たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

デジタル内デジタルデトックス

最近はVRChatにいることが多くて、そっちでだらりと遊んだり、取材したり、表現活動をしているわけですが、まれに過去のぼくのブログの読者だった方から声をかけてもらうことがあります。

ありがたいですね…だってもう干支1.5周するくらい前のことですからね。

自分もあまり昔話おじさんになりたくないので、ライター仕事を始めてから知ってくれた方にはあんまり過去の話はしていないです。

特にVTuber記事から知ってくださった人は若い方(20代)が多数派で、ブログ書いていたことを知らない人の方が遥かに多いので、気楽にやっています。

でもやっぱり、過去に読者だった方が声かけてくださるのはね、格段に嬉しいものです。なんせ好きなもののことだけ書いていたので、その好きなものが伝わっているってね。時間割いて読んでくれたって、ねえ。幸せですね。

 

ブログ書きまくっていた時期は、ある程度たったら趣味って減るんじゃないかみたいな心配もしていたんですが、全然ですね。特にVTuberVRなんて当時考えもしなかったもの。趣味の方からやってきてくれます。

ただSNSYouTubeスマホやらなんやら、ブログ書いていた00年代に比べて情報量がひたすらに多すぎて脳が追いつきません。当時めちゃくちゃに色々書いていたのは、情報に飢えていたからなんですよ。

なので最近は、デジタルデトックスしています。スマホを置いて散歩、みたいな簡単なものから、PCもスマホも手放して本読んだりプラモ作ったりだけする日を作るとか。

実はVRも情報デトックスできる事に気づいてきています。HMDかぶっていると、スマホを見ないのよ。眼の前のことだけに集中できる。一応HMD上にオーバーレイでPC画面出せたりはするけど、面倒くさいので結局デトックスできてる。

友達と話しているときは、友達のアバターの目を見ていますしね。

VRの方がスローライフ向きです。

最近はVRでDJやっていますのでよろしければ見に来てください。はい。

「TS少女ハルキくん」に学ぶ性教育

ドバト先生の創作エロ同人誌シリーズの新作4が出て、これがなかなかエロ漫画に対してのいいカウンター(あるいは性への直球)になっているので、軽くメモ。

 

TS少女ハルキくん(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん自慰編(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん2(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん3(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん4(コデインガール) - FANZA同人

コデインガール サークルプロフィール | 作品一覧「DLsite 同人 - R18」

DL.siteにもあるよ。

 

基本的にはTS(トランス・セクシャル、性転換)ものなので、そっちの性癖の人は迷わず買っていいと思います。

ハルキくんが女の子になった、つまり「少年→少女」もので、13歳フレッシュ新入生、先生との恋愛えっちものです。めちゃくちゃ若い性欲溢れていて、先生側も良識人なんだけどピュアに羽目外し気味でエロいです。

TS性癖じゃない人には、このシリーズ「性教育」として見ると結構攻めていてやばいぜ、って話で興味を持ってもらいたいわけです。

 


 

前提条件として、エロ漫画好きな人って作中に出てくる女性キャラクターを「女神」とか「ミューズ」とか「未来のイヴ」とか「アニムス」とか「アニマ」とか「イデア」とか、そういう風になんとなく感じると思うんですよ。AVもそうですね。あれが「リアルな女性」だと思っている人はいないと思う。

虚構と現実に線を引くがゆえに、アダルト文化は発展しているわけだし、だからこそアダルト文化でしか描けない表現がある。

ロリ漫画は特にそこが顕著で、作品に出てくる少女たちはみんな幻影です。幻影だから美しいんです。純愛ものにしても陵辱ものにしても、性欲を全部受け止めてくれる仮想の存在です。本当にありがたいです。

 


 

では「性教育」を描くとした時。当然ながらエロ漫画の要素の主要な部分はすべて崩壊します。そもそも前提条件が成り立たない。

エロ漫画だとコンドームつけてないの当たり前だったり、病気のこと念頭にない。ファンタジーなのでそれでいいけど、リアルにするとどこかで壁にぶつかる。

 


 

「TS少女ハルキくん」シリーズはロリ漫画にかなりまっとうな性教育をぶつけています。

 


 

最大のラインとして「先生が13歳の子とセックスする」というNGラインだけは越えています。

ここは英断だよなーと思う。多分恋愛はしてもセックスしない先生というルートでも描けると思うんだけど、セックスを越えた向こう側の性を描くとなると「事後」じゃないとブレーキがかかってしまう。セックスをした相手との身体と心の問題、というのを描く上ではそこは超えるべきだったんだなあ、と今4巻まできたから思う。

1巻の時点では「先生お前ーーー!」とは思った。

でもその「うわーー好き」という両者の雪崩れるような心理描写と性描写がエロいというのは重ねて書いておきます。欲望に押し流される姿、特にワンモアはエロいぞ。

 


 

