たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

百合とセックスとふたなり 〜対象読者によって変わる表現方法〜

18禁話ではないですが、エロ要素含むので収納ー。
 
 
WEB拍手より。

私は、百合が大好きな男なのですが、百合エロについて書かせてください。
今年の夏コミは、たまごまごさんが大好きな「けいおん!」を筆頭に「東方Project」「咲-Saki-」「フレッシュプリキュア」といった百合ネタ全開になると思っていたのですが、健全本は期待に違わず百合百合しているのに対して、成人向けになるととたんに男が絡んだ陵辱ものや女性キャラ同士でもなぜかふたなりものばかりになってしまい、純粋な百合エロのほうが却って少数派という状況に正直ガッカリしました。
そこで、百合エロが男性向けに描かれた「エロの一ジャンル」だと思っていたのは全くの間違いで、男女を含めた百合ファン向けの「百合の一ヴァリエーション」として捉えたほうがむしろ正解ではないか、という考えに至りました。
 
例えば、大多数のエロファンは男性であるため、エロシーンに男性快楽のポイントである挿入、射精は不可欠であり、たとえ女性キャラ同士であってもふたなり化させてまで挿入、射精を描かなければ納得しないのだと思います。
一方、百合エロファンにとっては、なによりも女性キャラ同士のつながりが一番のポイントであり、エロシーンにおける挿入、射精は不可欠どころか全く不要であり、ふたなり化はもとよりディルドー等の挿入についても大多数が否定的だと思います。
さらに、大多数のエロファンは、初エッチ=ロストヴァージン(初挿入)ということに拘るみたいですが、百合エロファンは初エッチ=初エクスタシーで十分であり、ロストヴァージンにはそれほど拘らないいうところにも、大多数のエロファンと百合エロファンの嗜好のギャップが明確に現れていると思います。
 
ただ、エロ業界の人たちがそこらへんのギャップを全く認識していないため、あいかわらず「百合エロは売れない」で済ませていて、百合エロファンに受けるような(大多数のエロファンは百合エロが読めなくても気にしないでしょう)百合エロの売り方を全く工夫しようとしていないところに、現在における百合エロを巡る一番の問題(そして、なによりも私の不満(笑))があると考えるのですが、百合とエロの両方に造詣が深いたまごまごさんのご意見を伺いたいと思います。
by おーらんどー

自分はそこまで造詣は深くないですが、これは確かによく議論を巻き起こす部分ですので確かに気になります。
 
まず最初の前提としてこれから話題にする「百合」は二次元・創作の中のモノであり、基本ファンタジーです。
そしてもう一つの前提として、「ふたなり」がだめだという話ではないことを断っておきます。自分もふたなりモノは大好きです。
ただ、ここで問題になってくるのは「百合もののマンガを買ったはいいけどふたなりばかりで、ポカーンと不思議な空振り感を感じた」という部分に関してです。いい悪いではなく、歯車がかみ合わない感覚のことです。
一旦、自分なりに整理をしてみます。
 

●「百合」と「疑似百合」●

エロに限ったことではなく、現在「百合」とくくられる作品群は大きく二つのベクトルがあります。
一つはリアル寄りの、人間関係重視の百合作品。「青い花」や「ささめきこと」はこちらです。
もう一つは女の子同士がイチャイチャしている空間を楽しむ、疑似百合作品。「ニニンがシノブ伝」や「けいおん!」のコミックス版のむぎビジョンはこちらです。
これが左右のベクトルとしたら、上下のベクトルとして「恋愛」「友情」があるかと思います。まあどこまでが友情でどこまでが恋愛かなんて誰にもわかりませんし、カップルがあればその数だけ関係があります。たとえば「フレッシュプリキュア!」に百合的なものを感じたら、それは「百合」でイイと思います。
 
この時点で、読者は作品を見分ける必要があるかもしれません。
いちゃいちゃラブラブな明るい空間を見ようと本を開いたら、すごい深刻な恋愛話で置いて行かれた!とか、二人の関係にハラハラしたいと思ったら理由もなく付き合っていて拍子抜けした、なんて経験は結構あるかと思います。
今思うと初期の「百合姉妹」はこのへんが混沌としていた感がありました。
 
大きく分けると二つのベクトルがある、という認識で間違いはないと思いますが、そこから現在は化学反応的に異色作も産まれ始めています。
たとえば、吉富昭仁先生の「熱帯少女」あたりはほとんど突然変異の域です。

今まであった「百合」「疑似百合」の範疇を超えて、二人の少女の濃厚空間を以下に作るかに全力を費やしています。時には「そんなことまでやっちゃうの!?」というファンタジー領域の向こうまでいってしまいますが、この本の中ではその行為も二人の愛情表現。スイカとか。
これもまた、百合の幅の広がりを表す一つの形だと思います。
「つぼみ」シリーズは吉富先生が筆頭を飾っているだけあって、王道から変化球まで割と豊かな方法論で描かれていて、「ここまできたのかー」と楽しめる百合アンソロジーになっていると思います。

