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ロボットの人間らしさってなんだろう?「アフター0〜マイフェアアンドロイド〜」

以前、ロボットの感情の話について、「時計じかけのシズク」という作品を紹介させて頂きましたところ、非常に興味深い本をたくさん教えていただくことができました。感謝!
参考・ロボットとの恋愛感情って、本当にありうるの?「時計じかけのシズク」
それらも後ほど紹介したいと思うのですが、その中でも特に面白かったのが、岡崎二郎先生のSF短編集「アフター0」に収録されている「マイフェアアンドロイド」という話。
これがマンガとしても面白いし、SFとしてロボットの感情の話をしっかり打ち出していてとても興味深いんですよ。せっかくなのでつたないながらも紹介したいと思います。教えてくださったmastakosさん、感謝!
 

●アンドロイドの存在価値って?●

物語は、アンドロイドが人間のような外見を持ち始めた、そんな入り口のような時代からはじまります。
現実と照らし合わせると、ちょうど今からもう少しだけ後、という感じでしょうか。

今がこのちょっと手前ぐらいだと思います。かなりリアルな挙動のできるロボットはできつつあるものの、あきらかに「ロボットだね」とわかる外見と、まだまだぎこちない動き。そして、人工知能ではなくて「記憶」なんですね。
実際、新しい物を創造する「知能」は、人間のそれすらもさっぱり分からないものですし、記憶の蓄積によって「それっぽいものを選択する」という方向を追求していったほうが形式になりそうな気がします。

そんな中で生まれた、スピカ・タイプといわれる「アイリス」。
人間とまったく区別がつかないような記憶を持ったアンドロイドの誕生です。
・・・ん?
 
考えてみたら、アンドロイドが限りなく人間に近くなる必要ってなんなんでしょう?
ロボットが人間に従属して、役に立つためのものだとしたら、「限りなく人間に近い」必要はなくて、「限りなくロボット」であればいいわけです。
しかし、アンドロイドは、どこまでも人間に近い存在として作られていきます。
この話も、根っこの部分で「人間に近いもの」を追い求めています。それが、非効率的であろうとも。
SF作品の中に出てくるアンドロイドがみな「非効率的」とは限らないと思いますが、どちらかというと人間らしさに迫るための人間の挑戦のような感じがしてなりません。
 

●人に逆らう「欠陥」●

そんな完璧な「アイリス」を主人公はコピーしようとするわけですが、ちょっとした手違いで欠陥が生じてしまいます。
「完璧な人格」という理想の記憶をダビングするはずだったのが、その制御がかけて不完全な形のダビングが行われてしまうわけです。DVDのコピーをしようとしたらデータの一部が欠損して暴走しちゃった、みたいな感じでしょうか。

それが「アイリス2」という、不完全なアンドロイドを誕生させます。
あくまでもボディや記憶装置は一緒。だけどデータはダビングでちょっとだけ劣化。
しかし、どう見てもこっちのほうが「人間らしい」んですよね。
アイリス初代は確かに「完璧な人格」でした。ロボット三原則に法り、非常に規律正しく人間にも忠実。だけどアイリス2はその部分がかけているために人間に逆らっちゃうわけです。
それは確かに「不完全」
しかしですよ。
人間ってそもそも不完全なわけです。
なら、ロボットも不完全な方が、より人間らしく見えるじゃないですか。

機会を超越して、魅力的で完璧であるほど、また人間から離れて機械的になっちゃうという矛盾。
欠陥ってなに?完璧ってなに?
そして、人間がアンドロイドに求めているものってなに?
 

