきれいな自分でいたいという欲求が産み出した感情です。
努力しまくったファッションなんです。
これが矢島さんには受け入れられない理由の一つ。なんでそうなの?!って。

このセリフにいろんなモノが集結している気がするんですよね。
完全に男なんですよ、波戸くん。
男として「かわいい究極の生き物になりたい」欲求が産んだのが、波戸(女)ですから。
 
矢島さんが割と「オタだから」という困惑があるのに対し、男の娘波戸君と、暴走系女子吉武は「自分達の趣味」に対して一片の悔いも疑問もいだいていません。
いや、波戸君はトリガーになる事件は実際あったんです。でも荻上がBLに目覚めて傷つき、トラウマと戦ったのはまったく別で、スルンと昇華しちゃうんですよね。
このへんのエピソードは実際に読んでもらうのがいいと思いますが、吉武は波戸君がなぜ女装しつづけているか理解できてしまうけど、矢島さんは分からなかった(トラウマだと思った)のが大きなギャップだと思います。
「楽しい物は楽しいからいいんじゃないでしょうか」と割りきってしまって、さくっと前に進める。
これが二代目の「げんしけん」の子達の新しい世界です。世間に隠すことすらしなくなった。
もっといえば「オタクかどうかなんてどうでもいい」んですよ彼女らにとっては。あえていえば、「自分の属性の一つ」程度。眼鏡かけてるのと同じくらいの感覚。

吉武、おしゃれメガネでめちゃくちゃ明るいですからねもう。
むしろポジティブの弾丸なので、いいムードメーカーです。気楽に「ブヒれる」とか言えちゃう。
・・・世代論しない、とは書きましたが、やっぱりタイトルに「二代目」って入ってるくらいです、「オタク趣味」の捉え方や楽しみ方が個々に変わってきた、というのは作者側で意図的にいれているんでしょうね。
現時点では、斑目荻上・矢島・波戸が、それぞれ感覚に差異の生じているラインだと思います。彼ら・彼女らの認識の差異がうまく噛み合わないのが、人が集まると起きる「面白いこと」であるのを描いています。
 

●いつまでも抜けられないから●

で、斑目の話です。
今回は物語的には矢島さん視点でずーっと読んでいたんですが、一番かわいいのは斑目でした。
もうさ、斑目の「オトコノコ」っぷりが、かわいくてしかたない!って思った人はぼくだけじゃないはずだよ!
なんか斑目の事抱きしめてあげたいよ! 嫌がられるだろうけど!
愛しいなあと感じるのは、彼の中に「男」として「駄目だなあ」と感じる部分がいっぱい詰まっているから。

今回は割と女性陣が増えて雰囲気もがらっとかわり、咲ちゃんのように「女性が入ることでカウンターが入る」世界ではなくなっています。
そこにきてこれですよ。
なにこれ、寂しすぎるよ。
……斑目はさ、この場所が好きで、オタクを共有できる時間が好きで。
そして、春日部咲という女性に恋をして、誰にも言えず秘めたまま通りすぎてしまってさ。
 
……。
ああもう!
斑目、かわいすぎだよおまえ、マジ少年だよ!

他のメンツは割と成長して、脱っしている部分はあるんですよね。もちろんここで生まれたつながりは本当に宝物で、ずっと大切にしていくでしょうが、それはそれこれはこれ、今は別々の道を歩んでいます。
個人的にくがぴーがすごいリアルだなーと思っていて。そこそこ絵を描くなどのスキルは持っていても中途半端で、その中途半端を抱えたまま飛び抜けることもできず卒業して、今は仕事をコツコツこなすっていうね。このキャラも愛しいですよ。本当にいいやつ。マメだし真面目だし。それでいてちゃんと、大人としてなすべきことをしている。仕事を優先して、遊びでさぼったりしない。
ある意味、リアリストなのかもしれません。
 
斑目は、ロマンチストですよねほんとに。

笹原妹に言われてしまうシーン。誰にも言わなかった咲ちゃんへの恋愛ですが、彼女はちゃんと分かっていました。
(9巻見ると、笹原妹・大野さん・荻上は当たり前のように気づいている様子)
咲ちゃん側が分かっていたかというと、……そこはぼかされていて、9巻まででも「わかってるような素振りは見せるけどはっきりは言わない」という手段を取られています。
これがものすごく、「少年から見た女性の姿」なんですが(女ってわかんないなあ・・・という)、斑目はずーっとそのままなんですよ。
停滞しているのか?といわれると迷います。彼もきちんと働く社会人になっています。
笹原妹の言うことはまったくもって正しいのですが。
例えば。
仮にですよ、斑目に彼女ができたとしても、咲ちゃんのあの写真、斑目捨てられない気がするんですよね。これは勝手な想像ですが。墓まで持って行きそう。
もう思い出をきれいに包んで保管しちゃう。というかしちゃってる。
無駄に引きずる感覚が露骨に出ている斑目
彼が今後どうなっていくのかは、矢島さん周辺の出来事と共に、かなり重点的に描かれていると思います。
あえて言えば、大野さんの言っていたこのセリフを信じたいです。
「それにまだまだ、楽しいことはいっぱいあるんですから!」
 
まとめ。
斑目かわいい。
少年している斑目に萌えるための二代目だったか……。
まあ彼も、入れ替わる人と感覚の波に一抹の寂しさを漠然と覚えているんだろうな。
 
関係ないけど斑目ってあずにゃん派だったね。(P183より)