たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「殴り合う女の子の漫画とゲームが好きです」

 

「殴り合う女の子の漫画とゲームが好きです」

いろんな媒体で仕事させていただいていて、自己紹介を書いてくださいと言われた場合、だいたいぼくはこの一文を入れています(おかたい仕事の場合は書かないです)。

 色々自分の性格をどう説明するか考えたとき、これ以上に的確に説明できる文章が思いつかないです。趣味は音楽とか世界史とか民俗学とか漫画とかプラモとかサブカルとかいっぱいあるからそれを書いてもいいけど、それだけでは自己の姿勢を表すわけではない気がして。

 フェチを書いてどや顔するとかいう歳でもないですしね。ロリコンって書いてもねえ。自分の美学とか思想の根っこというかの一部に確実にある、という自己と向き合った結果見つけたもの。だからちょっと、大切な一文だったりします。

 

 ぼんやり目覚めたのは格ゲーでした。と言っても春麗とか不知火舞とかナコルルとかではなく。キャラはめちゃくちゃ好きだけど、男女混合の場合は「強い女の子好きー」でしかない。

 やはり女の子同士で殴り合ってくれないといけない、と気づくのはこのあと。

 

 あすか120%は、脳天にきた。女の子たちがそれぞれ部活の技を用いて殴り合う女の子だけ格ゲー。攻撃する技の相殺システムが搭載されていて、ガキンガキンと技をぶつけ合うのに夢中になりました。

 特にメインヒロインである、化学部の本田飛鳥と生物部の豊田可莉奈の殴り合いに、強烈な百合(当時はこの単語は今と別の意味合いだったと思う)を感じました。ってか今考えてもなんだよ理系部活で闘うの他体育会系なのに頭おかしいだろ。最高です。

 二次創作ゲーTHE QUEEN OF HEARTも、脳天にきた。エロゲーのリーフ作品のキャラクターを集めた格闘ゲーム。僕は当時そんなにエロゲーに詳しくなかったんだけれども「あすか120%」リスペクトで、相殺しまくりのシステムで女の子同士ぼこすかやるのに夢中になった。本編ストーリー(男性主人公とのうんちゃら)があるから百合感はないけれども、殴り合いの中に愛憎のようなものは溢れて見えていた。志保と楓使ってました。

 漫画だと「ハイパーあんな」が目覚めのトリガーを引いてくれた。ぼくは馬鹿強い女子格闘キャラが好きなんだと気づいたのも、ここでした。高槻杏奈が無敵レベルの強さを誇るキャラで、小さいのに誰も勝てるビジョンがない感じがよかった。ここまで強くてストーリーどうするの?!と驚いたものです。

 そして一緒にいることの多い金子光恵もよかった。メインで闘う子ではないのだけれども、彼女は異様に避けるのがうまくて、回避力カンストしている、そして攻撃手段なし、みたいな珍妙なキャラ。このふたりが仲が良い…を超えているというのが、ビビッと脳にきました。今まで書いた中で一番百合していると思う。

 お嬢様の沢霞もいい。鬼のように強い。なのに杏奈が強すぎて勝てない。それが執念になる。よい。

 このあたりから「強すぎておかしい」キャラと、それを巡る女子にどんどん惹かれていきます。

 美女で野獣は「強すぎておかしい」キャラをぼくに刻み込んだ決定的作品。ヒロインの一茜もどえらい強いし努力の子で魅力満点。それ以上に毒島リリカ。この子がぼくの人生の分岐点になりました。とにかく強い、めちゃくちゃ強い。でもなにがどう強いか全くわからない。ただ強い。だれも彼女に勝てない。

 なんだこれ、そんなのありなのか。ありなのだ。

 漫画やゲームだと理不尽な強さであっても、理屈がなくても、「強い」もんは「強い」。しびれる。リリカの茜への感情が情熱的なLOVEであるのもビリビリきました。

 「美女で野獣」の影響で、ぼくは「女の子の殴り合う姿」が、「人間の剥き出しの愛(憎しみ)」の表象であるのではないかと勝手に脳内でつながったのです。

 このへんは男子格闘漫画でも同じような部分はあると思うけど、鍛えられた女子の美しさへの強い憧れがぼくにはあったのが大きいです。現実の女子プロレスや格闘技も大好きだけど、ファンタジーはバックボーン、舞台裏、日常が見えるゆえに喜怒哀楽の解像度爆上がりなのが特にいいです。ショーケースに飾られたトランペットを眺める子供のようにキラキラした瞳で、女子格闘漫画とゲームを楽しみました。

 

