たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

オタクはせまいところがスキ。

今日ははりけ〜んず前田のコントを見てきました。吉本芸人で、マイメロのバクくんの人です。
はりけ〜んず前田「登風」
ゲストの松岡由貴さんが見たくてもう。おいらの中では松岡さんといえば織姫でも鶴屋さんでも大阪でもなく、ダントツであいこっち*1なのです。ふつふつとどれみ熱が燃え上がるかのようでした。
 
コントがまた、えらい面白かったです。なんせひたすらにオタクネタのオンパレード。というかはっきり言ってあまりにも突き抜けすぎていて、オタクじゃないとわからないネタしかないという状態。最近はアニメ好き芸人も増えつつある(というかオープンになってきてる?)と思いますが、ガチで毎週HDD録画しているようなオタ芸人だと濃さが抜群に違いますな。もう自分なんかさっぱりかなわないくらいアニメ見ていると思いますこの方。ステキ。
そんなわけで、アニメ好きじゃない人には「???」なライブなのですが、オタクだと認知している人間には、とんでもなく心地よい空間でした。
 
はて、これを見ていてふと思ったのですが、同じアニメのギャグでも「ドラゴンボール」や「ガンダム」みたいに、みんなが知っているのはみんなで笑えるわけです。あーあるあるみたいな。
しかし、妙に濃くてマニアックなネタになればなるほどさらに楽しくなってしまうマジックが存在します。
ドラえもんのパロディより、アリア社長の尻の穴の話の方が面白い、みたいな。
 

●知ってる人だけついてこい●

オタクに限ったことではなく趣味全般に言えることなのですが*2、深いオタクになればなるほど、細かくてマニアックなネタが楽しく感じられます。
まさに「知ってる人だけ楽しんでください」の世界。非常に不親切ではあるんですが、いちいち説明するより振り切った方が絶対面白いです。
 
オタク会話も似たようなもので、浅く広いネタよりも狭く深いネタをポロっと出すほうがニヤニヤできたりします。9割の人がわからなくても1割の人がわかれば、その人たちが残り9割分も楽しめちゃう。
昔からあるであろうこの感覚。しかし不思議です。そもそも「面白い」って「共有できる」とか「わかりやすい」から入ることが多い気がするのですが、なぜあえて分かりずらくてふるいにかけたようなネタをついつい好んじゃうんでしょ。
 

●狭い心地よさ●

自分なりに考えてみました。

1、閉じた空間での共有感
2、自分が認められるような安心感
3、知っているという優越感
4、はたから見た自分を笑える許容感
5、その場限りの開放感

1は比率の問題。オタク率100%の空間とオタク率10%の空間だと、話すネタは必然的に変わってきます。例えば「とら○のあな」にいる時はまず間違いなく周囲にいる人間が、アリア社長のお尻で癒される率が、少なくとも職場や学校よりはるかに高いです。ココナッツという言葉を聴いて「ココ×ナッツ」と考える率が高いです。…高いよね?
そこにいる人は狭いネタでもわかっているという共有感は、なんとも妙な友情を感じるもの。技を極めたスポーツマンが技で語り合うように、オタクは濃いネタが通じる時に言葉にならないつながりを感じたりするのかもしれません。意外とオタクはその点まだ通じ合おうとする人多いので、デッドじゃないのかもしれません。
しかしお互い濃すぎるとかみ合わなくなることもあるんだな。なんとも不思議な歯車。
 
2は別に認められたというわけじゃあないんですが、そう感じることによる安心感はあると思います。
いわばマイノリティな趣味だからこそ「オタク」という言葉が使われるわけです。別にそれを誰かに認めてもらいたいわけじゃあないんだけれども。普段オタネタ話さない知り合いがちょっと「今のプリキュアの店ってへんぴなとこにあるよね」みたいな、明らかに見ていないとわからないようなネタを振ってきたときのワクワク感はもうたまりません。おお、通じた!地球は丸かった!
このへんはお互いが小出しにしながら距離感を図る尺度になったりもします。ここまではいいかな?ここからはアウトかな?そんな手探りの中でお互いの手がピトっとあたった瞬間の安堵感。これって自分寂しいんでしょうか。
 
