たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

或る百合オタの一生(未完)

●人が百合に落ちる瞬間を初めて見てしまった。●

ああ、昔はノーマルカプ好きだったんだ。
シンジとアスカでどれだけの時間妄想したことだろう。たくさん文字とイラストを書いたことだろう。
しかしぼくは、見てしまったんだ。
祐巳に祥子がロザリオを渡す瞬間を。
参ったな…百合に落ちる瞬間を見てしまった(自分が)。
 

●オンナノコxオンナノコを見た記憶●

WEB拍手より、こんなご質問をいただきました。

俺はいつの間に百合好きになったか覚えてないんですが、覚えてます?
作品名とか挙げてもらえると嬉しいです

気がつけば、確かに「いつの間に」なのかそのときはぜんっぜんわかりませんでした。
しかし、今思い返してみると「アレかしら」というのがちょぼちょぼと出てきます。
今となっては「百合っぽい」と言われたらとりあえずジャンル買い、というだけでなく、百合でもなんでもないキャラのカップリングを進んで行うようになりました。
これは成長なのか破壊なのかわかりませんが。
そんなわけで、曖昧ながらも自分が見てきた「オンナノコxオンナノコ」を記していこうと思います。
 

●ごめんね、素直じゃなくて。●

レベル1。
わたくし、セーラームーンというアニメは通して見たことがありません。
美少女戦士セーラームーンS VOL.2 [DVD]
というか、当時リアルタイムでは数話くらいしか見ていません。今はもうちょい見てますが。
ええ、もったいないです!ですとも。あの頃の熱狂に乗っていたら今どんなにいい思い出になったことか。
しかしセラムン放映時には、とある想いが先立ちすぎて、触れることが出来なかったのです。
セラムンを見たら負け」
当時すでにマンガ・アニメ好きっ子だった自分の中の幼い思いが、そう言い張っていました。セーラームーンは超えてはいけない防衛線。これを踏み越えたら自分はもう戻れなくなる。
いやまあ、もう戻れる戻れないじゃなくてがんがん踏み進んでいたのですが、なぜかそんな思いが自分をセーラームーンから遠ざけていました。
バキのAA貼りたくなりますね。このへんの心理はちょっと複雑なので、また別の時にでも。
 
しかし、もうこの時目覚めていたのです。オンナノコが集まってわいわいやっている空間の魅力に。オンナノコが力をあわせて本気で戦う素晴らしさに。そして、オンナノコ同士で情をかわす情熱と感動に。
その証拠に、本編を見ていないのに同人アンソロジー(含むエロ)の「ルナティック・パーティー」を買うという暴挙に出ていました。
順番違うだろう!と突っ込まれると全くそのとおりなのですが、これが意外とあることなんですよ。多分。
同人で興味を持って、本編を見てみようという気が起きる、というポロロッカ現象はキャラの多い作品だと案外経験した人多いのではないかと思います。今で言えば「アイマス」「マリみて」なんかはそういう人も多いと思います。
まあ、邪道といえば全くそのとおりなんですが、そんなフィルターを通して見始めてからフィルターはずすのもありかなと。あるいはフィルターからゆえに、さらにイメージを膨らませることもできると思います。
という言い訳です。
なんだかんだいって、もうあのときにはオンナノコ同士がラブるのが好きだったんでしょうね。当時は意識していませんでしたが。
ルナティック・パーティー、集めてたやつ全部売ってしまって内容忘れたのが悔やまれる。
 

