たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

セックスでしか描き得ない関係がある〜エロマンガ家きりりん先生の世界〜

エロマンガの方向性●

エロマンガにも色々な描かれ方があると思います。
「エロはすばらしい、さあおかずにして!」という作品。
「18禁の世界だからこそ自由に表現できるのだ」という作品。
「セックスがあるから描ける人間関係をじっくり描きたい」という作品。
いずれも面白いのです。好みはもちろん人それぞれ。
中でも今回は3番の、セックスなしでは描けない微細な人間関係を描くきりりん先生についてちょっと書きとめたいと思います。
非常に丸っこい、かわいらしい絵柄で人間の心理に切り込むきりりん先生。特に今月の「コミックino.」の短編「マイ・ファニィバレンタイン」があまりにも素晴らしかったのでもう書かずにいられないと言うか!
 

●You make me smile with my heart●

物語は幼馴染の少年少女が出会うところからはじまります。といってもよくある幼馴染とちがって、とある出来事のせいでもう長い間顔をあわせなかったような間柄なあたりがちょっと面白い。だから最初は「黒木」「宮下」とぎこちなさげに苗字で呼ぶんですよ。
少年黒木れんは、恋人にフられて別れ際にチョコをもらい、超傷心。逆に少女宮下あずさは恋人をフってきたところ。なんとも言えない微妙ーな空気でパンパンです。

なんだかどうにもかみ合わない空気の気まずさ。幼馴染ったってそんなに仲良かったわけじゃないし。
ところが話がだんだんおかしくなって、実はお互いが幼い頃好き同士だったことが明らかになってくるわけですよ。ほらあれです、照れがあったせいで「下の名前を呼ばない」「あまり仲良くしない」と意地はっちゃって。
まあよくあることですが、お互いがそれを心の奥でひきずって、別の恋人と付き合っていたのがあずさの涙を噴出させるんです。

きりりん先生が描く女の子は、とにかく泣き顔を入れるタイミングがものすごいんです。泣き顔が入ったらまず物語が大きく揺れ動くと思っていいくらい絶妙です。
 
はて、幼かった頃の心が触れ合って、めでたしめでたし…となりそうなところですが、違います。
きりりん先生はエロマンガというステージで、セックスをめぐるもっと重大な心理を描写していくんです。
 

●But don't change a hair for me●

名曲「マイファニーバレンタイン」では「だけど私の為に髪の毛一本も変えないでね、だめよ、もし私を思ってくれるなら」なんて歌詞がありますが、実際そんなことはありえません。
特に、お互い好き同士でも、別の彼氏彼女と付き合った経験があったら「まったく変わらない」なんてことはありえないじゃないですか。
 
きりりん先生は、セックスが快楽を求めるだけではなく心をも求め合うものだとして描きます。だからこそ、繊細な心が簡単に傷つくのです。
幼馴染で、ずっと大好きで、お互いなんとなく離れていたけどかけがえのない大事なあずさ。大好きなあずさ。
でも子供の自分が相手を傷つけて、彼女も別の人と付き合って。だから、彼女はもうすでに処女ではなくて。

ここで「それでも大好きだ、愛しているよ」なんて言えればいいのですが、言えないじゃないですかまだまだ若いんだもの。むしろ自分が犯したミスと、幼馴染が自分が知らないところで自分の知らない姿をさらしていたというショック。
だから男の子も泣くんです。裸の小さな彼女を抱きしめながら、悲しそうに、切なそうに、胸を締め付けられるように。
 
お互いの心と体をさらけだし触れ合う時、快楽だけではすまない繊細な部分が触れ合うことになります。マンガ「最終兵器彼女」で「一番敏感で弱いトコロ使うんだ。 そこを使わねーと気持ちよくなんねーんだ。 男と女がつきあうってそうゆうことだろ!」というセリフがありましたが、それは体も心もそうです。
少年がここで「なんで…オレが おまえの初めてやないねん……っ」と泣くシーンがあるのですが、「過去なんて気にしない」という理性は持っていつつも、そう思ってしまうことだってあるでしょう。今はかっこつけられないんです、一番敏感な部分さらしあっているんだから。

