たまごまごごはん

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なあ、世界は悪で満ちていたか? なあ?「空が灰色だから」21話

 
もうあちこちで話題になっているので、言うまでもないんですが、阿部共実先生の「空が灰色だから」。
うまくいかない人たちの、うまくいかない物語のオムニバスです。
これが一番有名で、阿部先生のテイストをよく出していると思うので再掲。

「大好きが虫はタダシくんの」/「abt」の漫画 [pixiv]
まー、心ざわつくざわつく。
最初の頃は、こういうエグい話をがりがりやっていくんだろうなーと思っていたんですが、違いました。ハッピーエンドもすごいいっぱいあるんですよ。
むしろ、最後のページになるまでハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、はたまたどちらと言えないものなのかわからない!
実はラストも大事だけど、そこに至るまでの「うまく行っていない状態」の過程が大事。なので毎回開くたびに、大好きな作品なんだけれども開くのが恐ろしいマンガでもあります。
 
テーマらしいテーマは特には打ち出されていませんし、出てくるキャラに絡みもないんですが、あえて一つの線をたどるとしたら自意識でしょうか。
このへんは別の媒体でも書いているので、見つけたら読んでみてください。
 
で、今週の空灰がすごいのですよ。
つか毎回どこに着地するのかわからなさすぎてあんぐりさせられるんですが、今回は正論であるがゆえに最も痛い回だった気がするんです。
正直「バチバチ」で感動の涙を流していたのに、「空が灰色だから」で嫌なにおいの涙を流すハメになると思わなかった。
感動とか衝撃じゃなくて、いやーな、塩辛い気持ちだよほんと。
いい話かどうか、っていわれたら「イイハナシだよ」って答えるけどさあ。これきついよ。認めざるをえない鏡みたいなんだもんさあ。
 

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魔女っ子アニメを見てそだった女の子が、成長して「いい年」になったのに、まだ魔法少女を夢見ているという設定。
の時点で悶絶したくなるよ!

マンガ自体は客観と主観が入り交じって描かれるので、客観シーンはこういう感じで「痛い」のがバリバリを表面に出ています。
 
世界は悪に満ちている。
魔女っ子の格好はしなくても、これは考えましたよ。妄想しましたよ。
今だから「妄想」って言えるけど、当時は本当になにか「悪」があると思っていましたよ。
なにか戦うべき悪が世の中に存在しているのではないか。
……いや、「悪」に当たるものは実際に存在するんですけれどもさ。でも「悪」って何よ。世の中そんな簡単に善悪二極化できないでしょう。わかってる。わかってるんだよ。
でも「悪」だと思えば安心できる。自分はそうじゃないって確認できる。
 
この少女……じゃないな、女性、杏奈はその悪と戦うのを夢見ているんです。
違う。
夢見てるんじゃないよ。本当に自分は悪と戦っていると思っていたんだよ。

これが主観シーンです。
主観シーンでは杏奈は悪を懲らしめる魔法少女としてキラキラした背景の中描かれます。
このコマのようにそれはかわいらしいんですが(阿部作品はもともと絵がかわいいしね!)、このポップさが不気味ですらあります。
だってね。

こっちが、現実だから。
 
杏奈の存在はゲラゲラ笑えるものなんですが、笑った後にシクシクと哀しい気分になります。
いや、笑っていいんですよ。笑うべきなんですよ。そう描かれてますから。
でも自分の中に一度でもこういう思いがあった人、オタク的趣味に大人になっても没頭してそれに一抹の後ろめたさがあった人にはかなりクるものがあります。
 
空が灰色だから」は自意識過剰の物語郡です。
出てくるキャラはみな、自分は騙されているんじゃないかと感じていたり、みんなに見られているんじゃないかと焦っていたり、非常に自意識の皮膜に敏感です。
少し前のチャンピオンでは、真っ暗闇の中自分がどこにいるのか分からないまま終わるという強烈な回がありましたが、まさに自意識だけしか残っていない状態の極地みたいなとんでもない作品でした。主観のみで阿部先生が描くとこうなる、という到達点でした。
今回は主観と客観両方が入った到達点みたいな作品になってます。
キャラクターが自意識で行き惑う時、読者もまた自意識を引き出されて、皮を剥かれてヒリヒリするマンガなんです。
 