●不完全だから惹かれるものへ●

アイリス2に対して主人公も「機械」であるという意識を捨て、人間のように接し始めると一気に関係が変わっていきます。

機械が人間の感情ややさしさを感知して性格を変える、というのは、相当高度な技術がないと難しいことです。以前紹介した「時計じかけのシズク」でいうところのフラクタル回路。選択ではなく、組み合わせで学習していくことで知能を身に着けるという想像を絶するシカケが必要になります。
この「マイフェアアンドロイド」はきわめて短い短編なので、その部分は描かれていません。
しかし、ちょっと視点を変えて自分はこんな風に感じました。
実際に愛着がわいていたのは、アンドロイド側じゃなくて主人公側の感覚なんじゃないかな?と。
 
「(有)椎名百貨店」一巻収録の「電化製品に乾杯!」に出てくる「ミソッカス90F」というアンドロイドのエピソードはかなり有名なのではないかと思います。こちらは完璧に働くアンドロイド達の中で、欠陥品でやることなすことが失敗ばかりのミソッカスを描いたエピソードで、作中では顔の皮をはがされて機械であることを暴露されるにもかかわらず、読者もキャラもみんなが「かわいい!」と感じるという、なんとも人間とアンドロイドの関係を見事に描き出した短編でした。
これは後の「マルチ」につながっていきそうですね。

あえて完璧ではないもの、失敗するものに対して人間は親愛の情を抱きます。
それの理由を追求しても仕方ないんですが、あえていえば親近感でしょうか。自分が失敗する不完全なものだから、あえて「限りなく人間に近いもの」として、不完全を求める心の動きがあるのかもしれません。
人によっては「それは自分が上になろうとする人間のエゴだ」ととらえるかもしれません。それもひとつの見方だと思います。
またある人は「不完全という完全を作ってあがめる偶像のようなもの」ととらえるかもしれません。
初音ミクが完璧なメロディーを奏でず、ちょっとぎこちないのがイイ、という声が多いのもそのへんのような気がします。もちろんこれも、捕らえ方は十人十色。
 
しかし、少なくとも人間が不完全なものに惹かれやすい、というのは事実なのかもしれません。
そして、不完全だからこそ愛情をこめ、その愛情が次第に心の中で恋愛のような何かに変化するのは、ありうるかもしれないことをこのマンガは記しています。
 

●それは感情なのか●


気がつけば、完璧なアイリスよりも不完全なアイリス2を愛するようになってしまった主人公。
その感情が何なのか、アイリス2にはどのような感情があるのかはさっぱりわかりません。
むしろこれを言葉で表現することに意味はないでしょうネ。見た人が、それをどう捕らえるかでまったく視点が変わると思うからです。その余地があるのがイイ。
では、アイリス(原型)の方には感情はなかったんだろうか?

物語は思わぬ方向に動きます。アイリスの、アイリス2の、感情なのかプログラムなのか記憶なのかわからないものが、わだかまっていきます。
 
「人間らしさ」「感情」。それらはあくまでも人間の尺度で決めるものですし、同時に個々の感覚によってバラバラなもの。
ある人が「これは恋だ」と思っていたら、それはほかの人からみて違っていても恋になりえます。論議してもどうしようもない部分です。
ならば、アンドロイドの中の感情は…誰が決めるんだろう。

この表情は、アンドロイドの「記憶」が生んだものなのか、あるいは芽生えた自我なのか、それも読む人にゆだねられます。
個人的には、芽生えた自我だと信じたいですが、あくまでも視点は主人公のものなので、判断するのは主人公次第でしょう。
 
ロボットの知能、感情は結局、人間がどう判断するかで価値が変わってくるのかもしれない、という投げかけをして、物語は幕を閉じます。
それがひいては、なんとなく感じる、漠然としたロボットへの憧れや不安なのかもしれません。
 
アフター0 5 マイフェアアンドロイド (ビッグコミックス) アフター0―著者再編集版 (1) (ビッグコミックスオーサーズ・セレクション)
アフター0」のシリーズは、読者に考える余地を与えながら終わる話が多いですよね。藤子・F・不二夫先生のSF短編集もそういう考える余地がありますが、あちらはちょっと心理の裏をついたダーク寄り。
「マイフェアアンドロイド」は30ページ弱という短い話ですが、非常に分かりやすい上に考える余地の多い傑作でした。ちょっと古いマンガですが、教えていただいて今回読めたのは幸運でした。本当に感謝!
再編集版というのも出ていますが、こっちは確認していないので、どれに何の話がはいっているかさっぱりわかりませんです。
(有)椎名百貨店 1 (少年サンデーコミックス)
椎名百貨店、91年か!うわー、もう15年以上前なんだなあ。ミソッカスの先見の明はすごすぎる。
 
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