TSものである、というのはすごく大きい。TSにすると、「性」の意識がキャラクターに常につきまとうようになりますし。

ハルキくんはリアル寄りな13歳、もうちょっというと10歳くらいの感性の少年。ここは作者がかなり慎重に描いていると思う。性に対してつっぱしる部分はあったとしても、その時期って「性」についてちょっと距離をおきがちだったりする。オナニーも経験がない子は多い。男女の性が別れて思考に溝ができたり、かと思ったらテレビやネットに影響されておままごと的お付き合いをしたりもする。んで男の子のほうが女の子より、幼い(この表現であってるのかどうか難しいですね)。

ハルキくんはもし男の子のままだったら、オナニーも経験していない、女子と付き合ってもさほど興味がない、男性女性の意識すらあやふやな子だったんじゃないかな。IFだけど。

それが女の子になったことで、男と女の性別、身体の変化、心理の個別化、恋愛の意味など一気に意識せざるを得なくなる。雪崩で。そこでの混乱は本当に子供。

 


 

2巻が面白い。

少女の体のハルキのまわりには、自然と女子が集まってくる。そこでちやほやされるんだけど、出てくる発言がこれ。

「やっぱ男子はだめだわーハルキが一番だなー」
「TSの子って可愛いしかっこいいしほんと最高だよー!」
「そうそう女子の気持ちも男子の気持ちも分かるしね」

女子だったら「だよねー」だったかもしれない。男子だったら「うるせー!」かもしれない。ハルキは「ハルキ」ではなく「男」「女」という性徴のシンボルに、悪く言えば思春期の子たちのおもちゃになってしまう。

ハルキだって別に男女両方の気持ちがわかるわけじゃないし、むしろどっちもわからない方。性自認の問題をかなり急角度に切ってくるので、ぎょっとする。

そのあとセックスシーンが入るのは「おれは先生としたいのか」「好きなのか」という問いを探るためでもあるのでキュンとくるし、結局なにもわからないよね、という流れになるのも「そりゃそうだ」感があっていい。

 


 

4巻は大きな転機で、性においての大失敗の話。ある意味とてもありがちで、性体験の有無に関わらず頭抱える人も多いんじゃないかしら。

ようは「異性の歓心を買う」という点。女性はこうあるべき、男性はこうあるべき。付き合ったら「普通」こうする。

性教育とは、この「普通」に惑わされないようにするためのものなんじゃないか。

性で苦しむ場合、ものすごい割合で「普通」に振り回されてしまう。大人になるとある程度知識と経験の量が蓄積し、総合値として距離をおけるようになってくる(と言っても絶対に性は客観はできないのを理解する含めて)。

ハルキくんはTSしたまだ幼い子。じゃあハルキくんを「普通」じゃないと言って良いのか(これは2巻のですね)、ハルキくんは「普通」になろうと異性の歓心を買うべきなのか。そもそも「セックスかくあるべし」は性差別なんじゃないか。

 


 

答えはね、わかんないね。わかんないですよ。ハルキくんと先生と一緒に、何が失敗で何がいいのか、考えてほしいのです。

5巻予告で描かれているのが生理用ナプキン。

エロ漫画では高確率で回避されるアイテムです。もちろんそっちに性嗜好がある人は、大事にしてほしい。生理が描かれると、性が生死や妊娠に関わることであるのを頭がよぎり、萎えがち。だから避けたい。それはそれで、良いと思う。娯楽だから。

でもこの漫画はエロ漫画でありつつ、性教育

切り込むみたいです。

 


 

全体的にエロティックでかわいらしいながらも、読後にモヤモヤが残るのが面白い作品だと思います。

多分だけど先生が苦手って人もいるとは思います。完全性教育だと思って読んだら、お前意思弱すぎだろ!ってなるでしょうし。でもぼくは前述の理由で、特に4巻に入ってから彼へ性意識への共感度は高いです。こういうのは賛否両論あったほうがいい、とも思うし。

最終巻出る前だから、おすすめします。

 


  

平成●●in明治夜●い村 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZAブックス(旧電子書籍)
ぼくこの「平成JCin明治夜這い村」めっちゃ好きなんですよ。あちこちで言った気がする。

夜這いの風習がある明治時代の村とか、江戸時代の遊郭とか、平成のJCが飛ばされて性的に振り回される話なんだけど、それって「かわいそう」では確かにあるのかもしれないけど、割と強かに生きていける子もいるだろうし、そういう子の性ってキラキラしていてエロいよね、っていうのが詰まっていて、すごく描き方が珍しい。シンプルな感情論と結論じゃない。

「ハルキくん」も「夜這い村」も、作者はなんらか思想は有ると思うんだけど、それを押し付けるんじゃなくて、登場する子たちの生き様にたくして、あとはそれぞれ受け取ってくださいと答えをひとつにしていないのがいい。説教感まったくないです。あとネガティブっぽくみえてネガティブじゃないのがいい。きちんとエロくてエンタメしているのがいい。

 