先ほどのコマにもいますが、彼女はボロ雑巾のようになったぬいぐるみを引きずって歩きます。
魔女っ子物のマスコットキャラですよね。
でもボロボロ。もっと大切にすればいいのに、しない。ライナスの毛布とはちょっと違うようです。
言うなれば、彼女が逃避し続けていた、逃げ込んでいた「世界は悪に満ちている」幻想の象徴。でもいいのそんなのはどうでも。
もっと感覚的なものなんです。絶対に無くてはならないものであり、けれど彼女自身の中で丁寧に扱うほどでもないもの。
彼女自身が痛いと思っている感覚そのもの。

終盤、ぬいぐるみを紛失します。
世界は悪に満ちている。
本当か?

「……なんだか世間ってのは意外に悪に満ちてないもんだね。仕事にならないよ」
「いいことじゃない。これを機にちゃんとした仕事を探しなさい」
「私が今の社会に受け入れられるのかな」
「自意識過剰ね。あんたが思ってるほどあんたは社会にとってプラスでもマイナスでも、なんでもないわよ。普通に受け入れてくれるわよ」

母親との会話に仰天したものです。
阿部先生の作品で、ざっくりと自意識過剰に対して「なんでもないわよ」といってのける大人が出てくるとは!
 
そう、実際は意外と大したことがないことだらけ。
空が灰色だから」の大きな転換点のようなセリフだと思います。これで「自意識過剰で行き詰まる少年少女」だけではないバリエーションが生まれ始めるはず。
でも、違うんだよ。それは冷静な意見であって、ぼくにはどうでもいいんだよ。
お母さんがいうように「ちゃんとした仕事を探しなさい」が彼女の最善だし、そうするべきなんですが、彼女がボロボロのぬいぐるみを失ったとき、ぼくは辛かったんですよ。
彼女が好きだった世界、それは逃避かもしれないけど、その世界が亡くなってしまったみたいで。
 
でもね、今回をぼくが大好きだと言いたいのは、杏奈が作ったカレーにパインが入っていたからなんです。
それがなんなのかってのは読んだ人それぞれの解釈でいいと思うのですが、ぼくはそのパインがあることに、とてつもない感情移入をしてしまって。
彼女自身、魔法少女ごっこをしていたとき、おかしいのはわかっていたんですよ。
「私が今の社会に受け入れられるのかな」って言ってるんですよ。彼女自身色々自意識の苦しみの中で逃避していたんですよ。
いうなれば彼女はパインみたいなもの。でもそんな異物を入れても、受け入れられるんだ。
逆に言えば彼女はカレーの具そのものにならなくていい。すべてを受け入れるわけじゃなくてパインのような異物でいい。
ぬいぐるみは失ってしまったけれども、杏奈は杏奈でいい。
 
失ったぬいぐるみがどうなったか。それは描かれません。
このへん「空が灰色だから」は躊躇ありません。救いがないものは徹底して救われない。
ボロボロになってどこかに捨てられた彼女の好きだった世界、ぬいぐるみ。それを考えるとチクチクと胸が痛みます。
けれどパインがあった。カレーにパインが入っていた。
ぼくはそれを見て、ただただ哀しいのか感動したのか、そのどっちでもないと思われる涙をギリギリとかみしめていました。
 
黒歴史」って言葉でまとめてしまえばそうなんですが。
でも「黒歴史」って大抵悶絶しながらも、人に言いたくなるもの。つまりそれ黒くないんですよ。楽しいんですよ。
けど杏奈のは、まだ脱し切れていません。
作品は「脱するべき」とも「そのままでいい」とも言わない。それもうまいよなあ。ずるいよなあ。
阿部作品は現在進行形で、黒歴史なんて言葉では済まない自意識との戦いが続いているのです。
 

これがオムニバスで毎週読めるって、とんでもないことだと思うんだ。
絵がかわいらしいのがハードルを下げているのと同時に、「かわいいは怖い」の法則通り痛みも倍増です。
でもハッピーな話しもあります。どう着地するかてんで見当つきません。