●性転換は、百合の入り口を広げるかもしれない。●

レベル2。あるいは亜流。
さて、こちらはガチで夢中になっていた作品として、「らんま1/2」を挙げておきます。
らんま1/2 (1) (少年サンデーコミックス)
なんでセラムンがダメでらんまがいいのか分かりませんが、当時の自分の中ではセーフだったようです。
はて、百合じゃないじゃん、といわれたらそのとおりなんですが、あかねx女らんまが自分の中ではデフォでした。
そう。見た目で判断です。ようするに、幼い自分はオンナノコがケンカしたり仲良くしたりしながら、距離を保つのを見ているのが最高に好きだったんですよ。
「百合」という視点にこだわったら、これずるいんですよね。中身の意識は「男性」なんですもの。百合じゃあない。性転換です。
しかし確かに絵面から「これって百合っぽい」という入り方も確かに存在します。「かしまし」を見て「女の子同士が集って赤面するのはよいものだ!」という人は生まれ、そこから王道的な百合にはまる人はいるでしょう。男の子の心が「少女の赤面」で緩和されるというテクニックをへて、さらには百合好きになる門を通りやすく大きく開いてくれるのです。*1
当時の妄想としてのトップは、うっちゃんx女らんま。絵だけみたらすごくよい組み合わせに見えるもんだから、ものすごい勢いで妄想が走り出したら止まらない。
うっちゃん好きが高じて、「うっちゃんxあかねもいいなあ」とか思い始めたものだから手に負えない。ここで足を踏み出し始めたようです。
 

●潔くかっこよく生きていこう。●

レベル3。この時点で憧れと神格化が入り始めてる。
百合マンガ、という名前は一般的ではなく*2、女の子同士のラブストーリーもどちらかというとネタ的な描かれ方の作品しか見ていなかった頃。
百合好きな人なら誰もが衝撃を受けたであろう作品がありました。
少女革命ウテナ L’Apocalypse:1 [DVD]少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録【劇場版】 [DVD]
少女革命ウテナ
最初、アンシーの存在がいまいち飲み込めないというか、二人の関係のよさがさっぱりわかりませんでした。ウテナは大好きだったけど、アンシーに共感できないように自分でカベを張っていたのかもしれません。
しかし気がつけば夢中に。もう演出の妙です、この飲み込み方は。
また、この二人がいることの美しさを大げさなまでに描いて、それが本当に美しく見えるようになっているもんだから、そりゃもう鳥肌もたちます。
もっとも、一番好きなのは「かしらかしらご存知かしら」なんですが、それをも含めて肌で女の子同士の距離感を感じることに楽しさを覚えてしまった気がします。
一度それを感じてから見直すと、何もかもが、女の子の情の絡み合いにしか見えなくなり、よしそれでいい、と納得をし始めます。
 

●そして創作●

レベル4。やっちまった。
はて、もうすでに自分の中に「女の子同士はいいものだ」という兆候がはっきりしていた頃。
自分がとうとう、原作にないカップリングで創作をしてしまった作品がありました。
おジャ魔女どれみ ドッカ~ン! Vol.13 [DVD]
おジャ魔女どれみです。原作には百合はほとんどないです。あ、0ではないです。あいこちゃんx信子xみほラインとか。いやどうかな。
自分の中でパワーがあったのはやはり絶対神的少女、瀬川おんぷ。すごいよね、他のMAHO堂のキャラとカップリングさせるとしたら総攻めとしか思えませんでした。百合に攻め受けの概念があまりないのは置いておいて*3
そうでなくとも、MAHO堂という空間は「女の子だけの世界」で、かつそこに親愛の情を超えた強い、色々なものをかけた絆が根強くはぐくまれているとしたら、その中でナチュラルに色々な気持ちが芽生えると思ってしまうものなのですよ。
はて、百合カップリングを勝手に考えて書いているときは、全くなにも考えずただ「こうだったらいいな!」という感情のままに書きなぐっていました。もう理由じゃなくて感覚の世界で、色々組み合わせて「ピタッ!」ときたらそれで成立。乱暴ですね。でもそんなに乱暴でもないんですよ、繊細に考えてはいる・・・と思う。
メインキャラもいいのですが、サブキャラがまたかなり濃く描かれているこの作品、もうね、どれだけバリエーション作っていいんですかと。彼氏もちだけどかわいくて応用の効く小泉まりなとか、美少女すぎて笛なめられちゃう伊集院さちこ(vo.能登麻美子)とか、兄とか幼馴染とプロレスする工藤むつみとか、このへんカップリングしやすいのですよ。自分内で。むつみxあいことかイラストまで描いたなあ。
かなり脳の溶けていた状態だったのですが、理屈で考えるより直感で「あ、きた」と思ったらもう百合でした。その感覚が、今の「百合」を見るときの、或る程度視点を持ちつつ境目を作り過ぎないほうが楽しめるんじゃないかな、という思いにつながりはじめました。
 