エロ漫画だからリアルを超越するし、リアルを超越するから直接的には描けない人間の奥底も描ける。

そういうのをひっくるめてマンガとして楽しめる上で、女の子がかわいくてキラキラしていて、みんな身体感覚が敏感なので、エロいです。

おわり。

プリンター使わなくなったから使いたい話

プリンターを買い換えることにした。

ようやくだ。だって前買ったプリンター10年近く前だよ。だいぶ前にシアンが完全に詰まっちゃって、どうやっても変なしましまになっちゃってから、面倒くさくてそのまま放置。多分3年くらいそのままだった気がする。物持ちがいいんじゃなくてずぼら。

だって、プリンター使うのって請求書印刷する時だけなんだもの。黒出ればいいんだよね。フルカラーを欲し無くなってしまった。

 

新しく買おうと思って色々調べていたんだけど、びっくりするほど、どこの店にも在庫がない。オンライン販売も全然ない。ほとんどが「取り寄せ」。近所の家電量販店に電話して聴いたら「取り扱いはあるんですが、在庫はハイスペックなモデルが2つしかなくて…あとはお取り寄せで…」と申し訳無さそうにしていた。ハイスペックを売りつけようとしないいいお店でした。

なるほどな、これがリモートワークの影響なのか! なんて短絡思考でいた。しかし家電屋の友人に聴いたらそうではないらしい。

プリンターはでかい。幅を取る。だから店舗は基本在庫を持ちたくない。注文を受けてからの取り寄せが今は主流。なるほど、たしかにガンガン買い換えるタイプのものじゃない。

 

10年以上前はプリンターは必需品だった気がする。書類や課題を提出する際に紙で出すのが当たり前だったからだ。大学ではプリンターやコピー機に学生が並んでいたし(WiFi接続なんてそんなものはない)、仕事では書類のひとつの誤字のために全員分印刷しなおしたりしていた。

紙、使わなくなったよね。ほんとよかった。

印刷の費用は尋常じゃないし、間違えチェックと印刷の時間のストレスもすさまじいし、紙が貯まると邪魔で仕方ない。捨てるのもそれを作った人の前ではなあ…みたいなとこもある。書類が全部メール送信になるなんて、考えもしなかった。北海道でもメディアの仕事ができるのは変化のおかげだから、ありがたいったらない。

最近はメールすら使わなくなった。ダイレクトメールやLINEやDiscordやSlackなんかで十分だ。っていうかそっちのほうが確認しやすいから、最近だとメールを全く使わないで生活している人も多い。

 

学校の課題提出の際は先生側が困っていたこともあった。なんせ学生はネットで拾った資料をそのままコピペして出したりするもんだから、ひとつひとつ自分で書いたかどうか、確認しないといけない。分厚いレポート用紙をいちいち。それがデータ提出になったおかけで、1発で検索できるようになった。用紙を高く積み上げなくて良くなった。断然データのほうが楽。

仕事の書類だと、もらった書類の専門用語の意味がわからないことがたまにある。いちいち聴くのもなんだし、紙だとパソコンに打ち直さないといけない。でもデータならペッと貼ってパッと検索してなるほどと理解。楽。ごくたまにメールで届くビジネス文書をそのままコピペしている会社を発見して、ひとりニヤーっとすることもある。いや、挨拶類なんてそれでいいんです。

 

過去に戻りたいなんて一ミリも思わない。紙はないほうがいい。全部データでいい。一時期は「データと違って紙で保存しておくと整理しやすいことあるよな」とか思ってたけど、んなことはない。データだって紙だって、整理できる人はできるし、できない人はできないだけだ。

 

となってくると「プリンターいらないのでは?」という気持ちが強くなる。写真印刷はすごく重要だと思うけど、撮ってもデータでいいなあ、という気持ちがわいてきていて、あんまり印刷したことがない。

 

これ、プリンターがいらないのではなくて、ぼくが単に腰の重い人間になっているだけ。「やれること」を考えるとそれはもう山程ある。「必須じゃなくなった」のと「不要」は同じじゃない。

今回ほしいなと思ったのは、工作がしたかったからだ。ペーパークラフトが好きで以前は印刷してちょいちょい作っていたのだが、壊れてからやらなくなった。逆だよ逆。「壊れたからやらない」じゃなくて「壊れたけどやりたい」という気持ちを起こしたい。

かつては一眼レフのフィルムカメラ持ってパシャパシャ撮っていたくらい、写真は好きだった。なので、やりはじめればそっちもスイッチは入るんじゃないかな、という気持ちもある。

 

多分「コスパのいい機種です!」とかは、ぼくのような使い方ならあんまり考えてもだめかなーと思ったりした。絶対コスパにあう使い方しないもの。それで足が重くなるくらいなら、コスパ悪くてもいいから考えないで、やりたいこと、面白そうなことを探せよ、ってなる。

 

買い替えたところで、忙しくてなんだかんだで使ってないなあ、となる可能性はある。シンプルに、データを生活の中心に、という思いはまず変わらない。でも家電やPC関係、服や家具などどんなものでも、「このままでいいや」から一歩抜け出せる、ってだけでよいのかもしれない。