その分、当然「かみあわない」作品も出てくるかもしれません。これはマンガのいい悪いではなく、単純に好みとあうかあわないかです。
 
もう一方で発達しているのが、きらら系列の「百合っぽい何か」です。
なんて言えばいいんでしょう、疑似じゃなくて百合なんですよ。ただ、4コママンガという情報量の少なさを生かしてその関係が小出しなため、判断は読者にゆだねられるという、どうとでも調理できる美味しい素材です。

ひだまりスケッチを百合と見るかどうか、と言われたら自分は百合として見ますが、まあ受取手次第。
 
まあ当然といえば当然なのですが、恋愛や人間関係絡みの物語には、たくさんの視点と趣味嗜好が絡み合って一筋縄ではいかなくなります。それは百合でもBLでもヘテロでも。
なので「面白い」と「好きな雰囲気」はかみ合いづらいです。その分、ぴったりピースがはまる作品に出会うと、そりゃあもう…浮かれるじゃないですか。
それだけ複雑なピースで出来ている繊細な部分に、エロが入るとさらに複雑化していきます。
 

●百合にエロはいる派、いらない派●

「百合」に王道的なものを求めている人の意見に「エロはいらない」というものもあります。
一番メジャーなところとしては「マリア様がみてる」。原作は当然エロなし清楚な物語で終始していますし、二次創作でも圧倒的にエロは少ないです。
これは、読者層が「マリみて」に、ひいては「百合」に対して、保守的な可憐さを求めているから、とも言えます。
女学校、制服、つかずはなれずの距離感…。手だけつないで微笑むのは、温室型百合の魅力でもあります。
 
その延長線上として、「お互いが好き→好きだから触れあいたい」という、恋愛のごく自然な流れとして体の接触を描く作品も増えました。もちろん以前からあったのですが、さらに許容範囲が広くなった感があります。

袴田めら先生と東雲水生先生の作品は、人間関係の痛みと愛情の部分に踏み込んでいるので、接触は避けて通れません。エロシーン、というほどのものはありませんが、体の重ね合いまで描かれています。
ただ、極めて抽象的に、そしてほのめかす形式で描かれているので、「百合にエロはちょっと」という人も比較的読みやすいと思います。特に人間関係重視な読み方の人ならなおのこと。
 
ここまでが、一本の線引きになります。
ここからはガチでエロシーンを入れるか入れないかの世界です。
 ちょっと古いですが。かなりゲームとしては面白く、百合度もきっちりしていた作品でした。ガチガチにエロゲーでエロシーン満載ですが、人間関係が丁寧に描かれていたため、かなり良作だと思います。
とはいえ、百合のエロは見たくない!という人には向かないでしょう。最初「処女宮〜栗毛の潮吹少女たち」て、なんつー名前つけるんだよ!とひっくり返ったモノですが、考えてみたらエロ耐性のない人が変に踏んでショックを受けるよりも、エロ慣れしている人が買って「お、なかなかいいじゃん」となった方が安全だと取ってのことなのかな、と思うようになりました。それにしてもすごい題名ですが。
 
百合にエロはいらない、という人の気持ちを押しつぶしてまで百合エロを雑誌に載せることも近年はなくなりました。老舗の「百合姫」シリーズでは、「百合姫wild rose」と分けることで、エロあり、エロなしを分別。繊細な判断だったなあと思います。
 

●チンコがあるかないか問題●

さてここで問題になってくるのが、ふたなりです。
最初に書いた「疑似百合」の話とも似通ってきますが、自分はふたなりマンガと百合マンガは別物だと思っています。
というのも、「ふたなり」マンガはエロマンガ表現の文脈を追っているからです。
 
エロマンガにおいてチンコは非常に重要です。
一番わかりやすい点としては、マンガ的に分かりやすいということ。
勃起する、という動きを経るため、画面に花があるわけです。どこで盛り上がるかというクライマックスはチンコが握っています。
そして、最初の方がおっしゃっているように、女の子の感覚と自分をシンクロさせることが出来ます。
 
ですので、納得できる出来ないというよりも、感性に訴えかけるジャンルであるエロマンガにおいては作者側が「ここは生えるしかない!」という信念の元に描いているのだと思います。
むりにそこからふたなりを省いたら、きっと感性はそがれて台無しになってしまうでしょう。
もちろん「ふたなり」は安易な結合ツールとしての利用方法もあるのですが、面白くてエロいマンガの「ふたなり」はそれを超越した、疑似感覚への憧れです。
その疑似感覚というのも、「女の子になってみたい」「相手の女の子に愛されたい」という、女の子の皮を被った男性である場合は、「百合」の皮を被った普通のエロマンガに近づいていきます。
逆にふたなりチンコに想像力を載せて、女性の感覚をいかに形にするかを描く女性ふたなり作家さんもいらっしゃいます。こうなってくると百合度はあがりますが、それでも「エロマンガ」ベースであると言っていいかと思います。
 