●それはサファイア

レベル∞。これで目覚めた人は多数かと。
マリア様がみてる 薔薇の花かんむり (コバルト文庫 こ 7-55)
マリア様がみてる」。最初は自分でも信じられないんですが、この作品は避けてました。なんでかというと小説で長いから。危ない危ない、人生の大半を損するところでした。友人の猛烈プッシュで読み始めた途端一気にはまってしまい、もうあとは自らの中の暴走すらも楽しむようになりました。
この作品、もう各地で「この女の子たちの間にある感情はなにか?」という問いがされ続けています。確かにそれが「恋愛」かというと肯定しきれないし、では違うのかというとそうでもない。あくまでも、たとえば「祥子と祐巳」という関係であれば、それに名前はつけることができず、『祥子と祐巳』なんですよね。
自分は乃梨子志摩子カップルも好きなんですが、それ以上に文字を見るだけでにやけるくらいに乃梨子瞳子が好きでたまりません。それは作中での乃梨子の思いを否定するんじゃなくて、あくまでも「乃梨子瞳子」の関係への最大限の敬意と憧れです。
このへんは自分が経験していないからという憧れもあるのですが、すでに自分の見ている「少女」「女の子」はどこかしら乖離した憧憬であるのをうすうす感じていました。特に乃梨子の、ちょっとリアルなところと凛とした少女らしさときたら。
一度分かればあとは前進あるのみ。むしろここからが本番でありました。
 

●百合への入り口、リアルとファンタジー●

今までの流れを見ていただければ分かると思うんですが、自分の百合好みの流れは極めて「ファンタジー」なんです。決してリアルなストーリーの作品や成人女性向けのしっかりした話が嫌いなわけではなく、むしろ大好きなんですが、やはり「絶対になれないもの」というどうしようもないカベをかかえつつ、猛烈に「少女像」にあこがれているんでしょう。
きっと自分は乃梨子が好きすぎると同時に、乃梨子になりたいんだと思います。マリみて分からない人にはさっぱりわからない具体例ですねこれ。
百合作品で本当に好きなキャラって、自分の中の最大限の「神格化された憧れ」と「自分のもう一つの面」を投影しているのが自分の百合の楽しみ方なのかもしれません。それは、男女の性別で分けられるものではなく、どちらも思い描く幻想少女像です。
これが一般的とは限りませんが、そういう見方の人もいる、と思っていただければ幸い。
ちなみに、自分はそうでもないんですが、「百合作品に男の影はないほうがいいな」「エロは苦手」という声を男女問わず聞くことがあります。このへんもある種、ファンタジーと分かった上での憧れなのかもしれません。
 
一方、リアルな女の子の間の感情が好き、という人も多いでしょう。心から恋い慕ったり、嫉妬したり、ライバル心を燃やしたりする等身大の、限りなく自分に近い感情としての女の子たちの距離感に、共感したり泣いたり。そんな百合の入り口もあります。
この場合、繊細でリアルな感情であるほどひかれるかもしれません。
 
入り口はどっちでもいいですし他にもあると思いますが、その気持ちを持って素晴らしい作品に出会ったときの感動は、忘れられません。
そして、そういう作品に出会えたからこそ、「百合」という極めて曖昧でとらえずらい人間の情の重なり合いに恋焦がれるんです。
時にはネタのようにカップリングして楽しむこともあるけれど、そのとき「はっ」とうまれた感情がウソではない、と胸を張って差し出したいものです。
いや、胸まで張らなくてもいいかな、ちょっと慎ましやかに、差し出したいです。そのくらいのゆったりのほうが、ちょうどいい。一生のんびり時間をかけて育んでいきたいものです、この感情を。
 
〜関連記事〜
「百合的作品」群から見た少女幻想と、ネバーランド住人たち。
男女が見る百合への視線を、「百合姫」シリーズから考えてみる。
 
〜参考リンク〜
僕のどれみを紹介します
どれみについて、今でもイラストと詳細な考察を続けておられるサイト。クラスメイトの名前がわかるくらいのどれみファンなら面白いこと間違いなし。

*1:ただし「かしまし」に関しては、「男の子だからいい」という趣向も生まれていますがの

*2:本質がそれに伴うものはいっぱいあったと思うけど

*3:ありの人と、なしの人にぱっくり分かれるかもしれません。BLとはちょっとチガウ感じ