3は人によります。ただ「プリキュアすきなんだよねー」と言った時に「じゃあMH見た?SS全話見た?劇場版は3回見た?」と言い返すタイプだと少なからず感じるかもしれません。
このへんあまりやりすぎると1と2すらも捨ててしまうハメになるので気をつけないといけないんですが、優越感同士がぶつかってライバルになり、さらに深いところを高めあって生まれる友情もあると思います。かみ合わないトークバトルになると泥沼になりますが。
 
そのへんが成長していくと4になります。最初は自虐的かもしれません。しかしそれをも含めて「ああ、自分こんななんだなー」と楽しめるようになればしめたもの。
オタネタの会話って自虐ネタが本当に多いと思いますし「オタクっていいよね」というマンガやアニメも「オタク=マイナス」の負のイメージが根っこにあるんでしょう。いや、それはそれでいいのかも。
しかしあえて自分で選んだ楽しい道じゃあないか、ならなにも卑屈にならずに「今楽しいなあ」でいいんです。
それを改めて「いいよねー」と、時に自虐的な笑いも含めて会話できると、今歩いている道の手ごたえを感じてほっとする部分は少なからずあります。そんなもの手ごたえなくても自信持ちなさいよ、と言われるかもしれませんが、音の出ない楽器より音の出る楽器のほうがいいのと同じです。
 
そして5。これはすっごくマナーとかのバランス難しいと思うんですが、オタクカラオケと一般カラオケで持ち歌を分けている人ならピンとくると思うんです。オタカラオケって楽しいよね。「もってけ!セーラーふく」じゃなくて「も、妄想マシーン。」をあえて入れたりとかねひよりん大好き。
自分の濃すぎるところをここでなら出せる!その時の開放感が好きな人もいれば、隠すからいいという人もいると思いますが、やっぱり好きなものの話はしたいなあという人の方が多いかもしれません。だからオフ会とか「ここでなら話せる」場って楽しいんですよねえ。
 

●容量を守って楽しいオタライフ●

狭く狭く、ぎゅうぎゅうに詰め込まれるくらいに濃いネタが集結すればするほど、上記のような楽しさは倍増していきます。
とはいえ、それが楽しいのが「自分だけ」になることもしばしば。100人がふるいにかけられ10人になっていったら、その10人とはさらにディープゾーンでニヨニヨできるわけですが、そこからさらに1人になってしまうと「あれ?」というから回りも開始してしまいます。
そこすらも「面白さ」に変えられるバランス感覚の持ち主の人もまれにいます。あるいはわからないネタの空気を相手に伝えてしまうテクニックの持ち主。そういう人の言葉にはひどくあこがれます。
 
必ずしも自分が「楽しい」と思ったコアなオタクネタが人に認められるわけではないし、全部を認めてもらえると期待もできないのですが、ふとしたときに「いいね」と言ってくれる人がいたらやっぱり心地よいものです。
その感覚を覚えてしまうと、さらにディープゾーンへ…会話のネタのために「基礎情報」なオタクネタを仕入れるようになるのはあっという間だったりしちゃうんだなあ。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
にしても改めて。
「一般人」と「オタク」ってオタク側の方こそわけちゃうんだよなあということを考えてました。
もちろんプラスな意味で。オタクじゃない人を蔑んでるでも、オタクを自嘲しているのでもなくて「楽しんでいる」意味で。
草の根BBS時代にオタクを指して作った語句逸般人って言う用語はよくできているなあと思いました。

「これが分かる者だけの苦しみってやつかぁぁ」(うれしそうに)
 
〜関連記事〜
「俺は前からそれが面白いと思っていたんだもんね」
そして彼は、あえてマイナーな本に手を伸ばすのであった
人生で一度くらい、いい「中二病」を経験しておこう。
踏み込んだオタクが見えるものと、見失うもの。
ちょっぴり後ろめたいくらいがオタク的には心地イイ。
 

*1:おジャ魔女どれみの青い子。とてもきっぷがよく、そしてひたすら健気で大人泣かせな子なのです。

*2:つか、趣味が深くなったらオタクとかマニア、になるから同じかしら