少女がここで都合よく「ごめんね」とか「いいんだよ」とか言いません。彼女だってものすごく傷つき、敏感な部分をすべてさらけ出しています。
彼女も思いきり抱きしめながら、下の名前で呼びながら、ただひたすらに泣くんです。ぼろぼろと、ぼろぼろと。
「なんで…他のことなんて考えなかんの… あたし…いまれんちゃんとセックスしてんの、心臓止まりそうなくらい嬉しいのに…」
お互い傷ついた。今からどうなるか分からない、でも今こんなに大事にして抱き合っているじゃない、さらけだしているんじゃない。他のことなんて考えないでよ。そんな悲しくなること言わないでよ。
 

●Each day is Valentine's day●

何回か引き合いに出したこの絵本の理念をちょっとまた出して見ます。
しろいうさぎとくろいうさぎ (世界傑作絵本シリーズ)
しろいうさぎとくろいうさぎ」。
この中で、しろいうさぎはいつもくろいうさぎと一緒に遊んでいるのですが、くろいうさぎは時々悲しそうな顔をするんですよ。しろいうさぎのことが大好きなはずなのに、一緒にいて泣きそうになるんです。
くろいうさぎは、今幸せだけどそれを失うのが怖いんですよ。だから「ずっと続けばいいのに」と杞憂に暮れるんです。
でもね、今一緒にいることって非常に幸せなことだし、もっともっと願えばいいんですよね。「一緒にいたいよ!」がネガティブじゃなくてポジティブになればいい。
 
きりりん先生の作品群にも同じような血が流れています。それがセックスというもっともお互いの敏感で繊細な部分で触れ合う瞬間に、泣いたり語り合ったりするんです。
今こんなに幸せだけど、過去を振り返るのが怖い。今こんなに幸せだけど、未来を考えるのが怖い。
「マイ・ファニィバレンタイン」が最後どうなるかは実際読んでください。クライマックスでこのしめかたはずるいよ!ありがとう!
 

●Your looks are laughable, unphotographable●

セックス中に嬌声だけではなく、心の内を語り合うシーンが本当に多いきりりん先生。
それは最近発売された「いもーと*もーど」でも存分に発揮されています。
この単行本は兄妹もの中心のかわいらしい作品集が、かわいらしいとだけ思ってみると肝を抜かれます。
中でも強烈なのが「私が●だったころ」
兄妹ものってかなり多いと思いますが、それを真剣に考えると前途多難な問題は山積みです。そのへんはスルーして楽しむのもファンタジーですが、きりりん先生は挑むんですよそこに。
この兄は妹と恋仲になって、たくさんの人を裏切って、親元を離れ二人で暮らすんです。そのとき、妹という間柄を捨てて、彼女のことを「僕の妻です」と呼びます。
そうして抱き合っていれば幸せな蜜月が訪れると信じていました。実際抱き合っている瞬間は幸せなはずでした。

だけれども、二人とも切なさに心をずたずたにされて泣くんです。ボロボロと泣くんです。
こんなに触れ合ってるのに心が、一番大切な何かですれ違って泣くんです。
 
そのほかの作品でも、女の子たちは時に悲しみの涙を流し、時に喜びの涙を流します。

すべて、性での触れ合いの中で心が交じり合ったりすれ違ったりするから。いや、触れ合ったりすれ違ったりするからこそ、抱き合う、と言った方がいいでしょうか。
もちろんハッピーエンドもありますし、エッチもラブラブなものが多いんですが、本当に心をひらいている瞬間に生まれるドラマをセックスの中に見出し、描く手法があまりにもすばらしい。「女の子が感情をあらわにするときのかわいらしさ」がにじみ出ているのです。
 
18禁ジャンルだからこそ描ける人間関係の深い深いところに切り込んでいくきりりん先生。
男の子たちの罪悪感、コンプレックス。女の子たちの傷心、おさえられない好きの気持ち。それを描くためにエロシーンが欠かせないんです。
傷つき、喜び、涙を流し。それでももっと抱き合いたいと願うのは、「しろいうさぎとくろいうさぎ」のようにそれを願って願って、もっと幸せになろうとしているからなのかもしれません。
 


これで新人さんなのか…すごいなあ。ロリエロ度も高いですが、今回のこの二作品を見ていると極上のエロ成分必須ストーリーテラーになっていく気がします。
 
〜関連リンク〜
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きりりん先生のHP。
『いもーと*もーど』(Teiresias)
トランスセクシャル物としての考察です。
いもーと*もーど (きりりん)(まんがさんぽ)
きりりん『いもーと*もーど』(ヘドバンしながらエロ漫画!)