そして、これが実は重要なんじゃないかと思うのですが…エロマンガ基準の物語作りをするとき、ページの尺がチンコないときついんですよね。
ふたなり」にしても、「器具」ものにしても、限られたページ数の中でクライマックスを描く際、チンコっぽいものの挿入は非常に一本道を造ってくれて優秀です。
百合で挿入なしだと、何が起きているかを絵として表現しなければいけないため、また二人が近づくまでの手段が一筋縄ではいかないため、ものすごくページ数を喰ってしまいます。
特にエロパロでふたなりが多い原因はそこにあると思います。そして、自分はこの分かりやすい一本筋のふたなりエロ漫画が大好きです。
ただし、エロ漫画として。女の子にふたなりチンコを入れてアヘる女の子。女の子二倍で楽しさ二倍。人間関係は二の次になっちゃいます。
 

●人間関係重視のエロス●

女性同士のセックスをきちんと描いた作品は色々ありますが、「少女セクト」と森島明子先生は欠かせないと思います。

ここでは「半熟女子」を例に考えてみます。
2巻で完結した、携帯コミックスからの単行本化で、かなり過激なセックスシーンがあります。しかしエロ漫画ではないので18禁ではありません。
また、「エロシーンを描く為にストーリーがある」わけではなく、「ストーリーを描く為にエロシーンがある」構成なので、エロ漫画的に読むと少し感覚があわないかもしれません。
とはいえ、このマンガは極めてエロティック。
なぜなら女の子達の「触れたい」という欲求がどんどん高まって行く様子をきちんと描いているからです。

あんまり難しい理屈をこねるのもアレなんですが、「触れたい」と気持ちが高まるためには段階を描いて欲しい、というのが百合エロ好きな自分の本音です。いきなりクライマックス!ではなくて、発情スイッチの入るワンテンポが欲しいんですよね。その点はチンコが明快な反応をするのと違って、非常に描きづらいところなのですが、だからこそ挑んで欲しい部分!
 
森島先生のこのシリーズは、2組のカップルがメイン軸。二人の仲がどんどん近づいていって、実際にセックスをする所を越えて、さらに二人の生活を描写するところまで踏み込んでいます。
で、もちろんマンガだからファンタジーなのですが、限りなくリアルに「女の子同士がセックスをしたらどうなのか?」を踏まえて描いています。二人の関係が親密になるほどに、「気持ちいいね」だけではなくなるのも当然。心理的にも身体的にも近くなっていく様子が詳細に描かれることによって、その行動だけではなく、シチュエーション全体に読者の心は揺さぶられることになります。

エロ漫画の夢をぶちこわすような会話ですが、むしろそのへんのリアルさが二人の関係を物語っていて、その部分に自分は興奮します。
 
正直、エロいです。エロティックに描かれています。
それは性器を見てどうのこうのする直感的なものではなくて、ストーリーや関係性によって作られるエロスです。
ここが、ふたなりエロマンガと百合エロ漫画の決定的な違いなんじゃないかと思うのです。
ふたなり系マンガでも関係性重視のもありますし、百合エロでも感覚重視のものもあるので一概には言えませんが、どこにエロスを求めるのかは百合エロの場合非常に重要な要素になります。それこそ、読者の嗜好にあうかあわないかの部分なので、上手いかどうか、エロいかどうかだけでは判断できないところです。
 
ところで、この「半熟女子」ではその関係性の一貫として、「入れるか入れないか」をテーマの一つにしていました。

入れればいいってものではないのは重々承知ですが、より深く相手の側にいたい、相手のことをすべて受け入れたい、という感情の部分で「挿入」が大きな点をになっている、と考えて描いているのは好感が持てます。それなら納得、というか。この二人にとってはそれが大事なことなんだなと。
 
快感を求め合うだけじゃなくて、お互いの距離感を計り合う。
「距離感」は百合作品にとって一番といえるくらい重要なテーマですから、エロがあろうとなかろうと、そこがきっちり描かれているかどうかで作品の方向性は大きく変わってくるのかもしれません。
 

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「百合エロ」の需要があるか無いかと言えば、市場的にはあるんじゃないかと見ています。
しかし、「エロ漫画の女の子同士」ときっちりジャンルを分けた上で出していかないと、共倒れになってしまう可能性も感じます。だって、ごちゃ混ぜになっていたら、買ったはいいけど嗜好にあわなくて「じゃあ次はいいや」ってなってしまいますし。
自分はどちらも好きなので両方もっと!もっと!と思いますが、願わくば今は小さいジャンルである「百合エロ」がじわじわ広まればいいなとは思います。ただ、爆発的に目立ちすぎぬよう、こっそりとでいいです。
同時に、今ものすごい勢いで増えている(ように見える)、百合マンガでの「ほのめかす」シーンのむずがゆさが好きでならなりません。そこはもう積極的に、是非!