 その他にも「シンシア・ザ・ミッション」「ヴァリアブルジオ」「アルカナハート」「鉄風」「恋姫演舞」「瞬きより疾く」「サタノファニ」「ブラトデア」など、スポーツ物から殺し合いまでいろいろ沼にハマりました。闘う女子が好きというよりも「女の子同士の闘い」が好きなんだと理解して噛みしめるようになり、彼女たちの生き様と、相手に対する感情を想像するのが楽しくて仕方なくなりました。「プリキュア」もそういう目で見ています。

 愛の対話が見たいのです。女の子同士の殴り合い作品で、殴り合いの最中は嘘偽りがない。すべてをさらけ出した感情の晒しあいだ。鍛え上げられた女性たちが、各々の人生を背負って何もかもを相手の前にさらけ出す美しさに、惚れ惚れした。憧れた。敬意や崇敬の念を持ちました。

 

 崇敬の念があるからこそ、それらを台無しにするほどぶっ壊すキャラがぼくはめちゃくちゃに好きです。それが毒島リリカであり、「一勝千金」の本郷姫奈であり、「はっちぽっちぱんち」の黒石希歩です。

 

 

「一勝千金」の姫奈は賭博格闘技の世界に身をおいていて、あまりにも早くて強い攻撃を放ち一撃で相手を沈めるという、誰がどう見ても勝てなさそうなラスボス級キャラ。

 どうやっても勝てる未来が見えないくらい強いため、逆に賭けが成立せず、エンタメにならないというジョーカー的存在。でも本人は闘いたすぎてずっとウズウズしている…とかくとかわいそうなんだけど、それを超える外道でもあるので、遠慮なく殴り合って問題なし。今のところ負け無し。

 

 

「はっちぽっちぱんち」の希歩は逆に、めちゃくちゃ弱いド素人。あまりにも初心者すぎるため、ジムでは0から習う最弱レベル。

 ところが彼女、ボコスカにやられても立ち上がるすさまじい執念の持ち主。「人を殴りたい」という渇望が極度に強すぎるサイコパスで「ここでなら人を殴ることができる」というので格闘の世界に入り込んでいます。普通ならパンチキックを喰らってダウンするところでも、殴ることに固執する狂気だけで立ち上がって、あくまでも拳で殴ろうとする。キックじゃだめらしい。狂人がこれから格闘技術という武器を手に入れていくことを考えると、ワクワクしてきますね。

 女子格闘技において、テクニックや勝ち負けを見せるのは素晴らしいけれども、観客は執念とか狂気とか暴力を見たほうが盛り上がる。そちらに試合全体をシフトさせることの可否が、彼女のような人間の存在によって問われ始めます。スポーツと暴力の間にいる彼女。強くなればなるほど、物語は「真面目な試合だけでなく狂っている方が面白いじゃないか」という流れに変わっていってしまう。どう考えてもヤバいんだけど、でも希歩のゾンビのような殴る執念、実際めちゃくちゃおもしろく描かれています。

 

 ああ、たまらないなあ!

 こつこつと全員が鍛錬を積んで真面目に努力してきたというのに、わけのわからない才能や狂気のせいであえなくぶちのめされて、憤りに満ちたり心折れたりする様は。

 男子格闘漫画でもそういう「わけわからん強いキャラ」はいます。範馬勇次郎とか。けれども女子格闘技漫画のそれは、心をへし折る能力か、あるいは相手の女子の愛憎スイッチを入れる能力、心に向けた暴力を持っています。そこがたまらなくキラキラしていて、ドロドロ淀んでいる。それをぼくは、憧れの瞳で見続けてきました。

 

 ぼくは女子格闘漫画の強い女の子の拳に、その語り合いと愛と暴力とに、憧れと恐怖心の両方を抱いています。作中キャラに共感したいわけじゃない、遠くから見ていたい。だって語り合うのはぼくじゃだめだから。同じくらい強い女子同士じゃないと意味がないから。そこに人間の剥き出しの本質の幻影を見ているから。

 キラキラとワクワクが見たい。ドキドキしたい。憧れたい。恐怖したい。感情のねじれを見たい。圧倒的力に呆然としたい。ライバルを殴るために技を極める人の誠実さに感動したい。殴り合いでしか得られない人間関係が見たい。

 思想的なキラキラとワクワクが行き着く果ての人間関係の素敵さは、ぶっちゃけ男女性別関係ないです。何にでも美しさを感じます。それが作品を見る原動力になっていますし、推しを発見する線引になっています。ただ、説明する比喩の言葉が「女の子の殴り合い」がピッタリということです。

 だからぼくは今後もプロフィールに「殴り合う女の子の漫画とゲームが好きです」と、思想として書くと思います。